警察官採用試験一類

 

【大学四年・冬】



 27℃に設定された大学の室内プール。


 これは冬の水温設定ではかなり低めだ。

 遊び半分で泳ぐと身体が冷え切ってしまう。

 そもそも入水時にはかなりの覚悟が必要だ。

 だから、この時期のプールはいつもガラガラだった。



 最初の300は全力で必死に泳ぐ。

 そうするとすぐに身体が温まり、500を超えたあたりで恍惚感が訪れて、流れに乗った感覚が味わえる。

 自分が繰り出すストローク以上の推進力が生まれ、イルカにでもなった気分だ。

 こうなると低めの水温が超気持ちいい。

 水温が低い分、体力の消耗も少ない。

 スイマーズハイなんて大層なものでもないだろうが、その感覚になるとあっという間に1000メートルに達する。


 クロールなら力を抜けばいくらでも泳ぐ事が出来た。

 緩やかな上り坂をゆっくりと歩く程度の体力しか使わない。

 背泳ぎはインカレの標準記録をクリアした事さえあるし、バタフライも100なら水泳部の個人メドレーのメンバーにも勝った事があった。

 ただし平泳ぎは苦手だった。

 水泳部の奴らに付いていく事さえ出来なかった。

 平泳ぎは水に乗れない。

 四泳法の中で唯一、手足の動きが水に逆らう。

 だからトビウオのように水面の縫うイメージが必要なのだが、想像以上にテクニックと筋力が不足していた。

 70キロを超える素人の俺には、ちょっと手に負えない泳法だ。


 だが “ 特技は水泳 ”

 履歴書に胸を張ってそう書けるくらいのレベルに達しているはずだ。

 水泳も得意だと言った大沢と西崎に、クロールの100メートル勝負で、圧勝した時はめちゃめちゃ気持ちよかった。

 あいつらに対して優越感なんて、そうそう味わえるものではない。

 すべては深町のおっさんのおかげだ。


 1000メートルのラスト一往復。

 ノーブレスで25メートル、そのままキックターンから潜水で25メートル。

 さすがに途中で肺がヒリヒリとしてきた。

 こんな事、プールに通っていた二年前は平気でやっていたが、やはり身体がなまっている。


 1000メートルで切り上げ、プールサイドに設置してある冷水器で水分補給をした。

 プールは閑散としていた。

 今、泳いでいるのは二人だけだった。

 第1コースではヒョロっとした男がジタバタと蛇行しながら泳いでいた。

 息継ぎをするたびに、顔を必死に水面から突き出していた。


 ・・・ん ?


 何処かで見た顔…



 もう一人、島和毅はきれいな抜き手を見せていた。

 肘の使い方が柔らかくて、流れるように進んでいた。

 しっかりと水にも乗っている。

 さすがの運動センスだ。


 ここのところ、島と二人でプール通いを続けていた。

 新社会人は体力勝負…というのは来橋教授の言葉だった。

 職場が職場だけに、俺たち二人にはリアルな言葉だ。



 この年明けに、俺も島も静岡県の警察官採用試験1類に合格していた。

 10月に一次試験(筆記試験と論文)があり、12月に二次試験(適正試験、体力試験、面接)が行われた。

 倍率が5倍という事で、俺も結構必死に試験対策を行なった。

 特に筆記対策は何冊も参考書を買って万全を期した。

 とにかく応援してくれる祥華をがっかりさせるわけにはいかなかったし、あいつらに恥ずかしい姿を見せたくなかった。

 だから合格通知はマジで嬉しかった。


 これで春には晴れて警察学校だ。



「アイツ、教授じゃね」


 プールから出てきた島が、吹き出しそうな笑い声で言った。



 ・・・刈り上げ君か



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る