衝撃と衝動
「どうしたの?」
夕暮れ、ベランダの前で座り込んでいると、後ろから彼女の声が聞こえてきた。
「……別に」
特に振り向きもせずに茜色の空を見ていた。
憂鬱な気持ち。何もする気になれず眠気のような、脱力感のような、そんな気分。
そんな時はいつも外の景色を見ていた。大して趣味を持っているわけでもなく、何かに打ち込むこともない時は決まってこんな調子だった。
「えい」
急に頭が重くなった。空を見ていた視線が自分の真下へと移動される。
「重たいよ……」
彼女は両手で頭に体重をかけて押さえ込んできた。
「失礼でしょ、どうしたのって聞いたのに」
フッと頭が軽くなり、すぐ後ろから溜息のような小さな声が聞こえてきた。
「本当に、何でもないんだよ。ただ、よくこんな気分になるだけだからさ」
すぐ後ろで、彼女が座り込む気配がして、後ろから頭を包み込むように抱きついてきた。
腕から彼女の体温が頬に伝わってくる。背中に柔らかい感触。さらさらと流れる髪の香りが鼻をくすぐった。背中から彼女の鼓動が伝わる――
ただ黙ってお互いの伝わる感覚に浸る。彼女が口を開いた。
「だめだよ。そんなんじゃ……そんな顔をしてたら、皆心配するよ。辛くても、悲しくても、寂しくても、笑っていた方がいいよ。そうすれば元気になってくるよ」
「自分に嘘をついても?」
巻きついた腕に力が籠もる。
「捻くれないで。悲しい顔をしていたら周りも悲しくなっちゃうよ。笑っていればそんな気持ちもすぐに消えるから」
腕を解いて自分のすぐ横に彼女が座り直した。顔を覗き込んで来て、微笑みながら小首を傾げる。そんな仕種が可愛らしくて――
「おまじないを教えてあげる。こんなふうに笑えるおまじない」
これは、俺と彼女の記憶。二人だけの、思い出の一部分……。
――――――――――
「次の任務だ」
チームアックスたちが隅に座っている中で、チームセイバーのリーダー、フレイム=A=ブレイクは淡々と口を開いた。
正面の大型ディスプレイだけが光っている暗い中で、俺と凉平は資料をめくった。
「今回の目標(ターゲット)は三名。桐生ホールディングスのCEO桐生清介、その一子である社長の桐生啓介。そしてその妹の桐生香澄美だ」
ディスプレイにスーツを着た老人の顔が映った。名前は桐生清介と書かれている。
「この人物に対しては、アックスが担当する。表企業に尽力を尽くした人物であり、CEO……最高経営責任者だが、事実上営業からは退役している。名ばかりの席だな」
そして次の人物の顔が映った。まだ若い、きりっとした美形の青年だった。
「桐生啓介、まだ若いが、前任の清介の息子であり、出自が高齢出産だったため、清介の退任の後継者として、若いまま桐生ホールディングスの代表取締役、社長となってその手腕を振るっている。だが、この桐生啓介が本格的に裏社会の世界に本格参入してきた。規模としては前回の製薬会社クラフトセリネーゼよりも小さいが、この国での影響力はとても強い。今回はその裏社会への参入阻止という形になる」
そして最後に移った女性、まだ少女の面影が残る女性の会がディスプレイに映され、俺の心臓は跳ね上がった。
「な……」
愕然とした。そんな、そんなはずは無い。なぜなら――
「桐生香澄美。桐生啓介の妹にあたる。桐生清\介と啓介を抹殺しても、彼女があとを継ぐだろう。先手を打ってこの一族を根絶やしにする事になった」
「ちょっと待ってくれ!」
思わず、俺は叫んだ。
「麻人、どうした?」
ブレイクがディスプレイから目を離してこちらを見た。
「実咲……実咲じゃないか!」
「…………」
「麻人、実咲って言えばお前の妹の名前だったか?」
よからぬ空気に反応して、凉平が聞いてきた。
「ああ、そうだ。間違えるはずが無い。これは実咲だ」
こほん、とブレイクは咳払いをして、ディスプレイに向き直った。
「麻人、五年前のあの飛行機事故だが」
ブレイクが突然、初めてブレイクと出会った時の事件を口にした。
「実はもうひとり、助かった人間がいた」
「なん、だって……」
「その名は桐生香澄美。彼女はファーストクラスの方にいた。そして事故のあと、桐生啓介が率いる救助隊によって一命を取り止めた。あの時の事故で助かったのは、俺と、お前と、この女だ」
「彼女は実咲だ! 俺の妹だ!」
「違う」
ブレイクはぴしゃりと言い放った。
「彼女は桐生香澄美。桐生啓介の妹だ」
「違う! 見間違えるはずがない!」
「事実だ」
俺はブレイクを睨みつける。ブレイクの無感動なまなざしに。
「ちょっと待ってくれ」
凉平が手を挙げて俺とブレイクの間に入った。
「その女性が桐生香澄美だという根拠は? もし麻人の妹の実咲だという場合は……正直信じがたいし、だが確証となる材料はあるのか? ブレイク」
「彼女の戸籍は確かに桐生家の人間だ。そして今も、桐生香澄美として生きて生活をしている」
頭がぐらりと回転した。どさりと、席に落ちるようにに座る。
「我々チームセイバーは、この二人を抹殺する。ここ数日後のスケジュールも手に入れた。二人が同時にいるところを襲撃し、抹殺するのが任務だ」
「嘘だ……嘘だそんなこと……」
「麻人」
感情のこもっていない声で、ブレイクが俺を呼んだ。
「ならば、おまえはこの女を自分の妹だと確証を得る事ができるか? ご念たった今でも、はっきりと断言できるほどの材料はあるのか?」
「…………」
応えられない。答える事ができない。
「決まったな。結構は二日後。その昼過ぎにこの兄妹は車で長距離移動をする。その時を狙う」
「…………」
気がつくと、俺は手に頭を当てて神を強く握り締めていた。
そんな馬鹿な……こんな事が……。
ドクンドクンと心臓が高鳴り、激しい衝撃に見舞われたような感覚に陥る。
これは本当に、桐生香澄美なのか? 実咲じゃないのか? 五年前、あの頃の顔が薄ぼんやりとしている。分からなくなってきた。自信がなくなってきた。
実咲の顔。それが巧く思い出せない。正面のディスプレイの女性の顔が、実咲じゃない別人にも思えてくる。だがこの衝動は何だ?
俺は何を――
その時、ぽんと凉平が俺の肩を叩いた。
「落ち着け麻人。とりあえず落ち着け」
「あ、ああ……」
まさか、凉平に諭されるとは。
一度息を大きく吸って、混乱する頭を落ち着かせる。
本当に実咲なのか、別人の香澄美という赤の他人なのか。それは任務で接触する時に証明できる。今は落ち着け。平静を保て。
頭の中でそう呟きつつも、心臓の鼓動は鳴り止まなかった。
「麻人」
ブレイクが呼んだ。
「俺たちはソーサリーメテオ。裏社会の暗殺組織だ。そしてお前はその構成員。だが、その枠組みから外れれば、ソーサリーメテオの人間じゃなければ、お前はただの殺人鬼でしかない」
――殺人鬼!
トドメと言わんばかりの言葉に、俺は何も言い返すことが出来なかった
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