第11話「闇神イーヴル再び」

 あれから湖の傍に残された者たちは、神の子たちが戻ってくるのを待ち続けた。

 クリフが消えてしまってしばらく半狂乱となっていたリリスを、ジュリーがなんとかなだめ、その二人をカーリーとサフランは心配そうに見つめていた。ティナが消えてしまって呆然としていたドーラは、それでもうろたえることなく、いずれは戻ってくるはずだと自身に言い聞かせ、待ち続ける決心をした。そして、ミーナが消えてしまい、連れて行ってもらえなかったオリオンは少なからずショックは受けてはいたが、恐らく、そういった状況は今までに何度もあったことだろう。今は彼だけでなく、残された者たちは皆、辛抱強くその場所で待つことにしたようだった。

 シモラーシャとジュークは同行していた人物、それはマリーなのだが、いつのまにか姿を消していたので探してくると言い残し、すぐにまた戻ってくることを約束して、今はその場所にいなかった。

 ドドスはというと、いますぐにここからどこかに行ってしまいたい気持ちをグッとこらえて耐えていた。やはり、ミーナのもとを去りがたかったからだ。

「オレさー思うんだけどー」

 そんな時に、緊張感をまったく欠いたクリジェスが言い出した。

「邪神、邪神って言われてるけどさ、それってほんとーのほんとに邪神って言われるべき存在なんかなーって」

「それはどういう意味だ?」

 クリジェスの言葉に反応を示したジュリーが不機嫌そうにそう言った。

「奴らは邪神と言われてもしかたないことを現在もしているではないか。俺はこう見えても各地を訪れて、復活した邪神が引き起こした騒動をこの耳で聞いてきたのだぞ」

「うーん。そうなんだけどさ。オレは他人の見聞きしたことより、自分が体験したことしか信じねーから、鵜呑みにしたくねーんだよ」

「………」

 ジュリーがますます不機嫌そうな顔をした。

「俺はどちらの言い分にも頷ける」

 そう言いだしたのはドーラだった。

 かつて、美麗の傀儡師と戦ったこともあり、そして邪神である魂神を目の当たりにした彼である。

「上級魔族のベルタムナスは本当に残酷な奴だった。そんな者を従えていた魂神であるから、どんなに凶悪な存在であるかと思ったが、まったくそんなことはなかったんだ。あれほど神々しく、そして深い悲しみを湛えた存在が邪神だとは信じられなかった」

 ドーラはしみじみとそう言い、ふと思いついたようにドドスに視線を向けた。

「お前なら邪神の本質もわかるんじゃねぇか、風神に仕えていた暗黒神官だっただろ?」

「………」

 ドドスはギロリとドーラを睨んだ。

 だが、ひとつため息をつくと話し出した。

「確かに、カスタム様は恐ろしい存在ではあったが、ひどく人間的な面も持っていた。今から思うと、邪神というには…その…なんというか…」

 ドドスは言い淀んだ。

「小物だって言いたいのでしょうねえ、あなたは」

「なっ!」

 ドドスはギョッとして振り返った。

 他の者たちも振り返る。

 そこには満面な笑顔で、なぜか片方の頬を赤くさせたマリーが、ムスっとしたシモラーシャと、これまた能面のような笑顔を見せるジュークを従えて立っていた。

「カスタムは昔からそういうヤツでした」

 マリーは肩をすくませながら歩いてくる。

「昔からと言ったな。君は風神をよく知っているようなことを言うが、君は一体何者だ?」

 目を細めてジュリーがそう言った。

「僕はマリー、しがない一介の吟遊詩人です。ですが、それは仮の姿…」

 マリーは高貴な相手に対して行うようなお辞儀をしながらそう言うと、一旦言葉を切り、豹柄のマントをヒラリと翻す。それから、まるで目下を見下すように両手を腰に当てふんぞり返って言いきった。

「音神マリスとはこの僕のことだ」

「なっ!」

 その場にいるシモラーシャとジューク以外は全員、驚愕の声を上げた。

 だが、その瞬間、人々の中のある一人の身体がユラリと揺れてその場に倒れた。

「えっ?」

 傍に立っていたオリオンが小さく声を上げた。

 倒れてしまった人物はクリジェスだった。

「おいっ、君、どうしたんだ?」

 オリオンは跪いてクリジェスの身体を助け起こそうとした。

 他の者たちも何事かと思い、彼らの方に目を向けた。

 すると、オリオンに身体を支えられたクリジェスから一気に黒い靄のようなものが吹き上がり、あたりを一瞬のうちに覆い尽くしてしまったのだ。

「なにぃっ?」

 ジュリーの怒号が上がる。

 他の者たちの声も次々と上がる。

 そして、混乱の元であるクリジェスを支えているオリオンはたちまちのうちに意識を失っていった。

(な…何が起きたんだ…?)

 薄れゆく意識の中、彼は懐かしい人の声を聴いたような気がした。

 彼が一番信頼していたその人の声。

 愛するミーナを生み出した存在。

「オリオン」

 はっとしてオリオンは目覚めた。



「ぼーっとしてどうしたのかしら? オリオン?」

 すぐ傍で女性の声がした。

 彼は振り返る。

 そこには淡いピンク色の長いドレスをまとった女性が立っていた。長い茶色の髪の毛を無造作にそのまま背中に流し、何の装飾もつけていない姿ではあったが、身内から高貴なオーラを放って彼女はその場に立っていた。彼を見つめる茶色の双眸も強い光を湛えていて、思わず見入ってしまうほどの強さを持っている。

「キャプテン・ノン」

 思わず彼は呟いた。

 その声は幼く、少年の声だった。

 キャプテン・ノンと呼ばれたその人は今自分たちが乗っている空を飛ぶ船の船長であり、名前をノンと言った。本当の名前はノンではなく、それは愛称だったのだが、彼女はその愛称で呼ばれることを好んでいた。

 少年であるオリオンは再び前方に視線を向けた。

 全面ガラス張りのその壁の向こう、闇の深淵が続いていた。が、そこには星々の輝きも見て取れて、何ともいえない情景が広がっている。

 彼はこの場所から永遠に変わる事のないその情景を眺めるのが好きだった。

 幼い頃からの憧れであり、いずれは空飛ぶ船に乗り、広大な空の彼方へと旅立っていくことを夢見ていたが、その夢が叶うことになって、まるで現実なこととは思えないと時々思うこともあった。

「さあ、行きましょう」

 すると、ノンが彼を振り返って微笑んだ。

「え、どこへ行くのですか」

「私の友のところへ」

 その声とともにオリオンの周りが再び暗闇に包まれた。

「この宇宙の中心、惑星テラ」

 どこからともなく聞こえてくるノンの声。

 その声は無機質で何の感情もこめられていない。

「隣の宇宙とこちらの宇宙と三つ子だった私達。私だけは人型で生み出され、シンとジンは宇宙という存在で生み出され、そして、シンは消滅してしまった。その消滅がまさか姉であるスメイルのせいだったとは、さすがの私にもわからなかった。後に本人からそれを知らされた時には、そこまで私達を憎んでいたのかと愕然としたものだけど。それを知らされた直後に、私とスメイルは共倒れをしてしまったから、私達の会話を知っているのは私に力を貸してくれたジュークのみ」

「………」

 ノンのこの言葉は記憶の中の言葉ではない。

 どういうわけかわからないが、この暗闇の中、ノンの魂か何かが、自分に真実を知らせてくれているとオリオンは感じていた。

 すると、闇が払われた。

 オリオンの隣に静かに立って、目の前で点滅している大型の機械を見詰めていた彼女、ノンは慈愛に満ちた眼差しを彼に向けた。

「オリオン」

「はい」

 ああ、自分の声が幼い。

 これはあの時の記憶だ。

 ノンの友であるジューク、コンピューター・ジュークの元に連れてこられたあの十歳の時の記憶。

 オリオンはノンの美しい顔を見詰めながら、何となく誇らしげな気持ちになっていた。

 伝説の英雄であるキャプテン・ノンの片腕としてこの船に乗せて貰えたことは、彼にとって人生最大の誉れであったから。

「私はあなたに頼みたいことがあるのです」

 そう、そして、オリオンは彼女の娘であるミーナを託された。

 その後すぐにノンは姉であるスメイルとの戦いで命を落とした。スメイルも一緒に。

 それから、オリオンは人間化したジュークとともにミーナを育ててきたのだ。

「おまえは自分が神の子にふさわしい存在であると思うのか?」

 オリオンはその声にはっと我に返った。

 いつのまにかノンの存在は消え去り、再び彼は暗闇に包まれていたのだ。声はさらに続く。

「ただの人間であるおまえは太陽の子にふさわしいとは思えない。我が太陽の女神にふさわしくなかったように」

 直観だった。

 その声の主は闇神イーヴルである、と。

「ふさわしいとかふさわしくないとか、そんなことを思うほど僕は頭のいい人間じゃない。ふさわしくないと思うなら、ふさわしくなればいいことだ。そんなこともわからないなんて神なんて存在は本当に大したもんじゃないんだね」

「……なんだ、と」

 声に怒りが感じられた。

「怒ったみたいだね。僕はあなたたちの辿ってきたことは伝え聞くことでしかわからないが、あなたはふさわしくあるために何かしたのか? もし何もせずに手放しただけだとしたら、あなたには何も言う資格は無いと思うよ」

 そして、オリオンはひとつ息をつくと言い切った。

「僕はミーナを心から愛している。彼女のためなら自分の命も惜しくないし、彼女のためになるのならどんな試練にも挑むつもりだよ。彼女にふさわしくあるために今までずっと何年もそればかり考えて、自分にできることをこれでもかとやってきたつもりだ。そのことは大いなる自信に繋がっているし、僕は彼女を得るためにできる限りの努力はこれからもずっとしていくつもりだ」

 彼は暗闇に目を凝らし、そこにイーヴルがいることを確信してさらに続けた。

「あなたは太陽の神を得るために何かしたのか?」

「……我は…」

 何も言えるはずがなかった。

 史実によればイーヴルは太陽の女神に裏切られ、そのことで嘆き、復讐に走ったわけだ。

「わけがわからなかった。なぜ裏切られたのか、どうして彼女は私の元を去り、オムニポウテンスの元に行ったのか。考えることもできず、裏切られたという気持ちだけで、その後はよく覚えていない…」

「では、それを知るために直接本人に聞いてみては?」

「そんなことできるわけがなかろう」

 姿は見えないが、イーヴルの気配にためらいが感じられた。

「直接、彼女に聞くことは今はできない。彼女は今は転生体である女剣士の魂に同化している。どうすれば彼女の意識が現れるのかわからないからな」

「その同化した魂を呼び覚ます力はあなたにはないのか?」

「さすがに同化した魂は無理だな。眠っている魂を呼び覚ますことはできるが」

 その言葉を聞き、オリオンは思い出したことがある。

 ドーラが言っていた彼の友人のファーという人物が魂神配下の上級魔族に魂を眠らされたと言っていた。その術を施した魔族は倒されてしまったというのに目が覚めない、と。オリオンはそれをイーヴルに話し「その人物の魂を目覚めさせることはできるのか?」と聞いた。

「ベルタムナスの所業は見ていた。ファーという男が月の御子と共にいる剣士を庇ったのも見ていた…」

 イーヴルの声はわずかな間、途切れた。

 だが、すぐに声は続く。

「本来ならベルタムナスが死ねば術は解けるはずだ。それが魂が目覚めないということは別の意味がある」

「そ、それは…?」

「本人が目覚めたくないと思っている場合は目覚めない」

「そんな馬鹿な…」

 オリオンはドーラ達を知ったのもつい先ほどというくらいであるから、ドーラやファーの関係性など知る由もない。だから、ファーがどうして目覚めないのかもファー自体を知っているわけではないので想像することもできないのだ。わかりようがない。

「ひとつ提案がある」

 すると、暗闇からイーヴルが言った。

「魂の抜け殻であるそのファーという男に我は入るつもりだ。だが、その者の身体が置かれた場所は神聖な場所で、本来の力を発揮出来ぬ我にはそこに辿りつくことはできない。今までは赤毛の男の身体に潜んで移動していたが、さすがに我を宿した人間であっても光の神の庇護を受けているペンターシャンの里には入る事はできないのだ。そこで、神の子の誰かの身体に入ってその里に入りたい。人間であれば受け入れ側が納得せずとも入れるが、だが、神の子となるとそれも無理だ。なので、おまえに説得してもらいたいのだ」

 オリオンはためらった。

 そのペンターシャンの里は光の神に護られているということは、それほど大切な場所であるということだ。その場所に闇神を入れることは危険なことには間違いない。判断を誤れば大変なことになる。

 だが、ファーという人物を目覚めさせる手助けはしてやりたいと思っている。大切な人を失うことの痛みは自分も身に染みて経験したことだから。

「そうしてやりたいのは山々だが、あんたを信じる決めてがない」

 だから、そう言うしかなかった。何の解決策もないとわかっていても。

「ああ、そうだろうな。確かにおまえの言う通りだ」

 それはイーヴルにもわかっていることだったのだろう。

 少し間はあったが、しばらくしてイーヴルが言葉を続けた。

「では、これはどうだ。ペンターシャンの里から、そのファーという男をここまで連れて来てはどうだろうか。そうすれば、里を脅威に晒すこともないだろうし、もし心もとないというのなら、光の乙女がいつでも我を剣の餌食にしてくれてもよい。光の乙女の剣に敵う魔族も神もこの世界には今のところ存在しないからな」

 オリオンは少し考えた末、意を決したように頷いた。

「わかった。とりあえず、皆に話してみよう」

 次の瞬間、闇は払われた。

 はっと気づいた時には、オリオンは日の光のもと、目をパチパチとさせていた。



「いったい何が起きたんだ?」

 困惑したような声を上げるジュリー。

「あたりが暗くなったかと思ったらすぐに元に戻ったみたいだけど…」

 シモラーシャが目をごしごしさせながら言ってからはっと気づいたように叫んだ。

「そういや、クリジェス!」

「ああん?」

 クリジェスはいつの間にかシモラーシャの傍にいた。

 いったい何が起きたのか本人にもわからなかったようで「あれ、オレってなんでここにいるんだ?」みたいなことを呟いている。

「………」

 オリオンはあれからほとんど時間が過ぎていないのだと気づいた。

 だが、彼だけは少なくともまとまった時間が過ぎでいることを感じていた。つまり、自分だけがイーヴルと会話をしたようだった。

「なんだか、クリジェスから黒い霧みたいなものが出たような気がしたけど…あんた、なんともない?」

「うーん、なんかずっと眠ってたような感じがする」

 シモラーシャの問いかけに彼は頭を振りながら答えた。

「いったい何だったんだろうな」

 ドーラが呟いたのをきっかけに、オリオンが意を決したように声を上げた。

「あの!」

 その場所にいるすべての者が彼に目を向けた。

 オリオンは少し興奮したような表情を見せつつ、たった今、自分が体験したことを語り出した。

「……というわけで、僕は彼を信じてみようと思ったわけです」

 彼の話を聞いた者たちは皆一様に困惑したような顔をしていた。無表情なジュークを除いて。あのマリーでさえも「まさか人間の魂を隠れ蓑にしていたとは…」と驚いている。

「本当に信用できるのだろうか…」

 ぽつりとジュリーが呟く。それに頷くリリス。二人は過去、闇神の怖さを目の当たりにしていたからだ。

「だーいじょうぶ! そんときゃ、あたしがバッサリやってあげるわよっ!」

 明るい声が響いた。シモラーシャだ。そして、巨大な大剣を振り回した。

「それに僕たちもいます」

「!」

 突然、クリフが、ミーナとティナ、それとドランとバイス、スレンダを引き連れてその場所に実体化して言葉を発したのだ。

 バイスの姿を見たマリーの顔がこわばった。バイスはさっとマリーに近づくと「今は何も聞きません。ですが、あとで何もかも話してくださいますね?」と囁いた。マリーは無意識のうちに隣のシモラーシャの手を握った。すると、シモラーシャは力強く彼の手を握り返し、彼に頷いて見せる。マリーは「わかった」と言い、今まで見せたことのない真剣な表情をバイスに向けた。

「たとえ、父が何をたくらんでいようとも、僕たち三人がいればきっと大丈夫」

 クリフの力強い言葉が、その場の者たちの心に響いたようだ。

「クリフ、君がそう言うなら賭けてみよう」

 ジュリーが皆の心を代弁するかのようにそう言うと、クリフは強く頷いて見せた。

 ということで、この場所にファーの身体を連れてくることになったわけだが、その役目をドーラとティナが請け負うこととなった。

 ペンターシャンの里はかなり離れた場所であるため、ドーラとティナをバイスが近くまで空間移動することにした。

 そして、今、彼らの前に横たわるファーがいる。

 死んだように横たわるファーの姿を久しぶりに見たドーラとティナは二人とも泣きそうな表情を見せていた。

「ファー」

 傍らに跪き、ドーラは語りかける。

「どうして目覚めないんだ」

「……」

 ドーラの傍で黙ったままティナはファーの顔を見詰めている。

 すると、ファーの瞼がピクリと動き、静かに開いた。

「!」

 それがファー本人ではないとわかっていても、つい、やっと目覚めてくれたのかもしれないと思ってしまう。

 そして、ファーの身体はゆっくりと起き上がった。

「残念ながら彼の魂は目覚めない」

 そのファーの口からそれは語られた。驚愕な事実を。

「彼はこの身体を我に与えると言っていた。そして、魂は我に同化すると」

「嘘だ! そんなはずはない!」

 叫んだのはドーラだった。

「ファーがそんなことを言うはずがない!」


             2017年2月18日記

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