卒業後の事

 プロ野球が開幕する春先から、クライマックスシリーズが終わる秋まで、南洋の街はホワイトベアーズ一色だった。

 街の中心部は着実にボールパーク化が進められており、週単位で華やかさが増していた。


 確かに街は生まれ変わった。


 増量したパワーとかエネルギーみたいなものが、しっかりと肌で感じられた。


 そして街がきれいになった。


 “ ゴミが減った ”


 単純だが、まずそれを思った。


 例えると、ゴミだらけの公園を一気にきれいにしたら誰もゴミを捨てられなくなった。


 人のモラルなんて、そんなものかも知れない。


 案外、常識を気取った大人も、人目がなければゴミだらけの公園にはゴミを捨てる。

 モラルのハードルが低ければ、小さな悪さなんて埋もれてしまう。


 逆にモラルのハードルを引き上げれば、決まり事を守る人間がより集まり、モラルの低い人間には住みづらい街になるのだろう。


 荒廃した空気、暴力的な街の匂いが少しづつ薄らいでいくのを、俺はそんな感覚で捉えていた。


 勿論、そんな単純な事だけで街は変わらないだろうが、健全な街を夢見た秋庭聖一のやり方は、今思えばやはり周到であっただけでなく健全でもあったのだ。



 南洋に戻った俺はすぐに、大学に天野教授を訪ね、厚意に改めてお礼を述べた上で、再建手術の件を丁重に辞退した。


「では、あなたは何を ?」


 教授は事前に準備していたかのように呟いた。


 ・・・何を ?  就職の事 ?


「卒業後の事ですが ?」


「勿論、そうです」


 天野教授は哲学者らしからぬ、おどけた表情を浮かべて頷いた。


 ・・・哲学者らしさがどんなのか、なんて知らんけど


「今は一日でも早く復帰して、秋にはチームの役に立てるようになりたいです。今はその先の事までは頭が回らないです」


「それではいけません」


「・・・」


「あなたは・・・正直だ。きっと人にも自分にも。だからあの日のマウンドがあったのかな 」


 教授の目は、柔らかい言葉を発したとは思えないほど固かった。


「はあ・・・自分ではわかりませんが」


「言っておくが、褒めてないからね。今の時代、正直に何のメリットもないから」


「・・・」


「すまないね。僕の専門からすると正直は美徳であるから、あなたのような人は好きです。お陰であんな感動的な試合も見せてもらえた。しかし正直である事で人に好かれはしても、経済的な恩恵はまず受けられんよ。大学までで野球をやめる決心をしたのであれば、尚更次の事を考えなくてはいけません。・・・法科だったね」


「・・・まあ一応」


「法科に来橋というのがおる」


「・・・刑事訴訟法の教授ですね」


「犯罪心理学にも詳しい。そこのゼミに参加してみてはどうかね。正直者が進路を考えるには、いい内容だと思う」


「はあ」


「正直者には正直者の進む道があるかも知れん」


 ・・・確かに褒められてねー


 

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