和倉の穴は俺が埋める

 体が宙に浮き出した。


 ・・・ヤバい、幽体離脱かよ


 ・・・なんちゅー指遣い、魔術師か ?


 見た目とは真逆過ぎる繊細なタッチ。

 深町監督のマッサージは、ヤバ過ぎた。


「硬球を全力で投げられるような身体じゃない。こりゃ、マウンドにはあげられんなあ」


 ・・・えっ ! 俺も中川と同じ ?


「いつから硬球を投げ始めた ?」


「・・・中学に入った頃」


 ・・・ホントは小学三年から


「背泳ぎを每日ゆっくり1000、君の練習メニューはそれだけでいい。あとは每日、俺のマッサージを受ける事。それ以外のトレーニングは禁止」


「なんですか、それ」


「右腕は血行障害目前、上半身の筋肉はカチカチ。おそらく投げ過ぎ、バットの振り過ぎ、走り過ぎ、筋トレのやり過ぎ。プロの二軍でたまに見掛ける典型的なオーバートレーニング症候群だ」


「・・・」


「君はまだ成人もしとらんだろ ? 一年くらいのんびりすれば必ず回復する」


「・・・いちねん ? 」


 深町監督は「今日はこれでお終い」と言って、次に控えていた暮林を手招きした。


 ・・・一年・・・また一年間の我慢 ?


 この時の俺は“ マウンドにあげられん ”と言われてキレた中川と大差のない心境だった。


 ・・・どうせ、すぐにクビだ


 俺は深町監督から与えられた“ 最後のチャンス ”を自分から放棄したのだ。



 結論から言うと、深町監督はこの件でクビを切られなかった。


 中川会長の強権は発動されなかった。

 発動しなかったのか、誰かが発動させなかったのか。


 中川キャプテンとその取り巻き四人は、その後グランドに姿を現す事はなかった。

 そしてそのまま引退してしまったのだった。


 いきなり五つのポジションとキャプテンの席が空いた。


 わけが分からないまま“ 俺たちの時代 ”が到来したのだ。


 あの後、深町監督が何事も無かったかのようにグランドに来続けている事が、当時は不思議でならなかった。

 しかし、今思えば当然の事だったのだ。


 深町監督は石神さんが招いた人だった。

 それは即ち久住編成本部長(局長)の意向である事を意味する。

 秋庭聖一のブレイン久住恭平の影響力は、もうこの当時で既に、南洋市では強大なものだった。

 一介の建設会社のオーナーがゴリ押し出来る話ではなかったと言う事だ。


 元々、石神さんが南洋大プロジェクトの特命を受ける際の条件が、深町さんを南洋大野球部のコンディショニングコーチに送り込む事だった。

 石神さんは、この時から深町さんの監督としての潜在能力に気づいていたのか ?


 コーチとして送り込んでも、すぐに監督をやるシナリオだったような気がする。

 深町監督も石神さんに嵌められたのかも知れない。


 しかし、深町さんは南大に来るのが一年遅れた。

 ホワイトベアーズの主力投手が肘を故障し、マウンドに復活させるまでリハビリトレーナーとして球団から離れられなくなったからだ。


 横浜ブルーベイズ時代から、トレーナーと選手して、深町謙三と石神渉には深い絆があった。


 この話は後にヒロが教えてくれた。


 それは横浜ブルーベイズが二十年ぶりのリーグ優勝をかけ、東京ドリームスターズと熾烈なデッドヒートを繰り広げていた年の事だった。


 石神は盗塁で二塁に滑り込んだ際、右膝の腱を伸ばした。

 二十年ぶりのリーグ優勝と四度目の盗塁王がかかっていた。

 チームを牽引してきた攻守の要が休むわけにはいかない。

 石神は試合に出続けた。

 しかし徐々に思うようなプレーが出来なくなった。

 右膝の痛みは極限に達した。

 盗塁どころか出塁出来ない。


 リーグ優勝のかかった大一番、石神は深町トレーナーに痛み止めの注射を要求した。


“ この試合だけは特別 ”


 深町トレーナーは、そう自分に言い聞かせて石神のリクエストに応えた。


 四の四。


 石神は、四度出塁し三つの盗塁を決め、リーグ優勝に大きく貢献した。

 しかし、その試合で石神は選手生命を絶たれる事になった。


 最後の守り。


 フェンスを駆け登ってホームランボールを奪い取る“ 忍者キャッチ ”

 この時、右膝がフェンスに激突。


 このプレーが石神を引退に追い込み、右膝は二度と真っ直ぐには戻らなくなってしまった。


 石神さんはこの試合を後悔していない。

 

 しかし深町監督には重い責務になった。


 自分が石神の足を不自由にした。


 石神さんは深町さんに感謝こそすれ、恨むような感情は1ミリもない。

 しかし、深町さんの感情を逆手にとった。

 自分の頼みなら無下に断れない弱みに、あえてつけ込んだ。


 石神は常々、トレーナーをさせておくだけでは“ 勿体無い人物 ”と思っていた。

 

  

 俺は深町監督の言葉を守った。

 新体制で活気のある練習風景を横目に見ながら、プールに通った。


 しかし、それは表面上だけだった。

 俺は深町監督の言葉を無視した。

 こっそりと投げ込みを続けた。


 夜、スピードガンの備えられているバッティングセンターに通っていた。

 そこでは俺のスライダーは147キロを計測し、ストレートは152キロに達した。


“ 和倉の穴は俺が埋める ”


 そうして俺の右肩は徐々に上がらなくなっていった。

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