お辞儀するストレート
後ろから肩を叩かれた。
「いい判断だった。結果なんて気にするな」
「・・・そうか」
顔をあげると、水野はすでに背中を見せてショートポジションに向かっていた。
大沢が俺の腕を引っ張りあげた。
「攻めの姿勢が1番。いい走塁だった」
「・・・そうか」
大沢が白い歯を見せて、キャッチャーボックスに向かった。
「次の打席で、お前が試合を決めればいい」
「そうか ?」
西崎が俺のグラブを放ってよこした。
・・・俺に次があるのか ?
「シモの爆走で、トーヤにも火が点いたよ」
ヒロが、マウンドに向かう西崎の背中に顎をしゃくった。
「・・・そうか」
コータもリキも、ファーストの守備に入る東山も…みんなが俺に笑顔を向けている。
・・・思いやりの嵐か
俺は自己嫌悪を抑え込んで外野へ向かった。
ライトの守備位置に向かう俺に、ジョーと島が並んで来た。
「いいチームだったな」
ジョーがしみじみと言う。
「これで終わりみたいな言い方じゃん。俺は決勝に行く気満々だぜ」
島が笑顔を弾かせて、俺とジョーの腹にパンチを繰り出すとレフトの守備位置へ駆けて行った。
「まあ、何にしろ。トーヤと名峰のクリーンアップの対決を同じグランドで体感出来る。とりあえず、そのシュチエーションを楽しもう」
ジョーがそう言って、離れて行った。
・・・そうだよな
俺は西崎の投球練習を眺めながら、もう一度気を引き締め直した。
・・・アゴがイテー
アゴ先に触れた指先に血が付いた。
ヘッドスライディングで、アゴを擦り剥いていた。
このあたりの野球センスが、俺の限界を物語っているかもな。
・・・たぶん、あの場面
アイツらならみんな、島のヒットでホームインしちゃうんだろうな。
必死のヘッドスライディングで、グランドにアゴを打ちつけるヤツなんていないだろう。
こんな俺が、そんな奴らとずっと一緒にやって来れた。
ジョーの言う通りだ。
2点ビハインドの 9回表。
この場所で球界最高峰の対決が見られる。
・・・俺も必死に野球を楽しもう
“ ズダンッ ”
紀尾井への初球。
155キロが外角高めギリギリに決まった。
2球目。
内角高めギリギリの156キロで、紀尾井を簡単に追い込んだ。
・・・いいコントロールだ
西崎には、気負いも気の緩みも全くなさそうだった。
ただ、大沢の構えるミット一点に集中している。
3球目。
内角低め。
156キロ。
紀尾井がうまくバットを合わせた。
タイミングはドンピシャッだった 。
完璧なバッティングに見えた。
しかし打球は・・・
俺は 5メートルほど前進して、平凡なフライをランニングキャッチした。
名峰の3番バッターを簡単に打ち取った。
ワンアウト。
西崎の剛球は飛ばない。
俺は大学時代、西崎の全力投球が外野手の頭を越えたのを一度も見ていない。
本人はノビのないストレートを恥じ、大学2年の時に改善しようとしていた。
それをヒロと大沢が止めた。
西崎のストレートはお辞儀する。
理屈で考えると、お辞儀するストレートはジャストミートすればよく飛ぶはずだ。
しかし世の中には、お辞儀したまま160キロ近いボールを投げる投手なんて西崎以外にいない。
バッターはどうしてもボールの上っ面を叩いてしまう。
西崎の、バットを押さえつけて来るような剛球を攻略出来たら、恐らく他のピッチャーの速球が打てなくなる。
150キロを越えるボールに対応する一流打者は、目と手の協応動作を一般的な反応で捉えるトレーニングを積み重ねているから、一般的でない160キロ近い剛球には反応出来ないのだ。
4番の太刀川が、外角低めの156キロをフルスイングで叩いた。
ピッチャー強襲。
しかし西崎がこれを余裕でキャッチした。
たぶん、見た目ほどの打球速度もなかったはずだ。
これでツーアウト。
この二人はのちに西崎のチームメイトとなり、常勝マトリックスの主力となる。
今思えば、贅沢な対決を外野から見物していたものだ。
そして・・・
最も贅沢な対決。
『5番、センター葛城』
この国民的英雄は、その後も英雄であり続ける。
マトリックスの主砲として3度の三冠王を始め、数々のプロ野球記録を塗り替える。
しかし、マウンド上の男はそれに勝る天才だった。
西崎は葛城に対して、159キロを内角高めに 3球続けた。
行き当たりばったりの天才はノビのないストレートで、ボール捌きの天才を三球三振に打ち取ったのだ。
・・・さっすが
マウンドの西崎が、駆けつけたコータと並んでボディビルダーの決めポーズをしていた。
・・・
さあ、いよいよラストだ。
『名峰大学の選手の交代をお知らせします。ピッチャー、陣内に代わりまして北見』
・・・いよいよだ
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