第六章

第六章

「そうですか。水穂さんがそういうことを言ってきたんですか。」

焼き肉屋ジンギスカアンの、一番奥の個室で、ジョチと秀明は、顔を見合わせた。

「はい。正直戸惑ってしまいました。僕はどうしたらいいんだろうと。」

「そうですよね、、、。」

正直、こうなるのは予想外で、ジョチも困ってしまう。

「すみません、ほかに相談できる人いなくて。」

秀明は、どうしようもないという顔で、頭を垂れた。

「いや、いいんですよ。どちらにしろ、ため込んでいたら、最もいけないですから、話していただいてよかったです。ただ、僕もこういう相談というのは一度も乗ったことがないので、、、。ごめんなさい。」

「兄ちゃん。兄ちゃんは恋愛経験がまるでないから、そういうことを言うんだよ。」

丁度そこへ、お茶を持ってきたチャガタイが、話の中に割り込んできた。

「まあね、そうかもしれないですけど、敬一だって君子さんと結婚した時は、見合い結婚だったでしょ。だから、敬一も同じなんじゃありませんか?」

「いや、そんなことはないぞ。少なくとも、俺の場合は、見合いをした後、何回か公園とか映画館でデートして、それから返事を送るというシステムになっていたので、俺は何回か、映画を見に行ったり連れて行ったよ。」

「知りませんでした。そんなこと。ちなみに、何を見に行ったんですか?」

「まあ、俺が縁談を持ち込まれたのは、兄ちゃんが、状態の悪い時だったからな。病院にいり浸っていた兄ちゃんは、そんなこと知らなくて、当たり前。何を見に行ったかというと、喜びも悲しみも幾年月。」

チャガタイが、照れくさそうにそういったので、秀明もぽかんとしてしまった。

「全く、古い映画を見に行ったんですね。君子さんも、びっくりしたのではないですか?」

「い、いやあ、だって、君子さんのお父さんが、結婚生活のシュミレーションみたいな映画なので、ぜひ見に行くようにというもんでさあ。それに、ミニシアターとか行くと、結構昔の映画が上映されていたりするんだよ。」

「はいはい。正直に言いなさい。君子さんを映画に誘うことは考えたけど、大手の映画館に行くには、入場料が払えなくて、ミニシアターに行った。それだけの事ではないですか?」

「い、いや、違います!昔の映画ってのは、大手の映画館ではぜんぜんやってないんだよ!」

チャガタイは、顔を真っ赤にして、照れくさそうに言い訳した。まあ確かに、ミニシアターと呼ばれる小規模な映画館では、時折「昭和の名作をもう一度」などと銘打って、白黒映画などを上映する催しが、よく行われている。

「でもな、ずいぶん古い映画だとは思ったが、オーバーアクションが何もなくて、結構感動的な映画だったぞ。ほかにも、キューポラのある街とか、女は度胸とか、そういう喜劇的なものも見たことがあるが、昔の映画ってのは、コメディーであっても、ちゃんと感動できるようにできているんだよな。

もちろん、風と共に去りぬ見たいなのもいいけどさ。でも、日本の映画だって、負けちゃいないぞ。」

たしかにそこは、チャガタイのいう通りかもしれなかった。オーバーアクションもないし、イケメンの無駄遣いのようなこともないので、かえって感動は大きなものである。

「だからよ、秀明君だっけ?ここは一回恵子さんを連れてデートしてみたらどうだ?もちろん俺もいろいろ手伝ってやるから。」

今度はチャガタイさんの視線が急に秀明に向けられたので、秀明は思わずびくっとする。

「そんなにびっくりするな。俺、こう見えても、そういうアドバイスは得意だからな。ほら、こんな不細工な男を相手にしてくれる人なんて、そうはいないんだからよ。俺は精一杯女性をもてなす方法は知っているぞ。」

「はい、そこは、しっかり利用してくださって結構です。太った人は、少なくとも、心の底に優しい気持ちを持っていますから。」

チャガタイさんの発言に、ジョチがそう付け加えた。秀明は、こうなったらそうするしかないと思い、よろしくお願いします、チャガタイさんと言って頭を下げた。

「しかし、富士もさびれた街ですからね。デートできそうな場所なんて、ないんじゃありませんか?おそらくミニシアターもないでしょう。」

「それがあるんだな。」

ジョチの話に、チャガタイは笑って言った。

「へえ、どこにあるんですか?」

「天間公民館の近くにある。名前は確か、小町とか言った。」

「小町、ですか。ちょっとしらべてみましょうか。」

ジョチは、タブレットを取り出して、映画館小町と検索欄に入力してみた。そうすると、確かに、富士市天間に、「小町座」と呼ばれる映画館があるらしい。いつできたんだろうと首をひねって考えていると、

「なかなかインターネットに出して宣伝するのが好きじゃないんだって。だから、あんまり目立ちたくないんだって。」

と、付け加えるチャガタイ。

「これはちょっと、若い人にはふさわしくない映画なのではないですか。たおさんの幸せ、なんて。」

ジョチは、本日上映中の映画の蘭をみて、心配そうに言ったが、

「いや、面白いぞ!誰でも直面する介護問題を描いた感動作じゃないか!よし。今度の日曜、恵子さんと二人で、見に行ってこいや!前売り券は俺が出してやるからよ。」


と、チャガタイは言った。まあ、いわゆるミニシアターでは、基本的に、あまりヒットしなかったが、でも感動的なものを上映することがほとんどであり、大手の映画館よりも、こちらの方が、面白い映画をやっているという人も少なくない。オーバーアクションをする映画とか、ファンタジー映画、歴史スペクタクル映画などは、全く上映しないことがほとんどだ。そうなると、ミニシアターは、どうしても年寄り向きというレッテルが付いて回っている。

「わかりました。じゃあ恵子さんと一緒に行ってきます。」

秀明は、ちょっと心配そうに言った。まだ不安そうだったが、チャガタイはどこ吹く風と笑っていた。

翌日、チャガタイさんからもらってきた、映画館のチケットを、しっかり握りしめて、秀明は、恵子さんのいる、台所に向かう。

「恵子さん。」

恵子さんは、台所で、歌丸師匠の落語を聞きながら、お皿を洗っていた。

「はい、なあに?ご用は手早く言ってね。忙しいんだから。」

とりあえず、いつものつっけんどんな返答が返ってきた。秀明も言葉を考えて、

「あの、これ、面白そうなので、良かったら見に行きませんか。」

と言って、映画のチケットを恵子さんの前へ差し出した。

「ええー、、、。」

恵子さんは驚いた顔をする。やっぱり嫌だなと思ったのだろうかと考えてしまったが、

「映画なんて、30年以上行ってないわよ。でも、今は水穂ちゃんのこともあるし、いいのかなあ?」

ここで大体の人は引き下がってしまうが、秀明はそれをしないでこう切り出すのだった。

「いいじゃないですか。たまには誰かに頼んでも。それに、恵子さんだって、たまには休みを取らなくちゃ。」

「働き者の小濱君から、そんなこと言われるなんて、思わなかったわ。まあ、逃したら、二度といけないかもしれないし。いいわよ。行きましょ。」

にこやかに笑って、恵子さんはそういう。となると、やっぱり看病疲れをしていたのだろう。恵子さんも、やっぱり外へ出たいという、思いがあったのだ。

「じゃあ、今度の日曜あたりにしましょうか。」

壁にかかったカレンダーは空欄であった。

「いいわよ。行きましょ。」

「はい。」


そして日曜。恵子さんは、もう何十年も着ていないという、可愛い赤い小紋と、黄色いさや型文様の帯をを出した。水穂の世話はブッチャーが引き受けてくれた。

赤い小紋に身を包んだ恵子さんは、中年おばさんというより、若い女性という印象を与えた。ブッチャーはとても50代には見えないですね、と彼女を称賛した。

秀明も、同じように紬の着物を着た。やっぱり、片腕男には、洋服よりこっちのほうがいいのだった。じゃあ行ってきます。と二人は、製鉄所を後にした。

とりあえずタクシーに乗って、二人は映画館小町座に向かった。本当に小さな映画館だった。聞けば、教育者であった館長が、良いと判断した映画を中心に上映しているらしい。映画館に入って、数分後、「たおさんの幸せ」が上映された。もともと恵子さんは中国映画には詳しくないが、日本でも通じる介護問題を扱った映画であることもあり、すんなりとみることができた。

さほど長い映画ではなく、映画は終わった。オーバーアクションもなく、疲れるということもなかった。秀明は、映画が終了したら、喫茶店に入ろうと言った。このあたりに、そんな店があるのか、恵子さんは全く知らなかったが、秀明の話によると、小さな店であるが、穴場的な店があるという。再びタクシーを呼び出して、その喫茶店に向かってもらった。

本当に小さな喫茶店であった。満席になっても10人程度しか入れないくらい小さかった。二人が一番奥の席に座らせてもらうと、富士山が真正面に来た。いつも見ている富士山も、こうしてみると、いかにも神々しく見えてしまうのだった。まだ完全に春ではないから、雪の着物を着ている。

「お客さま、ご注文は?」

ウエイトレスに言われて、秀明はサンドイッチを、恵子さんは、リゾットをそれぞれ注文した。ウエイトレスが、伝票に書き込んで戻っていくのを見届けて、恵子さんは次のように話し出した。

「今日は本当にどうもありがとう。すごい感動的だった。あたしも、たおさんみたいなおばあちゃんになれたらいいなと思ったわ。でも、あたしは、あんな無欲な生き方はしてこなかったし、欲の塊みたいなもんだから、無理かな。」

「恵子さんって、どんな人生だったんですか?」

秀明がそう聞いてきたので、恵子さんは、笑いながら話す。

「いいえ、たいしたことないわよ。あたしは、ただリンゴ畑をしている田舎娘でいるのが嫌で、仙台の適当な人を見つけて、家出同然で出てきちゃったのよ。だから、親に連絡何て一切取らなかったのよ。」

「そうですか。」

秀明は相槌を打った。

「それで、無理やり結婚して都会へ出て、なんとか都会人になろうと頑張ったのよ。見え張って、派手な格好したりとかしてね。もうとにかくリンゴ娘と言われるのが嫌だったから、あんまり人付き合いもしなかったのよね。今思えば、其れが間違いだったかも。」

「間違いってどういうことですか?」

秀明の質問に、恵子さんはわざと明るく答えた。

「だってねエ、仙台の人たち、やっぱりあたしのこと、さんざんバカにしていたから、それは嫌だなあって、思っていたの。バカにされたくないから、子どもも作って、裕福な家庭の子ばかりいる幼稚園に行かせたりしてね。それでは子供だって、結局親の道具でしょ。きっと、あの子たち、なんで俺を生んだんだって、今頃あっちの世界で激怒しているんじゃないかしらね。」

「子供さん、いらしてたんですか?」

「ええ、でも、当の昔に死んだわ。ほら、あなたも知らない?東北が壊滅したと言われる大地震があったの。」

つまるところの、東日本大震災ということか。

「そのときね。あたし、たまたま東京に出てたのよ。何のようで出てたのかはもう忘れちゃったんだけど。だからあたしは、深刻な被害は免れたんだけどね。だけど夫は、電車の運転手をしていて、その時電車もろとも津波で流されてしまったし。子供たちは、学校で死んだわ。あとで聞いた話によると、一人は掃除用具入れの下敷きになって、もう一人は、体育館の電球が落ちて頭を打ったって。」

ということは、恵子さんだけが、助かったということである。

「まあ、奇跡的に助かったということは、いいんだか悪いんだか、はっきり言ってわからないわね。あたしも、あの子たちと、夫と一緒に逝けたらよかったと何回も思ったわ。そのほうが、かえって幸せだったんだと思ってた。だけどねえ、神様って本当に意地悪ね。あたしが、夫のところへ行こうと思ってさあ、ビルから飛び降りたのに、助かっちゃうんだから。あ、こんなこと言ったら、贅沢かしら?でも、そうなっちゃうわよ。それくらいの災害だったの。」

「いいえ、恵子さんは贅沢ではありません。そうおもって、むしろ、当然の事です。」

秀明は、静かに答えを出す。

「なんで?偉い人たちは、口々にそういうわ。命があるんだから生きろとか、せっかく助かったのを無駄にするなとか。そういうことを必ず言うわ。其れって、本当はいけないことじゃない。だから、あたし、何度もだめだと思ったわよ。」

「そうですが、自殺したいのに許されないほど、苦しいことはありません。生き残ったことが苦しいのであれば、それは、かまわないと思うんです。たぶん、水穂さんだって、そう考えているのではないですか。あの人は歴史的な事情のせいで、生きていてずっと、苦しみ続けることが、はっきりわかってしまっているんですから、もう、これ以上生きていても仕方ない気持ちなっているのだと思います。当然の事ですよ。それと一緒だと思うんです。」

「でも、色んな所で、自殺をやめようとか、そういう報道が行われているじゃない。だから、やっぱり駄目なのかなあって。」

「いいえ、あれはただのいい迷惑ですよ。そうすることが唯一の救いであれば、決行したってかまわないと思います。本人が、この先、つらい思いしかしないのだとはっきりわかっているのであれば。もちろん、他人ではなく、本人に限りますけど。日本は、働かざる者食うべからず的な風潮が強くて、どうしても、お金を作れない人は疎ましがられる傾向もありますしね。もし、重い障害などで、そういうことができないのなら、自殺してしまいたいという人の気持ちもわからなくはないです。それは、しょうがないことでしょう。自分だって社会だって、変えていくことはできませんから。だから、僕は、そういう人に限ってなら、自ら逝くということも選択肢に入れてよいと思います。」

秀明は、そういってくれた。恵子さんは、ここでやっと、長年持っていた重しが取れたような気がした。

「そうね、それができていたほうが、あたしも、幸せだったのかもしれないわね。」

「ええ、僕はよいところへ逝けないとか、そういうことは迷信だと思っているんです。それほど、迷惑な発言はありません。」

なんだか、恵子さん本人より、この目の前にいる男性は、きっと、より大きな自殺願望を持っていると恵子さんは感づいてしまった。無理もないなと思う。左手まで落としてしまったし、大好きなお父さんとも無理やり引き離されてしまったんだから。

「そうよね。できれば、長生きはしたくないわね。」

「はい。」

二人が笑いあっていると、ウエイトレスが、料理をもってやってきた。

「さ、まず食べてからにしましょ。食べると、頭がすっきりして、楽になるかもしれないわよ。」

「そうですね。いただきましょうか。」

二人は合掌して一礼し、それぞれの食事を食べ始めた。恵子さんも秀明も、一時食べるのが罪深いと思っていた時期があったが、今回はお互い食べることに専念した。

「食べ終わったら、ちょっと寄っていきたいところがあるんだけど。」

と、恵子さんが言った。秀明は、時間を心配したが、恵子さんは大丈夫だと言った。

食事が終わると、本来は秀明が勘定を払う予定だったが、恵子さんが、支払いをすると申し出た。そして、支払いを済ませると、恵子さんはまたタクシーを呼び出して、増田呉服店に向かってもらえないかと頼んだ。


秀明と恵子さんは、増田呉服店に到着した。店のドアを開けて、こんにちは、とあいさつすると、カールさんは、恵子さんがやってきたことにとても驚いていた。

「はいいらっしゃい。何にいたしましょう?」

とりあえずいつも通りの挨拶をするカールさん。

「あ、えーとね。私は着物のことはあまり詳しくないんだけど、男物の、羽二重の着物ってあるかしら?」

いきなり恵子さんはそういう話をし始める。

「ありますよ。色はどうします?えーと今うちにあるのはね、黒と茶色、あと、紫ですが。」

カールさんは売りだなの上から、三枚の羽二重をとった。

「どうしようかなあ。茶色なんて似合わないし、黒は一般的すぎるわよねえ。」

腕組みをして恵子さんはしばらく考え、こう言い出した。

「よし、紫にしよう。金銀紫という言葉もあるくらいだし、高尚な色でいいわ。」

「了解ですよ。同色で袴もご入用ですかな?やっぱり、男性の着物となると、袴も持っていたほうがいいですからね。」

と、カールさんは箱を開けて袴を探し始めた。

「えーと、紫はあったかなあ。ちょっと待ってくださいね。」

「ええ。もちろん。着物が羽二重なんだから、袴も羽二重がいいわね。あ、それは当然の事なのか。ごめんなさい。日本人のくせに、そんなことも知らないで。」

「いえ、今から覚えてくれればいいんですから、気にしないでください。あと、羽織も要りますよね。」

と、なれた言いぶりでカールさんは、紫色の袴と羽織を取り出した。

「全部合わせて、5000円でかまわないですよ。」

「はあい。」

恵子さんは、財布から機嫌よく5000円札を取り出し、カールさんに渡した。カールさんは、領収書を書き始める。

「恵子さん、こんなに高級な着物なんか買って、何に使うんですか?」

秀明が恵子さんの耳元でそう聞くと、

「決まっているじゃないの!あたしたちの婚礼衣装よ!」

と、でかい声で恵子さんは言う。

これが、恵子さんからのプロポーズだったのだ。

「あの、さっきの発言は撤回して頂戴。今の時代、生まれるのも死ぬのも簡単にできちゃうけど、本当に会いたい人に出会うというのは、なかなかできない時代なのよ。」

「はい。」

秀明は、静かに答えた。

それを、カールさんは、いい人と結ばれて羨ましいなあと思いながら眺め、領収書を静かに恵子さんに渡した。

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