澄んだ目をした野良犬
「私が中二の時に母が再婚して、中三の春にここに越して来たの。元々は横浜生まれの横浜育ち。私は母の連れ子なの」
「水野も…横浜 」
・・・連れ子
生まれながらのお嬢様みたいに見えるが…
「うん、中一の時、水野くんと同じクラスだった。その時の水野くんは、野良犬みたいだった」
「あいつが野良犬…」
・・・想像つかねー
「・・・でも、とても澄んだ目をした野良犬だったわ」
・・・どんな犬よ
「いきなり栗まんじゅうって言われたわ」
「栗まんじゅう ?」
「失礼でしょ ?」
そう言って怒って見せた祥華の表情は、妙に楽しげだった。
祥華は水野との初恋を懐かしそうに語りだした。
ローティーンの頃、前波祥華の頬は、寒さの残る四月頃まで、ほんのりと赤みが残る “ 赤ら顔 ”の体質だった。
小学生の頃には気にも止めていなかったが、さすがに中学にあがった頃には、それが気になりだして、小さなコンプレックスになっていた。
「北国の少女みたいでカワイイ」
友達の悪気のないこんな言葉も、少しずつ胸に突き刺さるようになって来た微妙な12歳の頃。
「前波のほっぺた、栗まんじゅうみたいで
中学に入学してすぐに、隣りの席のガサツな坊主頭は、真顔で祥華のコンプレックスをからかった。
「君の頭はイガグリみたい。でもまったく
祥華は決死の思いで言い返した。
ホントは怖くて悔しくて泣きそうだったけど…
「だよな。今どきダッセーよな」
坊主頭はそう言って、あっけらかんと自分の頭を撫で付けて笑った。
その爽やかな笑顔に調子抜けして、思わず笑ってしまった。
席が隣り同士だと毎日のように口をきく事になる。
坊主頭はぶっきら棒で無愛想だったが、どこか優しさを感じさせる一面もあった。
祥華にとってその坊主頭は、大きくてガサツで少し怖い存在だったけど、不思議と嫌な印象はなかった。
ある大雨の日、下校時に野球グランドで泥まみれになってノックを受ける少年の姿を見かけた事があった。
この時、少年はまるで野犬に囲まれた野良犬のような目をしていた。
ノックをする上級生は、雨に濡れないベンチの中からボールを打っていた。
野球部の “ シキタリ ” を守れない新人に対する上級生の教育。
どう見ても明らかな、新人いびり。
上級生たちは楽しそうに奇声をあげて、新人を熱心に教育していた。
隣りに座るイガグリ頭は、いつも悔しそうな顔をしていた。
「大丈夫 ?」
「No problem.」
恐る恐る声をかける祥華に、少年は決まってこう言って “ ははっ ” と笑っていた。
少年は、いつも上級生に逆らっては “ 理不尽 ” な教育を受けているようだった。
坊主頭は授業中、居眠りばかりしていた。
ガリ勉の優等生キャラだった祥華は、密かにその少年を心配するようになった。
「野球って楽しい ?」
ある日、少年に聞いた事があった。
「指導者次第」
少年は驚くほど真剣な表情だった。
少年はこの頃にはもう “ 縦社会 ” “ 勝利至上主義 ”といったスポーツ界における旧体制的な弊害と向き合っていたのだった。
授業中、居眠りばかりの割に少年の成績は意外と優秀だった。
そして、テスト前になると、常に学年トップだった祥華に、質問攻撃を浴びせるほどの勉強熱心でもあった。
祥華は少年と一緒に勉強するのが嬉しかった。
祥華はいつの間にか少年の事が好きになっていた。
少年も同じだったと思う。
二年になると、少年は野球部の中心選手となり、チームもどんどん強くなっていった。
いつの間にか祥華は、学校内で “ 水野の彼女 ” と呼ばれるようになっていた。
デートどころか学校以外で会った事も、手を繋いだ事もなかったけど、お互いの誕生日にはプレゼントしたし、バレンタインデーやホワイトデーには、誰よりも特別な異性だった。
そして中二の終わりに祥華は、南洋に来た。
「またメールするな」
「うん」
この時二人に別れの意識はなかった。
実際、その後もずっとメールのやり取りだけは続いた。
坊主頭の少年は、全国的にトップレベルにある神奈川でも、注目されるほどの野球選手になっていた。
メールだけのやり取りだったが、少年は祥華に自分の夢を語っていた。
「将来、スポーツ科学を勉強する道に進む」
しかし、本人も知らない内に少年は、泥だらけの野良犬から洗練された貴公子に姿を変え、地元の期待を一身に背負うスターへと祭り上げられていた。
地元ではすっかりアイドル扱い。
「水野くん、忙しそうだったけど必ずレスはあったの。でも少しずつレスに時間がかかるようになって……私もメールしても迷惑かなって思い始めて…そのまま消滅しちゃった」
「そうしたら、18歳の春にあっちから南洋に来たわけだ」
・・・感動的な再会じゃん
「うん。でもまるで別人だったの」
祥華の綺麗な眉が “ ハの字 ” になった。
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