キセキと呪い

曇りのち、晴れ

 その知らせは滞りなく届いた。

「いま、なんと?」

「ドルミーレ島から、何者かに星が連れ去られたとの報告を、受けました。ひっ、」

 真白な生地に細かな金の装飾が美しく輝くコートを着こなした秀麗な――巷では男装の麗人と噂されるほどだ――上官が、怒りから静かに震えた。跪いたまま器用に肩を揺らした部下に灰色の息をひとつ零し、白い手袋で守られた手をゆっくり振る。

「わかりました。よく、わかりました。対策をすぐに練ります。それまでは、誰も、そう誰も、私の部屋に立ち入らないように。くれぐれも違えないで。よいですか」

「は、はい勿論です」

 裏返った声で告げられた退出の挨拶へ律儀に返事をした真白な麗人フェリーチェは、チョコレートによく似ていると友人に茶化されたドアが完全に閉じ、その向こうの気配がなくなるのを確認して、目を伏せた。金色の美しい目の中で、一対の星が泣くように揺れる。

「こんな時期に、なんてこと」

 痛み出しそうな右側頭部を抑え、フェリーチェは懐から海色のカバーで守られた端末リボンを取り出した。たったふたつの名前だけが仲良く並ぶ液晶を叩く。

『なに』

 たっぷり十コール。それぐらい鳴らし続けないと彼は出ないのだと知っていたとしても、この非常事態では苛立ちが増幅するだけ。

「あなたね、もう少し早く出られないの?」

『お暇そうな親衛隊とは違うんでね。小言なら切るよ…と言いたいところだけど、きみが業務中こんな時間に掛けてきたんだ。それなりのことだろう』

「相変わらず話が早くて助かる」

『時間は有限。生かすも殺すもおれたち次第ってね』

 いいから早く本題へ。言外の真意を察したフェリーチェは、肩を竦めた。それならもう少しぐらい早く通話に応じて欲しいものだ。

「ドルミーレから星が……第三王子が奪われた」

『冗談にしてはセンスが感じられないよ。きみ、向いてないね』

「笑う価値のない冗談で済めばよかったのだけどね」

『……ほら。言ったとおりになった』

「そうね」

 いつも通りに振舞おうとする友人が小さくため息を零しているのが、端末リボン越しでも聞こえた。

「それで、クロル」

『探し出せって言うんだろ。フェリーチェ。自分がどれだけ人使い荒いかわかってる?そもそも、王室親衛隊の落ち度でしょ。尻拭いぐらい自分たちでしなよ』

「何を言っているの?王子をあんな島に閉じ込める原因を作ったのは、あなたの部下じゃない」

 ああ、これは少し言い過ぎた。そう思い閉じた口に手を当てたが、その様子が海の上にいる友人に見えるはずもない。途端静かになった端末リボンを握り直し、フェリーチェはわざとらしく咳払いする。

「とにかく、効率を考えるならクロル、あなたのほうが動きやすいでしょ」

『まあね。ただ生憎親衛隊様のめいで動けるほど尻軽な船じゃない』

 淡々としたいつも通りの声音に胸を撫で下ろす。

「ああ、そう。わかった。話を通しておきます」

『可哀想に。あの子の胃がまた荒れる』

「不敬罪に問いますよ」

 喉の奥で笑う友人を窘めながらも、その姿を想像してフェリーチェもまた小さく笑った。いや、笑い事ではないのだ。すぐに緩んだ口角を引き締め、端末リボンを耳に押し当てたまま腕を組む。

「わかっているとは思うけれど、」

『漏らしようがないさ。第三の星なんて爆弾を知っているのは、軍にはそう居ない』

「そうね。こちらも……王には内密に動こうかしら」

『それがいい。残りの時間くらい、穏やかに過ごしたいだろう』

 端末リボンの向こうでクロル以外の声が聞こえ、フェリーチェは思わず身を固くした。どうやら部屋にいるらしい彼を部下が呼びに来たようだ。

『悪い。センの動きは教えて』

 早口でそれだけ告げると、フェリーチェの返事も聞かずに容赦なく通信が切られる。無機質な音が通信相手の不在を訴える。柳眉を寄せ、小さく息を吐き出すフェリーチェの顔色は、報告を聞いた十数分前よりよほど良い。

 本来であれば真っ先に伝えるべき相手は他にいる。しかし迷わずクロルに連絡したのは、解決策を求めたというより、混乱する思考を落ち着かせたかったからだろう。長年共に過ごしてきた気の置けない友人の声は、最早薬だ。

 クロルだって突然のことに驚いたはずだが、フェリーチェの心を容易く読み解いた彼は、いつも通りを優先してくれた。人間関係において器用ではない彼なりの最大限の配慮に、フェリーチェは端末リボンを抱き締めた。一対の星を隠すように目を閉じ、大きく、ゆっくり、しっかり、息を吐ききる。

「……さて」

 次に目を開けた時、金色に迷いはなかった。手元の海色端末を淀みなく操作し、クロルと並ぶ唯一つの名前を撫でるように選んだ。

 クロルとは違い、一コール目で呼び出しに応える愛しい声。

「ええ、フェリーチェです。……セン、お話が」


****


「ここがお前の部屋。おれと同室だけど、寝るぐらいしか使わねぇから、好きにしろよ」

 何故かひとつだけ白く塗られたドアの向こうに広がる部屋は、今まで過ごしてきた家のどの一室よりも狭い。けれどアズの目にはとても心躍る空間に映った。奥にセミダブルのベッドがひとつ。何も置かれていないシンプルなデスクと椅子がひとつずつ。毛の長い上等な絨毯は深い青色で、使用感のある座布団がひとつだけ転がっている。

「ベッドひとつだけど……」

「おれ、あそこ」

 黄鈴こうりんが上を示すので釣られて顔を上げると、いたって普通のハンモックが吊るされていた。

「え! 悪いよ! おれがそっちで寝るから」

「いいんだよ。もうずっとここで寝てんだから」

「ずっと? ベッドあるのに……?」

 軽々とハンモックに横たわった黄鈴は、片足をぶら下げながら器用に揺れる。やけにシーツが綺麗なのは新調したからだろうか。それとも日ごろから清潔にしているのか。黄鈴は答える気が無いのか、目を閉じてしまっている。

「机も使ってねぇから、どーぞ。つっても手ぶらか」

「あ、うん」

「服とかどーすっかな。背が近いのはあねさんか。貸せるようなの持ってるといーけど」

 ひとりでぶつぶつ言いだした黄鈴にアズは小さく笑うと、椅子に腰かける。使っていないと言いながらデスクも埃ひとつない。

「黄鈴、綺麗好きなんだね」

「あ?」

「デスクもベッドも、すぐに使えるみたいに綺麗じゃん」

「ん、まーな。……いつかひょっこり、戻ってくるかもしれねーし」

「え?」

「あんまり汚すなよ」

 聞き返すアズから顔を背けるように寝返りを打つ。僅かな違和感に首を傾げながら、木目調のデスクを撫でた。指先に触れるいくつかの傷跡が、新品ではないことを告げる。

 コン コン コン

 来訪者の音に黄鈴が「おー」返事をする。白いドアから顔を覗かせたのはリノだ。耳元でゴールドのロングバーピアスが揺れている。アズの姿を見つけると、嬉しそうに微笑んだ。

「よかった。入れ違いになってたらどうしようかと思ってた」

 持っていた高級感漂うブラウンの紙袋を絨毯の上に置くと、中身をひとつずつ出す。

「着られそうなやつ持ってきたよ」

「お、ちょうど話してた」

「そう? トニーのでもいいんだけど、派手すぎるかなって」

 会うたび全面柄のシャツを着ていたことを思い出して苦笑する。今日は黒衣だったが、その下はやはり柄シャツだった。あれを着るのは勇気がいる。

「……そういえばリノさんって、」

 女性の服装を好むのでは…いつか読んだ記事を頭の隅で広げる。今日の彼はグレイのシンプルなトップスに黒のスキニーパンツ。顔には化粧っけがなく、髪も黒いゴムで一括りにしているだけ。美青年ではあるが、女性には見えない。

「あ、服装? そのことも知ってるんだね」

 微糖コーヒーに似たコクのある酸味と甘みが絶妙に混ざる声が、アズの耳を撫でる。

「可愛い~のが好い気分と、そうじゃない気分があるんだ。今日はそうじゃない日ってだけ。いくら好きでも毎日毎食パンケーキ食べるわけじゃないのと一緒」

「おれは毎分毎秒、玖乃さん見てても飽きねーけど」

「どういう状況なの、それ」

 黄鈴の主張に笑いながら、リノはひとつのトップスをアズに当てる。ゆったりしたシルエットのビスケットカラー。首元は黒い紐のレースアップ。

「うん。サイズは平気そうだね」

「これ好きです……」

「本当? あまり着ていないから、どうぞ。次の島で色々揃えると思うから、好みじゃないのは返してくれていいよ」

 着やすそうなデザインばかりで、どれも生地の質が良い。貰っていいのか尋ねると「勿論。遠慮しないで」煌めく夜空のように微笑まれた。

「小物は当分予備のを使ってもらうとして……あ、キッチンは見た?」

「やっべ。今行こうと思ってたとこ」

「寝る体勢だった子の台詞とは思えないね~」

「忘れてねーって、マジで」

「はいはい」

 服を畳みなおしているリノのすぐそばに、黄鈴が音も無く降りる。

「食材とかキッチン用品とか、必要なもの考えといてね。きみが使いやすいものを揃えよう」

「なー、今日の飯は?」

「僕とサトリくんで作るよ。主役には楽しんでもらわないと」

「まっ…!」

 立ち上がりかけたアズだったが、激しい音を立てながら椅子と共に転がりそうになる……のを黄鈴が片腕で阻止する。呆れた色を滲ませる濁った赤茶色に、アズは眉を下げて笑いかけた。

「ご、ごめん。興奮しちゃって……」

「どこに興奮する要素があんだよ」

「だっ、推しが! 推しが料理してくれるんだぞ!」

 デスクをバンバン叩きながら早口で捲し上げる。頭の上に疑問符を飛ばしたままの黄鈴がリノに助けを求めるが、彼は眼鏡の向こうで涙を溜めながら笑いをこらえている。華奢な肩が小刻みに揺れ、抑えた口の端から小さく声が漏れている。

「くっ、はは…っ。トニーの言う通り可愛い子だよね」

「可愛いかぁ?」

「玖乃くんに対する黄鈴くんも似たようなものじゃないか。お茶淹れてもらうだけでタップダンスしそうな勢いで喜ぶでしょ」

 理解できないという顔で腕を組む黄鈴だが、リノからして見ればアズと大差ない。「好き」への溢れんばかりの情熱は、傍から見れば狂気ともとれるが、微笑ましくもある。分量と矛先を間違えると大惨事だが。

「黄鈴は玖乃さん推しか……」

「推しって言うな。未来の嫁さんだ」

「ガチ恋ね、わかった」

「今のところ凄まじい一方通行だから見てて面白いよ」

「面白がるなよ! これでも進展してンだからな!」

 犬歯を剥き出しにして吠える。「もう案内してやんねー」「ごめんって」ふん、鼻を鳴らす黄鈴に、アズとリノは目を見合わせて小さく笑った。

「でも意外。黄鈴と玖乃さんって、性格合う感じじゃないのに」

 雑誌でも二人の仲が好いなんて載っていなかった筈だ。エンゲージしていない玖乃については、そもそも情報が少ないのだが、出回っている写真は雪愛とのものが多い。

「玖乃さんはおれの……恩人だから」

 濁った赤茶色が、アズの目を貫いた。迷いが一切ない真っ直ぐな眼差しに込められているのは、たっぷりの敬愛と慈愛。

 しかし黄鈴は何か思い出したように目を瞬かせ、唸りながら癖の強い髪を掻き毟る。

「あー……面倒なことも思い出しちまった」

「え、なに? このまま二人の出会いについて話してくれていいんだよ? 推しの過去は夢人マニアの大好物だよ!」

「面倒だから、また今度」

 くしゃり、べったりした黒髪を乱雑にひとなですると、黄鈴は部屋から出ようと脚を進める。

「ほら、見たいんじゃねーの、厨房」

「うん!」

 今度こそアズは立ち上がり、釣られてリノも腰を上げる。畳んだ服は空いていたキャビネットにしまってある。

「僕とも、またゆっくりお話ししようね」

「え、いいんですか……!」

「きみも紺碧の船員クルーだもの」

 黄鈴が乱した髪を整えるように、リノの長い指先が黒髪を梳く。手に入れたばかりのぬいぐるみを撫でるような手つきがこそばゆくて、小さく肩が竦んだ。

「紺碧の空なら、星も輝きがいがあるでしょ」

「…星?」

 眼鏡の奥の灰色は、感情を見せずに笑った。

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