ミッション#3

桐生香澄美

 真っ白い陶器のカップに紅茶が注がれる。

「ありがとう」


 礼を言うと、淡い湯気を立ち上らせたカップの取っ手に指を通して持ち上げる。


「いつものと違いますね?」

「左様です。昨日新しく入れた物で御座いますが……お気に召しませんでしたか?」

「いいえ、とても良い香りですよ」

「ありがとう御座います」


 広い庭、綺麗に刈り揃えられた芝生の中で、スプリンクラーが水の螺旋を描いている。よく輝く太陽が、芝の絨毯に広がった水滴に反射して眩しいくらいだ。隅っこには良く毛並みを手入れされたコリー犬のイーストが建物の影に隠れて昼寝をしていた。庭を囲むようにセットされた花壇では、庭師の渡瀬さんが手入れをしている。


 カップを小皿の上に載せて、大きく伸びをすると、木製のテーブルに突っ伏して。


「香澄美様」

「ごめんなさい。良い天気だったから、少し眠くなってきたの」


 言われてすぐ起き上がる。


「渡瀬さーん。庭の手入れはそれくらいにして、こっちでお茶にしませんかー?」

 大きな声で庭師を呼ぶと、渡瀬さんの方もこちらに向いてペコリと頭を下げた。

「すんませーん。あと少しなんで」

「分かりましたー」


 少し残念そうに、ため息を吐く。


「どうかなされましたか?」

「だって、ヒマなんですもの。折角の良いお天気なのに」


 こっちのふてくされた顔をみて、執事の水村さんが微笑む。


「もうすぐ啓介様が戻られます。その時に一緒にお買い物でも行かれたらどうでしょう」

「兄様今日は夜までお仕事と言っていました。最近はお仕事ばかり。我侭は言えません」

「左様でしたか。私は後で私は本屋に行く用事が御座いますが、一緒に行かれますか?」

「はい、行きます」

 散歩がてらに本屋か、何にしよう?


椅子を降りて芝の上を歩き出す。


「香澄美様」

「わかってますよ。この前みたいにスプリンクラーの水にやられたりはしません」


 スプリンクラーから吹き出る水が弧を描き、太陽の光を浴びて虹が浮かんでいた。鼻歌を歌いながら、くるりと一回転する。景色と空が回って、兄様が好きなレースの入った白いスカートが少し浮き上がった。


「本当に、良いお天気ですね」

「そうですね」


 こんな日は、部屋の中にいるのはもったいないと言って、いつも手を引いて外へと連れ出してくれた人がいた。特に目的がある訳でもなく、行きたい場所があるわけでもなく。ある時は少し遠めの公園。ある時は街中の映画館。自分の希望で食材を買い込んで、少し手の込んだ菓子を一緒に作ったこともあった。だけど――


「香澄美」


 兄様が現れて庭の中に入ってきた。もう仕事が終わったのだろうか? 片手には白く平べったい箱を持っている。


「兄様、お帰りなさい」


 そう言って、兄の啓介に歩み寄る。


「と言っても、すぐに動く用事があるんだけどな。退屈か?」

「いいえ、後で水村さんと本屋に行きますから」

「そうか、なら水村。護衛を二、三人連れて行けよ」

「はい」


 水村さんが一礼する。


「兄様はいつも過保護過ぎます……それは何ですか?」

 啓介の持つ荷物を指す。

「これかい?」


 そう言って、テーブルの上に箱を置いて蓋を開ける。


「わぁ……」

「やっと出来たんだ。これを渡す為に戻ってきたんだよ」


 中は、輝くような純白のドレスだった。


「今度のパーティー用だよ。近いうちにコレに似合うアクセサリーを買いに行こう」

「ありがとう、兄様」


 箱を閉じて、水村さんに渡す。


「さて、そろそろ行かなくては」

「もうですか? そんなにお仕事が忙しいのですか?」


「今はね。パーティーの終わった後、しばらく休暇を取ろうと思っている。そのスケジュール合わせだよ。そしたら何処か旅行へ行こう。だから少しだけ我慢しておくれ」


 啓介がこちらの頬に手を添えて、額に口付けをしてきた。


「はい……分かりました」

 うっとりとした口調で返すと、兄様が答えるように頬を撫でて手をそっと離す。


「じゃあ、行ってくる」

「はい、お体に気をつけてくださいね」

「分かっているよ」


 啓介が踵を返して庭から出て行くのを水村さんと一緒に見送る。

遠くで車のエンジンが遠ざかっていった。


それを聞いてから椅子に戻り、水村さんは冷めてしまった紅茶を入れ直してくれた。


「また社交パーティーですか~」

「啓介様の趣味のようなものですから」

「兄様は他人に愛想を振りまくのが大層お好きなようですね」


 入れ直した紅茶を目の前に置いてくれた。だがそれを取らずに。


「その上、私にもその手伝いをさせます」

「啓介様にそのような物言いは感心しませんよ」

「いいの、もういないから」


 大きく溜息を吐くと、暢気に寝る愛犬に視線を向ける。

「イースト」

 返事はない。こちらの声を無視して寝入っている。


「……犬は正直者ですね。本当の主人が誰だかちゃんとわかっている……私が偽物だとちゃんと気付いているのですね」


「…………」


「分かっています。いつものようにパーティーでも振舞えばいいんだから……簡単です。もう慣れてるから」


 膝に乗せていた手に力が込もる。


自分のこんな姿を見る度に、いつも水村さんは痛々しい表情をする。


「本当に、申し訳ありません……実咲様」

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