数学的にあり得ない

 

 水野がゆっくりと走り始めていた。


「やっほーっ !」 


 叫んだリキが両手を突き上げて走り出した。


 マウンドの古高が呆然と消えた打球を見つめて固まっている。 


 線審がレフト線を彷徨いながら途方に暮れている。


 場内はすっかり静まり返っていた。


 主審がホームベースの前に立って、右手を大きく回した。


 場内が騒ついた。

 

 大沢はうつむき加減に、ベースをまわっている。

 球場のほとんどの人間が、呆気にとられながらその大沢を見ていた。


 “ 何が起こったんだ ? ”

 

 “ ボールはどこへ消えたんだ ? ”


 誰もがそう思っていた。


 実際、俺の目も打球を追えていなかった。


 人間の目は予測不可能な事象には、目がついて行かないのだ。


 恐らくはっきり打球を確認出来たのは、主審とバッテリー、そして水野と力丸の二人だけ。


 スーパーカラービジョンが、リプレイを映し出した。


 カメラも打球を見失っていた。

 アングルがレフトフェンス際を彷徨っていた。


 推定140メートル弾。

 

 これは、各メディアが適当に予測した飛距離だ。

 150メートルと書いた記事もあった。

 実際はそんなに飛んでいないはずだ。


 角度は20度を切ったか ?

 とても、場外に持っていくような角度ではなかった。

 今なら打球速度と角度で、ある程度は正確な飛距離も出るであろう。

 きっと数学的にあり得ないホームラン、なんて騒がれていたのかも知れない。


 とにかく大沢はこの打球で伝説となり、葛城雄一郎の言葉が社交辞令ではなかった事を証明した。


 いきなり3点先取。

 名峰撃破ですっかり気の緩んだ“ 自分に優しい組 ” は一気に目を覚まされた。


 さすがとしか言いようがない。


 ただ、俺たちはもっとゴツいヤツを目の当たりにしている。

 和倉のスプリットを捉えた美しい放物線。

 あれが目に焼き付いている。

 

 ホームベースで大沢を迎えた俺たちには、もう驚きも興奮もなかった。


“ またやりやがった ”


 ただ呆れて笑うだけの事だ。

 結果がホームランでも三振でも、大沢の凄さに変わりはない。

 大沢に対する俺たちの信頼感は、その境地に達していた。


 水野がリーダーシップを発揮出来るのも、

西崎が天性の煌めきを輝かせるのも、ヒロを始め投手陣が安心して投げられるのも、リキやコータが好き勝手に暴れられるのも、そしてジョーや島が続けて来れたのも…


 打線の軸、扇の要にいつも大沢が座っていたからだ。


 俺たちは大沢がいたから頂点を目指せた。


 チームの誰もがそう確信していた。


 

 ・・・あぶさん


 深町監督の呟きはこの時から大沢の呼び名となった。

 

 二日酔いで155メートルのサヨナラホームランを打った漫画の主人公の呼び名は、そのまま大沢のニックネームとなったのだ。


 

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