病名確定、そして治療開始

生検手術へ

 腫瘍の治療というものは、扉と、それに合う鍵を探す様な物なのかもしれない。これは素人であるわたしの理解ですが、医師からの説明を受け、そんな風に考えました。


 腫瘍という物は、その組織の一部を切り取り、顕微鏡で観察するまで、それがどんな物であるのか、分からないのだそうです。画像では「何かが出来ている」事までしか分からないし、血液を初めとした各種検査でも「何かが出来ているから、身体が反応している」という所までしか分からない。そして治療に必須なのは「何が出来ているのか」なのだと説明を受けました。「何が出来ているのか」が分からなければ、適切な治療薬を投与することが出来ない。この時点で息子に付いていた病名『後縦隔腫瘍』も、端的に言えば「背中の辺りの体内に、何か出来物が出来ている」程度の意味合いとの事で、その腫瘍がどんな『扉』で、どんな『鍵穴』をしているのか、それが分からなければ、開けるための『鍵』……つまり、治療薬が分からない、という訳です。


 適切な治療薬でなければ、効果がないばかりか、強い薬の副作用だけが残ってしまい、6歳の小さな身体には、過剰な負荷が掛かってしまう。それが腫瘍治療という物なのだと教えられました。


 息子の場合、丁度肺の裏側、背骨との間に腫瘍がありました。当然、患部は体内、それも肺と密接している場所です。易々と組織を切除して持って来る事の出来る場所ではありません。そこで、手術、という方法が取られました。


 11月17日。一睡も出来ないまま、病院に舞い戻ったわたしは、妻と合流して、生検手術を担当される外科の医師から説明を受けました。術中は気道を確保した上で、障害となる片肺を萎ませ、萎ませた側から長い棒状の器具を挿入、患部の一部を切除し、取得する、という方法を説明されました。また、この時、今後大変お世話になるCVカテーテルを挿入することも伝えられました。CVカテーテルについては後述しますが、その時のわたしは、そんな事が出来るのか……と、呆けたままに聞いた記憶があります。


 息子が手術室へ入り、わたしと妻は家族待合室で待ちました。手術の予定時間は三時間。誰もいない待合室が寒く、妻の嗚咽だけが響き続ける室内で、わたしは所帯なく、じっと座っていたのを覚えています。

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