第13話「太陽と大地と月の刻印の下に」
「一体、何をしようというのだ」
ミーナは毅然とした態度でそう言った。
イーヴルに身体を抱えられて空間移動した先は、どうやらそんなに離れた場所ではないようだった。
彼らが先程までいた森と同じ森のようだ。
だが、どうやら結界が張られているらしく、他の者の気配は全く感じられず、本来なら木々の葉擦れ、小川のせせらぎ、獣たちの咆哮などが聞こえるはずが、それらが全くしない。
イーヴルは抱えていたミーナを降ろした。
「単刀直入に言おう。我を滅してくれ」
「何故?」
問われるとは思っていなかった。
「我は旅立った方がよいと思わないか?」
「クリフはそうは言ってなかったぞ」
「………」
耳が痛くなるくらいの静けさの中、二人は相対していた。
すると、ミーナがひとつため息をつくと言葉を続けた。
「正直、私は邪神は滅せられるべきだと思っている。クリフは己の父親だから感傷的になっているだけだと、な。だが、生き恥を晒すよりは旅立ってしまった方が楽だというあなた方の気持ちは確かにただの逃げでしかないとも思う。クリフの言うように我々を指導し続けるのも一種の罪滅ぼしともなるだろう」
「………」
その通りであるから何も言えない。と、イーヴルは思った。
「だがまあ、本来なら指導するというのもおかしな話だ。オムニポウテンスの腹心である小神達が我々を指導するのが筋だ。もちろん、あなた方も邪神として封印されていなければ、私やクリフやティナを指導する立場だったはず。とはいえ…」
ミーナは少し考えこむ。その彼女の表情が少し変化した。だが、それはイーヴルは気づかなかったようだ。
そして、彼女はおもむろに言いだした。
「わかった。あなたを送ってあげよう」
と、同時に、ミーナの額の太陽の刻印が光り出し、その光がだんだんと強くなっていった。その眩しさに目を細める。だが、この光がなぜか心地良いとイーヴルは思った。これがいわゆる「死」というものであるなら、なんと幸せな最期だろう、と。
「最期ではない」
ミーナの口からミーナではない声が発せられた。
はっとしてイーヴルは目を見張る。
その声には聞き覚えがある。
「イエホヴァ様」
「イーヴルよ。本当の意味での死は誰にも、我々でさえも訪れないのだよ」
創造主は続ける。ますます光を発しながら。
「魂というものは実体はないが、消えることはなく、未来永劫そのまま存在を続けるのだ。とくに世界を導く存在である御前達は記憶もそのままに、いわゆる転生を続けていくことになる。そして、罪を犯した者たちは別の世界で再び肉体を得て生き続けることになるのだが、罪人として送られた世界では前世の記憶はいったん剥奪される。そこでまっとうな生を生きれば、次の生では全ての記憶を取り戻せるのだ」
「ということは、我はこれから別の世界へと送られるのか。もしかしたら、そこでは互いに記憶をなくしたスメイルとも出会うことになるのだろうか」
創造主が微かに笑う。
「健闘を祈る。精進せよ。もっとも今の記憶は封印されるがな」
そして、ますます光は増し、もう何も見えなくなるほどに辺りは光で埋め尽くされてしまった。と、次の瞬間、突然、光が消滅した。残されたのはミーナ一人だった。
「………」
彼女は呆然としていた。
その様子をオリオンが見たとしたら驚いたことだろう。それほど、彼女はひどく驚愕していたのだ。
「なんということだ」
創造主はすでに彼女の中から去っていた。
「で、結局はファーはどうなったんだ?」
ミーナが一人で皆のもとに戻って、事の顛末を報告した後に、ドーラが叫んだ。彼にとってはイーヴルがどうなろうと知った事ではなかったが、ファーの身体まで消滅してしまったようだと聞いたからには納得できるわけがなかったのだ。
「創造主が去る時に、ファーも連れて行くと言っていた。恐らく彼は創造主と共に生きていくことになるのだろう」
「なんだよ、それ。ファーにはもう会えねぇのかよ」
ドーラは悔しそうに言った。
それを見たティナがドーラの背中をさすりながら「そうでもないわ」と言う。それを聞いて不思議そうな表情をドーラは見せた。
「ドーラ、あなたは神となるのよ。創造主の傍にいるということは、いずれはファーにも会える時がくる。だから、気落ちしないで。いつかきっと会えるわよ」
「ティナ…」
そんな二人を複雑な気持ちで見つめていたミーナは、おもむろに歩き出し、オリオンの傍にやってきた。オリオンはそれをずっと見つめていたのだが、彼女が珍しく気落ちした風体だったので少々違和感を抱いていた。
「ミーナ? 大丈夫か?」
「……創造主の言ったことが真実だとすれば、母もまたどこか別の世界で別の人生を生きているということなのだろうか」
「え…?」
彼女の言葉にオリオンが訝しげに首をかしげた。
そして、周りの者たちもじっと聞き入る。
「この世界の上級魔族は別の世界の神々だとすれば、同じように母達もまた別の世界で魔族として迫害されて生きているのかもしれない」
「いや、そうとも限らないぞ」
ミーナの呟きを遮ったのはジュリーだった。
「この世界の魔族は確かに別の世界の神々だろうが、魔族となって迫害されているのには理由があったはずだ。罪人として送られてきた神だと、な。とすれば、罪を犯して亡くなったわけではない神は迫害される立場で転生しているわけではないと思うが」
「そうだろうか」
ミーナが心もとないといったような表情を向け、それを見たオリオンは少なからず驚いた。
ずっと年齢に似合わない大人びた態度で生きてきた彼女が、これほどまでに稚い様子を見せることは珍しい。それこそ、彼女の母親であるノナビアスが亡くなった時くらいだったはず。それだけ、彼女にとって母親とは大きな存在だったのだ。
「あーーーーもーーーーーどうでもいーじゃん!」
その時、イライラした声をシモラーシャが上げた。
「もうね、ここにいない人の話なんてどーでもいいじゃんか。あたしの両親だって、もうとっくの昔に死んじゃったよ。でも、生きてかなきゃいけないんだよ。自分は今生きてんだから。だったら、今、自分ができること、やらなきゃダメなことだけを考えて前向いてやってこーよ」
仁王立ちしてシモラーシャはまくしたてた。
「そうだな。その通りだ」
ここぞとばかりに、ジュリーが答えた。
「ぐだぐだ考えてる場合ではないぞ。これからは皆で協力して世界を作り上げていくのだ。俺は人間だが、協力は厭わない」
「ほんっとえらそーなおっさんだよなっ」
「なんだと、このガキ」
「ああん? やるのか、おっさん」
ジュリーとドランが一触即発で言い合う。だが、妙にそれがほのぼのしているのは気のせいではないようだった。彼らは彼らで、この場を和ませようとしていたのだろう。それを見たクリフが苦笑した。
「まったく…もうちょっとミーナの気持ちも考えてやってあげなよ」
「……いや、すまん。私が悪かった。神としての自覚がなかったな。母は私にとって特別な存在だったから」
ミーナにしては最大限の譲歩だったのだろう。いつもの尊大さが鳴りを潜めていた。それを見たオリオンはこの上ない優しい目でミーナを見詰めていた。
そして、その場の空気が多少は和らいだようだった。
そんな和らいだ雰囲気の中、太陽の神であるミーナは決意を固めたような表情で顔を上げた。
「これからこの世界をより良く導くため、我等三名以下、新しく加わる神たちを宜しく御指導お願い致す。バイス殿、マリス殿」
「えーーー僕達ですかあー」
すっかり、マリーの姿に戻った音神は、至極面倒だといった表情を見せて不満たらたらにそう言った。
「マリス様…」
それを頭を抱えたバイスが咎めるように呼んだ。
「いつからそんな軽い人間風になったんですか。そんな貴方を今まで見たことありませんでしたよ」
「おまえと別れてから僕もいろいろあったんだよ。成長したと言ってくれ」
「それは成長とは言いませんがね」
マリーの言葉にボソッと呟くジューク。隣でその言葉を一人聞いていたシモラーシャが珍しいといった顔を見せた。ジュークがそんな嫌味を言うとは思わなかったのだろう。
すると、何かを思いついたのか、シモラーシャがニヤリと笑う。
「そうよねえ。新しい神々を教育する教育係としての神様って、すっっっごく素敵なんじゃないかなあってあたしは思うなっ!」
「えっ?」
マリーがシモラーシャの言葉に耳をビクッと動かす。
「教育係のマリーかあ。そんな頑張ってるマリーをかいがいしくお世話する世界最強の女剣士ってーのもいいかもねっ!」
「…………」
マリーの身体がふるふると震えている。
それをしてやったりという表情でシモラーシャは見つめた。
「ミーナさんっ!」
マリーはミーナの手をがっしりと両手で握りしめ、叫んだ。
「僕にお任せくださいっ! 必ずやあなた方を立派な神に育て上げてみせますよ!」
それを、こっそり舌を出して「ちょろいよね」と呟いたシモラーシャのことをマリーはまったく気づいていないようだった。
それから、ミーナ、クリフ、ティナの三人の小さき神、その従者であるオリオン、ついでにドドス、リリス、ドラン、ドーラ、そして、カーリーとサフランたちは、マリーとバイス、ついでにスレンダやシモラーシャ、ジューク、そしてクリジェスとともにとりあえず魔法の塔へと向かうことにした。
「俺は一旦国に戻る。それからリリンを連れて魔法の塔へと向かおう。おまえも会いたいだろう?」
彼はそうリリスに向って言った。
「ありがとうございます。リリンは元気ですか?」
「うむ」
リリスはホッとして微笑んだ。
「では、魔法の塔でまた会おう」
ジュリーの言葉にその場の皆が頷いた。
新しい風が吹こうとしている。
世界はこれから始まる新時代を感じ取り、喜びに胸を躍らせているようだった。それは、空に緑に大地に太陽に現れて、すべてがいつもより輝きに満ちているように見えていたからだ。
「…………」
それを全身で感じ取っているのがスレンダだった。
彼女はシモラーシャの傍で幸せそうに笑っているマリーを見て、さらに実感していた。
(音神マリス、ようやく貴方は救われたのですね)
かつて彼につけられた傷は完全に癒え、そのことでかつての仲間が幸せを掴んだのだと感じた。
これですべてが終わった。いや、終わったわけではない。これからが始まりなのだ。
新しい時代の始まりが。
「あ…」
その時、ミーナの額が光った。
そして、それに呼応して、クリフとティナの額も光りだし、世界を照らし出す勢いであたりを光で満たした。
それでも、ここはまだまだ魑魅魍魎巣くう魔法の世界だ。いつ何どき人々を襲うかもしれない魔族がウジャウジャいる。
だが、これからは新しい神々のもと、人間達もそんな魔族と戦っていくだろう。
世界は美しい。そんな世界を愛する神と人で、これからもますます繁栄していくことだろう。
太陽と大地と月の刻印の下、ますます美しく健やかに。
2018年6月9日記
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