第四話

 一人目の生存者はまだ十代前半の少女だった。

 頭を覆う包帯、荒い息。本当だったら目があるあたりの包帯が血に汚れ、眼窩が不自然に落ち窪んでいるのが痛々しい。

〈この子が魔法陣を持っていたんだ〉

 とグラムがダベンポートに囁く。

「お嬢さん、聞こえるかい?」

 とダベンポートは少女に問いかけた。

「……ああ、ああ、騎士様、ありがとうございます。あたいのような卑しい者に情けをかけて下さり、ありがとうございます」

 少女は口を開いた。

「それは気にしなくていい。それよりも、君はこれをどうして手に入れたんだね?」

 少女の右手を取り、羊皮紙を触らせる。

「ああ、手袋。ああ、高貴な方」

 言いながら包帯の隙間から涙を流す。

 王立魔法院の捜査官は誰でも、外出している間は決して手袋を欠かさない。そしてそれはダベンポートも例外ではなかった。

 手袋をしているからこそ、この少女にも気軽に触れる。手袋をしていないグラムは一歩下がった場所でダベンポートと少女とのやり取りを見つめているだけだ。

「…………」

「あたい、奪い取ってやったんです。あたい、とってもたくさん殴られた。石でたくさん殴られた。でも、死ななかった。だから、あいつから奪ってやったんです」

 傷がなければ、あるいは少女は整った顔立ちをしていたかも知れない。

 だが、上半分を包帯に覆われた少女の顔は醜く紫色に腫れていた。

「石で?」

「たぶん、でもわからない。何かとっても硬い物」

「この羊皮紙は何かね?」

「あたいにはわからない。でもきっと大切なもの。あいつはとっても大切そうにしてた。奪ったらますます殴られた。顔も切られた。でも、あたい死ななかった」

「ダベンポート」

 と背後からグラムが声をかけた。

「この子の言っていることは本当だ。この子は両目を抉られて、それでもその羊皮紙を離さなかったんだよ」

「ああ、もうひとかた。なんてこと、なんて身に余る!」

 うわ言のように少女が言う。

「その魔法陣を巡ってもみ合いになっているときに警官に見つかったんだ。犯人は逃げて、彼女は助かった」

 ダベンポートがグラムの言葉に頷く。

「君を殴った男はこんな事を言っていなかったかね?」

 と、ダベンポートは少女に向かって魔法陣の一部を詠唱して聞かせた。

「────」

「ええ、聞いた。どこの国の言葉かわからない言葉。確かに言ってた」


「彼女は、死ぬかも知れんね」

 病室を後にしながら、ダベンポートはグラムに言った。

「そう思うか?」

「ああ」

 ダベンポートが無表情に頷く。

「僕の知識では彼女は重傷だ。脳にもダメージがあるかも知れない。あの傷を救える医療はおそらく王国にはない」

「医者によれば熱が高いんだ」

 とグラムは言った。

「よくないね」

 とダベンポート。

「おそらく感染症が始まっている。何か聞きたいことがあるなら今のうちだぞ」

「……いや、いい」

 グラムは首を振った。

「聞きたいことはお前が全部聞いてくれたよ」


 もう一人の生存者は自称二十一歳の女性だった。

 リリィとほとんど同じくらいの年頃だ。

 だが、彼女はリリィよりもはるかに年老いて見えた。四十過ぎと言っても皆信じるだろう。

 やはり頭の上半分に包帯を巻いている。血に汚れた包帯、痛んだ髪。

 娼婦は横を向いて眠っていた。細い背筋がこちらから見える。

 彼女の全身には吹き出物ができていた。傷のようにただれ、周囲が赤くなっている。

〈グラム、彼女には絶対に触るな〉

 ダベンポートはグラムに注意した。

「?」

梅毒セフィリスだ。触ると感染るぞ〉

 ダベンポートは手袋をした手でシーツの上からその娼婦の膝を掴むと、優しく揺さぶった。

「お嬢さん、申し訳ない。騎士団の捜査なんだ。起きてくれないか」

「…………」

 娼婦は気だるげに身体の向きを変えた。やはり眼窩が落ち窪んでいる。

「……筋肉隆々の男でした」

 娼婦は口を開いた。

「君を襲った男かね?」

「……最初は、わたしを買いに来たのかと思いました。最近は上がりが少ないから嬉しかった。でもそれはとんでもない間違いでした」

「…………」

「わたしはいつものようにクラウ婆さんの宿に男を連れて行きました」

「クラウ婆さん?」

 の事に潔癖なダベンポートは、セントラルの事情を良く知らない。

〈娼婦がよく使う曖昧宿だよ。セントラルでは有名な場所だ〉

 代わりにグラムがダベンポートに小声で教えてくれる。

「部屋に入ったら、男は変な呪文を唱えました。そして、わたしを殴ったんです」

「その呪文というのはこんな呪文かね?」

 ダベンポートはさっきと同じ詠唱を娼婦に聞かせた。

「はい、たぶんそうです」

 目のない顔で娼婦は頷いた。

「とても硬い拳でした。まるで石か鉄みたいな……気が遠くなって、次に気がついた時にはもう何も見えなくなっていました。真っ暗で、何も見えない……」

 突然、娼婦はすすり泣き始めた。

「騎士様、わたしはこれから、どうすれば良いのでしょう? 目が見えなくては何もできない」

 痩せた頰を静かに涙が伝う。

「客も取れない、目も見えない……もう生きていたくありません」

「目を作ってあげよう」

 ダベンポートは娼婦に言った。

「おそらく、君の保障は魔法院が面倒を見る事になるはずだ。そうしたらガラスで目を作ってあげよう。目があれば客も取れるだろう? お金の計算は誰か友達にお願いするといい」

「…………」

 だが、娼婦はそれ以上口をきかなかった。再び壁の方を向き、深いため息を吐く。

「行こう、グラム」

 ダベンポートはグラムに促すと、病室を後にした。


「次はその、クラウ婆さんの宿だな」

 廊下を歩きながらダベンポートはグラムに言った。

 歩きながら手袋を脱ぎ、近くにあったゴミ箱に入れる。ダベンポートは上着のポケットから新しい手袋を取り出した。

「グラム、場所は知っているかい?」

「ああ、知っている」

 グラムは頷いた。

「ここからは少しある。駅の北側、ここからだと馬車で十分くらいの場所だ」

…………


 クラウ婆さんの宿は川沿いの港のほど近く、セントラルの北地区にあった。

「……ああ、ソラスが連れてきた客かい? 知っているよ」

 その老婆は安楽椅子に座ったまま、ダベンポートの質問に答えた。

 膝掛けを二重にかけている。確かにこの宿は薄ら寒い。

「それは誰なんだね」

 ダベンポートは老婆に訊ねた。

「…………」

 だが、老婆は黙って右手を差し出すだけだ。

「グラム」

 仕方なく、ダベンポートはグラムを促した。

 グラムが制服の内ポケットから財布を取り出し、中から札を一枚取り出して老婆に渡す。

 老婆は札を確かめるようにしばらく透かしていたが、やがて再び口を開いた。

「……ウィラードだよ。港湾で働いているウィラード。腕っ節が強くてね、女にも強い。あんなにでかい男は見たことがないね」

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