第71話 召喚魔法

 じゅわじゅわと香ばしい音を立てている油を薄く引いた鍋。春巻きはもうそろそろ食べ頃だ。

 魚のフライはもう少し時間をかけておいてもいいかな? まだちょっと色が薄い。

「ナー、ナー? ダレ? 誰がイチバンだったのー?」

「ムスメさん、それは置いておいて一品目の揚げ物出来ましたよ。先程言っていた奴です。スライム君が用意してくれた調味料でも塩でもいいので、食べてみて下さい」


 周りから熱烈な視線を集める事を気にも留めず、大変答え辛い質問を投げかけ続けてきた彼女の前に春巻きの乗った皿を差し出した。

「オォ? 仕方ないな! これでダマされてやるよ!」


 意気揚々としている彼女は出来上がりの熱々春巻きを早速と言わんばかりにフォークで突き刺し、少し息を吹きかけて冷ますとがぶりとかぶりついた。サクリといい音を出したソレの中はまだ熱かったようで、口から息を漏らして熱を逃がそうとしている。


「アツッ、熱いな! でもウマイ!」

「それも魚なんですよ、食べやすいでしょう?」

「ウンッ」

 一言こちらに返事をして再度口にしている。火の通りも問題はなさそうだ。


「ホリ様、ホリ様! 私も頂いてもよろしいでしょうか?」

「ウタノハも? ちょっと待ってね……。はい、熱いから気をつけてね」

 彼女の春巻きはカットしておいた。そちらの方が食べやすいかと思ったのだがついでに切った春巻きをフォークに刺しておこう。

「はい!」

 彼女は春巻きの大きさを唇で確かめるようにした後それを頬張り、味や風味を確かめるようにゆっくりとみしめて飲み込む。


「おいしいです。このパリパリとした食感と魚がほぐれていく感覚が楽しいですし、この山菜でしょうか? 風味と合っていて食べやすいですね」

「うん、ムスメさんの食べている奴は骨を取り除いた身をそのまま使っているけど、ウタノハが食べたのは一度下茹でした切り身をほぐして山菜で包んであるんだ。ペトラの持ってきてくれた山菜のおかげでかなりいい出来だと思うよ」

「おいホリ、ワタシもそっちの方も食べてみたい!」


 春巻きを一つ食べ切ってしまったムスメが次を要求してきた。皿を返されたので、ほぐした身の春巻きと丁度良く揚がったフライも乗せておく。


「それならこれも追加しておきますね、こっちはまた自信作なんですよ。そのほぐした身を使ったフライです。これもがぶりといけますから、そのままでもいいですし、スライム君オススメの調味料をかけてもいいですよ。どうぞ」

「おいミコ! 半分やるからオマエも食べてみろって!」

「は、はい。王女様、頂きます!」


 ムスメは意外な事にウタノハと半分に割ったフライを彼女のフォークに突き刺すようにして彼女の手を取っている。案外面倒見がいいのだろうか? そういえばゴブリン達やペトラも色々と世話をしていたみたいだし、意外すぎる。


 二人は殆ど同時にソースも何もかけていないフライを口にした。ザクッとこちらも良い音を出して彼女達がフライを味わっている。

 こちらの方はほぐした身と繋ぎに色々混ぜ合わせて香辛料も結構入っているからな、そのままでも充分美味しいと思う。ただスライム君はそれでももっと美味しくするソースを生み出している可能性が高い。


 気付けば俺の足元で佇むようにプルついているスライム君は伊達ではないのだ、ソースの入った容器を準備しているし。


「オォォ、これもウマイなー!」

「そうですね! 先程の魚と同じ物なら味は淡泊な筈なのに全然食べ応えが違うのが驚きです。ホリ様、おいしいです」


 彼女達は口の横に衣をつけて味の感想を言ってくれる、やはり揚げ物は揚げたてが最高なのだ。彼女達の食べかすを拭き取り、次々と揚がる料理を皿に盛っていくのだが何かがおかしい。皿の上にある筈の料理が消えていく。


 皿から視線を外す度にあちこちから油の熱さに悪戦苦闘する声と、その揚げ物特有の味に魅了された者達が次々と完成した料理を食べているようだ。


「皆、まずは魔王様達からだよ? 我慢してね?」

「わ、わ、私はまだ、た、食べていませんよ!?」

「いや口の横に衣ついてるし……。目泳ぎすぎでしょ……?」

 ケンタウロスの女性がぐぐっと目を瞑りながら、あたふたと口周りを拭っている様が面白かったのでそれはそれでいいのだが。


 春巻き二種類とフライを乗せた皿を二つ、魔王とツマの前へと並べる。

「魔王様、王妃様、お待たせしました。出来は皆の反応を見るに悪くはない筈ですので、ご賞味ください。あとスライム君のお手製ソースをかけるとまた違った味わいになるかと思います」

 スライム君のソースを使った第一号のムスメは黙々と食べ切り、そのまま皿を返上して俺に一言「オカワリ!!」と告げてきた。多分絶品にしてくれる事だろう。


「フフフ、ムスメちゃんの反応を見るに楽しめそうですね」

「ホリ殿、我らは有難く頂いておきます故、彼等に続きを振舞ってあげてくだされ」

 魔王がチラリと向けた先には早くしろという無言の圧をかけてくる視線が多数あった。彼らの元へ戻る際に後ろから魔王の叫びが聞こえたので、味は満足してもらえているようだ。


 そこから暫くはまた揚げ物に縛られる時間になり、出来上がった物はすぐに消えていくのだが、以前と違って自分が食べながら作る余裕はある。


 何せ他種族の趣向を凝らした料理や郷土の料理が並んでいる為、揚げ物だけを食べているのは勿体ないからだ。


 魔王やツマも、お酒の入ったコップを片手にあちこちへと歩き回るようにしてその料理を作った者と話をしながら料理を頂いている。

 楽し気に酒を飲んで、満足気に料理を食べているので邪魔はしないようにしておこう。


「そうだ、ねえトレニィア、『あの』スープは出来た?」

「出来てるよ……、食べる……?」

「うん、頂こうかな。楽しみだー」

 彼女は自分の作り上げたスープが入った器を持ってきてくれた。

「今回のはスイギョウザが初体験だから分からないけど……、スープは自信作だから……。召し上がれ……」

「ではでは、頂きます!」

 豚骨の風味が感じられるような……? 割と高い頻度で捕まえられる猪の骨でも使ったのだろうか、これは期待していい奴。

 スープと一緒に水餃子を口に放り込むと、久々に味わう食感と味につい行儀悪く足をばたばたとさせてしまった。


 なんせこのスープがうまい! とんこつと魚の出汁だろうか、それが塩で中心に味付けされ、薬味や野菜が使われたこのスープと水餃子が最高すぎる……。


「ホリ……、おいしいかな……? おいしくないかな……?」

「最ッ高だね。これが食いたかったんだっていう水餃子の出来栄えと、このスープが最高においしい! もう堪んないね!」


 一気にスープを飲み干し、水餃子を食べ切ってしまったが……。懐かしいな、おかんがよく作ってたっけ、水餃子。余りものをいつもテキトーな味付けのスープにいれて食卓に並べてたなぁ。

 何故だろう、このスープは日本にいた時を思い出させるような味がする。味は全然こちらの方が美味しいけど、どこか家庭的だからかな? おかんと猫達は元気でやっているだろうか……。



「ホリ……? ホリ、どうしたの……? 熱かった……? 大丈夫……?」

「う、うんごめんごめん。スープが美味しすぎたのかな、ちょっと意識が飛んでたよ」


 危ない危ない、まさか不意に感傷に浸るような出来栄えだとは思わなかった。

 うわっ、スープ飲んで泣いてるとか恥ずかしすぎるぞ……。


 隣の彼女に見られないように隠れて目をごしごしと拭っていたら、トレニィアが目の前に立ち塞がるように回り込んで来て、そのまま覆い被さるように俺を抱きしめてきたのだが……。何たるいい匂い。


「トレニィアさん……? どうしたの急に、いやこちらとしては最高の気持ちよさが提供されてありがたいんだけど。いい匂いでいい感触で最高です」

「もう……。ラヴィーニア姉様が前に……、私が悲しい時にこうしてくれたから……。美味しかった……? 私のスープ……」

 彼女はどうやら色々察してくれて、事情を聴いてくるような事はしないようだ。


「最高に美味しいよ。ありがとうトレニィア。ありがとう」

「うん……、おかわり持ってくるね……」

 彼女は俺の頭を少し撫でると、そのまま立ち上がり空になった容器を持って鍋の元へと向かってしまった。

 いや、流石にスープのおかわりは……、その器かなり大きいんですけど!?


「まぁ、いいか。喜んでいるみたいだし。っていうか泣いている所見られた……恥ずかしい」

「誰が泣いてるのォ?」


 ラヴィーニアがジャーキーを片手に、逆の手には酒の入ったカップを持ちながらこちらへやってきていた。どうやら呟いた言葉を聞かれてしまったらしい。

「何でもないよ。ラヴィーニア、君の妹のスープはまた一つ進化をしたぞ。これから持ってきてくれるから食べてみるといい!」

「あらァ? 楽しみねェ。でもあの子、また作りすぎてないわよねェ……?」


 不安気にトレニィアの動向を見守っている彼女に俺の分のスープを食べてもらおう。流石に宴会が始まってまだそれほど時間も経っていないのに汁物だけでお腹を満たすのも勿体ない。


 二人で談笑していたらそこへスープを持ってきたトレニィア。

 その両手には自慢の料理が入った皿を持っている。

「トレニィア、これは……」

「? おかわりのスープ……。お姉様の分も持ってきました……、食べてみて下さい……」

 くそう、気配り上手め! ラヴィーニアがいる事を察して二人分持ってきたのか! 俺の計画が! 妹の料理を受け取りながら長女が俺の方を見てにやりとつやのある微笑みを浮かべている。


「そういうことォ……。フフフ、残念だったわねェホリィ?」

「な、何のことやらさっぱりですなぁ。さて頂きます!」

 彼女に食べさせる計画も、色々とバレてしまっているようなので誤魔化す為にもスープを頂く。しかし二杯目でも美味い物は美味い。


 スープを頂いている俺と隣に座り込んだトレニィアが見守っている中、ラヴィーニアがそのスープを一口飲み込む。

「あらァ、今日のもいい味ねェ。おいしいわァ……、それでェ? この白い物がァ、ホリの言ってた『進化』かしらァ?」

「そうそう、水餃子って料理なんだけど絶品だよ。スープの旨味が凝縮されているような美味しさなんだよこれが」

「頑張って……作りました……。どうぞ……」

 ラヴィーニアがスプーンで水餃子を一口で食べ切ると、真紅の瞳が大きく見開かれた。

「おいしいわァ。いつものスープと違ってェ、食べるスープっていうのかしらねェ。フフ、トレニィア。褒めてあげるわァ」

 そう言いながら妹を撫でる姉、照れ臭そうにしている妹、腹がたぷんたぷんになりかけている俺。


 三人でスープの味付けを次回はどうしようと話をしていたら、オーガの子達がトレニィアのスープの入った鍋の近くで声を上げている。


「トレニィアさーん! 私達もスープ頂きたいのですがー! よろしいですかー!?」

「ホリ、姉様……。ちょっと行ってくるね……」

「うん、頑張ってね」

「いってらっしゃァい」


 ひらひらと胸の前で手を振りながら行ってしまった彼女は、スープの入った鍋の前に並んでいる数人のオーガの子達と談笑をしている。

 その様子を眺めていると肩に軽く何かが乗ってきた。


「ねェ、ホリィ。聞きたい事があるだけどォ?」

「急にどうしたの? まぁ答えられる事なら……」

 人の肩の上へ顎を乗せるようにして、何かを楽しむように頭を左右に揺らしている彼女。何か妖しい笑みだな。


「私のハダカ、綺麗だったァ?」

「勘弁してよ……。うん、まぁその。さっきも言ったけど最高に綺麗だったよ。いやどうしたの急に。謝罪が足りないなら追加でジャパニーズ謝罪スタイルを……」


 体勢を変えて膝をつこうとしたところを後ろから羽交い絞めのようにされて身動きが取れなくなってしまった。

 え、これは怒られる奴じゃないか……!? 怒りのあまり絞め殺されたりしないよな……。


「どんな風にィ?」

「え……っとですね。ラヴィーニアの肌の白さとその蜘蛛の部分の色合いのギャップも綺麗だったし、ああして何も纏ってないとアラクネでも違う魅力が一杯あるんだなと……思いました……」

 後ろ、というか俺の肩に顎を乗せたままこちらを向いてクスクスと笑い声を漏らしている彼女、楽しそうだ。


「そっかァ。『誰が一番綺麗だった?』っていう質問はあえてしないわァ。綺麗って言われたかっただけだしィ。でもォ……」

「でも?」


 彼女は俺の耳元へとより一層顔を近づけてきて息がかかるほど距離を詰めると、囁くように小さな声で語り掛けてきた。


「『お前が一番だよ』ってさっきあの場で言ってくれたらァ、私の大事なモノあげたのにィ」

「一番です。ラヴィーニア、お前がナンバーワンだ!」


 言葉の意味を理解をする前に体が反応するといっても過言ではない速度で返答すると、パッとそこで手を離され自由になる。

「フフフ、残念ねェ。ジ・カ・ン・ギ・レェ」

「畜生、あそばれた!! 男の子の純真をもてあそぶなんてこの悪女め!!」

「誉め言葉ありがとォ。フフフ」


 ひらひらと手を仰ぎながらスープのおかわりにいった彼女の背中を眺め、惜しい事をしてしまった後悔と悔やんでも悔やみきれないこのモヤモヤを酒で晴らす。


 そう、ダメ人間の必殺技『飲んで忘れる!』だ!!


 そこから色々な料理を肴に魔王の城に貯蔵されていたという秘蔵のお酒の数々を味わう。全部ワインだったが、どれも美味しい上にツマがワインをデキャンタージュのように道具を使い、更に美味しくしてくれた為に飲めば飲むほどツマミが進み、ツマミが美味しいから酒が進むといった具合で酔い潰れる者が後を絶たなかった。


 現在、ツマとパメラ、ト・ルースが中心となっている酒豪の席に流石に頭をふらつかせているラヴィーニア、赤い鱗の肌が更に赤く見える程酔ったロ・リューシィ。更に最高にゴキゲンなウタノハと。


 男性陣がその周囲で転がされているのがまた凄惨。その内の一人、魔王もツマの膝枕で寝言を呟くように休んでいる。彼も酒豪達により潰された後のようだ。

 あの席怖すぎやろ! ラヴィーニアが酔っ払ってるのもそうだけど、あのト・ルースがかなりご陽気な様子なのも凄い違和感が生じるな。

 ツマもリューシィもウタノハももうかなりアウトなのに、パメラはいつも通りの笑顔なのが尚の事怖い、内臓どうなっているんだ……?



「ペイトン、ペイトン……。まだ大丈夫? 無理しちゃダメだよ?」

「おお……ホリ様。いや、何これしきと言いたい所ですが、足が言う事を聞きませんよ。魚のフライ、最高でした。パメラの魚料理も久しぶりに食べれて最高の気分です。いい日ですなぁ」

 彼の上体を起こすように手を貸していると、彼は反対側にいる倒れたリザードマンに向かって話かけている。こりゃダメだ。


「そうだね、君も大分ヤバそうだ。手を貸すからポッドのところで少し水飲んで寝ておきな。明日に残っちゃうよ」

「そうさせて頂きます。お手数おかけして申し訳ありません、いい日ですなぁ」

「もうそれは聞いたって」

 彼もかなり飲まされたようだ。

 面白オークになった彼に肩を貸してポッドの根元へと連れて歩き、水を多少飲ませた後にそのまま根に頭を預けて大きな鼾をかいて寝てしまった。

「ファッファ、楽しい空気じゃのうホリ? オーガとの戦闘が大分昔のように感じられる程じゃ。皆いい顔をしとるじゃないか」

「そうだねポッド、こういう空気にしてくれた魔王様達に感謝しておこう。ただちょっと飲みすぎの人達もいるから後で力を借りるかもしれないよ。飲みすぎても体に良くないしね」

「ホイホイ、まぁお前さんも楽しめよ。何かあれば言ってくれ」


 彼は楽し気に葉を揺らすと、周囲のトレント達も続くように揺れてさざ波のような音が生み出される。気持ちばかりの礼にかなり薄めた薬草汁を根にかけておいた。


 ポッドにいきなりやるなと小言を言われながら宴会の席へと戻ると、パシンッといい音を出すように背中を叩かれた。その手の主はアナスタシア。かなり酩酊しているようだ。


「うぉおい、ホリ! 飲んでないじゃないかぁ! どういう事だ!!」

「アナスタシア、もう少し優しく……。まぁいいか。じゃあ俺も頂こうかな? アナスタシアは何飲んでるの?」

「ん!」


 某有名映画のワンシーンかよと言いたくなるほど、彼女は腕をピンと俺の方へ伸ばし、酒の入ったカップを見せつけてきた。中身は赤ワインのようだ。


「赤ワインか、じゃあ俺も貰ってこようかな」

「ん!!」


 カンタよろしく一言、更に俺の顔に向けて腕を伸ばし、カップを近づけてくる。これを飲めという事だろうか。


「ありがとう、じゃあ頂くね。アナスタシアの分はどうする?」

「んー、ホリと一緒のを飲むから大丈夫だ!」

 カップを彼女から受け取ると、胡坐をかいて座っていた俺の太腿の上に上半身と頭を乗せるようにして、感触を楽しむようにして遊んでいる。


 ついつい、普段出来ない事をしてみたくなって彼女の頭を撫でる。それを受けてか、彼女はこちらを一瞥した。怒らせてしまったかな?


「む? ……許す!」

 許されるようだ。

 しかも、わざわざこちらが撫でやすいように髪を解いてきたので、髪をくようにしたり旋毛つむじをさわさわとしたりしているが彼女が拒否反応を示す事もない。


 というか、髪サラサラすぎてヤバイな。シャンプーもリンスも何もないのにこれ? ずるくないか。髪が指に引っ掛かる事も一切ない、屋外で色々している筈なのに傷んでいる様子もない。魔族だと何か違うのかな。


「楽しそうだな、ホリ」

「ん? うんまぁ、楽しいかな……? 嫌になったら言ってね」

「うむ、許す!」


 大分酔ってらっしゃる。

 彼女は俺の太腿に頭を預けたまま、遠くで酒豪達に酔い潰される半裸のケンタウロスを指差して爆笑したり、本日何度目かの卒倒を見せるリザードマンを見て爆笑したり。

 爆笑しているのにあまり表情は変わらないのは、ここまで来ると最早特技と言ってもいいのでは。

 彼女の頭を撫でる手を止めると睨まれるという、厄介な爆弾を抱えているような、飼っていた猫を思い出すような不思議な感覚に包まれる。

 まぁアナスタシアにも普段から負担を強いる事が多いし、労っておこう。


「いつもありがとうございます。助かってますよー」


 急に静かになったな、と思ったら既に眠りについていた彼女の耳元で労いの言葉を呟いてみた。反応もないので完全に潰れてしまったようだ。

 流石にこのままでは寝にくいだろう。マントを丸めた簡易枕を用意して体に毛布をかけておいたし、風邪を引かなければいいのだが。


「ホリ様、ホリ様……」

「ヒューゴー? どうしたの、大分酔っているみたいだけど大丈夫?」


 彼はじめとする猫人の人達はどうやら最後の力を振り絞って酒でフラフラになりながらも、風呂を改めて用意しておいてくれたらしい。

 先程まで色々あったので、汚れているだろうと気を遣ってくれたようだ。


「たまには一人で浴びさせてもらうとするか……。男性陣で意識あるのはいないみたいだし。スライム君は忙しそうだし」


 よく考えたら酷い有様だな、男性陣でお酒を飲まない人はいないし女性陣もお酒を飲んでいない人を除いたら殆ど酒豪達に潰されかけているし……。


「ホリ様? 何処かへ行かれるのですか?」

「ああ、うん。猫人の人達が風呂を用意してくれたみたいでさ。ちょっと浴びてこようかなって」


 オラトリが宴会の席から移動しようとしていた俺に気付いて声をかけてきた。

「ならば、私が道中の警護をさせて頂きたく思います。何があるかわかりませんから、同行をお許し願えませんか」

「いや別に風呂場までだし、ここで楽しんでていいよ。大した距離じゃないしね」

「いけません!! 油断は大敵ですよホリ様!!」


 近い、近いなぁ。

 彼女は俺の肩を掴むようにしながら顔を肉薄させると大きく叫んだ。どうやら心配してくれているようだし、護衛してくれるというのなら頼んでおくか。

「じゃあお願いするよ、道中寄り道もしたいしね」

「お任せを! 少々お待ちください!」


 彼女は元居た場所へと駆け足で戻り、十手を担ぐようにして肩に乗せ再度駆け足で帰ってきた。

 最初に風呂へ向かわずに魚のいる生け簀へと向かう。状態を見ておきたいのもあるし、どんな感じなんだろうという興味本位なのもある。オラトリには悪いけど付き合ってもらおう。


「そういえば、その十手大きいから持ち運びが大変そうだよね。襲撃してきたオーガ達の武器で使える状態の剣はなかったの?」

「あったにはありましたが……。私はこの『ゼニガタ』と添い遂げます。これをたまわってから毎日この子と訓練をしていますが、その日その時で新しい発見が出来てウォック殿の言われていた馴染む、という感覚がわかるのです。もう手放せませんよこれは!」

「危ないから振り回すのは止めようね、オラトリさん結構お酒飲んでる? 大丈夫?」


 月の光を浴びて淡く輝く白い十手、軽々と扱っているがかなりの重量なのになぁ。大したものだ。彼女達の一族の民族衣装が何処か袴のような雰囲気を醸し出しているから、見ている分にはマッチした組み合わせだし。


 彼女は俺の問いかけに「問題ありません!!」と言いながら武器を構えてきた。

 問題しかありません!! としか思えないのだが楽しそうだしいいか……。気に入って貰えて良かったと思っておく事にしよう。


 水槽の近くまでやってきた時にオラトリが俺の腕を引っ張り、俺を自身の背後に回らせるようにして前に立つ。十手を前に構えるようにすると、その切っ先の向こうに月明かりで照らされた、ぼんやりとした人影が見える。


「まだ生きていたのか、フォニア」

 オラトリが闇の中で動く影に向けて言葉を口にすると、その影から反応が示された。

 俺達の持っていた光源に照らされて見えた顔は以前にも森で遭遇した黒い肌に茶色のショートカットのオーガの女性。

 鉄鬼とかいう族の長の娘で実質的なリーダー……だったか。


 彼女はこちらに歩み寄るように近づいてくると、俺に向かって何かを投げてきた。足元に転がってきたのは……、水筒?


「その人族に以前に貰った薬の残りでギリギリ生きていられたんだよ。それでも長い事苦しんだけどね。オラトリさん、貴方に砕かれた両腕はまだまともに武器も振るえないよ、動かす事は最低限出来るけどさ」

「ほう、それでは何故今現れた? 最低限動かせるようになった腕でホリ様を始末しに来たとでも言うのか?」

 俺の目の前で先程までとは打って変わって臨戦態勢へと移行したオラトリ、そして構えられた十手がフォニアと呼ばれる黒い鬼を威圧している。


「だとしたら?」

「殺す」

 その威圧する空気を嘲笑あざわらうように余裕を見せる相手、それに触発されるように空気を張り詰めさせるオラトリ。

 血生臭い事になっても面倒だな、うーん。


「オラトリ、ストップストップ。相手は何か話があるからここに来たんだよ。それに闇討ちするなら俺が一人の時を狙うだろうし、問答無用で斬りかかるでしょ? フォニアさん、でしたよね。どうしてここにいるんですか?」


 俺はオラトリの肩に手を置いて一歩前に出ながら、緊張の糸を和らげるように前に立っているオーガに話かけてみたのだが、俺の行動が何か面白かったのか軽く笑みを零している。


「やっぱり面白い人族だね。別に何か大事な話があった訳じゃないよ、ソレのお礼と、あの姫巫女や他種族の連中が守っているココを見てみたかっただけだからね」


 沸き出す水の音が響く中で、彼女は俺の質問にそう答えた。

「興味本位とお礼に来たってだけですか?」

「うん、そうしたら変な穴ぼこに魚が沢山いたから眺めてたところに貴方達が来たってだけだよ。オラトリさんがいたのは誤算だったね。私の生涯もここまで、かな?」


 渇いた笑い声を出すようにしている彼女、それを聞いたオラトリは小さく舌打ちをして不快感を露わにする。

「鉄鬼はもうお前だけなのか? 仲間は?」

「姫巫女に反逆した鉄鬼は全員オラトリさんに殺されたよ。そうじゃない仲間達は知らない、父さんを筆頭に最後まで姫巫女擁護の意見を出してたしね」

 オーガの族の中でも反逆派とそうでない派閥があったのか、てっきり全員でしているのかと思った。


 俺の横で問答を続けているオラトリとフォニア。

 正直ここでこうしていてもらちが明かない。叩き伏せてしまいそうなオラトリとは対照的な、飄々ひょうひょうとしている彼女の様子を見るに戦闘になる空気でもなさそうだ。


 うーん……。

「そうだ、フォニアさん。勝負をしませんか? あ、勝負って言っても痛い思いはしない、平和的な勝負ですけど」

「ホリ様、一体何を……」

 俺の言葉を聞いてオラトリが何かを言ってきそうだったのだが、口を挟まれても面倒だな、手で押さえて止めておこう。

 後ろから抱き締めるような形になってしまっているが、まあ今はそれはどうでもいいな。

「任せて、悪いようにはならないよ。多分だけど」

 そう小さくオラトリにだけ聞こえるように呟くと、彼女は小さく頷いた。


「急になんだい? うーん、その勝負に勝ったら何かくれるの?」

 その様子を見ながら、彼女は少し表情を変えて俺の言葉に乗ってきた。

「そうですねえ、今ここには魔王様一家がいます。彼に貴方の望みを叶えてもらうっていうのはどうですか? 相当無茶苦茶な事じゃない限りは叶えてくれると思いますし」

「それで私が貴方を指差して『この人間を殺させてくれ』って言ったらどうするのさ?」


 ああ、そういう願いもあるなぁ。あの魔王がどういうかはわからないけど……。


「いいですよ。その代わり、そのくらいの物を要求するならこちらも貴方の一生を俺に捧げてもらうくらいの代償を賭けてもらいますよ?」

「うふふ、いいよ。乗った! 私は人族、貴方の命を貰うよ! その代わり私が負けたら煮るなり焼くなり好きにしていいよ!」

 胸を張ってそう楽し気に話す彼女。む? 意外とありそうだな……。CかD……! いや、何とは言わないけど。ごくり。


「勝負の内容は聞かれてないですけどいいんですか?」

「ああ、人族相手だよ? ハンデをあげる! 何でもかかってきて!」


 バカだなぁ。と小さく口から漏れた言葉が聞こえたのか、俺に口を押さえられているオラトリがこちらに視線を移してきた。


 俺とオラトリはフォニアを引き連れてその場から宴会の席へと移動した。

 道中何があってもいいようにと常に目を光らせ続けていたオラトリのおかげで安心して宴会に戻ると、俺達を視界に入れたラルバが大声を上げてこちらへとやってきた。

「ホリ様ッ!? 何故フォニアがここにおるんですか!! 無事ですか!? 怪我は!?」

「ラルバ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。彼女とちょっと一世一代の勝負をしようと思ってね。魔王様達に立ち会いをしてもらおうと思ったんだ。ちょっと静かにしておくように皆にも言っておいてくれる?」


 俺が捲し立てるようにそれから事情を話すとラルバは困惑するように周りの者達へと声をかけて、魔王の元へと向かった。

「さてと、準備をしますか。フォニアさん、これ持っといてください。使うんで」

「何これカップ? どんな勝負をするの?」

「まだ内緒ですよ、ハンデをくれるんでしょう?」

「ふふ、いいよ。どんとこおい!」


 彼女は面白い遊び道具を見つけたかのようにはしゃいでいるが、その余裕ぶち壊してあげよう。

 事情を聞いた宴会の場にいた動ける者達が集まってくる、そんな時に後ろから声をかけてくる者がいた。声から察するにウタノハのようだ。


「ホリ様、どういう事ですか? 何故彼女とそのような事になっているのでしょう」

「ウタノハ? まぁ、落ち着いて話をって……。あぁ……」

「私は納得出来ません、何故貴方の命をかけてまで勝負なんて……」


 彼女は俺に向かって話かけているのかと思いきや、スライム君を思い切り撫でまわしながらトレントの根に向かって話をしている。

 この面白い酔っ払いは放っておこう。あとで介抱してあげればいいだろうし。


「ホリ殿、聞きましたぞ? 何やら勝負をするのだとか? 賭けた物は互いの命と。勝算はあるのですかな?」

「魔王様、回復されたんですね。ええ、勝負の内容を一切聞かないでいてくれた彼女にむしろ申し訳なるくらい勝つ算段しか見えてないです」


 にやりと不敵に笑う魔王、それを聞いた彼は大きな声で周りの者達に聞こえるように叫んだ。

「この魔王が立ち会いの元、これより勝負を開始する! 賭けるものは互いの命! 皆の者、静粛にこの勝負を共に見届けようぞ!」


 俺と幾人かのウタノハの侍女達で勝負の準備を終えると、彼女には俺の隣へと座ってもらった。

「それで? 何の勝負をするのさ?」

「お酒の飲み比べですよ。丁度魔王様達の持ってきてくれた最上のお酒が沢山あるんです。平和的でしょう?」


 勝負の内容を話すと彼女は大きく笑った。

「ハッハッハ! 私はこれでも族の中でかなり飲める方だったんだ! 他種族なんかに負ける事はないね!」

「へえ。それは恐ろしい。なら先程貰ったハンデとして俺ともう一人で貴方に挑んでも?」

「うん、構わないよ! 私の勝ちは揺るぎないからね!」


 オーガっていうのは何というか、ちょっと残念な人が多いのかな。嫌いじゃないけど。

「なら最初はもう一人の者が貴方と、その者を打ち破った後に俺と。二対一になってしまいますけど宜しいですか?」

「くどいなぁ。見た所ここにはケンタウロスやオーク、リザードマンに、ハーピーと。オーガも巫女の一族だけだろ? 相手じゃないね!」

 彼女はふんぞり返るようにしてそう答えてくれた。


 俺達のやり取りが聞こえないのか、魔王達は少し離れたところで様子を伺うような視線を送ってくる。大丈夫だと頷くと、勝負の為に用意されたお酒、樽の数々が並べられていく。


 さぁて、負けのない戦いの始まりかな。お酒が無くなる事はないし、相手になるこの子には気の毒だが、頑張ってね。


 残念だがこの勝負、始まる前から終わっている。最強の召喚魔法を扱える俺に勝てるのは恐らく彼女の夫か娘だけだ。


「おーいパメラー。おいでおいでー」

 人だかりの中から首を傾げつつ、こちらに歩み寄ってくる最終兵器。


「フォニアさん、一つ予言をしますよ」

「ん? 何さ?」

「貴方は俺と勝負することすら叶わない」

「ふふ、その理由があのオーク? 面白い、面白すぎるよ人間!」


 俺の横へとやってきたパメラを彼女の隣に座らせると、魔王が笑いを堪えながら戦いの火蓋を切った。

 夜はまだまだこれから、楽しくなりそうだなぁ。

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