第48話 姫の一族

 ――ホリ達の拠点より離れた地に、十を超すオーガの一団が滞在していた。彼らは元居た里を同族に襲撃され、さらに不意をつかれた事が災いし、本来守るべき対象を襲撃してきた者達に傷つけられてしまった。その場を凌ぎ、逃げてきたはいいが満足に戦闘を行える状態の者は少なく、このままではそう遠くない未来に手詰まりに陥るのは明白だった。


「姫様、これで食料は最後になります。私はこれより周囲の警戒と共に、食料を探して参りますので、少しでも休まれてください」

 赤褐色の肌に青みがかった黒い髪と瞳、額から伸びる角、彼女達の部族独自の民族衣装に身を包み、その上からマントを着ている女性が器に乗った団子のような物を、姫と呼ばれるオーガに跪いて差し出した。


「オラトリ、それは貴方が食べなさい。私はいらないわ。いざという時に、力が出ないのでは困ります。私はこの通り戦う事も出来ませんしね」

 目元を布で覆われた女性はそう言うと、出された物をそのまま返した。彼女は民族衣装をたくし上げ、その薄い紅の色の足に痛々しく残る大きな切り傷を見せるようにして苦笑いを浮かべている。


「姫様、はしたのうございますよ。オラトリ殿、今は貴方だけが頼りじゃ。姫様のご厚意、受け取っておきなされ」

 彼女、侍女長のラルバが姫に小言を言うと目じりを下げ、オラトリと呼ばれる女性にそう進言した。

 二人の言葉に反論をする事もなく、静かに礼の一言を放ち、食料を受け取りながら頭を下げその場を後にする女性。

 夜の森に消えた彼女を見送り、姫と呼ばれる女性は傷の影響からかその場にへたり込むように座ってしまった。

「姫様、あまり無理をされませんように。御身に何かあっては我ら一族の主たる血脈が途絶えてしまう事を忘れなきように」

「ええ、ごめんなさいラルバ。それと一度目的の場所を見ておきたいの。用意してくれるかしら」


 わかりました、と頭を下げた侍女長は数名のオーガと共に女性の身支度を済ませ、儀式の用意を終えると畏まるように膝をつき、頭を下げた。


 彼女は他のオーガが見守る中、目元を覆う布を外す。露わになった色素の感じられない瞳を確かめるように瞬きをし、『目的の場所』と言われる方向をじっと眺め始めた。


 その時である。


「うっ……!?」

 急に目元を押さえ力無く蹲る。見守っていた一同も声を出し、彼女に駆け寄る。一番近くにいた侍女長が一番に声を発した。

「姫様ッ!? どうされたのです!?」

「ラルバ……、いえその……」


 彼女は自身の力を使い覗き見た、遠く離れた目的地の映像をどう伝えればいいのかと言葉を詰まらせていた。


「り、リザードマンが……」

「リザードマンが……?」

 ごくりと生唾を飲み、彼女が続けて出してくる言葉を待っているオーガ達。そしてその視線を受けている女性は困惑した表情を浮かべたまま、目を再度布で隠し自身の見た光景を口にする。


「リザードマンが……、ぜ、全裸で仁王立ちしてました」

「はっ?」


 彼女達の目的地、それは姫が決めた意向による物。それはこの一族では絶対遵守である。だがその言葉を聞き、侍女長は初めてその命に疑問を抱いた。


 ――場所が代わり、ホリ達の拠点

「ゼルシュ、気持ちいいのかもしれないけど、素っ裸で突っ立ってるとまた怒られるよ?」

「大丈夫だ、この時間なら人も少ない! 蒸気風呂を浴びた後に一番気持ちよくなれる体の冷やし方を探していかないとな! やはりこの夜風も捨てがたい。悩ましいものだ……」

 ホリとペイトンはゼルシュに頼まれ、一日の最後にサウナに入りたいという彼の要望を叶えた。そして浴場前で熱くなった体に夜風を全身で浴び、夢心地になっているリザードマン。

 その映像を覗かれているとは夢にも思っていなかった彼らは、それから僅かな時間の後に女性陣に見つかり、三人纏めて厳重注意を受けるのであった――



 ――日が昇り、オーガの一団は目的地に向かって歩みを進めていた。

 彼女達の殆どは今も尚、何時追跡者に襲撃を受けるかと怯えている。追っている者達の狙いは姫の持つ『眼』。それを守る為に大多数のオーガが身代わりになり死んでいき、今では二桁がやっとという人数までになってしまった。

 武器も防具も満足な物はない。食料も、数人で狩猟をしているが満足の行く成果とは程遠い。誰しもが自分達の終わりを覚悟していた。


 その事実を受け止め、それでも気丈に振る舞い続け周りの者達に明るく接し、励ましていく姫の姿がある。

 彼女は同族のオーガに襲撃を受ける前よりとある場所を時間の許される時に覗き見ていた。時々刻々と姿を変える山、増える種族、偶に見る事の出来る息を吞むような事象。一族を率いる身として軽々とその地には行けないからこそ、見ていて飽きる事のないその映像は、今追い詰められている彼女の唯一の心の拠り所となっている。


 それから数日、森の中を迷いなく進みもう少しで目的地という所までやって来る事が出来た。更には、天が味方するかのようにここまで襲撃される事も、食料が獲れず飢えるような事もなかった。

 背に乗っている女性を気に掛け、身を案じるオラトリ。

「姫様、あと半日といったところで目的の場所に着きます。今しばらくの辛抱です」

「ええ、大丈夫よオラトリ。ごめんなさいね。貴方も疲れているでしょうに」

 負傷している足での移動をさせる訳にも行かず、オラトリと呼ばれる女性の背に身を預けている事を謝罪する彼女は、赤い肌が青く見えてしまうのではと思える程疲弊していた。

 怪我の治療も満足に出来ない、療養させている時間もない。その一団の誰もが焦る気持ちを足に乗せてしまう状況。

 その中心の人物はその空気を察してか、あえて少し空気を和らげるような話を切り出す。

「フフ、昨日目的の場所を見た時に大きな浴場で様々な種族の女性達が何か言い争っていましたよ。その後、茹るまで湯に体をつけて勝負のような事をしていたみたいですが、一体何が原因でそうなってしまったのかしらね」

 明るい声に、侍女の一人が楽し気に聞き返す。

「大浴場ですか? それなら是非仲間にしてもらって、私達も味わわせてもらいましょう! さっき川で軽く汗を流せましたけど、やっぱりお湯に浸かりたいですよね! 楽しみだなぁー」

「ええ、皆で入らせてもらいましょう? それに、その浴場はとても美しいの。あの空間を見るだけで心が躍ってしまったわ」

 楽し気に話す彼女達の空気に、少し息を吐き安堵するオラトリ。


 目的地まであと少し。


 だが、その楽し気な空気を破壊するように一つの炎が飛来した。

「楽しそうじゃん? 私も混ぜてよ」


 オラトリはその炎を間一髪避ける事が出来たが、咄嗟の事に気を配る事が出来ずに背中におぶさっていた護衛対象を振り落としそうになってしまった。


 告げながら森の陰から顔を覗かせたのは、彼女達の里を襲ったオーガ。

 オーガが着用する伝統的な衣装を纏い、腰には何本もの武器を携えている黒い肌と青い瞳、種族が同じでも全く違う色合いを持つ敵に彼女達は襲われたのだ。


 気配を探れば彼女達は包囲されるように囲まれており、逃げる事は既にほぼ不可能に近い物となっていた。お互いに背を合わせるようにして、中心にいる姫の盾になろうと体を張る護衛達。

 背に乗せていた姫を下ろし他者に姫の身を託すと、オラトリは侍女から自分の武器である長い刀を渡され、鞘から抜き放つと敵のリーダーの女性を力強く見据える。

 周囲の侍女達も、持っている武器の鞘を外し長い柄を握りしめ、敵の一挙一動を見逃すまいと空気を張りつめさせていた。


 その空気を嘲笑うように炎を打ち込んできた敵が口を開く。

「おお、怖い怖い。姫巫女の護衛隊の方々が本気になって相手をしてくれるなんて、それも歴代でも有数の強さと名高いオラトリ様までいるんだから。について正解だったなぁ」

 そう高笑いをしながら、腰の武器の一本を抜き放つ。


 そして笑いを止めたと同時に掌を前に広げ、幾つもの炎を撃ち出しながら自身も斬りかかる為に前に出る。炎を切り裂くようにして薙ぎ払ったオラトリに向かいぎらりと光る剣を横に振り、彼女の首を刎ねようと斬撃を繰り出した。

 オラトリは刀の峰でそれを叩き返すように弾き、更に続けて襲い掛かってくる剣の乱舞を涼しい顔をしながら返していく。自身の背のすぐ傍に護衛対象が居る為、おいそれとは動けない状況だが彼女が焦るような事はなかった。


 大きく袈裟に振られてきた剣を刀で強く弾くと、返しに相手の目を潰しに柄の頭を強く叩きつける。確実に潰れた目、だがその衝撃を意に介さず、空いていた手で新たに短刀を逆手に抜きオラトリの二の腕を斬りつける相手のオーガ。


 一進一退の攻防、オラトリは連日休むことなく警戒や狩猟を行っていて消耗している。だが精彩を欠いているとはいえ相手のオーガもかなりの手練れ。オーガは力のある種族、戦い方も豪快さが目立つ者が多い中で両名はそれから数度剣戟を交えるも、目立つのは双方の技量の方だった。


 勝負は意外なところで決着をつけられようとしている。

 何か砕けるような音が周囲に響き渡り、その音の出処を見るとオラトリの持っている刀、何時の間にか刃縁にヒビが入っていて、刀の中頃より折れてしまったのだ。


 手入れをすることも出来ず、里から逃げて今日この時を迎えるまで耐えてきた武器も、酷使され続けた上に浴びせられるオーガの剣圧に砕け、更にはその隙を見逃してくれる筈もなく、先程斬られたのとは逆の腕の手首を斬り裂かれた。


 オラトリは小さく舌打ちをし、盗むように後方を確認すると他の侍女達は、身を隠していた他の黒い肌のオーガ達と戦っていた。だが、状況は芳しくない。一人、また一人と傷つき、膝をついていく。


 どす黒い血を涙のように溢れさせ、オラトリと対峙していたオーガが勝利を確信するように笑顔を浮かべて口を開く。

「あれあれ? 武器がそんな事になっちゃうと、流石の武勇も曇っちゃうのかな? 無様だね」

 そう口にした時に、目の前にいる相手が凄まじい速度で迫り折れた刀を振り下ろしてきた。

 咄嗟に両手の二本の剣で挟み込むように抑える事が出来たが、その威力が凄まじく、手にしていた剣が鈍く響き渡る音を出し、弾けるようにへし折られると、一閃された刀が顔の前に刀身、その折れた部分を見せるように双眸の間をすり抜けていった。


 刀が折れていなければ殺されていた。


 その事実を受け止め、頭に血が上っていくオーガは新たに腰から武器を抜き、更に部下に命令を下した。

「おい! そんな雑魚共にいつまでかかってるんだ! こっちを手伝え!!」

 その言葉に反応する黒い肌のオーガ達。奮戦し、倒れた侍女達を蹴り飛ばし加勢をしていく。

 流石にこのままでは……。誰しもが死を直視し、諦めていた。

 そして姫巫女が意を決し、自身の命の代わりに彼女達は見逃してほしいと叫び出そうとしたその時――


「いやだからさ、OPIっていうのはエロじゃないの。愛しさと切なさと心強さが純情な感情な訳で……」

「いやサッパリわからん……。おーぴーあいとは乳房の事だろう?」

「乳房っていうな生々しいだろ! ……あれ?」


 まるで緊張感の欠片もない集団が姿を現し、呆けた声を出している。

 その場の、敵味方関係なく全員時間が止まったように動かず、突如現れた集団に目を向けている中で、一人の女性がもしや、と目を覆う布を外し、現れた一団を瞳の中に収め脳裏に焼き付け、再度目を強く瞑る。

 姫巫女自身直接会ったことは一度もないが、力を使い何度も見ている顔がそこにはあった。これから助けを求めようとしていた相手がここにいる事、その事実を魔王に感謝をして溢れる涙を堪え、震える声で一言大きく叫んだ。

「助けてくださいッ!!」


 その言葉と、見るからに重傷な叫んだ主、その周囲。

 そして傷つきながらも倒れず、むしろ怪我をした者達を守るようにして立っている一人の女性を見て男性が叫んだ。


「みんな助けるぞ!」

 その言葉を合図に、雄叫びが上がり黒い肌のオーガ達を強襲する集団。


 叫びを上げた姫巫女は恐怖で強く目を瞑り、その耳の中に入ってくる情報は響き渡る足音。踏みつぶされてしまうのではと体を縮こませ震えていると、肩に手を置かれ声を掛けられた。

「大丈夫ですか? ちょっと待っててくださいね」

「は、はい」

 自分の声が聞こえたかどうかもわからない、だが相手の声にしっかりと応えるとその男性の気配が遠ざかるのを感じた。



 優位に立っていたオーガは一転して苦しい立場に追いやられている。

 片目を潰されたのもあるが、目の前のリザードマンの槍がただでさえ鋭く、そして見えなくなった視界を使われ絶妙に避け辛い攻撃を繰り出されるからだ。


 本来なら目標の首を持って帰れていたかもしれないのに……。と悔やんでも悔やみきれない思いで苛立っていた。周りのオーガも、ケンタウロスやリザードマンに数で押され追い詰められている。

 このままでは、と思った矢先、一人の男が声を上げた。

「ストォーップ!! 全員止まれ!!」


 いきなり響いたその声に全員が手を止め、その人族の事を注視した。

「おいお前達、魔族の者だよな? 無駄に死ぬことはない。逃げていいぞ」

「はっ? 何を言ってる人族、お前から先に殺すぞ」


 リーダーのオーガがそう口にすると、数名がそれに倣うように殺気を放ち始める。

「見た所お前達に勝ち目はないし、俺が死ぬよりも早くお前達が死ぬぞ。無駄死にだろうそれは」

「……何が狙い? 逃げる時に背中から仕留めようとか」

 男は苦笑して首を横に振ると、その言葉を否定した。

「こちらは追わないし、追撃するような事もしないよ。だからそちらも一旦引いてくれ。全体的にかなりやられてるが、見た感じお前が一番重傷だ。とっとと帰って治療しておいた方がいい」


 今も流れ続ける自身の血、その量も相当な物だ。目標の人物を見ると姫巫女は数人の護衛に守られていて手は出せそうにない。

「どちらにしろこの状況じゃ私達の目的は達成できない、か……。撤退するよ」

 そう周りのオーガに言い放ち、現れた時と同じように森の陰に消えていく集団。そして、リーダーのオーガが消えようとした時。

「あ、ちょっとまった。これあげるよ」

 人族に投げて渡されたのは一つの水筒。男性はオーガがそれを取れたのを確認すると、説明を始めた。

「それちょっと刺激の強い薬だから、周りに誰かいる状況で飲んでね。そのまま放っておくと帰り道で死ぬかもしれないからね」

「毒じゃないと言い切れる?」

「毒で殺すくらいなら、戦い止めてないでしょ。まだ生きていたいなら飲んでおいた方がいいよ。ちょっと刺激が強いけど」


 それもそうだ、と少し笑いを零し、最後に残ったオーガも森に消えた。


 助かったのか、と最後まで姫巫女の前で立ち尽くしていたオラトリはそこで緊張の糸が切れてしまい、そのまま意識を手放してしまう。そして、次に目を覚ますのは彼女が口の中に薬草汁を突っ込まれる直前の事だった――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る