一話 転生したら猫に引っかかれた

 ドスンッ、と俺は二メートルほどの高さから尻餅をついた。

 その痛みたるや言葉に言い表せないほどだ。

 と言うか痛すぎて声が出ない。骨盤が砕けたかと思った。


「いたたた……あれ? ここどこだ?」


 周囲を見渡すとどこもかしこも草や木々に覆われ鬱蒼としている。

 どうやら俺は異世界の森に転生したようだ。

 そこでふと、腕の中で何かが暴れていることに気がつく。


「放せ! 我が輩を放すのだ!」

「あ、ごめんごめん」


 猫神様を解放すると、彼は後ろ足で頭を掻いた。


「やってくれたな人間。神である我が輩を巻き添えにするとは」

「すでに転生が始まってたなんて知らなかったんだよ。あ、けど、神様なら自力で戻れるよな。じゃあ大丈夫だ。よかったよかった」


 次の瞬間、猫神様は両前足の爪で俺の顔面を引っ掻いた。

 俺は痛みのあまり悲鳴をあげて地面を転げる。


「大丈夫なわけないだろ! これは転移じゃなく転生だぞ! つまり神であるこの我が輩も肉の身体を得てしまったということだ!」

「くそっ、引っ掻くことないのにさ……で、それって結局つまり?」

「この身体の寿命を全うするまで天界に帰れないんだ! しかも一緒に転生されたことで、お前の付属品扱い! ふざけるな! 我が輩は神だぞ!」


 猫神様はフシャー、と毛を逆立てて怒っている。

 そんなに怒るようなことか。と少し思ったりもしたが、大企業の社長がいきなり赤ん坊のへその緒にされたら怒るのと同じか、と思い当たると納得できてしまった。ここはひとまず猫神様のご機嫌をとらねば。


「ふん、そんなもの……我が輩には……もう効かない……からな」


 そう言いつつ振られる猫じゃらしをめちゃくちゃ目で追っている。

 可愛すぎるぞ猫神様。


 ドゴォォォン。轟音と共に俺達のいるすぐ近くを爆炎が通り抜けた。

 俺と猫神様は爆風に吹き飛ばされ地面を転がる。


「いってぇぇ、樹に頭をぶつけた……」

「今のは……恐らくブレス攻撃だ。すぐにここを離脱するぞ」

「へ? ブレス攻撃?」


 猫神様の言っている意味が理解できず、俺はその場からすぐには動けなかった。

 すると、空が何かに遮られて薄暗くなる。

 

 直後にとてつもない重量が大地へと降り立ち、俺のケツは僅かに浮き上がった。

 

 目の前に現れたのは深緑の鱗に覆われた巨大な足。視線をそのまま上げると、鎌首をもたげるドラゴンの顔があった。

 しかもその目は俺にロックオンしている。


「あわ、わわわわ……」

「逃げるぞ! 早く立て!」


 そんなこと言っても無理。腰が抜けて立てないんだよ。

 ドラゴンに視線を向けられると、それだけで殺されてしまいそうな感覚に陥る。

 頭の中では本能からの警報が喧しく鳴り響いていた。


 唾液に滴った大きな口をドラゴンが開ける。

 その奥では炎が揺らめき、先ほどの攻撃がこのドラゴンのものだったと教えてくれる。深緑の怪物は俺にブレス攻撃を放とうとしていた。


「ふっ! 破山撃!」


 ドラゴンの横っ面を何かが強烈にぶん殴った。

 体高二十メートルはあろう怪物は僅かによろけるが、体勢を整えて攻撃姿勢に移る。

 その時、俺は見た。宙を舞うショートヘアーの美しい女性の姿を。

 拳にはガントレットらしき物が装着され、陽光に照らされて眩く輝いている。


 ドラゴンは彼女に向かって口を開けた。

 不味い、ブレス攻撃だ。


「ダリオス、頼む!」

「おうっ!」


 吐き出された爆炎を、大盾を持った男が跳躍しながら防いだ。

 ブレスから放たれる熱量はすさまじい。離れた位置にいる俺達のところにさえ皮膚を焼くような熱が届いたのだ。

 だが、男は涼しげな顔で炎を防ぎきり、地上へと落下する。


「ここ! ”六星光弾”!」


 赤いローブを身に纏ったロングヘアーの女性が、俺の前に颯爽と現れて杖を振るう。すると紫色の魔法陣が出現して、そこから六つの光の球が高速射出される。

 光の球はドラゴンの顔面に命中。

 眩い閃光が走ったかと思えば、空気を震わせる爆音が鳴り響いた。

 咄嗟に猫神様を抱いた俺はまたも爆風で地面を転がる。


「あでっ!? また頭を打った!」

「……え? こんなところに人?」


 女性は振り返ってきょとんとした表情をした。

 先ほどの女性も綺麗だったが、どちらかと言えば可愛いに分類される顔立ちだった。だが、目の前の女性は美しいが最も当てはまる顔立ちだ。もし傾国の美女なんてものが存在するのなら彼女のような者を指すのだろう。


「はぁぁぁぁっ! 天地斬!」


 剣を持った青年が、すれ違い様に一撃を入れる。

 ドラゴンの首に深い傷ができると血しぶきが森を濡らした。

 

 だが、敵もそう簡単にはやられはしない。

 身体を回転させ、未だに落下している青年の真上から極太の尻尾を叩きつけた。

 響き渡る轟音。俺は正直、あの青年は死んだと思った。


「カイン!?」


 女性は青年の元へ走り出す。

 何がなんだかさっぱりの俺はようやく立ち上がり、抱えていた猫神様を地面に下ろす。


「どうなっているんだ?」

「あれは冒険者と呼ばれている者達だ。我が輩達は運悪く、ドラゴン退治のまっただ中に転生してしまったみたいだ」


 あー、冒険者ね。最近のラノベでよく出てくるから知ってるよ。

 モンスター専門の狩人みたいなもんだろ。

 こういっちゃなんだけど、もう少し考えて転生して欲しいよ。

 下手をすればいきなり死んでたからな。


「それもこれもお前が我が輩を転生させたからこうなったんだからな。本来ならもっと安全な場所に転生させるはずだったのに、予定になかった重量が加算されて転生位置がずれたんだぞ」

「あ、俺のせいなんですね。何度もすいません」

「……まぁ、でも身を挺して守ってくれたのは高ポイントだったぞ」


 猫神様は尻尾を立てて顔をぷいっと背ける。


「ギャォオオオオッ!!」


 ドラゴンの咆哮が木霊する。

 戦いは未だに継続中だ。


 地上をなぎ払うようにブレスを放つドラゴンに対し、どこからともなく光の球が発射され直撃する。その後には格闘家らしき女性が相手をひるませ、次第に怪物は疲れ始めたのか動きが鈍くなっていた。


 そして、唐突に終止符は打たれる。


「奥義・竜煌斬!!」


 生きていた青年が光り輝く剣で、ドラゴンの首を一太刀で切り落とした。

 巨大な怪物がゆっくりと倒れ、大地は重みに大きく揺れた。


「ほぉ、ドラゴンを倒したか。あいつらはなかなかの実力者のようだぞ」

「そうなのか? 俺からすると人の域を超えてるようにしか見えないんだけど」

「地球基準ならな。けど、ここは異世界だ。そもそもことわりが違う」


 なるほど。よく分からん。

 とりあえず理解できるのはドラゴンを倒す奴らはスゲぇってことだ。


「そう言えばあいつら日本語喋ってなかったか?」

「そうそう、良いところに気がつくじゃないか。実は転生にはチートの他に、サービスで異世界言語を習得させているんだ。天界こっちとしても、せっかく転生させたのに魔王を倒さ――じゃなかった。些細なことで早々に死なれると困るだろ」

「今、魔王とか言わなかったか?」

「にゃ~ん、ごろごろ」


 猫神様は喉を鳴らしながらひっくり返ってお腹を見せる。

 露骨な話題逸らしだ。

 だが、そんな姿を見せられるとうっかりハマってしまうのが猫好きだ。

 俺は先ほどの話などすっかり忘れて猫神様のふわふわのお腹を撫でる。


「くっ、油断してしまった……すまない」

「私は慎重に行きましょって前もって注意をしていたわよ。調子に乗って前に出すぎるから」

「けど、あいつめちゃくちゃ強かったな。アタシも何発かもらったよ」

「すぐに休める場所を確保して手当をするべきだ。自分もあばらを何本かやられている」


 魔法使いだろう女性に肩を支えられて青年がこちらに向かっていた。

 その後ろからは格闘家らしき女性と、大盾を持った体格の良い男が付いてきていた。彼らは俺の前で腰を下ろして、それぞれ疲れたように大きな息を吐いた。


「ねぇ、そこの貴方。どうしてこんなところにいるわけ?」


 俺は後ろを振り返る。


「違う違う! 貴方よ! そこのあ・な・た!」

「え? 俺?」

「他に誰がいるの。それよりもどうしてこんな危険な場所に、貴方みたいな人間がいるわけ。一応聞くけど冒険者じゃないわよね」


 魔法使いらしき美女が、ずいっと俺に顔を近づけて迫る。

 俺はどう答えたらいいのか迷って猫神様に視線を向けた。


(なぁ、どう言ったらいいんだ?)

(上手く誤魔化せ。この世界では転生なんて言っても通じないぞ)


 ご神託があったので俺は誤魔化すことにする。


「キノコ狩りに来たら道に迷って……」

「猫を連れて?」

「そうそう、こいつ寂しがり屋でさ。離れるとすぐににゃーにゃー鳴くんだよ。だから仕方なく連れてきたんだ」

「……それならあり得るわね」


 嘘だろ。信じちゃったぞ。

 どう考えてもないだろ。猫を連れてのキノコ狩り。

 だが、信じてくれるなら好都合だ。

 このまま押し通してやる。


「うぐ……げぼっ!」


 青年が大量の吐血をした。

 三人の仲間はそれに気がつき彼に駆け寄る。


「どうしよう、思ったよりもダメージが深かったみたい!」

「こんな時は高級ポーションだ。アタシの荷物にまだあったと思う」

「そ、そうね! 待っててカイン、すぐに助けてあげるから!」


 格闘家らしき女性がリュックの中を漁る。

 すると、大盾を持った男性が胸を押さえて苦しみだした。


「ダリオス!?」


 魔法使いの女性は大盾の男性の元へと走る。


「あぐっ……折れた骨が……肺に突き刺さったようだ……」

「そんな!? リサ、高級ポーションはいくつある!?」



 振り返った格闘家の女性は、青ざめた顔で液体の入った小瓶を一つだけ見せた。




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