旧友の存在

 

「梨木もすごいですね。マッサンに “ お守りを頼む ” なんて言った班長を、あっという間に見返しましたよ」


 白石が車にエンジンをかけながら言った。


「彼女は “ 見返す ” なんて考えてないだろうがな」


 俺はシートを起こした。


「でも、あれ言われた時の彼女、顔がオニになっていませんでした ?」


 あっ “ 顔がオニ ” は内緒ですよと言って、情けない顔を作って笑う。


「あれはたぶん、相手に敬意のない言葉を使った事に対する怒りの表情だったんだろうな。剣道は礼に最も厳格なスポーツだから…無礼な言葉は上も下も関係なく無礼。警部補だから巡査に礼を欠いてもいいってわけじゃない」


「主任が言うと説得力半端ないです」


「・・・どういう嫌味だ」


 そう言って睨むと、白石は肩をすくめた。


 車は渋滞に巻き込まれていた。

 平日の夕方前、この街の中心は帰宅ラッシュ前のこんな時間帯でさえ、渋滞を作るようになった。


「あのマッサンさえ見抜けなかったのに、梨木はどうして宮前悠也が逃げようとした事に気づけたんでしょう ? 」


「先々の先」


「えっそれ何ですか ?」


「今度、梨木に訊いてみろよ」


 俺には説明不能だ。


 間合いを詰めようとする気配を悟られないように…と思った瞬間懐に飛び込んで来た。

 目か…予備動作か…空気の揺れか…本能か…とにかく梨木には感じるのだろう。


「ははっ俺、苦手なんですよ。例の件があってから、彼女の目が怖いんです」


 ・・・例の件


「白石は皇太子と何かあったのか ?」


 俺は不意に訊いてみた。


 例の件 …“ 立ちション動画 ” で瀬尾副署長を嵌めた野館と稲石。

 そこにこの白石が加わっていた事には今も違和感しかない。


「あれは……つまらん話です。俺、皇太子とは高校が一緒だったんです」


「顔見知りだったのか ?」


「結構、毎日つるんでいたような仲だったんです。この件では散々迷惑をかけた主任だから言いますけど……」


 白石はそう言って一度言葉を切った。


「あいつ、高三の時に彼女が妊娠したんです……って言っても、彼女も一人だけじゃなかったんですけど……もうこの時には、瀬尾善もかなり重要なポストにいて、あいつはアメリカ留学も決まっていて、いろいろとデリケートな時だったんで、俺が彼女を説得して病院に連れて行って堕ろさせたんです」


「皇太子には大きな貸しがあったってわけか」


「・・・って言うか、そんな事までしてやった仲だったんです。それがこの春、副署長として一課に挨拶に来た時、俺の顔を見て “ 初めまして瀬尾です ” って言ったんです」


「・・・立場もひと目もある。いきなり再会のご対面ってわけにもいかんだろ」


「俺も後になってそう考えるようにしました。だけど緑地公園で張り番してる時にも、時々差し入れに来て、二人だけになっても同じ態度でした。さすがにムカムカしている時に稲石さんに計画を聞かされて、俺もちょっと気晴らししてやろうって思ったんです」


「・・・あの夜、公園に向かう皇太子を車の中から呼び止めてたよな」 


「主任、凄いですね。あんな暗い動画でよく分かりましたね……そうです。土壇場になって急にあいつが気の毒になって “ いくら暗がりでも副署長の立ちションはまずくないですか ” って声をかけたんです。そしたら、あいつ “ 一緒にいかがですか白石巡査も ” って逆に誘って来て、かなり酔ってたみたいで止めても無駄でした。結局あいつはとぼけているんじゃなくて、本当に俺を覚えていないんです」


「そりゃ、切ない話だな」


「ホント、アホですよ…あいつも俺も」



 おそらく……とぼけている…気がする。

 あんな頭の切れるエリートが、自分の窮地に動いてくれた旧友の存在をそんな簡単に忘れるわけがない。

 警察庁ナンバー 2 瀬尾善のジュニア、瀬尾純也。

 ハーバード大卒の皇太子も今はまだ何の力もないただの警視。

 いま旧交を温めても何のメリットもない。

 昔の友達がどういう番犬に育つか、今は他人の振りをしてそれを見定めようとしている。

 ピラミッドの頂点を目指す人間っていうのは、そういう思考をするものだ。

 何となくだが、俺はそう感じた。


 ようやく署が近づいて来た。


 マッサンたちも今、戻って来たばかりのようだ。


「噂をすれば、あんなところに皇太子」


 俺は白石に顎をしゃくって見せた。



 宮前と手錠で繋がったマッサンが、覆面PCのリアシートから現れた。


 そして運転席から降り立った梨木は、皇太子に大袈裟に出迎えられていた。

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