2‐6

 生徒会室は旧校舎の三階にある。一番奥の部屋のプレートに生徒会室と書いてあった。ここまで来たのは初めてだ。


『さ、入って』

「失礼します……」


 鍵を開けた高園先輩が生徒会室に入るように促す。生徒会室なんて華々しい場所、地味で臆病者の私には一生無縁な場所だと思っていた。


生徒会室は普通の教室と変わらない広さがある。机や長テーブルがあったりパイプ椅子が積まれていたりと特別教室と別段変わらないように見えるのに、大きなソファーが二組置かれているのは異質だった。


『そこのソファーに座っててね。何か飲む? って言ってもコーラとポカリしかねぇな。もっと気の利いたもの用意しておけばよかった。……おい、なんでアイスが入ってんだよ』


 高園先輩が小型の冷蔵庫を覗き込んでいる。……いや、あの……ちょっといいですか? この大きなソファーも凄いけど生徒会室に冷蔵庫があるのも凄いよ……? うちの学校私立じゃないのにこんなもの誰が持ってきたんだろう……。


『あ、そのアイス俺のー。悠真、アイスちゃんこっちにカモン』

『悠真ー、俺はコーラな』


アイスを手招きする緒方先輩と、木村先輩は窓際の揺り椅子に座ってコーラを所望した。高園先輩が舌打ちする。


『アイスもコーラも自分で取りに来い。俺はお客様の注文を聞いてんだよ』


 高園先輩って、集会で皆の前で話をするときには大人っぽい口調なのに木村先輩達といる時はこんな砕けた話し方するんだなぁ。

三人のやりとりが面白い。緒方先輩も生徒会役員じゃないのにここに馴染んでいる。


「えっと……ポカリで……お願いします……」

『うん、ポカリね。待っててね』


本当は自分で注ぎたいくらいよ! だってあの高園生徒会長にポカリを注いで持ってきてもらうとはなんて贅沢な!


 高園先輩がポカリを注いだグラスを渡してくれた。恐縮して受け取り、冷たいポカリを喉に流す。泣きじゃくってカラカラになっていた喉が生き返る気分だった。


 私がポカリを飲んで一息ついた頃に誰かの携帯電話の着信音が鳴った。木村先輩が携帯を片耳に当てる。


『お疲れー。……今? 生徒会室にいる。ちょっとした野暮用で。悠真と晴も一緒。え? あー……説明面倒だからお前も来いよ。……そう。じゃーな。……今から亮もこっち来るって』


電話を終えた木村先輩が私の真向かいに座る高園先輩に告げた。りょう……ってことは今の電話の相手は渡辺先輩?

渡辺先輩もここに来るの? そうしたら杉澤イケメントップ4が揃っちゃうじゃない! 私の心臓保つかな……

渡辺先輩ファンの亜矢が知ったら羨ましがられそう。


『二年生だよね。クラスと名前教えてもらっていいかな?』

「2年2組の増田奈緒です」


 高園先輩に聞かれて名前を名乗ったけど、木村先輩の前ではできれば名乗りたくなかったよぉ……


『増田奈緒さんね。……もしかして園芸部の部長さん?』

「そうですけど、どうしてわかったんですか?」

『どこかで見た顔だとは思っていたんだ。きっと部長会の時だね。三年ばかりの部長の中に園芸部はひとりだけ二年生だったから印象に残ってたんだよ』


月イチの部長会に出席する私の顔を高園先輩は覚えていてくれた。なんだかとても嬉しい。


『さっきのこと事情話してもらえる?』

「……はい」


 私はあの三人の女の子がテストの順位で賭け事をしていたこと、今回の中間テストで私が2位になってしまって賭けに負けたこと、私を逆恨みしてお金を恐喝してきたこと、テストの順位表が貼り出された翌日から持ち物が盗まれる嫌がらせを受けたこと、自分がわかる範囲のことを包み隠さず話した。


先輩達は黙って私の話に耳を傾けている。途中で部活を終えた渡辺先輩が生徒会室に入って来たけど、空気を読んだのか渡辺先輩も何も言わずに椅子に座っていた。


「……だいたいこんな感じなんです。私にも何が何だかわからなくて」


 事情を話している間、私はずっとうつむいていた。彼女達に何も言い返せなかった臆病な自分が情けないのと、真っ直ぐ突き刺さる木村先輩の視線が痛かった。


『何かさぁ、すっげームカつくんだけど。何だよそいつら。人の成績賭けて負けたら逆恨みって。増田さんには何の落ち度もないのに』


斜め前から聞こえた冷えた声で私は顔を上げた。無表情の緒方先輩が視界に入る。

普段は明るくて陽気な緒方先輩が、今は眉間にシワを寄せて怒りを顕にしている。

高園先輩は顎に手を添えて考え事をしていた。


『なぁ悠真、そいつら俺に……』

『晴。止めておけ』


緒方先輩の言葉を木村先輩が塞ぐ。ムッとした顔で緒方先輩が木村先輩を睨んだ。


『なんでだよ。理不尽な言いがかりで増田さんは嫌がらせされてるんだぞ? ほうっておけって言うのか?』

『女同士の問題に男が首突っ込むものじゃねぇよ。理由はどうあれ結局は増田さんが自分で解決するしかない』

『ずいぶん冷たいな。お前、それでも副会長か?』


 仲良しなはずの緒方先輩と木村先輩の雰囲気が険悪なものになっていくのに、動揺しているのは私だけで高園先輩も渡辺先輩も二人の口論を止めようとはしない。


『仮に晴や俺達生徒会が出て嫌がらせを止めさせたとしても一時のことだ。すぐにまた違う形で嫌がらせは始まる。今度は俺達には知られないようにしてな。男の前では女はいくらでもイイ顔するんだよ』

『晴。隼人の言う通りだ。俺達がここで増田さんに手を貸しても根本的な解決にはならない』


木村先輩に続いて高園先輩も緒方先輩を諭した。二人に意見を止められてしまった緒方先輩はふて腐れて黙り込んでしまう。

ああ……緒方先輩! 私のせいでごめんなさい!!


「緒方先輩、私なら平気です。先輩達の言うように自分のことは自分で解決しますから!」

『でもなぁ。納得いかねぇ』

『お前が納得いくいかないの問題じゃねぇだろ。あのさ、増田さんは自分は何も悪いことはしていないと思ってるんだよな?』


 木村先輩が揺り椅子をゆらゆら揺らしてこちらを見た。うわぁ! 木村先輩に話しかけられた……。


「はい……」

『それならどうしてそんなにビクビクしてる? テストで2位になったのは増田さんの実力。自分に落ち度がないなら堂々としてれば?』


穏やかに微笑みかける木村先輩の背後に薔薇の花とキラキラしたものが見える……私はついに幻覚を見るまでになってしまったのか。

ううう……鼻血出そう……生きててよかった。


「堂々と……?」

『そうそう。さっきの奴らにまた何か言われた時は思ってること言い返してやれ。何も言わずにやられっぱなしだから相手が調子のるんだよ』


揺り椅子から立ち上がった木村先輩が私の側にかがみこみ、私と目線を合わせてくれる。心臓が異常なほど速く動いてる。


『頑張れよ。自分を守れるのは自分だけだ』


優しくて温かい木村先輩の笑顔にまた涙が溢れた。


『あ、今度は隼人が泣かせたー。女泣かせー』

『これは嬉し泣きだろ。泣いてばかりじゃ明日目が腫れるぞ?』


緒方先輩が陽気に笑って木村先輩をからかい、木村先輩の大きな手のひらが私の頭をポンポン撫でている。

私、今が幸せ絶頂期かもしれない。憧れの木村先輩から頭ポンポンされるなんて……もうこの先の運をすべて使い果たしたかもしれないけど幸せだった。


 泣き止んだ私は先輩達にお礼を言って生徒会室のある旧校舎を出る。

裏門から出たことがない私のために高園先輩が裏門から最寄り駅の高円寺駅までの地図を書いてくれた。高園先輩の綺麗な字で書かれた地図を見ながら駅までの道を歩く。


 日が落ちて紫色に染まる空を仰いだ。まだ問題は何も解決していないけど不思議と心は穏やか。先輩達に話を聞いてもらえたことで沈んでいた気持ちも軽くなった。


そうだよ。自分のことは自分でなんとかしなくちゃ。でもなんとかって言ってもどうすればいいのか皆目わからない。

明日、亜矢や桃子ちゃん達に相談してみよう。

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