森川舞さんの件



「実は昨日もここに来たんだ」


 俺の正面に座る“ 服を着た ”小関正也は、教授と呼ばれるに相応しいだけの知性やら理性を身に纏っていた。


「下村に聞きたい事があってね。午後はいつもプールにいるって、たまたま野球部の人が教えてくれて、すぐにここに来たんだけど、何故か君の泳ぎに見惚れてしまってね。結局昨日は声を掛けそびれてしまった」


 小関はここで一度言葉を切って、紙コップのコーヒーに口をつけた。

 紙コップから立ち上がった湯気が、小関のメガネを一瞬、白くした。


 相変わらずニコりともしない。

 別に不遜と言うわけじゃなく、とにかく丁寧なヤツ …ゼミで一年以上も一緒だったので、この堅苦しさにもだいぶ慣れた。


「君の泳ぎを見ていたら、僕も泳ぎたくなってね。今日は水着を何年かぶりに引っ張り出して来た次第で……しかし難しいものだ … 見るとやるとでは大違いだった……でも気持ちが良かった」


「そりゃよかった」


 俺はそう言って、隣りに座る島に同意を求めた。


「・・・よかった」


 島が強張った笑顔で言葉を反復した。


「早速、本題に入っていいかい ?」


 小関は紙コップを目の前に置くと背を伸ばした。


「どうぞ」


 俺が答えると、何故か島が同じように背を伸ばして頷いていた。


「森川舞さんの件で教えてもらいたいんだ」


「森川…?」


「一年前、君は天野祥華さんと一緒に森川舞さんの自死について調べていた。これは先生が教えてくれた。先生はその件に関しては、天野さんではなく下村に当たったほうがいい、と言われた」


 ・・・


「祥華と調べたのは確かだし、それを聴くなら祥華より俺の方が無難、という意見にも賛成だけど…教授…小関がどうして ?」


「一年前、僕の従兄妹が自殺した」


「・・・」


「15歳だった。原因は受験ノイローゼ。僕はその警察発表を鵜呑みにしていた。しかし実は違った。僕は今、とある裁判所で調査官の手伝いみたいなアルバイトをしている。詳しい事は言えないけれど、半年前に調査資料の中に従兄妹とそっくりな自殺事案を見つけた。不審に思い、ここ三年ほどに南洋市周辺で発生した女子中学生の自殺事案を調べてみた …三件もあった。従兄妹を含めると四件。その中に森川舞さんもいる」


「四件も ?…そんなニュースあったっけ」


 思わずといった感じに、島が口を挟んだ。


「何故かほとんど公にされていない。親族の心情を配慮してとの事らしい……が」


「・・・が ?」


「来橋先生に協力していただき、それぞれ事案を担当した警察官から話を聞き出した。明言しない警察官もいたが、察せるような匂わし方はしてくれた。四人にはおぞましい共通点があった。彼女たちには皆、自らの命を絶つ前に、三日ほど行方の知れない空白の日がある。そうなると嫌でもストーリーが出来上がる。彼女たちは何者かに拉致監禁された後、その後自殺している」


「それだけ調べたのなら、俺に答えられる事はないと思うが …」


「調べる内に拉致未遂事件に辿り着いた」


 ・・・話はまだ先があるのか


「犯人はまだ他にもやっていたのか ?」


 島が唸り声を発するようにつぶやいた。


「四件は自殺という痛ましい事件があって初めて、その裏に潜んでいた拉致監禁が表面に現れた」


「えっ、じゃあ」


 島が愕然と目を見開いた。


「考えたくもないが、今回僕が辿り着いた未遂だってその一件とは言い切れないし、監禁された少女が皆、死を選択したとも言い切れない」


 ・・・確かに被害者が四人だけだったとは言い切れないか


「なんだそりゃあ !」


 憤慨の声を上げた島に、小関が宥めるように首を振った。

 しかし周囲の耳目を気にする必要はなかった。

 冬の室内プールのラウンジに人気ひとけはない。

 

「未遂はどうなったんだ ?」


 俺は先を促した。


「その子は合気道を習っていてね。車で連れ去られそうになったところを、上手く犯人の逆手を取って、スキを突いて上手く逃げおおせた」


「やるじゃん」


 そこで小関の目が尖った。


「逃げた子は、その犯人の顔に見覚えがあった」


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