第2話(2)

 何だこの夢は。これが夢囚病ってやつなのか?

 だとしたら相当、悪趣味じゃないか。


 そうだ明晰夢だ。不快なこの夢を操ってしまえ。手から殺人光線を出して、オタクを焼き切っても良いし、暑くてしんどいからアイスを出したって良い。ここが秋葉原というのならアニメのヒーローに登場して貰うのもアリだ。そうだ、縁……。


 そこまで考えたところで、ある疑問が湧いた。


 ――もし夢じゃなかったら?


 だって僕は、『秋葉原なんか知らない』。

 電車の発着音がアイドルの曲なのか知らないし、パチンコやカレーの店があるのか知らない。肩に乗ってるフクロウも、スカートを履いた初老のおじさんも知らない。

 たかが夢だ。何もかも僕の妄想だと言ってしまうのは容易い。

 しかし、これが全て『本当の秋葉原』だとしたら、僕は知らない事を知っていることになる。

 日差しは少しも変わらないのに、ぶるぶる体が震えた。何か、全く理解できない恐ろしい事が始まっているような。そんな気がしてならない。


 確かめるのは簡単だ。縁、出ろ。そう言うだけで、いや、願うだけで良い。もし縁が現れたら、間違いなく夢。だけど、


「……ううう」


 耐えきれなくなって声が漏れた。吐きそうだ。


「かはっ……」


 目の前に唾を吐く。構うものか。どうせ夢だ。

 いっそのこと唾が虹色に輝いてくれたら、悩みは全て吹き飛ぶのに。


 ――かわいそうに。


 誰か、いや、何かの声。

 もしかして縁か、と思い振り返るが誰も居ない。そもそも声が違う。縁より十歳ぐらい年上のような。


 ――失礼な子だなぁ。助けてあげないよ?


「……誰、ですか?」


 我ながら情けない声だ。もう一人の声は笑っている。ふふふ、みたいな。


「わたしが誰なのか。なるほど、当然の疑問だ。だけど今は、そんなことはどうでもいいんだ、ほら」


 姿も見えないのに、何故か後ろを指差された気がした。

 辺りはいつの間にか霧に包まれていて、遠くの方で地響きがする。


「……見えませんが」


「そうか。それならいいんだ。いや、むしろ見ない方が良いかもしれない。とにかく、此処に居ては危険なんだ。走れるかい?」


 何を馬鹿な、今の今まで吐きそうになっていたのに、走れる筈が……あれ?


「走れ、そう、かも」


 発汗も動悸も吐気も治まっている。なんなら、いつもより活力が漲っているぐらいだ。


「うん。それなら良かった」


 霧の中に、ぽつぽつと光が灯る。これを辿れと言う事か?


「さあ、早く」


 少し焦った様なその声に、僕は走りだす。少しでも前に、右足を、左足を。


「そのまま振り返らずに走るといい。追い付かれはいけないよ。此処は『他人の夢』だからねぇ」


 夢、なのか。やっぱり。


「あの、他人の夢って? それに僕は今、何に追われているんですか? 貴方は誰なんですか?」


 地響きが徐々に近くなる。

 僕の両手は千切れんばかりだ。


「気にしなくていいよ。どうせ忘れることだしね。でも、一つだけ」


「一つだけ、ですか」


 言いながら足元に視線を投げる。

 地面がまるで生き物のように揺れ、僕の脚が地面に着くたびに躓きそうになる。もはや走っているのか、揺れによって体が放り出されているのかも、分からない。




「『他人の夢で死んではいけない』よ。それがルールだからね。君は今、自分の夢に還っている途中なのさ。さあ、もうひと踏ん張りだよ。きっとスッキリ起きられる筈さ」


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