名刺を疑うなんて知恵

 

 大学の駐車場。

 静岡ナンバーのアコード。


 俺は尾行者に真っ直ぐ近づいて行った。


「どうしたの ?」


 祥華が不思議そうについて来る。


「分からんから確かめる」


 その男は特に臆する様子もなく、俺を待っていた。


「久居と言います」


 40歳くらいか ?

 目つきが尖っていた。

 明らかにカタギじゃない、と思うのは尾行されていた先入観から来るものか。

 それとも、にわかボディーガードの悲しい習性か。


「森川舞さんの件でお話しがあるのですが、立ち話もなんですので、車で話しませんか」


 男は後部ドアを開いて、座席を示した。


「えっ、何かご存知なのですね ?」


 祥華は目を光らせながら、車に乗り込もうとした。



 ・・・おいおい


 俺は祥華の肩を押さえた。


「どうしたの ?」


 祥華が怪訝顔を向けて来た。


 ・・・どうしたの、じゃねーよまったく



 俺は野球しかして来なかった。

 だから、人を疑うような事には不慣れだ。

 しかし、祥華は俺に輪をかけて疑う事を知らないお嬢様。

 しかも今、情報を得る為に必死だ。

 目的達成のためなら、UFOにだってすんなり乗り込みそうだ。


 祥華のボディーガードをしていると、俺の方が先に防衛本能や、他人に対する猜疑心に目覚めざるを得ない。


「俺たちをずっと尾行つけていた久居さんは、どちらの久居さんですか ?」


 俺は祥華を背中で庇うように前に出て、男と向き合った。


 男は軽く笑みを浮かべながら、俺を一瞥すると、懐に手を入れた。


「こういう久居です」


 俺の顔の前に出て来たのは、名刺だった。

 

 ・・・横井法律事務所 ?


 ・・・弁護士秘書 ?


「学校の駐車場で、屈強な野球選手を車で攫うような無謀はしませんよ。立ち話っていうのはひと目を引きますから、車の中でお話しさせて頂きたいだけです。お願いします」


 久居はそう言うと、運転席に乗り込んだ。


「大丈夫。お話を聞きましょう」


 祥華はそう言うと、さっさと後部座席に乗り込んでしまった。


 ・・・まあ、カタギなら危険はないか


 俺も祥華に続いて車に乗り込んだ。

 人を疑う事をやっと覚えたばかりの俺には、名刺を疑うなんて知恵までは持ち合わせていなかった。



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