フィルムとスクリーン

須野 セツ

フィルムとスクリーン


 懐かしい声が僕を呼んだ。


 その声は他のどの同級生の姿を見たときよりも、ありありと高校生のときに触れていた全てを思い起こさせた。

 教室に差し込む鮮やかな西陽、一面の青と風が包む校舎の屋上、腰かけたときの芝生の心地、油絵具の色と匂い、門を出て目の前にはいつでも立ちはだかる雄大な山々。


 誰かなんてわざわざ目で確かめなくても分かっていた。

 振り返ればそこには。


 思ったよりも自分の身体は強張っていた。

 何気なく、という言葉からはほど遠く、時間を要してようやく僕は後ろを振り返った。

 

          ☆


 高校の同窓会、成人式という大義名分にかこつけて行われたそれは、当時の八クラスが全部集まるということでとても賑やかなものになった。まあ全クラス集まるといっても全員が集まるわけでなく、他の同窓会との兼ね合いやら、地元に帰ってこれないやらなど実際のところは二百人くらいの同期が集まった。


「お、柿山。久しぶりだな」


 慣れない浮いた雰囲気。戸惑う僕の元に真司がやってきた。


「よせよ茶番は。二日ぶり」


 憎まれ口で応戦すると真司はにやりとして僕の肩を小突いた。

 彼の顔はほんのり赤く、覚えたばかりの酒を目いっぱい楽しんでいるようだった。

 高校のときに真司とは三年間クラスが同じで、幸運なことに大学まで一緒だった。だから卒業して二年が経つ今でも毎日のように顔を合わせる。


「なんか二年しか経ってないとさ、みんな感動するほど変わっちゃいないよな。可愛い人はそりゃ可愛いままだし、デブはデブのまんま」

「真司、声大きいよ。呑みすぎ」


 真司は僕の忠告も鼻で笑って、そのまま持っているグラスを勢いよく傾けた。

 だが心の内では真司に納得する思いだった。

 同窓会、という言葉に惹かれてやって来たものの、制服を取っただけで当時とノリも振る舞いもまるで変わらない。

 その変わらなさが高校のときへの懐かしさや思い出を震わすのかといえば、今の大学での振る舞いだって当時とそこまでの変化はない。

 だから卒業してからもSNSでメッセージを交換し合っているときの空虚な気持ちがこの場に来ても続いていた。


「なんか飲むのももう疲れたな」

「それはよかった。こんな日まで真司の介抱するのは勘弁だからね」

「そういうことじゃなくてさ。わざわざ地元帰ってきて誰かと話したところで大学いるときと大して変わらないんだよなあ。それならお前と話してていいよなって」

「確かにね」


 空の丸テーブルを見つけてそこに陣取る。椅子を持ってきてカシスオレンジを注いだグラスをこつん、と合わせた。


 時おり嬌声が上がるのを遠巻きに眺める。真司よりもよっぽど顔の赤くなった人たちが盛り上がっていた。

 ちらと横を見ると、何か話せ、と真司は顎を突き出してくる。

 無茶ぶりだ。そう思ったが渋々と口を開けた。


「今週って、環境心理学のレポート提出だよね」


 真司は最後まで聞き終わって露骨に嫌そうな顔をした。


「そういう話はなしだろ。話題くらいはここのことにしてくれ」


 わがままだな、と文句を垂れつつ、真司がそのまま続けた。


「そういやまだ倉田を見かけてないんだよな。あいつには会いたかったのに」

「間違って今日バイト入れちゃったらしく来ないって」

「え、あいつ何やってんだよ。なんのバイト?」

「焼き鳥屋。たまたま入った店に倉田が働いててびっくりした。そこからLINEやり取りしてさ」

「へえ。なに、今の彼女と行ったの?」

「いいじゃん。そんなの」


 なぜか返事を濁してしまった。

 彼女。その言葉に何か後ろめたさがあったからかもしれない。そんな感情を持っていると自分で言ったことばを聞きながら初めて明らかになった。


 真司ははっきりしない僕に対して不機嫌そうに目を細める。

 そんな真司をよそに丸テーブルの周りを確認するが、似たように揺れる黒や茶色の頭だけが目に入った。

 あの人のことをまだこの会場で見かけていなかった。もしかしたら来ていないのかもしれない。それか、髪型や化粧で見逃しているだけかもしれなかった。

 真司はそんな僕の心中を見抜いたのか、口元を緩ませた。


「そういえば小川ひかりならバドミントン部の固まりの中にいるの見たぞ」

「だからなんだよ」

「話さなくていいのか」

「今さら話すことなんて」


 つい声が小さくなってしまう。

 小川ひかり。高校のときはじめてできた彼女で、一年以上も交際を続けた女の子だ。

 別れて高校を卒業してからは疎遠になり、連絡すらも取っていなかった。それでも彼女のことを決して忘れたわけではなかった。


「そういうの同窓会っぽくていいじゃん」


 僕の背後に指が向いた。まさか、と振り向くと倉田がよれたネクタイのままドアを開けているのが見えた。

 真司は相変わらずにやにやとしている。どうしようもない気持ちになり、僕は椅子を立ち上がった。


「ちょっとトイレ行ってくる」


 ああ、と真司は僕の背中を思い切り押し出すと、持っていたグラスから赤茶色の液体が零れた。腿に大きい円でその痕が残った。

 入り口に向かうと倉田が入れ違う形でこちらに気付いた。


「柿山。ほんっと久しぶりだな」

「よせよ茶番は。年末に店で会ってるだろ。バイトは?」

「どうにかしてきた。柿山とか門に会いたかったしな」

「真司ならあそこのテーブルにいるよ」


 そう言って丸テーブルの方を指差す。倉田は頷くと、あとで話そうなと声をかけて歩いていった。

 

          ☆


 宴会場を出ると中と打って変わって驚くほど静かだった。入り口前の開けた場所は椅子だけが所在なさげに置かれている。

 騒めいた音は壁を通して柔らかくなった気がした。


 そうして彼女の声がした。


 振り返ると小川ひかりが立っていた。彼女の後ろで僅かな扉の隙間が消えていく。

 まるで真司との会話を思い出している最中だったから、それに合わせるように現れたようで咄嗟には声が出なかった。


「久しぶりだね」


 その一言は何か大きな摂理に反していた。

 無視されて目さえも逸らされるかもしれない。そんな僕の逃げ場は早くも断たれた。

 ひかりは僕の目をこれ以上ないほど真剣に見つめていた。それは怖さでもあり、どこかでは喜びも感じていた。

 そんな風に長く目が合うことは当時のひかり以来のことだ。


 足を一歩踏み出す。

 それは僕たちが教室で何気なさを装って会話していた距離になった。


「お手洗い?」

「ううん、ちょっと雰囲気酔いみたいなのかな。ここで休もうかなと思ってたんだ」

「僕も同じだ。真司になんかここお酒零されちゃって」

「門くんかあ。懐かしい。来てたんだね」


 真司、と言いかけたが上手くその後の言葉が出なかった。

 こんなことないってくらい口が回らず何も思いつかない。


「ちゃんと話すの高二以来だね」

「そうだと思う。僕のことよく覚えてたね」

「忘れるわけないでしょ」


 とって付けたようにたった二年なんだから、とひかりは言った。口をすぼめて作ったような拗ねるやり方はまるで当時を彷彿とさせる。


 高二のおわりごろ、僕たちの関係はなくなった。

 受験に集中したいから、という理由で別れることを提案した。ひかりはすぐに首を縦に振った。

 僕たちの一年少しの時間はその僅かな会話でいとも簡単に終わった。

 その一週間前には流行りの映画を観て楽しく過ごしていたし、一週間後には僕の誕生日が迫った日のことだった。

 高三になってひかりとは幸運なのか違うクラスになった。けどそれはある意味では必然なことだった。


「座って話そうよ」


 自然に頷けた僕はそのときには心からひかりと話したいと思っていた。

 まだ好きな気持ちが自分の中に残っているのか。

 内心、首を振りながらも小川ひかりは小川ひかりのままだった。自覚はしたくないが殻が剥けていくような自分の気持ちに嫌気がさした。

ひかりと僕の関係は恋の終わりにしては精神的に余りにも綺麗だった。


 僕には今彼女がいる。大学に入ってから知り合った女の子で献身的な優しい子だ。

 紛れもなくその子のことは好きだが、ひかりのことを見ていた眼とは違うと時おり比べては思う。

 僕は真っ直ぐ相手のことを見ていると疲れることを知った。

 ひかりより今の彼女のほうが触れあっていることは多い。しかし水族館では彼女と一緒に魚を見ているし、レストランではパスタと一緒に彼女を見ていた。

 ひとりの部屋の中では彼女以外の女の子のことだって考えてしまうこともある。

 恋人と上手くいくのに自他が認める誠実さはいらないのだ、と変に頭がよくなってしまった。

 実際、今の彼女とは楽な気持ちで付き合っていられた。


 隣同士の椅子に座ると次から次へと話したい言葉が浮かんできた。

 僕たちはお互いの目なんて見ずに同じ方を向いて話すことが圧倒的に多かった。


「仕事は大変?」

「まあね。学生になればよかったなってたまに思うかな」

「今からなっても遅くないよ」

「本気なの?」

「ううん」


 おどけて答えるとだよね、と澄まし顔でひかりは呟いた。自分のたどたどしさはまだ取れなかった。


「どんな会社?」

「え?」

「なにやってる会社かなって」

「ああ。YDKっていう電池作る会社だよ。ほら、前崎市と渋田町の境にある目立つビルあったじゃん。あそこ」

「思い出した。あの帰り道によく横通ったとこ」


 当時の思い出を引き出したようで口が自然と閉じてしまった。

 なんとなく触れることを躊躇うのは一方的に別れを告げてしまったひかりへの配慮だった。


「いいよ。気にしなくて」


 ひかりは苦笑いして言った。


「もう三年も前のことだし。突然のことだったからあのときはびっくりしたけど」

「ごめん。なんか」


 ひかりと付き合っていた一年以上の年月は高校における色鮮やかな時間だった。

 どこに行っても何をしても楽しかった。お互いの気持ちが紛れもなく一緒だと気付いたときに僕たちは脈絡もなく「すごいね」と言い合った。

 最後に二人で映画を観た日、僕たちはお互いの進路のことについて話した。

 僕たちのいた高校は一応は進学校を謳うところだったから、周りの子はほとんどが大学か専門学校を目指していた。

 もちろん僕自身もその一人。

 しかしひかりは卒業後にすぐ就職する。その日はじめて僕は聞かされた。


 なんで、と驚きのあまり声も出せずにいると「学校はお金がかかるけど会社に勤めればすぐにお金が入るから」とひかりは無邪気に言葉を加えた。

 それは僕にとって決して思いつく考えではなかった。

 なぜだろう。可能性はいくらだってあったはずなのに。


 高校も同じだし、なんなら好きな音楽も好きな漫画だって同じだから、それだけで全てを共有しているのかとそのときまで本気で信じていた。


 そこからのこと、ひかりが語る希望をスクリーン越しに眺めているような気分になった。

 自分が子供だとはじめて僕は思い知った。


 次の瞬間、卒業してからのことを想像するだけで張り裂けそうだった。

 だって僕はこれからも社会にお金を払うけど、ひかりは社会からお金をもらう。僕は地方を出て都会に出るけど、ひかりは地元に残り続ける。

 今までの些細な共通点なんかに比べてそれは凶悪なほどに大きな違いだった。


「私は柿山といて嫌だった時間はずっとなかったよ」


 宴会場の中では未だ同級生たちの楽しげな声が響いてくる。

 ひかりはそういうことを言うときだけいつも必ず僕のほうを見ていた。


「僕も同じだよ」


 案の定、ひかりは意外そうな顔に変わった。


「じゃあなんで別れることになったのかなあ」


 ひかりのことだけを見ていた僕は彼女との関わりがこれからの岐路で変化していく中で嫌な存在になるのは耐えられなかった。


 帰りの三十分以上かかる道をゆっくりと歩いたり、千円の映画を大事に大事に観た記憶はいつまでもそのままがよかった。

 僕は僕のわがままで別れることを決めた。


「私あの後、クラスでどんな顔して過ごせばいいか分かんなかったよ」

「別れたのすら隠してたのに、真司と倉田にはバレたんだよね。あと木戸さんにもか」

「結衣は私がずっと普通の顔でいるから怒るに怒れなかったって」


 思わず笑ってしまうと、一緒のタイミングでひかりも笑った。


「本当に突然だったもんね」


 うん、と頷いてからもう一度謝ろうとすると、ひかりが大きく口を開けて嬉しそうにするから思わず気を取られた。


「ねえ。卒業式の日、目合ったの覚えてる?」


 ひかりからそれを言い出すなんて決してあり得るはずがなかった。

 それはもう誰にも言うはずがなかった、勘違いかどうかの確認さえもできない僕だけの思い出のはずだった。


 いつの間にか握る手がはっきりと震えていた。


「え。もしかして、体育館前の渡り廊下」

「そうそう! やっぱり気のせいじゃなかったんだね」


 よかった、というひかりの声が僅かにした。


 僕たちは誰もいない宴会場の前でひとしきり話しこんだ。

 高三のこと、卒業してからのこと。

 ひかりのものになったひかりのこの三年間は辛さもあるが何よりも生き生きとしているようだった。それを心から嬉しく思うことができた。

 運よく保存できていた僕たちが共有した思い出は、今日こうやって再び会話するためにそのままだった気がした。


 ふと時計を見ると同窓会がもうすぐ終わりを告げそうだった。


「あ、もう終わっちゃうね」

「ひかりはこのあと二次会は行くの?」


 ひかりは残念そうに首を振った。


「明日から仕事だから行けないの」

「そうなんだ」

「そろそろ、もどろっか」


 ひかりは椅子を立ち、一緒に入ろうという風にこちらを振り返った。

 そのとき気付いた。この時間はもうこれからも来ないし、今だけのものだ。

 そう考えたらたまらなく宴会場に入るのが辛くなった。


「僕、新しい彼女ができたよ」


 ひかりは目を丸くしたがすぐにこちらに微笑みをくべた。


「私も会社の先輩と付き合ってる」


 嬉しい、だけど。

 本当のことをいうと胸が痛んだが、それ以上におめでとうという声が胸を攫った。

 僕は驚きつつも、頭の中にある高校の景色が卒業してからはじめて収まる位置にしっかりと収まったように思えた。


「じゃあね」


 さよなら、でもなくまたね、でもない。

 ひかりと僕はこれからもこうやって別れる。

 

 扉を二人で開けると喧しい音たちが先ほどと全く変わらず、ただしていた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フィルムとスクリーン 須野 セツ @setsu_san3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ