第二章

第二章

その翌日、杉三が製鉄所を訪ねてきた。

「こんにちは。水穂さんいる?」

製鉄所には、インターフォンがないので、いきなり戸を開けて、大丈夫という法則になっている。杉三はいつも通りにガラッと、何もためらいもなく、戸を開けたところ、いつも出てくる恵子さんではなくて、出てきたのは小濱秀明であった。

「あれ、恵子さんは?お前さん誰だい?」

杉三が、首を傾げてそう聞くと、

「あ、はい。しばらくこの製鉄所に滞在させてもらっている、小濱秀明と申します。」

秀明は、丁寧に頭を下げた。

「そうか、利用者の一人か?それにしては、バカに年を取りすぎているような気がするが。お前さん、年はいくつだよ。」

「はい、39歳です。」

杉三に言われて秀明は、正直に答えた。

「へえ、39歳か。その年で、何かに躓いてここを利用するなんて珍しいな。大体ここに来るのは、10代から、20代が多いからな。ま、よそさんと年代も違うし、話もあわないと思うが、我慢して、滞在してくれよ。」

「いえ、違います。僕は利用者ではなくて、お手伝いとしてここへ来させてもらっているんですよ。」

杉三の言葉に、秀明は慌てて訂正した。

「はあ、お手伝いか。そうなると、どっかの福祉事業とかそういうやつか?その体で、福祉なんかできるのかい?お前さん、片腕じゃないか。ジャージの左腕が、こいのぼりみたいにプラプラして、動きにくいことをしっかり示しているぞ。それに、障碍者が障碍者をケアするなんて、無理な話だ。できると言ったら、せいぜい、話を聞いて同情してやる位なもんだろう。福祉事業は、篤志家と言われる高名な実業家や、お公家さんたちがやるもんよ。そうでなければ、本当に福祉なんて、できるもんか。」

「はい、そのくらい知ってますよ。僕はただ、できることをしようと思ってこさせてもらっているんですよ。普段は恵子さんのお父様がやっている、リンゴ畑で働いているんですよ。」

「ははあ、、、。変な奴。片腕のくせにそんなことやってるとは珍しい。大体、そういうのは、デスクワークばっかりだからよ。何処の世界にも変わり者はいるってことだな。まあいい。お前さん、ちょっとさ、水穂さん呼んできてくれ。そして、公園に散歩に行こうと言ってくれ。」

「ま、待ってくださいよ。こちらは、お名前すら理解していないのに、水穂さんにどう伝えればいいんですか?」

杉三の言葉に、秀明はすぐに反論した。

「は?僕の事言えばすぐわかると思うんだけどね。」

「そうじゃなくて、何ていう方が来たのか、説明しないといけないんです。ただでさえ、体が大変なんですから、あんまり頻繁に動かすのもどうかと思うし。いちいちここまで来させるのも、必要最小限にしてあげなくちゃ。」

秀明がそういうと、杉三は、こう聞いた。

「あ、ああ、すまんすまん。で、でもよ、すぐにこっちへ出せないほど、悪くなったか?」

「悪くなったというか、あんまり立ったり座ったりを繰り返すと、負担がかかって余計に悪くなるのが心配なんです。」

「そうかあ。まあなあ、結構刺激の強い症状なのでそう見えちゃうのかな。新人さんにはよ。でもな、一日中布団に寝ているも、本人も周りも嫌だろうから。たまにはお外へ連れ出してあげような。じゃ、僕と一緒に、連れ出すのを手伝ってやろうぜ。お邪魔します!」

と、杉三はどんどん製鉄所の中に入ってしまった。秀明も、ちょっと待ってくださいよ、まだ要件は終わってないじゃないですか、何て言いながら、杉三の後を追いかける。

四畳半では、朝食である豆腐を何とか完食して、疲れてしまったのか、水穂が転寝をしていたが、

「おい、久しぶりだなあ。元気している?」

何て、杉三が、でかい声でそう言いながら、ふすまを開けたため、すぐに目が覚め、重たい体に鞭打って、何とか布団の上に座った。

「座るのに、時間がそんなにかかるのでは、そうでもないか。」

杉三はちょっとがっかりしていった。

「そして、座ると必ず咳き込むと。」

そういう通り、水穂は布団のうえで軽くせき込んでいる。

「でも、畳屋さんのお世話になるほどではなさそうだな。」

杉三がそういうと、

「まあ、今のところはだけどね。あの、小濱さんが頻繁に掃除してくれるのでね。」

と、水穂は答えを出した。

「小濱さんって誰だ?アメリカの大統領か?」

「違うよ杉ちゃん。」

そこまで水穂は言ったが、また軽くせき込んでしまった。

「おばまとは、アメリカにある苗字ではないのかい?」

水穂は咳き込んで答えられなかったのだが、

「と、いうことは、この片腕兄ちゃんが、」

「そうですよ。僕の名前は小濱秀明です。」

そういって、秀明は水穂の背をさすった。杉三は、ふふんなるほど、と呟いて、何か考えていたが、すぐに、えへんと咳払いをして、

「小濱秀明ね。アメリカの大統領とはぜんぜん違うけど、同じ苗字なんだな。しかし、その恰好では、あまりにも格好悪い。なので、今から外見を劇的に変えよう。よし、三人でお外へいく、支度をしような。」

と高らかに発言した。秀明も水穂もなんなの杉ちゃん、という顔をする。

「お外ってどこへ行くんですか?」

「だからあ、呉服屋だ。ジャージの左袖が、中途半端にプラプラしていたら格好悪いが、映画丹下左膳のように、着物に変えたら、袖が風になびいてかっこよくなる。だからそれを実現しようという訳。水穂さんも、早く着替えてよ。」

秀明が聞くと当然のように答えが返ってきた。

「丹下左膳、ああ、あの映画ですか。でも、片腕では着物は着付けられませんよ。」

「大丈夫だよ。紐を縫い付ければそれで着れるさ。紐位つけてやるからよ。今からカールおじさんの呉服屋さんへ行って、着物買ってこよう。そのプラプラしているのが、どうも恰好悪くて、たまらんのだ!」

「ずいぶん強引ですね。僕のことは、どうでもいいですよ。今更格好良く何てなれませんから。もう、格好よくなんてできやしません。それに、体の悪い水穂さんまで巻き込んで。」

秀明は、杉三に反対したが、

「いや、どうも気になるの。障碍者だからって、そんなにへりくだる必要もねえんだよ。なんでわざわざ他人にからかわれるような真似をするんだ?道路でさ、悪ガキに、あ、あのおじさんは片腕だ、カッコ悪い、なんていわれて、嫌じゃないのかい?それは嫌だろ?だったら急いで対策を立てようよ。お前さん、意外にイケメンだからよ。着物着れば様になると思うんだけど?」

「ま、そうですが、それは今じゃなくてもいいでしょう?今出かけて、しかも体の弱っている水穂さんまで巻き込んで、、、。」

「いいえ、こういうときは、杉ちゃんのいう通りにしてください。」

秀明が困っていると、水穂が助け舟を出した。

「杉ちゃん、一度ひらめくと実行するまでいうこと聞かないんです。もうそれは、杉ちゃんの古くからある癖なので、実行したほうが、身のためというものです。」

「杉ちゃん?」

「あ、ああ、そうです。彼の名は、」

と、言いかけてまたせき込んでしまった水穂だった。

「おう、僕の名は、影山杉三。みんな略して杉ちゃんと呼んでいる。だから、お前さんも杉ちゃんと呼んでくれよ。」

答えられない水穂に変わって、杉三本人があっさりと答えた。

「だからその、杉ちゃんさん?自己紹介をしているよりも、水穂さん何とかするほうが先では?」

「さんが余分だよさんが。杉ちゃんと言ってくれ、杉ちゃんと。」

杉三はカラカラと笑った。

「僕も、着替えなきゃ。」

水穂はよろよろ立ち上がって、力のない手で箪笥を開け、着物を一枚出した。秀明は手伝おうかといったが、杉三は、手伝わなくていいよ、なんて笑っている。よいしょと立ち上がって、着替えを始めた水穂だが、そのスピードは亀より遅かった。それでも杉三は手出しをしないで、にこやかに笑っているだけであった。

「ほら、よく見ておけ、お前さんもこれからは着物で生活してもらうんだからよ。着る方法とか、ゆっくりやってくれるから、今からこれ見て予習しろ。」

「あ、はい。わかりました。」

とりあえず、そう答える。ちゃんと、目的があったのかと、秀明はため息をついた。

「衣紋を抜いて着るのは本来男はしないんだよ。それは水穂さんががりがりすぎるから、そうしているように見えてしまうのさ。」

なんて、解説も、なかなか頭にはいらなかった。それより、水穂さんが倒れないかが心配ではらはらしていたが、水穂は、何とか着付けを終了させた。机の上に置いてあった、巾着を取ると、

「よし、行くかあ!」

と、杉三が掛け声を挙げて、部屋を出ていく。水穂もそのあとを追いかけるが、もしかしたら倒れてしまうのか心配で、秀明は水穂の手をつなぐ。


三人は、道路を歩いた。確かに途中で悪童にもであったし、中年のおばさんたちにもであった。始めのころは、自分のことを馬鹿笑いしている、とは思ってもいなかったけど、自分がおばさんの前を通りかかると、

「あらやだ。一つしか手がないのに、そうやって面倒を見させるなんて、この人もどういう神経をしているのかしら。」

と、おばさんたちは言うのだった。それでは自分ではなく、水穂さんのほうが批判をされているようだ。それはなんだか、申し訳ない気がした。

「全くねえ、いくら何でも、片腕の人を側近として雇うなんて、どうしたんでしょうね。おかしな人ね。」

「もしかしたら、側近も、何かわけがあるんじゃないの?」

「きっと二人とも、なにかわけありなのよ。それでさ、雇う側も、そういう人しか雇えないのよ。」

何て、おばさんたちはそんなことを言っている。

「うるさいな、僕たちは、ただお外で散歩したいだけだ。それなのにそんなこと言って、馬鹿笑いをするな!」

と、杉三がでかい声で言うと、おばさんたちや悪童は、さっと散ってしまった。

「困るなあ、こうしてどこへ行っても、うわさになってしまうんだからよ。なんで普通のひとみたいに、放置してくれんのだろ。」

「そうだね、杉ちゃん。」

秀明もそれに同意した。確かに、言われていないと思っているだけで、片腕の自分はいつでもどこでも人のうわさのネタになってしまうのであった。せっかく好意で支えてやっている水穂さんでさえも、こうして言われてしまうのであれば、何だか申し訳ないような気がする。

「な、そうやって、片腕をプラプラさせちゃうと、カッコ悪く見えてしまうのよ。だから。ちょっと外見を変えようという訳さ。」

杉三がそっと、声をかける。

そういう訳か。それでは、確かに、かっこいいほうがいいのかもしれないな。

と、秀明も思った。そんなにバカにされるのであれば、確かに丹下左膳のまねをしたほうが、人は好意的に見てくれるかもしれない。

「もうすぐですよ。」

水穂さんが、そっと言ってくれたので、ぼやぼやと考えるのはやめ、よし、もうこうなったら、杉ちゃんのいうことに従おう。と、秀明は心に決める。

「よし、ここだ。」

杉三は、「増田呉服店」と書かれている看板の前で止まる。

「入ろうぜ。」

と、杉三は、呉服店の入り口のドアを開けた。水穂と秀明も中に入った。

「いらっしゃいませ。」

カールおじさんが、三人を迎えてくれる。

中には、女ものから男物まで、色んな種類の着物が所狭しと置かれていた。着物屋というのなら、ものすごい高価であるだろうな、と秀明は思っていたが、その着物たちに付けられている値段を見て、またびっくり。そこに書かれているのは、500円、800円、1000円など、子どもの小遣いでも買えてしまうほどの安い値段だったのである。

「はああ、どうしてこんなに安いんでしょうか、、、。」

思わず、口にしてしまうと、

「不要品だった着物をもらってきて、安く売っているんですよ。もともとよいものなのに、価値がわからなくて、捨ててしまった訳ですから、次の人にわたるには、手に入りやすい値段でもっていってもらいたいのでね。本当に着物が好きな人で、着物が欲しいけど買えないという人の夢をかなえてやりたい思いもあって。」

と、カールおじさんは柔らかい口調でいう。

「どうぞ。好きなもんを見て行ってくださいよ。ほしいものがあって、説明が欲しいのなら、何でも聞きますよ。」

その店主が、日本人ではなくて、外国人であることがなんだか皮肉だった。日本では、洋服が普及しすぎていて、着物のことを知らなすぎる人が多い。

「本当はね、着物って、便利だと思うんだけどね。なぜか、今は窮屈で、暑くて寒いものとなっているけど、そうでもないよ。」

カールさんは、そういって、一枚の男物の着物を出してくれた。もう、秀明が片腕であることを、すべてわかっているらしい。

「ほら、ちょっと着て見てごらん。たぶん驚くほど変わると思うから。」

秀明は、水穂のほうを見ると、水穂もにこやかにわらった。まるで、どうぞ、やってみてごらんなさい。というような顔である。

「よし。これでいいかな。」

カールさんは、秀明の体に着物を羽織らせた。

「よし、ちょっと鏡見てごらん。」

カールさんにそういわれて、秀明は着物姿になった自分を見る。

「どう?いいだろう?自分じゃない見たいでしょう?」

確かに、鏡に映った自分の姿は別人だ。それだけははっきりしている。それは、やっぱりうれしいなと思う気がする。

「で、でも、片腕ですから、着付けができませんよ。それもできないのでは着れないのではないですか?」

秀明はそういったが、

「いや。僕が紐をつけてやるから、大丈夫だ。それでいいじゃないか。そのほうがよほどいいよ。ジャージをプラプラ垂らしているよりはよ。」

と、杉三がすぐ言った。

「杉ちゃんは、お直しの達人ですよ。そういうお直しはすぐにできますから、彼の意思に従ってください。」

水穂が、にこやかに秀明を見てそういう。なんだか、水穂さんに言われてしまと、すぐに反発はできず、その通りにしなければならない気がした。それはつまり、水穂さんがものすごく綺麗だからというだけには過ぎないと思う。ほかに、何かあるんだろう。それははっきりしているが、そのなにかはつかめなかった。

「そうだね杉ちゃん。それでは、この着物にさ、今つけちゃおうか。これ、どうせ、500円しかしないからさ。」

と、カールおじさんが倉庫から紐を一本出してくる。

「おう、任せとけ。」

杉三は着物を一度脱がせ、紐と裁縫箱を受けとった。そして、紐を半分に切って、着物に縫い付け始めた。

「すごい速いなあ。縫うの。」

水穂が思わずいうほど、杉三は縫うのが速い。その間に、水穂は、帯や長じゅばんなど、着物に必要なものについてかたって聞かせる。一つひとつを見せられるだけでも、自分が変わっていくということが実感できた。やはり、着物は着るものという以上、明らかに目に見えるものであるから、本当に自分が変わる、という気になった。

「よし、できたぜ。」

杉三は、紐のついた着物を秀明に渡した。

「よし、製鉄所に戻って、着てみるか。」

とりあえず、着物一枚と、長じゅばん、帯と足袋を買っても、3000円を下回り、考えていた予算よりも大幅に安い金額だった。洋服一枚買うよりも、よほど安いのだった。本当にそれだけ、着物は不用品ということになってしまうのだろう。

「ま、不用品っていうことを考えると、僕たちみたいに、変な奴みたいだな。はははは。」

と、にこやかに笑う杉三。

「よし、製鉄所に戻って、着てみるか。」

秀明が領収書とおつりを受け取ると、水穂がよかったね、とそっと微笑んでくれた。

「また何か欲しいものがあったら、来て頂戴ね。いつでもお安く買えますからね。」

「あいよ。わかったよ。カールさん。」

と、杉三はそういって、店を出る。秀明は紙袋に入れてくれた着物を持ち、そのあとをついていった。

「しっかりやってね。」

カールさんは、疲れた顔をしている水穂に、そっと言い聞かせる。水穂も、ありがとうございますと言って、店を出た。

また帰り道でも、悪童やおばさんたちとすれ違った。もちろん陰口は聞かれた。でも、みんな気にしなかった。これから、ほかの人たちとは、明らかに違うとはっきり示せるのだ。もちろん日本の国民性として、ちょっと違うところがあると、すぐにつついて追い出そうという傾向があるが、明らかに違っていると、完全に手を出さなくなるという人間の習性もしっかり踏まえておくと、意外に気楽に過ごせるようになるものである。


とりあえず、三人は製鉄所に帰ってきた。久しぶりに外を歩けて楽しかったと言いながら、水穂は着物を脱いで浴衣姿に戻り、布団に横になった。一方の秀明は、杉三に指導を受けながら、何とか片腕であっても、着物を着つけることに成功した。

杉三と、秀明が部屋から出て、四畳半に行ってみると、ちょうど恵子さんが、様子を見に来ていて、水穂と話していた。二人は、杉三たちが入ってくるのを見ると、

「あらあ、すごいかっこいいじゃない。小濱君ほれぼれしちゃう。」

「そうですね。よく似合っていますよ。」

と、それぞれ褒めてくれたのである。

「よし、これで悪い奴にからかわれることもなくなるぞ。丹下左膳並みに、かっこいい男になった。ほんのちょっとだけ、手を入れれば、劇的に変わることはよくあることだな。」

杉三がまたからからとわらうが、それはバカにした馬鹿笑いではなかった。

「そうですね、、、。」

思わずポロンと涙が出てしまう秀明。

「どうしたんですか?」

布団に寝たままの水穂が、そっと彼に声をかけた。

水穂さんには、この気持ち、わかってもらえるだろうか。いつも、名前を口にしただけで、すぐに相手が嫌な顔をする自分が、相手の人たちに、着物を選ばせようと動かしたのだから。

「それでいいじゃないか。うれしいなら、うれしいって、素直に言えばそれでいいのさ。」

杉三が、またそういう。確かに、自分を丹下左膳のようにしてもらえただけでも、本当にうれしいどころか、二度と起こらないことが起きてくれたので、本当にここにいてもいいのか、信じられなかった。

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