第七章
第七章
恵子さんのプロポーズを受けて、正式に秀明が恵子さんの夫になることが決まった。秀明は式を挙げるなんて、自分にはもったいなさすぎると言ったが、恵子さんは、ぜひ、式を挙げたいと心から望んだ。それは、最初の結婚をしたときに、勘当同然であったため、式を挙げることができなかったからであった。
秀明の両親は、父はすでに死去し、母も行方不明になっていたので、挨拶などもする必要は無かった。ただ、恵子さんの両親の許可は取りたかったため、二人は一度福島へ赴いて、勇と春子に結婚を許してもらいたいというと、喜んで許してくれた。
姓は、秀明が改姓することになり、恵子さんはこれによって塔野澤から前田に姓を戻した。ちなみに塔野澤は、前の夫の姓であり、恵子さんは、旧姓に戻ることを、ずっとしたくなくて、そのままでいたのである。だけど、今回、恵子さんは、その姓を簡単に忘れることができそうだとおもった。秀明にも、前田の姓をあげたのだから、もう、過去にやっていた違法薬物がどうのということは言わないでね、と言い聞かせておいた。
そういう訳で、杉三たちも手伝いながら、二人の結婚式場探しが始まった。どうせやるなら、と、恵子さんは、日本ならではの白無垢を着ての結婚式を望んだが、民間の結婚式場では、費用が掛かりすぎるし、近隣に式を行えそうな神社もない。仕方なく杉三の提案で、庵主様にお願いをして、尼寺で挙式をさせてもらうことになった。衣装の調達はカールさんがした。
秀明は、披露宴は省略するつもりでいた。前述したように費用が掛かりすぎるし、場所も見つからなかったからであった。しかしそれは、ほかの人間が許さなかった。ケーキ何とかとかそういうものはしなくてもいいから、せめてお祝いのパーティーだけはさせてよ。という意見が続出したのである。基本的に仏前式で行う場合は、披露宴はほかの会場に移行して行わなければならない。ところが、その会場が見つからない。まず第一に恵子さんの年齢が高くて、受け入れるカップルの年齢に合わないことが、障壁としてあった。さらに披露宴会場が広すぎて勿体ないということもあった。できるだけたくさんの招待客を入れて、部屋を埋めようと試みたが、それでもだめ。大体の式場は、100人くらいの人が入るようにできていて、40人も集まらない恵子さんたちではとても足りない。都心部には、小さな結婚式と称して、少人数でレストランなどを借り切って行うなどのプランもあるが、この富士市では、そのようなレストランもないし、そういう形で結婚式をさせてくれる会場も全くないのである。
杉三たちが、製鉄所の食堂で、頭をくっつけあって、結婚式の打ち合わせをしていると、急にブッチャーが食堂に飛び込んできた。
「大変だ、たいへんだ!」
「なんだよブッチャー。いま大事な話をしているんだからよ。」
杉三が、そういうと、ブッチャーは、息切れしながらこういった。
「本当にたいへんなんですよ。水穂さんが電話台の前でぶっ倒れちゃったんですよ!」
「は?倒れたって、だって布団で寝ていたはずではないの?」
「だから、俺が小便にいった好きにいなくなっちゃったんですよ。すみません、俺がちょっと目を離したすきに、、、。」
「とにかく、行ってみましょう。口で言われただけではわかりませんから。」
ジョチに言われて、杉三たちは急いでブッチャーの後に続き、電話台の設置されている、応接室のほうへ行った。
行ってみると、たしかに、電話台はあった。受話器もしっかりと置かれている。そして、その電話台の前には、浴衣姿のままの水穂がうつぶせになっていた。口元にはわずかながら血痕が見えた。
「水穂さん。」
ジョチがそっと声をかけると、
「ごめんなさい。」
と、弱弱しく答えた。
「どうしたんですか?」
「いえ、電話しただけで、、、。」
そういいながら水穂はまたせき込みはじめる。ここで床を汚されたらたまらないと、誰でも思った。「水穂さん、大変なら、部屋に戻って休みましょう。」
ブッチャーが、彼を抱えあげようとしたところ、水穂は、激しく首を振った。
「なんでですか?」
「いえ、かねま、、、。」
答えを出そうと思っても、咳に邪魔されて発言ができない。
「ダメですね。質問するより、眠らせてやったほうがいい。」
「はい、俺もそうします。」
ブッチャーは、水穂をよいしょと抱え起こして、四畳半に連れ戻し、布団に横にならせてやった。薬を差し出すと、本当に悔しそうな顔をしたが、わがままはなりませんよ、とジョチに言われて、黙って薬を飲み込んだ。
「一体何をしに行ったんでしょうね。わざわざ携帯電話ではなく、固定電話からかけるなんて。」
「水穂ちゃん、上手に歩くことだってできなかったのに。」
恵子さんと秀明は、顔を見合わせた。
みんな、なぜ水穂がこんな行動に出たのか、全く予測ができなかった。もしかしたら、徘徊でもしたのか、という予測をした人まで出てしまった。
答えは、その数時間後にわかった。いきなり製鉄所の固定電話が鳴りだしたので、今度はブッチャーが、電話に出る。
「はい、もしもし、どちら様でしょうか?」
「あ、毎度ありがとうございます。この度、代理人の磯野水穂さまからのご依頼で、結婚披露パーティーの空きを確認いたしましたのですが、新郎新婦様、どちらかいらっしゃいますでしょうか?」
電話の奥の人はそういっていた。
「あ、あの、お宅様はどちら様でしょうか?」
「はい。わたくし共は、手打ちそばと日本料理の金丸でございます。」
「え、え、ええー。」
ブッチャーは思わず声を上げてしまう。金丸は、富士市内でも、超高級な料亭の一つだった。そこへ水穂さんが電話していたとは。
返事に困っていると、ジョチがブッチャーの代理で電話を取り、金丸さんで披露宴を挙げさせてもらえないかとお願いした。もちろん、ケーキカットとか、キャンドルサービスのようなものはいらないから、ただ、簡素な宴会を挙げさせてもらえばそれでいい。と状況を説明すると、わかりましたと喜んで納得してくれた。
「ただ、一つだけお願いしたいのですが、僕たちは決して、一般的な結婚式場を借りれないほど経済力がないという訳ではありません。ただ、新郎新婦が比較的年齢が高いので、一般的な式場ではなく、伝統的なスタイルでお願いしているだけです。ですから、会場づくりの際には、とにかく安っぽい雰囲気を出させないようにしてください。」
ジョチがそう念を押すと、金丸さんもわかりましたと言って納得してくれた。きっと現在チャペル式が横行しすぎてしまっているので、ここで結婚披露宴とは、何十年ぶりだったのだろう。
「なるほど、水穂さんは、僕たちに場所を提供するために電話をしたんですね。」
床の上に、一枚のメモ用紙が落ちていた。秀明はそれを拾い上げた。それには、水穂さんの達筆な字で、金丸の番号と、宴会場の名前だろうか、松の間と書かれていたのであった。
「水穂ちゃんありがとう。」
恵子さんはぽつんと涙をこぼす。
ジョチと金丸さんとの打ち合わせはまだ続いていた。杉三が、鼻歌を歌って、恵子さんに手拭いを渡して、涙をふくように促した。
「きっと水穂さんは、恵子さんにお礼したかったんだろうよ。今まで、さんざん迷惑ばかりかけて来たから、そのお礼だよ。でもな、もう体がだめなんだろうな。その願いは叶わなかったか。電話台の前でぶっ倒れて、すごく悲しかったというか、悔しいだろうな。」
「確かにそれは言えますね。」
秀明も杉ちゃんに同調する。
「水穂さんの側からすれば、本当に恵子さんにはお世話になっているんでしょうしね。お礼ぐらいしたかったんでしょうね。そうなると、何とか実現させてもらいたいと思ってしまいますよ。僕は。」
「お前さんだけじゃない。そうなれば、みんな同じ気持ちだと思う。でも、無理なものは、無理だ。」
杉三がそういうと、恵子さんは、わっと泣き出した。
と、同時にジョチが電話を切って、
「金丸さんとの打ち合わせができましたよ。比較的、宴会場は空きが多いので、すぐ予約が取れました。とりあえず、来月の第一土曜日、12時から披露宴が開始できるそうです。金丸さんのご厚意で、披露宴の司会の方も来てくれることになりました。あとの細かい話は、ご本人からお話を聞きたいということで、あとは、恵子さんと秀明さんにお願いします。」
と、にこやかに言った。
「おう、善は急げだ。それにしても、来月の第一土曜は大安だろう?そんな日に当てられて、よかったな。あとは、相談役っていうか、仲人を立てなくちゃ。」
「そういえばそうですね。誰か仲人にふさわしい人を探さなきゃいけませんね。誰だろう?」
ジョチは腕組をして、考え込んだ。
「いや、そんな仲人さんをお願いするなんて、虫が良すぎるというか、身分が低すぎますよ。」
秀明が、急いで断るが、
「ダメダメ。新しい家を作るんだから、必ずどこかで手本も必要になるだろうし、相談する人も親以外に必要になるよ。だから、今では少なくなったと言っても、ちゃんとやっておいた方がいいよ。これだけは。それは、いくらうるさくても役に立たないことはないから。」
と、杉三が反論した。
「しかし、仲人さんと言いますのは、既婚者でなければだめなんですよね。僕もだめだし、青柳先生は多忙な上に奥様には先立たれてしまっていますし、、、。ふさわしい方と言いますと、、、。」
「ジョチさんの弟さんは?」
考え込んでいると、杉三が言った。
「うーん。のんびりしすぎていて、向くかどうかわかりませんよ。」
「いや、意外にいいじゃない?チャガタイさん。そののんびりがかえって受けるような気がするわよ。」
恵子さんがそういったため、
「じゃあ、敬一に言ってみます。」
とジョチは言った。
そのあと、ジョチと秀明が、改めてチャガタイさん、つまり曾我敬一、君子夫婦に、仲人をお願いすると、俺みたいなのでいいのかなあと照れ笑いしながらも引き受けてくれることになった。式場は、尼寺で挙式し、金丸料亭で披露宴をすると言うと、個性的で手作りの結婚式だなと笑っていた。
そして迎えた、結婚式の当日。
尼寺に、新郎新婦と、参列者30人、そして、仲人夫妻が集まった。
式は、禅宗に基づく、仏前式の結婚式であり、華やかな神前結婚式や、若い人がよく騒ぐチャペル式とは違って、先祖がくれた命に感謝し、二人をつなぎ合わせてくれた縁に感謝するという内容であり、大変厳格で厳かなものであった。参列者が、全員で合掌し、新郎新婦が、阿弥陀如来に向けて焼香する。葬儀と間違われやすいが、こういうおめでたいことであっても、縁に感謝するという表現なのであると、みんな知っているから、素直に従うことができた。
庵主様は、司婚者として、法話を話してくれた。人間は誰でも勘違いしやすいが、生きているということは、自分で勝手に動いているようだが、それは実は間違いで、ありとあらゆることが、積み重なって、生かされているということをを、忘れてはならない。勘定しただけでも、父と母で二人、その両親で四人、其また両親で八人。それを勘定し続けると、数えきれないくらいの命をついで生きている。それが生かされているということ。それを無駄にすることはなく、生きようとすること。困難に陥っても、二人の縁を大切にして、生きていこうと考えていれば、必ず、生きていける。今日の儀式を大切にして、これからも、生き抜いてください。と、にこやかに話す庵主様。みんな真剣な顔をして、それを聞いていた。新郎新婦は、涙をこぼして庵主様の話を聞いた。
法話が終了後、全員本堂を出て、記念撮影をする。一寸緊張したけど、写真屋さんのダジャレ交じりの写真撮影のおかげで、皆微笑みながら、良い写真がとれたような気がした。
それでは、と、やってきてくれたマイクロバスで、披露宴の会場である金丸料亭に移動する。料亭と言っても、比較的西洋的な設備のある部屋もあり、今回杉三のような車いすの人もいるので、座敷席ではなく、テーブル席にしてもらったのである。部屋は比較的小規模な部屋ではあるけれど、ちゃんとグランドピアノも設置されていて、司会者の席もしっかり置かれていた。
司会者が、開催の挨拶を宣言して、披露宴が開始された。色直しも白無垢から、色打掛に着替えただけのことで、特に複数回開催する必要もないのだった。新郎新婦が仲人の二人に挟まれて、高砂席に座る。そして、仲人が、二人の紹介のスピーチをする。担当であった杉ちゃんが、乾杯の音頭をとると、一斉に祝杯の中身を飲み干した。そのままごちそうが出されながらの、披露宴が始まった。特にケーキカットもせず、普通のパーティーとまるで変わらない非常に簡素な披露宴。皆がごちそうを食べ始めると、BGMとして、女性が、ピアノを弾き始めた。でもそれは、なんとなく物足りなくて、非常に何か足りないところがあった。
一方そのころ製鉄所では。
「さ、お昼にしよう。ラーメンで申し訳ないけどさ。これで、我慢して。」
製鉄所の中で、見張りをしているようにと言われているぱくちゃんは、水穂の枕元にラーメンどんぶりをもってやってきた。
その水穂は、せき込みながら、何とかして布団から起き上がろうと試みていた。そんなことはさせてはいけないとジョチに言われていたため、ぱくちゃんは急いでどんぶりをすぐに置き、
「あ、そんなことしちゃだめ。だめ。横になって寝てて。ね、横になって。」
と、彼を止めた。それでも、水穂はふらつきながらも、何とかして布団に座ることには成功した。しかし、疲れてしまったらしく、咳き込んでいる。
「水穂さん、起きちゃダメ。もう一回横になって。起きちゃダメだよ。」
しかし、口に当てた手を汚しながらも、何とかして立とうとしているようである。
「ど、どうしたの?それでは苦しいでしょう?ねえ、無理しないでもう一回横になって。頼むから!」
ぱくちゃんは、一生懸命止めようとしたが、
「ぱくさん。」
咳き込んでぜい鳴りをしながら、水穂は言った。
「何だよ。僕に何の用があるの?いきなり改まって。そんなこと、言わないで頂戴。友達なんだし。」
「お願いがあるんです。箪笥を開けて、羽二重を出してください。」
「羽二重?」
ぱくちゃんは素っ頓狂な声でいった。
「水穂さん待って。何を考えているの?羽二重を着て、どうするの?」
とでかい声で言うぱくちゃん。
「お願いです。僕は、もう、タンスを開けるのは、もうできない。だからお願いします。」
「よしてよ!僕は理事長さんの命令は守らなきゃ。破ったら、こっぴどいお咎めが来るんだよ。」
今度はぱくちゃんのほうが、涙を見せた。
「これだけ出せば、何日か持つのではないですか。」
不意にぱくちゃんの右手の平に、三万円が乗せられた。
「何ですか。こんな大金、もらえないよ。それよりも、早く横になって。生活なんか今はどうでもいいんだよ。それより、水穂さんのほうが、つらいんじゃないか。」
ぱくちゃんがそういっても、水穂は咳き込みながら黙っているだけであった。
「水穂さん、体がつらいんだから、体がもう大変なんだから、やめて。ね、早く横になって。」
と言っても、水穂は咳き込みながら、動こうとしなかった。
「お願いします。」
そういって、手をついて懇願する水穂に、
「よし、それでは、僕も一緒に行く。」
と、ぱくちゃんはきっぱりと言った。
「いえ、一人で行きます。」
と、言い張る水穂だが、
「いや、水穂さんが、どこかで倒れては、僕は責任を取らなくちゃいけないんだ。それを果たすためにも、僕は、ついていくよ!水穂さんがこのお金を渡したことは、誰にも言わないでおくから。その代わり僕も、一緒に披露宴会場に行くから!」
覚悟を決めたぱくちゃんは、水穂にきっぱりといった。
「じゃあ、急いで着替えてな。礼装に着替え終わったら、僕の背中に乗って!歩いていくのは、危険すぎるから、僕が背負っていく。」
よく思いついたな。という顔をして水穂はもう一度、
「箪笥を開けて、羽二重を出してください。」
と、懇願した。
「よし分かった。ちょっと待って。」
ぱくちゃんは、そういってタンスを開け、これでいいの?と着物を一枚取り出した。
「羽二重は一番下。」
「わかった。」
ぱくちゃんは、その通りに着物を出した。水穂は、にこやかに笑って、それを受け取った。
そのころ、披露宴会場である、金丸料亭では、ピアニストのへたくそな演奏を聴きながら、ごちそうを食べたり、ビールを飲み交わしたりしていた。すると、司会者がこう切り出し始めた。
「えー、それでは皆様、祝電を披露させていただきます。まず初めに、第一通、拝読させていただきます。恵子さん、この度は本当にご結婚おめでとう。今日、本来立ち会うべきだったのですが、どうしても必要な用事があり、中国の少数民族、ナシ族の自宅から、失礼いたします。結婚生活を送るにあたって、この民族は、妻問婚が多いようです。女性というものは、いつの時代にも、ふしぎな魅力を持っている。それは、決して、卑下することではありません。それは女性の特権です。いつまでも女性らしい、不思議な魅力を持っている、素敵な女性でいてください。それは、恥ずかしいことではなく、素晴らしいことになるときもあります。そして、秀明さん、いつまでも恵子さんを女性として、見てあげてくださいね。製鉄所主宰者の、青柳懍教授からでした。続きまして、、、。」
相変わらず青柳先生は、変わった文章を書くんですねと、ジョチはため息をついて、何気なく、披露宴会場のドアのほうを見た。あれ、ドアが揺れてる?と、考えていると、いきなりガチャンという音がして、、、、?
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