第4話 お互いの食文化

 ――成人男性が長い間一人暮らしをしていると当然のことながら家事をある程度こなせる。そのこなせるという言葉にもピンからキリまであり、掃除が行き届いたキレイな部屋に住んでいても炊事は不得手、というケースもあれば当然その逆もまた然り。個人差が明確に出るのだ。

 堀井進ホリイススムはどれもそれなりにこなしていたが、洗濯はを続けていた。その洗濯も最低限度のことはしていたが、ワイシャツにアイロンをかけるくらいなら新しく買い直してしまえと実行するくらいにはだった。


 しかし食に関してはできる限り自炊をした方がいいと過去に悲惨な経験を踏み、その結論に行きついてからは可能な限り自身で作ることを心掛け、実行し続けた。

 ただあくまでもそれは長年使っていた器具や調味料、日本という恵まれた環境などがあって初めて成り立っており、今いるのはその常識が通用しない世界で。

 彼は今、魔王がどこからか出した椅子とテーブルに座り、眼前で広がっている惨劇を目にいれないようにするのに必死だった――



「お、中々の大きさのフォレストディアーだね。とりあえずクビ落としちゃお」

 ムスメは言うなり、手を薙ぎ払い今まで繋がっていた鹿? の首を打ち落とす。鮮やかな手並みなのは言うまでもないのだが俺としてはそれどころではない。

 その一連の流れをムスメとゴブリン達の賑やかな声が楽し気に彩っているが、現代日本人だった俺には動物の解体というものが身近になく、やはり多少なりとも抵抗を感じるものだ。

 しかし目を瞑り視覚を遮断しても、却って聴覚と嗅覚が鋭敏になりリアルタイムの情報を伝達してくる。


「王女サマ、コイツ魔石チイサイ、ドウシヨウ?」

「んー? あっても困らないし、貯蓄しとこチョチク。デキル女はイザというときのために隠し財産作っとくものだってママが言ってた!」


 肉を裂き、骨を砕くような音と共に、少し風に乗って流れてくる鉄の匂い。直接見ないようにしていることが想像を掻き立てていく。

 そういえば……、と魔王がこちらに向き直り、手で顔を塞いでいる俺に問い掛けてきた。

「堀井様はこのような肉は食べられますかな? こちらの世界では多種多様な食肉文化がありますし、人族もこのフォレストディアーの肉を食べていた筈なのですが、問題があるようなら先に教えて頂けるとありがたいのです」


 魔王の意外な問いかけに「え?」と解体作業班達は声を出していた。あぁそうか、気を遣わせてしまったな。とその優しい配慮に答えておいた。


「あ、あぁ大丈夫です。肉が食べられるならこちらとしてもありがたいですし、むしろ野菜より好きです。正直言ってしまうと、私のいたところではあまり動物のこういった解体を見る機会が全くと言ってもいい程なかったので……。そちらに意識が持っていかれていただけです」

 苦笑いを浮かべ、情けない返答をしていたところにムスメが首を傾げながら、こちらの出したその話に更に質問を被せてきた。


「解体見ないでニクを食べれるの?」

「ええ。私のいたところでは、その食専門の解体職人のような者がいて、まず食べられるところとそうでないところを切り分け、その肉を販売する際はさらに部位ごと等に分けて、細かくしてあるものを貨幣で購入していくんです」


 ムスメの方に目をやり答えると、溢れるほど朱に染まった一区画の地面と、そのほぼ中心でまるで周囲を赤い花で囲まれたようにして、こちらを見ているフォレストディアーと言われる鹿だった物体が目に入ってしまった。

 ひぃっ目があった!!

 ふーん、と出された解答にムスメは少し考えていたがあまり想像できなかったのか納得はできなかったようだ。


 魔王は腕を組み、目を瞑り頷きながら口を開いた。

「世界が違うと、常識も違うという至極当然のことですな。この世界でも、そういった販売を行う者達もおりますが、肉をそのようにして細分化して売るというのはあまり聞いたことがありませんね。できても保存のしやすい干し肉等だけでしょうし」


 そうか、冷蔵庫のような物もなければ保存の仕方も限られてくるだろうし、肉の販売というのはハードルが高いのかもしれない。この話をしている時に少し思いついたことができたので、魔王に問いかけてみた。


「あの魔王様、例えば魔法で部屋を冷やし続けたり、特定の箱等を冷やし続けることは可能ですかね?」

 例えば冷蔵庫であったり、温度調節してクーラーだったりが魔法で簡単にできるのではないか? と思ったのだが。

「そうですな、可能ではありますが持続性をとなると期間によっては少し難しいかもしれませんね。魔法でそのようなことをすると常に術者が魔力を消費し続けることになりますし。方法がないわけではないのですが」


 なるほど、難しいのか。食べ物の備蓄がうまくいけばと思って聞いてみたんだけど、生活に身近だった冷蔵庫も歴史から見ればつい最近の発明品だものなぁ。


「そうですか、温度管理ができると食べ物の保存がグッと楽になるようですよ。塩漬けにしたりとかしなくても、お肉がそれなりの期間食べられる状態が続いたりとか……」

「ほう、それは良い事を聞きました。先ほども言いましたが、方法がないわけではないのです。ちょうどいい、少しお待ち下さい」

 魔王はゴブリン達から小さな宝石のようなものを預かりこちらに見せてきた。

 先ほどゴブリン達が取り出したフォレストディアーの内部にあった石。琥珀色のそれは魔王の手の中で輝いている。


「これは魔石と呼ばれるものです。怪物モンスターの体内や、自然環境、様々なところにある魔力の結晶なのですが、属性によって得られる作用や効能は変わります。例えば……」

 と魔王がチラリとムスメの方を見ると、魔王が何を求めているかを察したのかピコーン! と思いついたようだ。そして彼女の右手が輝き、その光が収まるとその手には真紅の宝石が握られており、こちらに見せつけるようにポージングをしていた。

 その石を地面に置き、ピッと指をさすとそこから赤々と炎が燃え上がり始めた。


 すごい、魔法らしい魔法だ……! と素直な感想を抱いてしまった。

 先ほど空を飛んでいたのも魔法らしいといえばらしいのだが、恐怖でそれどころではなかった為、改めて自分が今いる世界のファンタジー性に感動していた。


「あのような赤い石は火の魔石ですな。主に火が出たり、温度を上げたり等できます。他には……」 今度はゴブリン達の方を眺めた。ゴブリンのうちの一匹が腰のポーチのようなものの中を物色し、またもこちらに見せるようにポージングをとりながら瑠璃色の宝石を取り出した。

 打ち合わせしてたの?


「彼が持っているのは水の魔石ですね。水がでます」

「水が出るだけですか?」

「水が出るだけです」

 水が出るだけかぁ……。と思っていたのだが、大事なところはそこではなかったようだ。


「ただ、水が出るだけとは言っても、どれだけの水量が出るのかなどは石によって変わります。最上級の物になると、魔力を注ぎ続ければ、激しく流れる川のような水量を延々と出し続けるものもありますよ」


 そんな自然災害のようなものはおいそれとは使えないだろうなぁ。それよりも……。

「ちょっと待ってください、品質によって程度が異なるんですか?」

「えぇ、水の属性なら水量の増減、火なら巻き起こる炎の強さや周囲に与える温度の強弱といった具合に様々ありますな。仕様も加減も石毎に変わるので魔石の力が有限なのもあり、日常生活で使うには厳しい面もあります」


 ですので、条件の合う氷属性の魔石があれば可能かもしれないですね。と魔王は締めた。

 その時、テーブルになみなみと注がれた水の入った木のコップが置かれた。そこにいたのは先ほどまで解体をしていた内のゴブリン、彼? はペコリと丁寧に会釈してきたので、こちらも頭を下げ「ありがとう」と伝え、感謝の意を示しておく。

 彼は魔王の前にも水の入ったカップを置き、一仕事終えると満足そうにして、楽しく肉を焼いている集団の輪に帰っていった。


「属性というのはどういったものがあるのでしょうか、色々な物があるのはわかりましたが……」

 基本的な話ではあるが、様々な属性が出てくるであろう重要な話だ。


「そうですな、お見せしながら説明した方がわかりやすいでしょうな」

 そういいながら魔王はこちらに見えるようにずいと手を突き出し、両の掌を上に向けた。何が始まるのか? 少し胸が高鳴り、期待から前のめりにそちらに見入ってしまう。

 なんだなんだ? と解体を終え、先ほど出した炎を使い調理をしていたムスメ達も、変わった様子を察し近くに寄ってきて、魔王の挙動を見守っている。


「まずは、火属性」

 右手の人差し指から生まれたのは小さな灯火。

「次に水ですな」

 次に右手の中指から現れたのは水の球である。出された水球は中指の先で浮いている。

「これはわかりにくいかもですが、風の属性ですな」

 一陣の風が吹き、頬を撫でていく。

「こちらは土の属性と呼ばれるもの、これは岩や砂もそれにあたります」

 彼の親指の上で小さな石が浮いている。

「そして樹の属性、植物の魔法という認識で構わないと思いますよ」

 ポンと現れた一輪の花が先程現れた小さな石の上に咲いている。


 怖い顔の割に芸が細かい。その怖い顔と視線を左手に移し、彼はさらに続ける。


「少し眩しいかもしれないのでご注意を。これが光の属性ですな」

 そういうと明るい屋外にも関わらず、確かに煌めく光の球が左の人差し指の先にあった。

「眩しいので消しておきましょう。次にこれが、闇になります」

 光がなくなり、中指の先には先程とは対照的な黒く蠢くような動きを見せる暗い球が存在している。

「これまでの物が基本となる七つの属性、さらにそれらの派生とも上位とも言われる氷」

 透明度の高い氷が薬指の上に現れた。そしてその氷は一頻り存在感を出した後、魔王がゴブリンから受け取った水の入った木のカップに投入された。


 俺の分もお願いします。


「こちらが雷ですね」

 小指の先に現れたのは中指の先にある闇属性に似た黒い球なのだが、パチパチと音を出し雷雲のように時折閃光を走らせている。

 こうして見比べられると同じ黒でも闇のように深い黒と、少し紫がかった黒ではその違いも分かりやすかった。


「そして……」というと魔王は今まで出していたそれらの魔法を消し、両手の掌をパンと軽く叩き合わせた。何もないところから物を出す時に何度か見せられた輝きが合わせられた手の間から漏れている。何か出すのだろうか?


「それらに分類されない無属性魔法ですね」

 そう言いながら、大小様々な皿と食器を取り出しテーブルに並べていく彼。


「肉もそろそろ焼けるでしょう、長々とした説明のご清聴ありがとうございます」

 大皿を持ち、焼かれている肉の方に歩いていく魔王とムスメ。


 その後ろ姿と属性の説明から流れるように食事の準備に移行していく様につい見惚れてしまい、やはり魔王は違うな! と少し感心していると……。

「パパ、今の一連の流れかっこよかったけどまだナマ焼けだって料理班長スライムが言ってるよ。どうするの」

「なに? この流れで席に戻るとか滅茶苦茶かっこ悪いですぞ! なんとか火力上げて誤魔化しましょう!」

 悲しい内情が聞こえてきた。というかスライムが調理してるんだ……。味覚あるのかな?

 火の傍で、激しくプルッているスライムと何かを頼み込んでいる魔王を見ていると辺りに鼻腔をくすぐる香りが立ち込めていて食欲を刺激してくる。


 生命をあまり感じられない荒んだ地で、見渡してみるとたまに戦闘の跡地だとわかる人骨のようなものも見られる場所で食事とは……とんだアウトドアである。

 しかし料理人スライムの腕がいいのか、空腹だったからなのかはわからないがいい香りだ。

 この香りに気付けないほど緊張していたのか、と多少苦笑いを浮かべながらコップの水を一口含みゆっくりと飲み込む。何ら変わったところのない普通の水だ。

 これも魔石から出されたであろう水の筈だが、違和感を感じることもなく飲み込むことができた。木のコップ特有の匂いがするくらいだから、問題ない。


 魔王が席を離れたことにより、少し考える時間ができたのでここまで聞かされた話を思い出す。拠点を作り上げるということ、属性のこと、魔法のこと……、色々考えてもまだ現実感がなく、しかし軽く頬を抓っても痛いのだから夢ではない。


 ガシガシと頭を掻き、これからのことを考えて思いついたことはいくつかある。

 この思いつきに関しては食事の時やその後彼らに話してみようと思い、少し別のことに思いを馳せる。

「猫達やおかん……どうなったかなー……」などと気付いたらぽつりと呟いていた。

 まぁお願いをした相手は力を封じられてたといっても神様だったわけだし、悪いようにしないと言っていたことからそこまで心配はしていないが。


 そのうちまたあの神様にも会いたいけど、無理だよな多分。


 とりあえず魔法というか属性は火、水、風、樹、土、光、闇の基本となる七つに、氷、雷、無の合わせて十個程あるらしいが火と水が魔法で使えるようになれば、様々な点で楽になるだろうなーと胸を躍らせる。


 やはり、こういった世界ならではの魔法に憧れるのは当然だしな。一通り考えが巡り、ふうと一息ついていると目の前に料理が運ばれてくる。

 ゴブリン達が持ってきた皿の上には見事に焼き上げられた鹿ステーキが、そしてそれが目前に来たことにより先ほど感じた香りが一層強くなる。


 そして魔王とムスメが戻ってきて、席についた。

「では、頂きますかな」

「そーだね」

 そう言葉にすると、ゴブリン達も椅子に座る。

 お誕生日席と言われるポジションになってしまうように右手側に魔王とムスメが。

左手側にゴブリン達が座っている。彼らの目の前には鹿のステーキと、バスケットに入ったパン。いつの間に……?


 その中で、何故かぽっかりと自分の前だけ空いたスペースに首を傾げ、魔王の方に視線を投げると魔王が笑顔でこちらが出した無言の問いに答えてくれた。


「堀井様はこれがこちらで食べる最初の食事でしょう! それを考慮し我らのシェフがこだわりの一品を用意してくれてますぞ!」


 そういい料理長スライムが頭の上に皿を乗せ、器用にこちらへやってきている。そしてそのありがたい心意気を見せてくれたシェフが優しさ溢れる料理を目の前に置いてくれた。


 愛し合う恋人たちが口づけをするように、目を瞑りこちらにを向けている料理に笑顔でこう答えるしかなかった。


「生首は無理です……!!」


 ごめんスライムさんそれは無理。

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