Y医師との出会い

 先だってわたしは、息子の腫瘍治療に、大きな影響を及ぼした医師が二人いる、というように書いたかと思います。生検手術の直前に、もう一人の医師と初めて顔を会わせました。それが血液腫瘍科で、息子の治療の主治医となったY医師でした。


 男性にしては小柄な方で、大きな声ではないけれどよく通る声と、非常に紳士的な仕草と言葉運びが印象的な方でした。生検手術の待機中、主治医になった旨を伝えに、息子の病室にいらっしゃったのが、初めだったと思います。


 わたしが、ああ、この人は優しい人なんだろうなあ、と思ったのは、実はこの初対面の時でした。Y医師は息子に声をかけ、一緒に頑張ろうね、と話しました。その後、息子の動かせない足に触ったのですが、その時の、何とも表現しがたい表情が、わたしの記憶には強く残っています。


 語弊を恐れずに、敢えて表現するならば、これは難しいぞ、という感情を、どうにか表面に出さないように堪えた様な顔。それまで報告で予想していた事と、その瞬間に理解した事、様々な思いが入り交じり、沸き起こった複雑な感情を、どうにか押し殺そうとした顔でした。もしかしたら、そうした表情が隠しきれない事は、医師として余りよろしくはないかも知れませんが、少なくともわたしは、この時、この押し殺そうとして出来なかった顔に、人間味と信頼感を覚えた記憶があります。この人はきっと、わたし達親と同じ目線に立っている。そういう気持ちで治療に挑んで下さる方だ。そんな風に感じたのです。


 外科で行われた生検手術でしたが、Y医師は手術室に同席し、息子に付き添って様子を見、検体取得後には、迅速に検査へ回せるよう手配して下さったようでした。手術室からHCU病棟に移る息子のストレッチャーの横を、並んで歩く後ろ姿がありました。


 生検手術は問題なく終わり、数時間後、そのY医師から説明を受けました。本来、生検による病名の確定診断には、少なくとも1週間はかかるものだということでした。これは一つの病院内だけではなく、そうした診断を第三者的に行う機関があり(患者説明の書類の控えを読みながらこの文章を書いていますが、書類には『中央診断』とあり、それがその第三者的な診断機関だった事は確かですが、どんな機関で、それが名称なのか、それとも別の名前があったかは、記憶していません)ダブルチェック的な照らし合わせを行って、初めて診断確定となるのだと聞きました。それ故に、一定の時間が掛かる、と。


 しかし、息子の場合は、それ程長く待てない事情がありました。1秒でも早く、腫瘍へのアプローチを始めなければ、下肢が動かせない、麻痺している現状が、将来に渡って継続してしまう、つまり、一生、自力で立つ事も、歩く事も出来なくなってしまうおそれがあったのです。この為、息子の診断は、同病院内の病理診断科が行った、迅速診断に頼ることになりました。


 生検手術後、数時間で出た診断は「悪性リンパ腫の疑い」と言うものでした。


 悪性リンパ腫。Y医師の説明をそのまま記載すると「血液系のガンの一つ。血液と同様に全身をめぐるリンパ液の中のリンパ組織にある細胞が、ガン化して増殖する」という病気との事でした。この病気は塊(腫瘍)に成り易く、殆どの場合は首や肩等のリンパの節目(リンパ節)に出来ることが多く、その場合は外見的にも腫れ上がるので分かるそうなのですが、息子の場合はそもそもリンパ節ではない背中で腫瘍化し、しかも腫瘍が大きくなっても背骨で止められ、外見的には何の変化もなかったそうでした。


 神経に腫瘍が食い込んでいる為、息子の場合は手術での切除は見送られました。化学療法、即ち抗がん剤治療とステロイドの投与が選択され、その夜の内から開始されました。ただ、言い置かれたのは、効果が認められない場合には、緊急で放射線照射治療も行う、との事でした。後で知った事ですが、放射線照射治療は、過去には治療の主役であったそうですが、現在では緊急対応に限られる事が多いそうです。効果的ではある治療ですが、二次ガン(治療に際して、副作用的に主病とは別の細胞組織がガン化する)が起こる事例が多く、回避出来るのであれば、特に子どもの場合は回避したい治療に、いまはなっている様です。しかしこの時の時点では、息子の診断はあくまでも悪性リンパ腫の「疑い」であって、過去の様々な患者さんの診察の記録や経験から推察される、おおよその薬が選定されるだけであって、望んだ効果が得られない場合もある、その場合には、放射線照射治療もやむを得ない、という事でした。ここでも我々は、正確な病理診断の大切さを思い知らされたのでした。

 

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