野球の聖地

 あと二センチ。

 楕円形のオレンジが地平線に溶け込もうとしている。

 思った刹那、すでに夕陽は陸との融合を終えていた。


 ・・・日没ってあっという間なんだな


 最後の西日に照らされた森林公園の芝生は、くっきりと木漏れ日のストライプを描いていた。


 頭の中も、腹の中もすっかり穏やかなものだ。

 あいつらは、早めに知らせる事で俺にクールダウンの時間を作ってくれたわけだ。

 島も暮林も、俺の精神年齢が二十年前と変わらないと思っているようだ。


 ・・・まあ、そうかもな


 こんな茶番劇、確かに冷静にならなければどうしようもない。

 俺が騒ぎ立てたところで、誰も浮かばれないだろう。

 

 自宅謹慎? いい判断だ。


 俺が会社にいたら、稲さんを問い詰め、白石を問い詰め、班長に殴りかかっていたかも知れない。

 

 あの立ちションは酒に酔った副署長。

 撮って投稿したのが班長。

 野舘は、副署長こうたいしの弱みを手にしたかったわけだ。

 南洋ここでは皇太子に一点のシミもつけるわけにはいかない。

 うまく立ち回れば、簡単に上に行けるだろう。

 すぐに警部になって、警視までいくか?


 俺は野舘を殴ったら、今度は副署長室に殴り込みか。

 考えただけでも、ぞっとする。


 二十八歳の警視こうたいしと三十七歳の巡査部長の対立。

 警察社会ではその関係を、人間同士の対立とは言わない。

 超エリートハンドラーと、落ちこぼれの狂った警察犬の関係のようなものか。

 ハンドラーに逆らう狂犬は病院送りか?保健所送りか?・・・射殺か。


 そこまで思いを巡らせたら、不意に優深の顔が浮かんだ。


 俺は何もしない。

 家でじっとしている。

 それが一番である事が、身に染みるように分かった。

 島が言ったように、のんびりとMLBのテレビ観戦だ。

 老体に鞭打つ、昔の仲間の姿でも拝んでやろう。



 野球の聖地、フェンウェイパーク。


 

 

 ・・・


 


 ・・・よしっ!


 


 ・・・


 


 ・・・すげえ

 

 西崎は老体どころか、大学時代と同じ姿を俺に見せつけた。

 ア・リーグ東地区で優勝争いをしているレッドソックスの怪物たちから次々と三振を奪っている。


 八回を終わって一人のランナーも許さない。


 


 ・・・くそっ!鳥肌が


 


 ・・・

 

 


 九回。

 敵地のマウンドに立った西崎透也を、観客は総立ちで迎えた。

 スタンディングオベーション。

 

 

 熱いものがこみあげてきて、どうしようもなかった。


 

 涙が止まらない。


 

 ・・・


 

 ・・・くそっ


 

 ・・・許せねえ


 

 俺は野舘に電話を掛けていた。




「例の森林公園で待っている」

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