2017年11月17日

 緊急のMRI検査が行われた時点で、日付は変わっていたと思います。結果が急がれたのか、検査終了からそれ程間も無く、わたしと妻は救命病棟の個室に呼び出されました。


 個室では男性と女性、二人の医師が待っていました。男性の医師が我々に検査で撮影された画像を見せながら、結果の説明をしてくださいました。


 白と黒がベースになった、レントゲンの様な画像は、息子の身体を真横から撮影した物と、直ぐに分かりました。頭があり、そこから伸びた背骨があり……その途中、丁度胸の高さ辺りの背骨が、明らかに太くなっているように見えました。他の部分と比べて、明らかな違い。医師はそこを示しました。


 丁寧ではありましたが、必要な事のみが、迅速に伝えられた印象があります。後になって思えば、それだけ医師の皆様も、急いでいたのだろう、と思います。何を話したか、詳細に覚えていないのは、そうした理由と、初めに告げられた言葉が、強烈な衝撃となって、わたしの頭を殴打し、まともな理解など出来る状態になかったのだろうと思います。


「この腫瘍……出来物が悪性であった場合、直ぐに治療を始めなければ、命に関わります」


 男性の医師が話したこの言葉は、かなりはっきりと覚えています。それから、


「お子さんには下肢の麻痺が認められます。この麻痺を迅速に取り除かなければなりません」

「一般に、麻痺の症状が分かってから48時間以内に取り除かなければ、麻痺は残存すると言われています……」


 女性の医師が補足し、続く言葉に迷った事も、覚えています。


 この時、告げられた病名は『後縦隔腫瘍』という物でした。固形の腫瘍が肺の後ろ辺りにあり、それが肥大して背骨の間から脊髄の中に入り込み、神経を圧迫、麻痺を起こす要因になっている、と。この麻痺を一刻も早く改善する為、この夜からステロイドの投薬を行うことが告げられました。本来、あらゆる投薬は、病気の診断が付いてから行うものなのだそうですが、息子の場合は背骨の神経に起こっていた浮腫を、少しでも早く取る目的で、診断が付く前に、投薬が開始されました。


 しかし、これらの説明は、後になって、説明を受けた時の書類を読み返して分かった事でした。その時はそんな説明を受けたかどうかも、定かでは無くなっていました。


 二人の医師の話をまとめると、詰まり、息子はもう、自立する事も、歩く事も出来ない。最悪の場合、命さえ失う。


 わたしの頭の中を支配していたのは、その事だけでした。『自分の息子にだけは、最悪の事態が降りかかるはずがない』という根拠のない自信、過信、迷信、あらゆる『思い込み』と言われる何かが、音を立てて崩れた瞬間だったのだろうと思います。


 本格的な治療の為に、まずは診断を付ける所から始める事を告げられました。その夜、妻は息子に付き添って病院に泊まる事となり、わたしは同席した妻の母親と、息子を運んだ自宅の車で帰宅しました。1時間程の道のりだったはずですが、どうやって帰ったかの記憶は殆どありません。


 ただ、この夜、帰宅しベッドに横になったわたしは、猛烈な寒さに全身を震わせていた覚えがはっきりとあります。決して寒い夜ではなかったし、布団も頭から被っていましたが、震えが止まらず、結局、朝まで一睡も出来なかった記憶が、鮮明に刻まれています。

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