病気の発見、治療編

緊急入院の夜

2017年11月16日

 2017年11月16日。


 この日付を、わたし達家族は、忘れることは出来ないだろう、と話しています。


 この日、わたしは通常通りに出勤。働いていたはずですが、ろくに仕事はしていなかった記憶があります。外回りのある仕事をしていますが、妻から送られてくる携帯電話のメッセージを気にして、出先では殆どの時間、車を止めて、メッセージを読んでいました。


 この日、息子が不調を訴えて、自立歩行が出来なくなってから、既に1週間から10日が経っていました。この間の経緯は後述させていただく予定ですが、殆ど毎日、幾つもの病院に受診をし、それでも原因が分からず、この日を迎えていました。この時、息子は6歳。翌年度には小学校に入学する為、ちょうど前日に、頼んでいたランドセルが届いたばかりでした。久しぶりに笑顔を見せた写真が残っていますが、いま見ると顔色は悪く、白を通り越して土気色で、口にはしませんでしたが、かなり辛い状態だったはずだろうと思います。


 そして何より、自立歩行出来ないこと以上の、ある深刻な症状に、わたし達夫婦が気付いたのが、この日の前日でした。わたしは妻にお願いして、兎に角、どこでも良いので、大きな病院を受診する為の紹介状を書いてもらって、直ぐに大病院へ連れて行ってくれ、と頼みました。あの症状はおかしい、と。


 これから小児専門の大病院へ行く。そう連絡が入ったのは、午後だったと記憶しています。場所を聞き、終業後、わたしも病院へ向かいました。


 この時、わたしは不思議と慌ててはいなかった様に記憶しています。ただならぬ事が起きている。それは理解していましたが、自分の息子に、最悪の事態が降りかかるはずがない、という、根拠のない自信の様な物、そして、漸く大きな病院に受診する事が出来、原因は究明され、適切な治療が施されるだろう、という、これも根拠のない自信の様な物が、わたしを大きな不安や急く気持ちから遠ざけていた様に思います。


 病院で名前を伝えると、救急救命病棟へ通されました。中へ入ると、数人の看護師と医師に囲まれて、ベッドに横たわる息子の姿がありました。


 妻と言葉を交わし、いまは神経科の先生が診てくれている旨の説明を受けました。確かそれが、20時前後の事だったと思います。


 それから、ひとつの病名が付きます。この辺りも後述させていただきますが、付いたその病気には適切な治療法があり、自立歩行出来ない現状も、治療後には回復出来るであろう、と説明があったそうです。説明を受けた妻から知らされ、ああ、良かったね、と話した事を覚えています。


 ところが、ある事がきっかけになって、事態は大きく変わります。緊急のMRI検査が用意され、息子は検査室へ。訳も分からぬまま付いていき、そこで担当医が神経科から血液腫瘍科、という、余り耳慣れない診療科に変わる事を告げられました。

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