第五章

第五章

「で、でもそもそもよ。」

お茶を持ってきた恵子さんが、そう言い出した。

「小濱君のお父さんって、どんな人物だったの?詳しく聞かせてもらえない?」

「おう、すごく腕のいい、江戸友禅の職人で、中学校までしか行っていなかったので、こいつが、左腕を失うきっかけを作った。そうだよな?」

「もう、杉ちゃんに聞いているんじゃないわ。そうじゃ無くて、本人から話をきかせてよ。あなたというか、息子の人生を動かすほどのお父さんなんて、そうはいないんだから。今の時代。」

恵子さんは、そう秀明に聞く。たしかに、製鉄所を利用者のお父さんたちは、非常に存在感がないというか、しいて言えば役に立たない場合がほとんどである。若い息子や娘にとって、非常に煙たい存在になってしまい、ただ金の製造マシーンとしかみなされず、尊敬しているなんて人は今の時代、ほとんどいないのが、父親というものだ。

「ええ、留萌で生まれて、ずっとそこで育ったのですが、もともと母と違って、四人兄弟の末っ子でしたから、あまり束縛はされず、自由に育ってきたようです。だけど、あんまり経済的に豊かというわけではなかった様で、父は、家の家計を助けるために、高校へはいかないで、東京の江戸友禅の職人として、働きに出ました。そして、母の家で間借り人になって、二人は知り合ったみたいです。母は、兄弟もなく、沢山の下宿人を抱える裕福な家の一人娘でした。それで、父が一人前の職人になって、店をもつことが許された時、結婚したと聞いています。」

「へえ、それでは、なぜ、東京から留萌なんていう田舎に戻ったの?」

杉三がそういうと、

「ええ、父のご家族が、相次いで亡くなって、家を継ぐ人が一人しかいなくなってしまったみたいで、それでは、ということで父が留萌に戻って、留萌市内で江戸友禅の店を開きました。もちろん、着物を染めるだけではなくて、クッションカバーとか、鞄なんかも染めたりしたんですよ。ほら、ご存知の通り、一人の職人が、一人で全部の工程をこなすのが、江戸友禅ですから、分業する必要もなく、コストが抑えられるということで、すぐに開業することができるんです。だから、すぐに留萌で店を開業することができたんだと思います。」

秀明は理由をいった。確かに友禅の工程は26にもなり、京友禅では、一枚の着物を26人の職人の手をかけて完成させると聞いたことがある。江戸友禅は、一人で全部こなすのだから、その分コストは抑えられる。

「父が、高校へ進学しなかったのは、知っていますよ。子供の時に聞かされました。でも、僕は、高校へ行かなくても、あれだけすごいものを作れるのだから、それ以上に偉い人なんだって、思っていたんです。もちろん、友禅のことに対しては、何も知らなかったけど、本当にきれいなものだとわかっていましたから。」

と、にこやかに笑う秀明にとって、父は理想の人物だったのに違いない。友禅の着物とは、世界に誇れる日本を代表する着物である。だから、偉い人達や、外国人もたくさん見えたりして、はにかみながら友禅につい説明する父が、ものすごくかっこいいと見えてしまったのだろう。

「そうですよね。近頃は外国人も、友禅を欲しがりますからね。説明するとき通訳も必要でしょうね。」

恵子さんが思わずそういう。

「ええ、かえって、英語教師よりも英語が堪能でした。一通りの、英会話なら、話すことはできました。必要だからって、独学で勉強していたんです。僕の寝ている間に、発音の練習をしている声が、隣の部屋から聞こえてきたりしたんですよ。」

「なるほど。人間必要にならないと、必死になって勉強しないものですね。」

秀明が答えるとジョチがわらった。

「ええ、だから僕もそんな父を尊敬していました。だから、中卒がそんなにかっこ悪いなんて、夢にも思っていなかったんです。」

「そりゃ、そうだよなあ。そんなことをされてしまって、本当に悔しかったよな。で、お前さんは、悪ガキに、左腕を失う大けがをしたんだな。おかあさんは、そうなった原因がお父さんにあると言って、お前さんと一緒に、家を出ていったと。」

なんとも悲しい話だが、お母さんだってそれが最善策だと思ったんだろう。お父さんが原因なら、お父さんと縁を切ればいい。原因物質を取り除けば、病気や障害も治るということは、誰でも知っている。

「そうですか。ただ、人間は、病原菌とは違いますから、たたけばいいのかということではありません。親なんですから、なおさらの事です。どんな悪人でも、忘れることは難しいですしね。」

「そうそう。いい奴でも、悪い奴でも、これではいさよならってのは、できないのが人間だ。」

ジョチの話に杉三が野次を飛ばした。

「そうですね。尊敬していた、お父さんから引き離されてしまったわけですからね。もし、いじめがひどかったとしても、尊敬している人が、今まで通りにしてくれれば、それに励まされて、生きようと思ってくれる方だって、少なくないでしょうね。」

たしかにその通りである。そのまま、父は毅然として、生きて居ればよかったのだ。それが父親というものである。母親は、優しく守ってやることが仕事であるが、父親は、その背中を見せ、これだけすごいことをしているということを見せてやるのが第一の仕事であるのだ。このバランスが崩れると、家庭崩壊ということになってしまうのだ。

「昔は、まだ機械化されていなかったから、父も母も互いになくてはいけない存在でした。どちらも互いの援助が必要だと、はっきり知っていましたし、それぞれの活躍する場所が見つかることも、知っていた。だから、容易く離婚する必要もなかったというか、できなかったんです。それに、片方の親だけで育っている人が、不幸であるという気持ちがありましたから、そういう人たちに手を出してやろうという気持ちもありました。本当に、それは素晴らしい精神であると思うのに。なんでみんな、忘れてしまったんでしょう。」

「本当だ。まあ、きっと君の場合はね、お母さんは愛情があって、留萌から逃げたんだと思うんだ。でも、それでは、やり方を間違えたんだよ。それでは、いけないと評価したわけでは無いけど、それはお前さんにとって、いいわけではない。決してお前さんは、幸せにはなれなかったんだ。そういうことだよな。」

「ええ、まさしくその通りでした。お父さんがいなくなって、なんだか、心にぽっかり穴が開いてしまったみたいで。安全なところに来たんだから、しっかり勉強して、いい高校に行ってね、なんて母は言っていましたが、そんな気持なんかわきませんでした。結局僕は、中学校を卒業した後、定時制に通いながら、植木屋さんとかやっていましたけど、、、。無理でした。なんだか、やる気にならないのです。」

「まあ、そうだよな。お手本がなくなったわけだからな。」

杉三がそういうと、秀明は、涙をこぼしてすすり泣き始めた。

「はい。本当に悲しくて、仕方ありませんでした。きっと心の中で、僕のせいで、父は追い出されたんじゃないかって、気がしてしまいました。母は父のことは、何も言いませんでしたが、僕が逮捕された時に、すごく怒りました。とにかくすごく怒りました。僕が、警察の人に、父が助かるためのお金を稼ぐために、覚醒剤を売ったと話したからでした。母は、私を、裏切るような真似をするなと言ったんです。きっと母にとって、父は、すごい憎むべき相手だったんだと思います。そして、僕が裁判にかけられて、刑務所に収監されて、刑期が終わって、出所した時も、姿を見せませんでした。たぶんきっと、母は、裏切られたことから、僕になんか会いたくなかったんだと思います。」

「そうだったのね。」

恵子さんまで思わず声を上げて泣いた。

「悪いことなんかしてないわよ。お母さんがやり方を間違えただけよ。そして、それを正しいと思い込んでいる、親のほうが悪いのよ!」

「ええ、そういうことですよ。誰でも間違いはしますが、それを謝るのは、はるかに難しいのかもしれません。」

ジョチも、彼の生い立ちを聞いて、感動してしまったようだ。

「もし、可能であれば、自叙伝でも書いて、出版したらいかがですか。幸い、僕の知り合いに、出版関係というか、文筆家の方がいますから、彼に頼んで原稿を遂行してもらって。今の時代は、失敗であっても、ほしがる人がいる時代ですよ。」

「もう、ジョチさん、すぐに商売にしないで、少し彼の話を聞いてやってください。きっとつらい思いをして、生きてきたんだと思います。それをまず、くみ取ってやるのが、一番でしょう。」

姉の看病でそれを強く経験していたブッチャーは、同情的な発言をした。

「まあとにかくこれで、お前さんがほんとに悪人ではないってことがはっきりしたぞ。だから、もうこの話はおしまい。お前さんも、もう自分を悪人だと思ってはならん。」

杉三が、もうしっかりしろ!という感じで、バシッと秀明の背中をたたいた。

「ほんとね。きっと、あなたのことを快く思う人は、いないでしょうけど、ここの人たちは例外なんだってことも覚えておいて頂戴ね。」

恵子さんまで、そんなことを言っている。

「じゃ、みんなでお茶にしよう。新しい仲間の出現を祝って、乾杯!」

「やあねえ杉ちゃん。そんなオーバーな言い方して。」

杉三が、湯飲みを高く上げると、恵子さんは、にこやかにそう言った。

「ほら、フランス土産のクッキーもあるわよ。杉ちゃんがこないだフランスへ旅行に行って、お土産に買ってきたの。クッキーだから、日持ちもするし。なんだかすぐに、食べちゃうのはもったいない気がして、とっておいたの。」

と、恵子さんは、戸棚の中からクッキーの箱を取り出した。

「はい、新しい仲間に、どうぞ!」

「ようし、いただきまあす!」

杉三が、いち早くクッキーを取る。もう杉ちゃんと言いながら、ブッチャーも、ジョチも笑いながら、クッキーをとった。

「ほら。」

と杉三にクッキーを差し出されて、秀明は涙しながらそれを受け取った。

四畳半では、でかい声でしゃべっている杉三の声で、水穂は目を覚ました。なぜかブッチャーがふすまを閉めるのを忘れていて、開けっ放しになっていたので、杉三だけではなく、ジョチやブッチャーの声もよく聞こえてきた。体が分銅みたいに重たくて、動くことはできなかったから、杉三たちの話をその場で聞いていた。

また吐き気がして、何とかして枕元に置かれたタオルを取り、口に当てて咳き込んで、咽喉にたまったものを出した。これをやった後、水穂はあることを決断した。ちょうどその時杉三が、

「新しい仲間の出現を祝って、乾杯!」

と言っているのが聞こえてきたので、より決断を強くする。


その翌日。

いつも通りに秀明が、四畳半に朝食を持ってきたときのことである。

「水穂さん、ご飯です。」

と言って、四畳半のふすまを開け、秀明は中に入った。いちいち、ご飯を床に置いてからふすまを開けなければならないことが、なんとも歯がゆいが、それは、仕方ないことであった。

「はい、こちらです。どうぞ。」

ふすまを開けて、秀明はもう一度ご飯を水穂の枕元に置く。

この時点ではまだ眠っているように見えた。秀明とは反対の方向を向いて、横向きに寝ているのだろう。

「水穂さん。」

そっと呼びかけると、やっと気が付いてくれたらしい。閉じていた目がそっと開く。

「ご飯ですよ。」

と語り掛けると、はい、と静かに言って、また、よいしょと布団の上に起きた。そのしぐさだけでも、本当に辛そうで、

「無理しておきなくてもいいのに。寝たままでも、僕はかまわないですよ。」

と、秀明は思わず言ってしまうほどであった。

「春が近いとはいえ、ここは山ですし、寒いでしょうから、うす掛けでもかけますか?」

秀明がそう聞くと、

「いえ、かまいません。ご飯の前に大事なお願いがあるんです。」

と、細い声でありながら、きっぱりと言った。

「どうしたんですか?大事なお願いって。」

ところが、発言しようとする前に、咳き込んでしまう水穂なのである。

「ほらほら、大丈夫ですか?それじゃだめですよ。無理して発言しなくても。」

水穂は激しく首を振った。

「無理なら、後でいいですよ。今はとにかく薬を飲んで少し様子をみたほうが。」

水穂は、それではいけないという顔をした。とりあえず、出した内容物をタオルでふき取ると、

「お願いです。」

と、切り出し、

「恵子さんをもらってやってくれませんか!」

と、咳き込みながら、座礼した。これはまさしく、予想外の発言であり、どう反応していいかわからず、秀明も、ただただ驚いてしまうだけである。

「昨日、話していたのを聞いてしまいました。あなたが、本当に、凄惨な人生だったこともわかりました。だからこそ、恵子さんにはふさわしいと思ったのです。」

本当は、恵子さんのご両親が持ってきた話だが、秀明は、自分には無理だと思い込み、辞退しようと考えていた。それをまさか、水穂からお願いされてしまうとは、前代未聞の出来事である。

「ご存知の通り、僕には、時間なんてありません。もう間もなく、僕もこの世の住人ではなくなります。恵子さんには迷惑ばかりかけて、お礼も何もできませんでしたから、その前に、最高の幸せをつかんでほしいんです。そのためには相手が必要だ。そして、あなたに、その相手になってもらいたいのです。」

「何を言っているんですか。僕は恵子さんの相手として、ふさわしくなんか全くありませんし、それに、お嫁さんをもらう資格もありません。理由はなんであれ、僕は、違法薬物の販売をしていたわけですから、それはやっぱりいけないことになるでしょう。つまり、人としてやってはいけないことを平気でしてしまいました。だから、そんな資格なんて持てるはずがないじゃありませんか?」

「いえ、そんなこと、そんなことは絶対に在りません。」

と言って、水穂は、さらにせき込んだ。秀明は、これではまずいと思い、水穂の背をなでてやった。

「水穂さん、よしてくださいよ。僕は、偉い人でもなんでもありません。片腕ですし、学歴もないんですし、違法薬物にだって手を出したし、どうしようもない悪人です。そんな人間に、どうしてお嫁さんなど持てる理由がありましょうか?」

「ええ。」

口を拭いた水穂が、小さい小さい声で答えた。

「ご自身が、悪人であることを、自分でちゃんと言えるからではないですか?」

「そんなの理由になりませんよ。一体何を言うんです?」

「ええ、だからこそですよ。本当に悪い人は、自分のしていることをすべて善だと思い込んで、どんな悪事をしたとしても、良いことをしていると、勝手に塗り替えていますもの。それに、過去に重大なことをしている人は、目の前の毎日が一番大切であるということをちゃんと知っていますもの。」

「はあ、えーと、あの、そうですか、、、。」

秀明は、少し考え込んでしまった。目の前の一日が大切だなんて、そんなこと、考えたこともない。それに、自分が恵子さんを引っ張っていくこと何てできるんだろうか?そんなこと、できるはずがないじゃないか。だって自分は、、、。

やっぱり無理だと発言しようと、口を開きかけたその時、水穂が激しくせき込んだ。それではいけないのだ、と、言いたげに強くせき込んだ。

「水穂さん、大丈夫ですか?薬飲んで休みましょうか?」

まだ発言したいことがあるらしく、そう問いかけても、水穂は首を縦に振らなかった。でも、咳き込む音だけは、どんどん大きく強くなる。ついに、口に当てたタオルまで真っ赤に染まってしまった。こうなったら、早く休んでもらわなければと思った秀明は、枕元にあった吸い飲みに、近くに置かれていた粉薬を入れて溶かし、水穂の口もとへもっていって、無理やり飲み込ませた。

もちろん、片腕であったから、恵子さんがするように素早く動かすことはできなかった。薬を飲んでも暫くは咳き込んだままだったが、次第に減少していき、しまいに静かになった。しかし、薬特有の眠気をもたらす成分には負けてしまったらしく、布団に倒れ込むように横になった。

多分きっと、こういう薬は、患者を動かなくさせるようにできているのだろう。

秀明は、持っていた吸い飲みを床に置くと、かけ布団を取って、水穂にかけてやった。

もう眠ってしまったか?と思ったが、かけ布団が体に当たったのには気が付いたらしく目が開いた。

「眠ってしまっていいですよ。」

秀明は言ったが、水穂は、まだ言いたいことがあったらしい。猛烈な眠気と戦いながら、一生懸命何か言おうと、口を開いた。眠気のせいで、言いたいことを表現するための、文書を作ることが難しくなっているようであるが、何とか思いついたらしく、

「恵子さんを頼みます。」

と、一言だけ言い、あとは眠り込んでしまった。

秀明も、引き受けられない理由を言おうと思ったが、この強力な止血剤には、負けてしまったような気がした。眠ってしまったら、もう、要件は伝えらないことくらい、知っていた。

多分きっと、水穂さんには、時間がないというのは本当のことだとおもった。そこを考えると、今の申し出を断ってしまうのは、いけないことなのではないか。でも、僕はどうしても、お嫁さんをもらうなんてことはできるはずがないし、第一やってはいけないのではないか。それがものすごく大きな障壁になり、決断することなんて、とてもできはしなかった。かといって、水穂さんから逃げてしまっては、せっかく作ることができた、仲間も裏切ることになる、、、。

秀明は泣いた。いつまでも泣いた。其れしか、今できることはなかった。

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