落ちた星は輝くか
「アズっちって、料理はどこで習ったン?」
口の中で溶けるモッツァレラチーズの程よい酸味と甘みに頬を染めたアンソニーが身を乗り出す。アズはフォカッチャにトマトソースをディップする手を止めて、きっかけを思い出した。
「基本は独学。だけど、昔お世話になった人が凄く料理上手で、それに憧れて始めたんだ」
まだこの島に来る前のこと、お腹が空いたと愚図るアズに「内緒ですよ」と振舞われたパンケーキの味をずっと追い求めている。彼の料理を食べた記憶は数回だが、思い出に残る美味しさだったのは間違いない。もう声も顔も思い出せないけれど。
「探求心は人を輝かせる」
グラスを傾けた峯の口の中に、さっぱりしたレモンとカモミールの風味が広がる。アズ特性のフレーバーウォータは、重くなりがちなチーズの濃厚さをリセットしてくれる。
「きみに才能があるのは間違いないだろうけど、そこで留まろうとしないから、人を感動させる料理が生み出せるんだろうね」
「才能、なんて」
磨かれた眩しすぎる賛辞の言葉に、アズの頬が熱くなる。これほどの美丈夫が微笑みながら自分だけを見つめていたら、性別など関係なくなってしまう。
「気持ちは素直に表現したほうがいい。特にきみが笑顔になれる感情は、周りに分け与えることで何倍にも幸せが増すよ」
「あ、ありがとう。凄く、嬉しくて…慣れてないからなんて返したらいいか」
「こーんな美味しいなら、みーんな喜んで食べてくれるっしょ?」
コンソメスープを飲み干したアンソニーに、アズは曖昧な笑みを贈る。そうであれば、どうれほど充実した日々を送れるだろうか。言葉に出すのは情けなくて、誤魔化すようにミートボールを頬張った。その様子を、峯はただジッと見つめている。
「…島が賑わっているように感じるけど、なにかあるのかい」
「三日後に、
祭りに合わせたように島中の花が咲き出し、どの家もピンクや緑のリボンで可愛らしく飾り付ける。観光客が増えるとその分活気付き、春の訪れを島全体で盛り上げるのだ。
「あ、よかったらデザート食べる?」
「マジでェ?めーっちゃ、テンション上がる」
春宴の話題で思い出したのは、今朝作ったタルト。残りは丁度三切れだ。
艶やかなベリーの中から、眉の下がった自分が覗いている。憧れの人たちを前にしてこれほど情けない顔をしているのか。なんて勿体ないことをしているのだろう。
「…春宴は、料理が好きな人たちが春の食材を使った自信作を持ち寄って、一番を決めるんだ」
切り分けたタルトを皿に盛りながら、背中を向けたまま話し続ける。
「おれは、これを出そうと思ってる。…まだ、審査通ってないけどね」
どの料理も真心を込めて作っている。誰よりも自分が、自分の料理を「美味しい」と思っているし、好きだ。これを食べれば皆認めてくれる。おれのことを見てくれる。ずっと、そう信じて続けてきた。
ロナルドに一瞥さえされないのは悲しい。苦しくて、悔しい。でもあの時、もっと粘れなかったのは、これ以上拒絶されるのが怖かったから。料理も、自分自身も。
けれどこのままで終わりたくないのも、アズの本音だ。
アズは『気持ちを素直に表現した』。
「おれの、とっておきだよ。どうぞ!」
何かの悪戯で、折角こうして出会えたのだ。彼らには、笑っている自分を覚えて欲しい。そう思えば、頬は自然と綻んだ。
「うっわ!すげェ!」
「綺麗なベリーだ。長く海の上にいると、新鮮な野のものを口にする機会なんて無いから、有難いな」
嬉々として一口食べた瞬間、二人の顔色が更に華やいだ。クッキーとスポンジの間のような食感の生地。鼻を抜ける熟れた果実とバニラの香りが脳を溶かす。噛むたびに口の中で弾ける甘酸っぱさと、それを更に引き立てつつも存在を主張するクリームが躍り出す。
二人は食べ終わるまで、何も言わなかった。
「ボク、ここまで美味しいタルト、初めて食べたよ」
「ベリーここの特産?めーっちゃ、甘いの」
「それはおれが育てたよ」
止まらない感想。褪せない笑顔。渇望していたものが、一歩踏み出すだけで手に入るなんて知らなかった。
「ひとつ気になるんだけど。どうして
フォークを皿の上へ戻した峯は、脚を組みながら背中をソファに預ける。見慣れた室内が、一気に魅力的な絵画の世界へ変わった。
「おれが初めて
峯の眉が少し寄り、アンソニーが気まずそうに視線を逸らす。アズは二人の様子に気付かないまま、ベリーをつついた。
ルージュとは、
「『牙狩り』に特別心打たれたわけじゃないけど、なんとなく気になって、
「…へェ、古参ぢゃん」
「そうなるのかな」
月刊海風を買い出したのは、紺碧が結成された後だ。
「ルージュのことは、気になるのかい」
「え?…あー、強いとは思いますけど、パフォーマンスが見ていて怖い…かな」
「そう」
始まりは確かにルージュの記事だったが、彼らは自由よりも別の何か…もっと深くて熱いものを求めているように見える。彼らの活動は、世界のバランスを崩しかねないものに思えて怖いのだ。
アズの答えに満足したのか、脚を組み替えた峯は機嫌よさげに笑った。その横でアンソニーは、安心したように息をついた。
「今日はありがとうね、アズっち」
「無理言って悪かった」
アズが玄関を開けると、空は夜を纏っていた。ここから見る星なんて
「そんな!おれのほうこそ、あんなに美味しそうに食べて貰えて、本当に嬉しかった。変な話をしちゃったし…」
食器を片付けた後、食後の紅茶を振舞いながら、アズは
紺碧推しでよかった・・・。海賊にしては優しすぎる彼らを好きでいることに、誇りを持てた時間だった。
「気にするな。料理、全部美味しかった」
「ひぇ…恐れ多い…」
深く被った三角帽子を少し持ち上げた峯の笑顔の眩しさに、アズは思わず身を竦めて目を閉じてしまう。その様子にアンソニーが噴出しアズの肩を軽く叩く。
「ぶっほ、マージ、アズっち面白すぎィ」
けらけら涙まで滲ませて笑い続けるアンソニーの頭を峯が小突く。大して痛くもないくせに「いって」と反応する様まで楽しげだ。酒を摂取したわけではないのに、どうしてこんなに浮かれられるのだろうか。一種の才能だ。彼を見ていると、誰もが元気になる。
「お口にあったなら、幸いです…」
「ああ。…是非、また食べたいな」
帽子を被りなおすと口元だけしか見えないが、微笑んでいるのがわかる。
「そりゃもういつでも!ご用意いたしますので!」
声がひっくり返るのも致し方ない。
これほどの美丈夫を、メディアが捉えていない理由がまるでわからない。僅かな時間で峯の虜になったアズは今すぐにでも彼の存在を誰かに話したく仕方がない。けれど、自分の胸のうちだけで留めておきたい思いも強い。
「その言葉、忘れないで」
峯の硬い指先が、アズの頬を撫でた。触れたところから発火しそうだ。
「あーあ。まーたそんなことして。怒られても知らねェよ?」
「きみが言わなきゃいいんだよ」
「『聞いて聞いて~!この人誑しがまた純情なハートを弄んでたんですぅ』って?言えるわけねェじゃん」
両手をポケットに突っ込んだアンソニーが片足で峯をつつく。
「この人、すーぐ口説くんよ。本命いるくせに」
「え!本命!そんな情報出回ったら戦争起きちゃいますよ」
そもそも何故情報が回るのか。陸地より海が多いこの世界で、口伝えや新聞だけではそうもいかない。そこで活躍するのが
「そうだねェ。だからアズっち!誰にも言っちゃいかんよ~!」
アンソニーに人差し指を向けられたアズは、口を両手で抑えて何度も頷く。言えるような同志はいないが、うっかりドールには零してしまいそうだった。ドールのことを信用していないわけではないのだが、万が一そこから漏れてしまう可能性もゼロではない。
「いい子」
ぽんぽん。峯に頭を撫でられる。
こんな風に撫でられたことなんて、記憶の片隅にも落ちていない。じんわり胸に広がったのは、憧れからくる照れよりも別のなにかだ。名前は、知らない。
「あ、の、いつまで…いつまでここに?」
「春宴、だっけ?面白そうだから、それまでは停泊する予定」
「アズっちが腕によりをかけた絶品スウィーツに投票するねェ」
胸が跳ねる音がした。期待や興奮からではない、痛いところを突かれたとき特有の変な汗が出てくる嫌な跳ね方。思わず左胸をさする。峯が首を傾げ顔を覗き込もうと身を屈めてくれたが、笑って誤魔化す。
ロナルドの冷たい表情を思い出すと、指先が冷えてくる。けれど、もう逃げないと決めたのだ。ここで弱っていては、一歩を踏み出せない。
春宴。焦がれるあのステージに、自分の料理が並ぶ光景をイメージする。それを実現できるのは、自分だけだ。
「おふたりにそう言って頂けるだけで、おれには優勝以上の価値がありますよ」
強く握り締めた拳を隠して、アズは笑ってふたりを見送った。
もう一度だけ、挑戦しよう。そう思えたのは、彼らの笑顔のおかげだ。
「結構気に入ってたぢゃん。珍しいねェ、キャップ?」
頭の後ろで腕を組んだアンソニーは、ニヤニヤ笑いながら隣の男を覗き込む。相変わらず前だけを見ている深海色の目は、夜空に負けないぐらい輝いている。それを見てアンソニーは益々笑みを深くする。
この人が楽しそうにしている、これほど嬉しいことはない。
「最後に出てきたタルト、きっと雪愛も喜ぶ、と思って」
「そうねェ。うちにはそもそも料理人いないしィ、ぴったりな気がすんのよ」
身振り手振りを交え、顔を赤くして前のめりで話す様は、純粋に可愛らしかった。自分の船にはいないタイプだから余計だろう。話の中身も、身に覚えがあったりなかったりする紺碧の武勇伝ばかり。好意を持って接してくれる相手に対して、嫌な感情を抱くことはよほどのことがない限りはありえない。
「先に言っとくね。おれは賛成~。むしろ大歓迎~」
「きみは料理当番から外れられたら、誰でもいいんじゃないのかい」
欲しい答えではなかったことで気分を降下させ、アンソニーは舌を出す。誰とでも緩く付き合える彼は、怒ることはないが、親しい相手だと気分の上下がかなり激しくなり、それを態度で現す。分かりやすいが、面倒くさい。本人はその感情さえも見据えてやっているのだから、余計厄介だ。
「…迎えに行く、つもりさ」
「本当?さっすがキャップ~」
結局乗せられて彼の望む言葉を投げてしまう。呆れから零れ落ちたため息は、ころっと態
度を変えたアンソニーに対してか、それとも絆されている情けない自分に対してか。
「星を隠しておくには、暗すぎるだろ」
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