今のはカットだからな
ヘルメットをかぶり、バットを手に取った。
「シモまで回ると面白い事になりそう」
ヒロは悪戯っ子顔のままで言った。
「まあ、気楽にやるわ」
「オッケー」
ヒロが無邪気な笑顔で応えた。
俺はヒロに頷いて、ダグアウトの外に出た。
ウェイティングサークルの大沢は地面を見つめていた。
和倉のストレートを見ない。
徹底している。
水野は見る振りをしていた。
実際はスプリットしか見ていなかった。
西崎は何を考えているのか分からない。
もしかすると西崎自身も分かっていないか ?
何せ行き当たりばったりの天才。
うちのクリーンアップを知り尽くしている和倉だけに、三人三様の挙動には神経を尖らせているはずだ。
回が進むに連れ、迷いは深まる一方かも知れない。
水野が大きなリードをとっていた。
左投手の目の前でここまで露骨にリードされると、嫌なものだ。
和倉はゆっくりと形ばかりの牽制球を投げた。
水野もゆっくりと帰塁し、今度はほとんどリードをとらなくなった。
ランナーのこんな動きは、バッテリーに余計な神経を使わせる。
打席の西崎が一度大きな素振りを見せた。
まるでスプリットをすくい上げるようなアッパースイング。
大沢は瞑想するように目を閉じている。
たぶん、3人がそれぞれ勝手にやっている事だろうが、和倉も尾形も意味を考える。
守る側のメンタルとはそういうものだ。
・・・厄介な奴ら
初球。
フワッと来た。
・・・いきなりチェンジアップ
西崎は一度バットを下ろした。
その上でもう一度構え直して、遅い球をあえて振り遅れ気味にして、ボールを払い上げた。
・・・さすが行き当たりばったり
打球がライトスタンド後方に消えた。
「ファール !」
“ 惜しい ” “ あっぶねー ”
真逆のため息が、球場全体を包み込んだ。
「今のはカットだからな」
西崎が俺に向かって、大声で言い訳して来た。
・・・アホか
すぐに主審に注意された。
和倉が一瞬、顔色を変えた。
これじゃあ、スプリットを狙っている、と言ったも同然。
西崎に悪意はない。
駆け引きのつもりもない。
思った事を口にしただけだろう。
しかし、和倉は挑発と受け取った。
2球目。
水野がスタートを切った。
スプリットだ。
かなり低い。
ベースの手前でバウンドした。
・・・えっ !
西崎がぶっ叩いた。
ピッチャー強襲。
和倉の右。
強烈な打球が、逆シングルで差し出した和倉のグラブを弾き飛ばした 。
ボールがセカンドの前に転がった。
セカンドが素手でボールを掴んで、倒れ込みながら一塁送球。
西崎が頭から突っ込んだ。
「アウト !」
「サード !」
尾形の声。
瞬時にファーストが三塁に送球した。
水野が頭から突っ込んだ。
「セーフ !」
ウォー !
スタンドが騒然となった。
一塁側も三塁側も立ち上がって、頭上で手を叩いている。
それぞれが味方のプレーを讃えていた。
西崎がしかめっ面でダグアウトに引き上げて来た。
しかし・・・
あれはあれで楽しんでる顔だ。
あいつは相手のレベルが高ければ高い程、野球を楽しむ。
・・・何せ紙一重のアホだから
『5番、キャッチャー大沢』
ツーアウト三塁。
三塁に水野。バッター大沢。
・・・打球が転がれば点が入る
初球。
インハイのストレート。
「ストライク !」
157キロ。
大沢が打席に立つと、球速もスピン量もアップする、気がする。
2球目。
アウトローのストレート。
「ボール !」
157キロ。
3球目。
・・・わっ ! 消えた
ストレートが高く外れた。
159キロ。
ホントに浮き上がって見えた。
・・・いや、脳がついていかない
4球目。
スプリットだ。
しかし際どい・・・低いか ?
148キロ。
「・・・ボール !」
一瞬、コールが遅れた。
大沢はピクリともしなかった。
和倉が大沢を見つめていた。
“ 本当にスプリット狙いなのか ”
たぶん、そう思っている。
大沢はストレートは見ていない。
だから、最初からスプリットの落差だけを目で追っている。
今のはボール球と判断して見送った。
大沢の目はスプリットを捉えている。
“ 期待出来る ”
スリーボール、ワンストライク。
5球目。
スプリットだ。
アウトロー。
・・・これも際どいコース
見送った。
「ボールフォア !」
和倉が天を仰いだ。
たぶん、これで大沢の狙い球が和倉の中でリセットされた。
・・・なんて、人の事考えている場合じゃないな
ツーアウト三塁一塁。
『6番、ライト下村』
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