第1話(2)

「あー。今月はこれで七人目だっけ……よっと」


 防波堤によじ登った縁が、高い位置から声を出す。背の低い縁は高い所が好きらしい。ガードレール、テトラポッド、街路樹、校庭の金網。目を離すと直ぐに何かしらに登っている。運動神経は良い方らしいが、見ているこっちは冷や冷やする。


「みんな疲れてるんだよ。大学教授がテレビで言ってたよ、現代病の一種だって。あれ? 学者だっけ?」


「どっちでもいいよ」

 

 夢囚病。僕らの街だけに現れた病。何の前触れもなく眠り続ける奇病だ。大抵は二、三日。ある罹患者は一週間以上も眠り続けた挙句、家族の方が心配で倒れた、なんて例もあるらしいが、目を覚ました当の本人はけろりとしているらしい。それどころか、心身共にスッキリするという。そういう病気。病気?


「えっとね、自浄作用みたいなものなんじゃないかって言ってたよ」


「学者が?」


「若しくは大学教授が。自浄作用ってのは悪いところを自然に治す働き? みたいな話で、本当は環境とかに使う言葉なんだけど、人間にもそれがあるんじゃないか、ってさ」


「良くわからないけど」


「私も」


 いつの間にか、すっかり陽は落ちていた。重苦しい闇に包まれたこの辺りは、街燈も民家の明かりもなく、世界がすっかり止まってしまった様な錯覚に陥ってしまう。僕はこの感覚が言い様もなく好きだった。世界が、時間が、地球が、宇宙が。僕の事なんて忘れてしまった様で、それでも僕は僕を観測し続けるという痛快さ。縁なら分かるだろうか。


「みんな夢を見れなくなっちゃたんだろうね。それでも夢を見たい人はいるわけで、そんな歪な心が夢囚病を生んだんじゃないかな」


 シルエットだけになってしまった縁が言う。僕の影が喋ってるみたいで不気味だ。


「さっきより分かんないんだけど」


「だよね。いや、分かんなくて良いと思う。ごちゃごちゃ考えてないでさ。今、この生きている瞬間だけを考えるの。そしたら、皆すっごく楽になれると思わない?」


「……何か悩みであるの?」


「ひひっ。そう見える?」


「見えるも見えないも無い……。なに、その笑い方」


 縁は歩みを止めて、こちらを覗き込んでいる風だが、いくら目を凝らしたところで、この暗がりでは表情は読み取れない。何なら後ろ向きでのけぞっている、と言われたらそうなのかと納得してしまうぐらい。


 縁も僕の顔を覗き込むのは飽きたらしい。体を翻して歩き始める。

 まだまだ、家までは遠い。


「ねーえ。もし私が夢から覚めなくなったらどうする?」


「悲しい」


 あははははと甲高い笑い声を上げるが、直ぐに辺りの雑木林と海、そして闇に吸い込まれてしまう。

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