野放し


「えっ ? じゃあ」


 島がさっきとは逆に目を細めて、小関の方へ身を乗り出した。


「犯人は捕まったのか ?」


 俺は期待を込めた。


 それならば祥華にも知らせたいが…



「いや… 警察にそんな動きはなかった」


 小関が苛立たし気に言う。


「どういう事よ ?」


 俺より先に島が苛立ちを口にした。


「警察はまったく動こうとしなかった。少女の証言は4年も前の目撃情報で、その時少女はまだ小学四年生だった。警察は少女の証言の信憑性は低いと判断した」


 ・・・4年前 ?


 俺は口を開こうとしたが、小関の話は続いていた。


「南洋署の刑事部に迫田という一課の刑事がいて、その人が痺れを切らして単独で動いた。先生とは顔見知りの若手刑事で、森川舞さんの事案も担当していた。迫田刑事は少女が目撃したという男を単独で追い、かなり疑わしい男に辿り着いた。そしてその男の周辺を過去に遡って徹底的に調べた。その男には、過去に誘拐容疑で警察に取り調べを受けた前歴もあったが、その時は証拠不十分で放免されていた」


「そいつほとんど真っ黒じゃん」


 島が呆れたように突っ込んだ。


「そう、どう考えてもクロい。迫田刑事の情報を元に、来橋先生が知り合いの検察官に問い合わせをしたが、検察側の見解も疑いをかける根拠が薄弱という回答だった。人権侵害に抵触するような捜査は出来ないそうだ。・・・そして先週、迫田刑事が飛ばされた」


「・・・飛ばされた ?」


「山間の駐在所」


「一課の刑事が・・・駐在所 ?」


 俺にさえ、その不自然さは十分理解出来た。



「迫田が本庁に拉致された、先生はそう言った」



 ・・・あの時も…


 一人の男がグランドを去って行った。


 またしても薄汚れた世界が広がってきた。



「じゃあ、真っ黒野郎は野放しのままかよ」


 島がそう言ってから、ハッと俺と目を合わせた。


 俺はゆっくりと頷いた。


 俺は小関の話がおぞましくて、途中から吐き気すら覚えていた。



 4年前の夏。


〜 で ? クソ野郎は野放しか… 〜


 たしか俺はヒロにそう言って、喰ってかかった。



 4年前。


 女子中学生の拉致未遂。


 大人の不可解な対応。



 ・・・まさか



「従兄妹は水泳部でね。県大会に出場するようなすごい子だったんだ。運動神経ゼロの僕からすると、彼女のクロールはそれはもう美しくて眩しかった」


 ・・・


「下村に聴きたかったのは、森川舞さんの家族の事なんだ。天野さんは舞さんの家庭教師をしていたと聞いた。天野さんを通して舞さんの親御さんに会わせてもらえないだろうか ? 先生は、それはまず下村に確認した方がいいって言われた」


 ・・・さすが来橋教授

 

 来橋教授も祥華のメンタルを心配してるのだろう。

 こんな時、あのピュアな正義感は扱いが難しい。



「舞さんの親に会ってどうするつもりなんだ ?」


「島君が言うように、真っ黒・・・な人物に対して警察がまったく動かない。恐らくその男の裏には警察の動きさえおさえるような強大な力が働いている。ならば被害者家族が団結してマスコミを動かす」


 小関の口調には断固とした決意のようなものが感じられた。

 

“ 彼女のクロールはそれはもう美しくて眩しかった ”


 ・・・気持ちはわかるが…


「・・・難しい気がする。娘が変態野郎に拉致されて、その後自らの命を絶った。それを表沙汰にしたがる親はいない」


「その気持ちは僕も同じだ。表沙汰なんかしたくない。でも犯人を絶対に許せない。親族はその怒りも一生消えない。来橋先生は僕の将来を心配している。強大な力がどこまで迫ってくるかわからないからね。でもそこを弾劾するマスコミだっているはずなんだ。協力してくれるマスコミには、僕が知っている事を全部話すつもりだ」


「小関は何を知ってるんだ ?」


「迫田さんは、その男が何者なのかは言わなかった。もちろん未確定の疑いだから、刑事としては当然だろう。でも、発端となった少女の目撃状況は漏らしてくれていた」


「 4年前とか言う ?」


 俺は吐き気を抑えながら訊いた。


「そう4年前、目撃した少女は、駅前の塾に通うお兄さんを送り迎えする母親の車にたまたま同乗していて、その男を塾で見ている。つまりその男は塾の講師だった可能性が高い」


 ・・・


 息を呑み込む島の気配だけは、はっきりと聞こえたが、俺の思考は完全に停止していた。



 ・・・なんてっ !



 ・・・なんてこと



 ・・・あいつだ



 ・・・あいつだったのか



「4年前、駅前で塾の講師をやっていて、身内に警察に圧力をかけるほどの権力者がいる男…そして “ インポ野郎… ”」


「へえ ?」


 島が間抜けな声を出した。



「これは迫田さんの呟きを、僕がたまたま拾って無理矢理聞き出した情報なのだけど、その男は性的不能者の可能性がある。学生時代に暴漢に襲われたショックでそうなったらしく、少女拉致監禁衝動と何らかの関連があるのでは、と犯罪心理学に詳しい来橋先生も仰っしゃられていた」



 

 “ グギャッ ”



 カエルを踏み潰したような悲鳴



 尻の下に突き刺さった靴先


 

 その足に伝わる生温かい感触




 俺は何かが逆流するのを抑えきれなかった。



「シモッ !」



 俺は島の呼びかけを無視してトイレに駆け込んだ。



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