胴上げ投手
試合後、俺は肩肘を氷漬けにされた状態で、マスコミ攻撃を受けた。
こんな事、高1の秋以来か。
もともと南大野球部はマスコミの注目度が高かった。
おそらく、ホワイトベアーズの久住編成本部長の戦略でもあったのだろう。
それだけネタも豊富だった。
水野、大石、辻合、鷹岡といったドラフト指名されたような有名人がいたし、天才ナックボーラーと騒がれだしたヒロもいた。
この頃から西崎の剛速球も注目され始めていたし、水野、大沢、西崎の大型クリーンアップも注目を浴びていた。
そんな中、南洋市の大学で史上初の
“ 150キロのスライダー ”
これには、俺自身も驚いたが、マスコミの質問もそこに集中した。
それに対して、俺ははっきりと説明をした。
肘の故障で20球程度しか投げられない為、一年前に野手に転向した事を。
実際、この日も15球程度の球数で、すでに肘が痺れており、当分ボールが投げられそうになかった。
(神宮ではベンチ入りすら出来なかった)
そして、この日は最後のマウンドとして、監督とチームメイトが胴上げ投手をプレゼントしてくれた事も正直に打ち明けた。
俺のインタビューは、感動的に脚色され大々的に報じられた。
人は勢いがつくといろんな出合いが訪れる。
俺はこの記事によって南洋市では有名人となり、これのお陰で祥華とも出会い、刑事訴訟法の来橋教授に目をかけられ、警察では初年度から昇任が果たせたのだ。
この時、俺は神宮へ行く前に祥華の家に招かれている。
南大で哲学科の教授をしていた祥華の父親は、スタンドであの試合を観戦し、南大の初優勝に歓喜した。
俺の不可解な登板に首を傾げ、その背景にあった(脚色された)事情と友情に感動したらしい。
アメリカの友人に、肘の靭帯再建術の権威がおり、紹介するから手術を受けないか、と言う話だった。
費用も援助するという申し出だ。
今と違い、とんでもない額だったと思う。
“ あのスライダーをもう一度見たい ”
それだけが理由だと言う。
俺は天野教授の好意に感激し、返事は即答はせずに、丁寧に礼だけを述べた。
返事は大会後にいたします、と約束した。
この時に、祥華と顔を合わせ挨拶だけした。
“ いつも水野を見に来るお嬢様だ ”
ただそう思っただけだった。
あの時、俺が西崎透也、杉村裕海、三枝和彦、大石龍太郎の存在を知らなければ、天野教授の好意を受けていた事だろう。
しかし毎日、身近であんな奴らを見ていた俺にはとても肘にメスを入れてまで、ピッチャーを続ける自信はなかった。
六月に神宮球場で開催された大学野球選手権に同行した俺は、天野教授の申し出を断わる決心をした。
南洋大が初戦で2ー8の大敗を喫したのだ。
先発のヒロが初回に3失点。
緊急登板した西崎も、5点を奪われていた。
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