もし願えるのならば……

「へぇ、加奈子ちゃんはこんな趣味あったんだ」

「ええ、まぁ」


 昼食になかなか美味いパスタを食べて、加奈子ちゃんに誘われてやってきたのは美術館だった。


 今は結構有名な芸術家の個展が開かれている。確か、テレビの宣伝で頻繁に流れていたような気もする。風景画から幻想的な絵まで、幅広いジャンルを描く人物らしく、長年描いてきたものやオブジェまでかなりの量が展示されていた。描写がリアルで、風景画など一目見た時は写真かと思った程だ。


 ゆったりとしたクラシックを聞き、ゆっくりと歩きながら一枚一枚を鑑賞する。


 特に多いのはこの人物の好みか主題なのだろうか、「翼」と「大空」だった。


 豪勢な色彩に彩られ、大空に羽ばたく鳥。幻想世界にしか存在しない真っ白い翼を持った馬から龍など……眩しいばかりに輝く、写真と間違えかねないほどにリアルな夕日、後光の指す朝日の絵。ただただ大きく不思議な形をした一対の翼のオブジェ……。


 創作のジャンルに節操が無いように思えるが、この芸術たちの創作者は「自由」を求めているのか? そんな気がした。


 自由、か……。


「………ん」


 隣にいたはずの加奈子ちゃんがいつの間にか居なくなっていた。周りを見ても見当たらない。こんな静かな所ではぐれるわけがないのに。しばらく辺りを歩き回って探すが、見つからない。仕方がなく、先に進むことにして、次の部屋に行った。


「……………」


 目の前に現れたのは、壁画とも思わせる程の巨大な絵画だった。思わずその作品の前へ足が向く。


 女神が両の腕を広げ、後光を輝かせながら微笑んでいる。そしてその女神に惹かれるように、無数の天使(羽根のある赤子)達がその腕の中へと向かっている。その描写のリアルさは、本物の女神と天使のように見えた。


「…………」


 なんだろうか? すごく惹かれる絵だ。ただ立ち、見上げているだけで、この絵と一体になっているような……。絵の女性に微笑みかけられながら見下ろされている、そう思うだけで気が遠のいていきそうだ。


「悲しい絵ね……」


 真横から、女性の声がした。はっとなって声のした方を向く。


「そう、思わない?」


 印象的なのは長く艶のある綺麗な黒髪。それとは対照的な白いスーツを着ていた。その女性がこちらを向いて、目が合う。シャープな顔つき。美人キャリアウーマンと言った感じだ。今の今まで自分が呆けた間抜けな顔でもしていたのだろうか? 笑み、というより唇の両端が釣りあがった挑戦的な笑いをかけてくる。


「何故、そう思うんですか?」


「女神は両腕を広げて天使たちを呼んでいるのに、動くことが出来ない絵だから天使を抱くことは出来ない。天使達も、動くことのない絵だから、女神の腕の中に入ることが出来ない。目の前に、すぐ近くに居るのに、お互いは触れ合うことさえ出来ないのよ。可哀想だと思わない? せめて、抱き合っている所を描いてあげれば良かったのに……」


 女性は絵に視線を移して、何か遠くを見るような目で女神と天使を眺めた。


「……貴女は捻くれ者ですね」

「そう? 有難う」


 何故だろう。俺はこの絵にとても惹かれる。そして、この女性、今会ったばかりなのに、この安堵感は何なのだろう。しばらくの沈黙の後、口を開いた。


「一つ聞いてもいいですか?」

「……何かしら?」


 一度、大きく深呼吸をする。


「例えば、死んだと思っていた肉親が生きていた。しかもその子は新しい家庭の中で暮らしていて、不自由のない生活を送っているかもしれない。だけど兄は肉親達が死んだと思った時からロクなことをしていなくて、罪を重ねて生きている。そんな人間が妹の前に立つ資格があるのでしょうか?」


 今度は女性の方が、溜息を漏らした。


「何故そんなことを聞くのかしら?」

 返答を拒むような言葉。つい顔が下がってしまう。

「なんとなくです」

「そう……」


 女性が髪をかき上げる。甘い香りが鼻をくすぐった。


「……愚問ね」


 反射的に顔を上げて女性の方を向いた。


「その子の前に現れる資格があるのか、それは貴方が勝手に決め付けたことじゃないの? 何をしているのかは聞かないけど、自分に自分で枷を着けているだけじゃないのかしら? 本当にその子が幸せに暮らしているという証拠はあるの? 肉親を失った悲しみはその子だって持っているんじゃないのかしら?」


「…………」


 女性の一語一語が、自分の中にかかっていた霧を解いていくような気がする。だが結局は他人の慰めとすぐに心が陰ってしまう。


「貴方の心はどうなの」

「俺の……心?」


「会いたいのか、会いたくないのかってことよ。まずそれをハッキリさせなさい。自分の心に嘘をつくことはそれが何であれ、きっと後悔するわよ」


「…………」


「会いたくないなら忘れなさい。会いたいと思ったなら会いに行きなさい。その後のことは、それから考えなさい」


 言うだけのことを言うと、また一つ大きく息をついた。


「私だったら……そうするわ。まあ……そう簡単に決められることじゃないとはわかるけど、そう遠くないうちに決めなければならないことには変わらない。いつまでも引きずっているのも……ね」


 女性がもう一つ言いかけて、スカートを引っ張られて気付く。女性の足元で四、五歳くらいの男の子が白いスカートにしがみついていた。


「灯夜。おトイレは大丈夫だった?」


 灯夜と呼ばれた男の子がコクリと頷いてから、こちらにおびえるような視線を向けてきた。目が合うと女性の陰に隠れてしまう。


「御免なさいね。この子、無口で人見知りが激しいの」

「お母さん……」

「はいはい、外へ出て何か食べに行きましょう」


 女性が手を差し出すと、男の子は素直に手を繋ぐ。


「では、また。機会があったらお会いしましょう……洸真麻人クン」


「えっ」

 名乗った覚えはないはずなのに、俺の名前を……

「私は村雲鈴音。この子は灯夜」

「あっ……」


 気がついた、そしてその女性も人差し指を口に当てて、黙るようにジェスチャーをした。


「実はちょっと、あなた本人と話がしたかったのよ。じゃあ、ごきげんよう」


 手を繋いで去っていく母子を見送る。


 その女性は、チームアックスのリーダー、エア=M=ダークサイスその人だった。


 任務中は覆面をしていて顔が分からなかったが、まさか一児の母だったとは。


「ごめんなさい。麻人さん」

 後ろから、加奈子ちゃんの声がやってきた。


「急に友達から電話がきて……ってどうしたんですか?」


 自分の向いている方向が目の前の絵画ではなく、鈴音が去っていった方向だったので加奈子ちゃんが不思議そうにこちらの顔を覗き込んできた。とりあえず、微笑んで誤魔化す。


「何でもないよ。次、行こうか」


その後、加奈子ちゃんと十分に絵画を鑑賞し、洋服店を見回り。ゲームセンターでクレーンゲームに夢中になり、そうして夕方になった。


「今日はどうもありがとうございました」

「まさか、加奈子ちゃんが絵の趣味があったなんて知らなかったよ」


 街灯の光を浴びながら、公園のブランコで一休みをしていた。


「麻人さんが好きかなって思って……」

 ぼそりと小さな声。

「何か言った?」

「い、いえ。何でもっ!」

「そう? 夜になってきたし、そろそろ帰ろう。送るよ」

「…………」


 無言で、加奈子ちゃんが座っているブランコを揺らす。


「まだ……帰りたくないな――」


 ああ、そうか。俺が君の両親を殺してしまったんだった。

 彼女が独りぼっちになってしまう。


 キィ……キィ……とブランコの揺れに合わせて金属が軋む音がする。物悲しげに。


「お父さんも、お母さんも、とっても優秀な人でした。とても頭が良くて、いつも理論的で頑固な所もありましたけど、誰かに殺されるような人じゃなかったんです」

「…………」


「もう少し……一緒に居たら駄目ですか?」

「………いいよ。居ても」


 キィ、キィ。加奈子ちゃんを乗せたブランコが、揺れる度に寂しげな音を立てる。


「私はいつも一人。兄弟もいないし。でも悲しい顔をしていたら友達が寄ってこないの。だからいつも笑って友達と遊んで、寂しくないようにしてた。でも――」


 足を振って、ブランコの揺れを大きくする。


「でも、ずっと思ってた……自分の寂しい気持ちに嘘をついて、いつも笑っているのは、なんか演技してるみたいって……」

「…………」


 確かに。でも……。


「麻人さんと初めて会った時。私を助けてくれた時。心配そうな顔をしたり、微笑んでくれたり、怒ったり、自分の気持ちを素直に顔に出す麻人さんが…その…羨ましかった」


 ブランコの揺れを止めて、俯く。彼女の耳が赤くなっているのを、見て見ぬフリをした。


「それで、麻人さんは私にいつも微笑んでくれた……その、それが…‥とても嬉しかった…それで、その……」


 加奈子が口篭る。

 ああ、そうか……この子は――


「僕は」


 突然開いたこちらの声に、加奈子ちゃんがブランコの揺れを足で止めてこちら視線を向けてきた。


「僕には義理の妹がいた。妹ができる前、僕にも加奈子ちゃんみたく寂しい頃があった。だけど義理の妹、実咲も同じ気持ちを持っていて、でも実咲はそんな寂しいって顔をしないんだ。辛い時も寂しい時も、他の人まで心配させたり暗い気持ちにしてしまわないようにって……いつも笑っていた。僕はそれを知るまでずっと寂しいって気持ちを顔に出していた、今考えると情けなかったな。いかにも自分を心配してくださいってね」


 自嘲気味に笑う。


「でもそれを知って、僕もそれを見習うことにした。寂しいとか辛いとか。誰だって持っているんだよ」


 一拍おいて。


「……昔、家族を乗せた飛行機がハイジャックされた。僕はある人に助けてもらったけど」


 そう、あの時ハイジャック犯はソーサリーメテオを裏切り、人に能力を与える石、覚醒石を持って高飛びを考えていた。それを追って同じ飛行機にフレイム=A=ブレイクが乗ってきたのに気付き、乗客を人質にした。本気だという見せしめに、まず俺達家族に銃口を向け、俺達の前に出た義父が――


「ハイジャック犯は義父と母を、俺と実咲の目の前で殺した。許せなかった。今でも、そう思っている」


 自分でも自覚するほど、遠い目で足元の地面を見ている。


「そして、挙句の果てに乗っている飛行機を落として、皆と心中しようとしたんだ」


 ハイジャック犯はブレイクに追い詰められて、その能力で飛行機を破壊し始めた。


「妹さんも……ですか?」


 飛行機の内側から風穴が開き、ついに飛行機が崩壊して次々と人が空中に放り出された。その中に、実咲もいた……加奈子ちゃんの問いに、頷く。

「だけど、死んだと思っていた実咲が、生きているかもしれないって、最近知ったんだ」


「…………」


 真剣な顔で、加奈子が麻人を見やる。


「だけど、実咲は別の家庭の中で生きている」

「会いたいんですか?」


「分からない。だけど、会いに行っても、いいのかな?」


 加奈子ちゃんの方を向いて、視線が合う。しかし、彼女は目を合わせず、俯き気味に正面に向き直った。


「………私だったら」


 加奈子ちゃんがゆっくりと答えた。


「もしその妹さんが幸せにしているとしたら、会いに行くのをやめて、キッパリ忘れます」


「どうして?」


「もしかしたら、私が現れたことで、その幸せを壊してしまうかもしれないから……麻人さんは、その義理の妹さんが好きなんですね……私だったら、自分の事より相手の幸せを考えます」


「…………」


「でも、その子が不幸な生き方をしていたら…私はどんなことをしてでも助けますよ」


 加奈子ちゃんがブランコから降りて、麻人の前に立つ。


「私……そろそろ帰りますね。頑張って下さい」


「……ああ、ありがとう」


 そして、ごめんね――


 俺は、もし、桐生香澄美が本当に実咲なら……。

 俺は……実咲に会いたい

 

  ――――――――――


「おまじないを教えてあげる。こんなふうに笑えるおまじない」

 俺の手を取って、彼女が自分の胸に俺の手を置く。じんわりと、掌から彼女の体温が伝わってきた。胸の奥では、鼓動が早く波打っている。自分の胸の鼓動も――


「温かいでしょう? ほら……」


今度は彼女の手が俺の胸に置かれる。掌から体温が伝わり、自分の胸の鼓動を伝える。


「温かさが感じるよ」

「俺もだ……」


 彼女が微笑んだ。


「ね。こうやって手を胸の所に置くと、ホッとするでしょ?」

 微笑んだ顔を見て、こっちも顔が火照り出す。


「やっと……笑ったね」

 その時の彼女のその微笑が、とても煌びやかに見えた


「……ああ」

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