第9話「竜神スレンダの目覚め」

 最果ての地コーランドは極寒の地である。人間は住んではいない。人間が辿りつけない場所でもあったので、神々の時代よりこの地は神の住まう地だったからだ。

 どこまでも続く氷の世界。何をも凍りつかせるその場所には今は妖精たちが漂っているだけで神も住まわっていない。ただ一人の神を除いては。



  我等が王よ

  竜神よ

  その気高き心よ

  安らかに眠れ

  その傷つきし心よ

  いつの日か癒されんことを



 妖精たちの歌声が冷たい風に乗って流れてゆく。

 小さき者たちが歌いながら風に漂っている中で、何も動くものはないと思われていたが、今そこに一人の少年の姿があった。

 浅黒い肌と大きな茶色の瞳、額には銀色のセルクルが輝き、妖精たちにまとわりつかれるのをそのままにし、この極寒の地に一人立っている。その少年がふと中空に視線を泳がせた。

「何かくる…」

 彼の呟きと同時にその場所にいきなり現れた者たちがいた。

 そう、言わずと知れた氷神バイスと、クリフ、ミーナ、ティナである。

 少年はいきなり現れた者たちに驚いたようだったが、その中のクリフを見つけ駆け寄った。

「クリフ!」

「ドラン?」

 少年は竜族の子供ドランだった。

 彼はクリフに抱きついた。

「こんな所で会えるなんて!」


 ドランは彼らを氷の宮殿に招いた。

 何もかもが氷で作られた宮殿は寒々としている。人であればこんな場所に一時でもいられないことだろう。だが、神である彼らにとって寒さとか暑さは関係なく、どんな場所でも存在することができるのだ。

 クリフとドランは他の者たちより先を歩いていた。

 そのすぐ後ろをミーナとティナが歩いている。二人とも神妙な顔つきで静かに歩いていた。

 そして、彼らより少し離れた後ろをバイスが静々と歩いている。その表情は彼が一体何を考えているのかわからないほどに無表情だった。

 ドランは後をチラチラと見ながら、隣を歩く親友に声をかけた。

「なあ、クリフ、後ろの白い奴って…」

「うん、氷神バイスだよ」

「あちゃ…なんでそんな奴と一緒にいんだよ…」

 ドランが頭を抱え、そう言った。

 すると、それを聞いたからかどうかはわからないが、後ろからそのバイスがドランに声をかけてきた。

「スレンダは息災ですか」

 ドランは思わずビクッと肩を震わせた。

 だが、そこはやはり生意気盛りのドランである。顔を強張らせながらだったが、後ろを振り返って問いに答えた。

「息災って言えるかどうかわかんねえよ。音神のせいでよ」

「え…どうしたの?」

 ドランの言葉にクリフが聞いた。

 ドランは友の疑問に答える。

「音神がいきなりスレンダ様を攻撃してきやがったんだよ。今はその傷のせいで眠っておられる」

「マリス様が…何があったのだろう」

 バイスは考え込むようにそう言った。

 ドランはそれを眇めた目で見ていたが、何かを思いついたような様子で傍らのクリフを見てから、次にミーナとティナにも視線を向けた。それから、おもむろにクリフに顔を向け、熱のこもった声で言った。

「なあ、クリフ。スレンダ様は邪神戦争後に癒しの能力が失われ、傷も自らの力で治すことはできないんだ。普通の傷なら人間と同じスピードで治るけど、この傷は同じ神につけられた傷だ。だからなかなか治らない。そこでクリフにお願いなんだ。そこにいるのは太陽と月の御子だろ? 大地の御子であるおまえと三人だったら、きっと治せると思うんだ。だから、頼むからスレンダ様の傷を治してくれねえかな」

 すると、ミーナは憮然とした表情で答えた。

「自業自得だ」

「なんだって?」

 ドランはそんな言葉がミーナから出てくるとは思わなかったらしい。彼はミーナを睨み付けた。

 ティナはおろおろしながら睨み合う二人を交互に見ていた。 

「自業自得だと言ったのだ。所詮、邪神同士の小競り合なんだろう。虫のいい話だな」

「スレンダ様は邪神なんかじゃねえよ!」

 ドランが怒鳴った。

 悔しさのあまり顔が赤くなっている。

 それに対してミーナは冷ややかな表情でドランを睨んでいた。

「スレンダ様はもともとは闇神のもとに一時身を寄せていたに過ぎねえ。そんな時にあの戦争が起きちまったんだ。いわば巻き込まれただけなんだよ」

「そうです。スレンダは我々の一族とは無関係なんですよ」

 ドランの言葉を補足するようにバイスが言った。そして、更に言う。

「それに、邪神戦争も巷で言い残されていることとは少々違っているのですよ」

 バイスの言葉に、クリフも頷く。

 彼は氷神の心を垣間見たので、その言葉には大いに頷けるのだ。

 バイスはクリフに頷いてみせると、ミーナとティナ、そしてドランに顔を向け真剣な表情を見せた。

「あなた方にも本当のことをお教えしましょう。できればスレンダにも。なので、スレンダを目覚めさせてやってはくれませんか」



 宮殿の奥の寝室と思しき一室でスレンダは眠っていた。

 整った顔立ち、今は眠っているために目は閉じられ、その瞳はどのような色合いでどのようなものかはわからないが、豊かで長いまつ毛が扇情的だ。目覚めたらさぞかしなまめかしい視線を周囲に向けるだろうと想像に難くない。

 長い巻き毛は赤毛で見事な輝きを見せ、今は扇型に広がっていた。その頭には二本の立派な角が生えており、彼女が普通の女性ではないことを物語っている。

「きれいなひと…」

 ベッドの傍らに立ち、ティナがため息をついた。

 その隣に立つミーナは黙ったまま眠る女性を見つめ、さらにその隣のクリフも神妙な顔つきで仲間の御子とともに彼女を見つめていた。

「そうなんだ。スレンダ様はとても美しい人なんだ。オレはこんなきれいな人は今までに見たことない」

 誇らしげにそう言うドランに頷いて見せる氷神バイス。

「そうですね。彼女はあの光の乙女にも負けじと劣らぬ美しさでした」

「光の乙女…太陽の女神のことだな…我等の祖母にあたる…」

 ミーナが呟く。

 それに黙って頷く、月の御子と大地の御子。

「邪神戦争の火種となった存在…」

「それについてはスレンダが目覚めてから詳しく話しましょう。さあ、御子たちよ…」

 バイスの言葉に子供たちは頷く。

 ミーナ、ティナ、クリフはベッドに横たわるスレンダの周りを囲むように立ち、各々両手をかざす。

 すると、すぐに彼らの両手からはほのかな光が放たれ、その光はスレンダの身体を包み始めた。

 しばらくその場に張りつめた空気が流れた。

 ドランは祈るように両手を組み、バイスは目を細めて子供たちとスレンダを見つめた。

 ドランは純粋に竜神を心配して彼女のことだけに神経を集中していただろうが、果たしてバイスはそうであろうか。

 その様子にははたから見て他のことを考えているということは見受けられなかったが、恐らく彼は今でも音神のことを思って胸を痛めているのだろう。

 それを知っているのはクリフだけ。

 だが、そのクリフも今は目の前の美しい女神の目覚めだけに神経を向けている。

「う……」

 そして、間もなく、眠れる美女は目を覚ました。

「スレンダ様!」

 ドランが嬉しそうに駆け寄る。

「ドラン…?」

 ドランはひざまずき、手を伸ばしてきたスレンダのほっそりとした美しい手を握った。

 宮殿の外では妖精たちが朗らかに歌っている。



  おお我らの王よ

  目覚めの時がきた

  愛しき王よ

  空に光を

  地に慈しみを

  心に愛を

  その竜の誇りで

  すべての生き物に

  無限の幸いを



「そうなの。真相を聞かせてもらえるのね」

 目覚めたスレンダはひたとバイスを見つめ、髪の毛をかきあげながら気だるげにそう言った。

 彼女はまだベッドから起き上がるまでにいかなかった。

 音神に傷つけられてからそれほど時は経ってはいなかったが、完全に復活とはいかなかったようだ。

 それでも傷つけられた傷は癒せたようで、彼女は子供たちに丁寧に礼を述べたのだ。

 それから、ここに来るまでの経緯を聞き、バイスが邪神戦争の真実を教えてくれるということで、かなりの期待を抱いたようだった。

「それは嬉しいわ。私がマリスにこんな傷をつけられたのも、そのことが原因だったとも言えるのだもの。けれどねえ、ねえ、バイス、どうしてあなたはあの戦争の真実を知ってるのかしら。他の神たちはそんなこと知らなかったわよ。あのイーヴルさまでさえも」

「実は私もこの真実が本当のことであるか自信がないのですよ。すべてはマリス様に聞かされたもので、私はただ鵜呑みにしただけなのですから。ですから、ぜひともあなたにも聞いていただき、一緒に考えて頂ければと思っているのです」

「あら、そうなの。やっぱり彼が知ってたってことなのね。そういうことなら、早くその話を聞きたいものだわ」



「ミーナ、クリフ、ティナ、あなた方の祖母は光の神であるオムニポウテンスの花嫁ではなかったのですよ」

 唐突にバイスがそう言った。

 その言葉に三人の子供たちは驚いた。

 だが、スレンダの表情は変わらない。それはそうだ。太陽の女神が光神のもとに走ったことは彼らの間では有名な話で、裏切られたイーヴルがどれだけ荒れたか、それは今でも彼女は忘れていないからだ。

(あの頃のイーヴルは見ていてつらかったわ。この私でさえも、裏切った彼女を一時は憎んだものだもの)

 だが、二人の間のことは所詮自分とは関係ない他人事。自分の恋愛に関係あることであれば何とかしようとするし、心も砕こう。しかし、いくら気にかけようと彼女の心がイーヴルに戻るでもなし、光神が彼女をイーヴルに返すはずもない。

 その後、彼女は光神との間に三人の女神と、そして双子の世界を産んだ。

 まるでこの婚姻は正しかったとでも言わんばかりに。

 その事実がますますイーヴルの心を荒れさせたのだ。

「当時の私たちは彼女がそれに気づいて、イーヴルよりオムニポウテンスを選んだのだと噂したものだわ」

「スレンダ様、それはどういうことですか?」

 いつもは生意気な口調のドランもスレンダにだけは丁寧な口調だ。

 そんなドランを見て、クリフは少し微笑んだ。それほどドランはスレンダを信頼しているのだな、と。

「神は時に世界と呼ばれるモノを生み出すことがあるの。もちろん、それは一人では生み出せず、二人の神の交わりで生み出されるのだけどね。そして、生み出した世界をその生み出した神が絶対的な存在となって統治できるようになるのよ」

「ということは、今オレたちがいるこの世界も誰か神が生み出した世界ってことなんですか?」

「そういうことよ。この世界はイーヴルの祖先が生み出した世界なの。だからイーヴルは最初からこの世界の神として君臨していたのだわ」

「スレンダ…それは違うのですよ」

 バイスが目を伏せて言った。

「え?」

 スレンダが驚いて目を見張った。

「スレンダ、あなたのその記憶は操作されたものです。オムニポウテンスによって」

「え…どういうことなの?」

 バイスは続ける。

「我等がいるこの世界はオムニポウテンスと光の乙女が生み出した双子の世界の片方なのですよ」

「なんですって!」

 そんなはずはない。と、スレンダは思う。

 イーヴルや光の乙女、そしてマリスたちと世界を平和に治めていたじゃないか、と。そして、その中で光の乙女が闇神を裏切り、光神のもとへ走り、その二人で双子の世界を生み出した。そんなはずはない。この世界がその双子の世界の片方だなど。そんなはずが。

「私もそんなはずはないと思っていました」

 スレンダの気持ちをわかっていると言わんばかりにバイスは言った。

「マリス様は言ってました。私たちが平和に過ごしていた世界は別の世界であり、邪神戦争後、負けた私達は最初は元の世界に封印されたのですが、後に記憶を操作されて、オムニポウテンスの生み出した双子の世界の片方へと封印場所を移されていたのだそうです」

「なん…」

 スレンダは言葉が続かなかった。

 自分が信じていた記憶の一部が作られたものだったなんて。それが真実だとしたら、まるで足元が崩れそうになるくらいに心もとなくなるほどの衝撃だった。

「私はこの世界が生まれると同時に生まれた存在だと記憶しているわ。それも違うというの?」

「恐らく、それも植え込まれた記憶ではないか、と」

「そ、そんな…」

「我等神はいわば世界の免疫機構のような存在」

 静かにバイスは語り出す。

「所詮、我等は人間たちが進化したものであって、より高度な存在に作られたようなもの」

「そうよ。でも、私や妖精たちは人間が祖じゃない。自然と同じような存在。自然が祖であり、まるで魔族たちと同じような存在。どうやって生まれたのか、自分たちではわからないという点で、私たちは魔族と同じようなものなのよ」

「魔族と同じ存在、ですか…」

 バイスが呟くようにそう言った。

「なぜ、魔族という者たちがその世界に存在しているのか、それは神にさえもわからないことだわ。ましてや、私のような者にはわかろうはずがない。私は神ではないのだから。どちらかというと魔族と同類のようなもの。ただ、彼らのように炎の痣がないというだけに過ぎないのよ」

「スレンダ様は魔族なんかじゃないよ!」

 自嘲気味のスレンダに向かって、ドランが力強く言い放った。

「神なんかよりよっぼと神様らしいとオレは思ってる。だから、そんなふうに御自分を言うのはやめてよ」

 少し怒りが滲み出ているようだった。

 それを感じたスレンダは破顔した。

「ありがとう、ドラン。そうね。私は卑屈になるべきじゃないわね」

 そして、彼女はバイスに顔を向け、話を続けた。

「あなたのその話には驚いたけれど、実はね、私はね、その話をあなたにもたらしたマリスもまたこの世界の神ではないと思っているのよ」

 はっとしてバイスはスレンダの紅い目を見詰めた。

「バイス、あなたはマリスがこの世界の神ではないかもしれないと思ったことはない?」

「それは…」

 口ごもるバイス。

 だが、彼は意を決したようにこう言った。

「それはあなたのご想像にお任せします」

 その物言いに明らかに不快な表情を浮かべたスレンダは、いらついたように言葉を続ける。

「もったいつけた言い方しないでよ。はっきり言ったらいいじゃないの」

「そうですね。それではこう言いましょう。マリス様は最初から封印などされていませんでした。封印をしてくるはずだった相手を逆に封印したのか、それは私にはわかりません。ですが、あの方は封印され眠っていた私を起こして下さり、それ以来、私たちはずっと一緒に過ごしてきました。私はそれだけしかあの方のことを知りません。ただ、マリス様には酷く辛い過去があるのだなと、それくらいしか」

「酷く辛い過去…」

 ポツリとクリフは呟いた。



「………」

 その、酷く辛い過去を持っているらしいマリスは、一人、空を見上げていた。

 彼は先程までいた森から遠く離れた場所に移動し、大海を望める崖のふちに立っていたのだ。

「サーラ…」

 彼は呟く。

 まるで愛しいシモラーシャの名前を呼ぶように、彼はその名前を大切に呼んだ。

「サーラ…僕は見つけたよ。貴女の言ったように僕に相応しい人を見つけたんだよ。でも…」

 彼は何かを恐れていた。

 空を見つめていた目を己の両の手の平に向け、そこにまるで真っ赤な血でも流れているかのように恐怖に満ちた色を見せた。微かに震えてもいる。

「僕は怖いんだ。僕のしてきた事を彼女が知ったらと思うと…怖くて怖くてしかたないんだよ。どうすればいいんだろう」

 そして、崖の上から叫ぶ。

「ねえ、教えてよ。僕はどうすればいいの?」

 そんな彼は、まるで幼い子供のようだった。

 長い銀の髪、銀の瞳、ほっそりとした美しい顔立ちにはまったく不似合いな表情で、彼は泣きそうに絶叫する。

 だが、そんな彼に応える者はいない。

 ただ、海風が彼の美しく輝く髪を揺らしているだけだった。

 マリスの銀色に煌めく瞳は、捨て去ったはずの過去が見えているようだった。

 それはとても辛い過去で、彼が最悪の神として歩み始める礎となった過去。

 遠い遠い異世界で繰り広げられた神話の中の物語。

「僕は捨てたんだ。あんな故郷なんか」

 彼はそう言うと、多少なりとも激情が収まったのか、マリスとしての姿が崩れ、陽気な吟遊詩人マリーへと変化していった。

 琥珀の髪の毛、それと同じ色の温かみのある瞳、お気に入りのマントを身にまとい、それでもいつもの意気揚揚とした表情ではない、意気消沈した彼の顔は泣きそうではあった。

「すべてが僕を否定した。だから、僕もすべてを否定しようと思ったんだ。でも…」

「あなたを理解して下さる方がいたのですね。だからすべてを否定できなかった」

「なっ…」

 マリーはひどく驚いて振り返った。

 そこにはジュークが立っていた。そして…

「シモラーシャ…どうして…」

 ジュークの陰に隠れるように、そこにはマリーの愛する女剣士が立っていたのだ。

 マリーは羞恥心と怒りで真っ赤になった。

 どうして彼女をここに連れてきたんだと、非難するようにジュークを睨み付ける。

「いい加減話してくれてもいいと思うの」

 そんな彼にシモラーシャは言い放ち、ずずいとジュークの前に出てきた。

「シモラーシャ…」

「あたしはね、日頃からあんたに好きだの愛してるだの言われ続けてきたけれど、それを最初はただの冗談だと思ってたのよ」

「そんな…」

「だってそうでしょ。出会いからして最悪だったわ。あたしだってあんたを信用してないし、あんただってあたしのこと信用なんかしちゃいなかったでしょ。そんなあんたに愛の告白なんてされたって、誰が信用すると思って? 信じられないのは当たり前じゃないの」

「………」

「でもね、長いこと一緒に旅していたら、少なからず絆が生まれるもんよ。それはあたしたちだって例外じゃなかった。だから、あたしもだんだんとあんたの言うことが少しづつ信じられようになっていったのよ。これはあたしの正直な気持ち。あんたがあたしのこと心から思ってくれてるんだって、最近では本当に信じられるようになったのよ」

「シモ…」

「だから!」

 シモラーシャは彼の言葉をさえぎって続ける。

「話してほしいのよ。あんたが何者なのか…ううん、何者かを言いたくないんだったら、それはまだ言わなくてもいい。でも、せめてあんたがそれほど苦しむ理由を教えてほしいのよ。話すことで少しは楽になるんじゃないかって思うの。あたしも背負いたいのよ、あんたの苦しみを。あんたが今まであたしの為に力を貸してくれたように、あたしにもあんたの力にならせてよ。そりゃあ、あたしなんかじゃちゃんとした力になってあげられるかどうかわかんないけれど、それでもね、一緒に苦しんであげることはできると思う。あたしもあんたの為に何かしたい。だからね、話してよ、お願いだから」

「………」

 マリーはうつむいてじっと彼女の言葉を聞いていた。

 彼女からこんなふうに言われるとは正直こんな日が来るなんて思ってもみなかった彼である。

 もちろん、それは彼にとって待ち望んだ瞬間でもあった。

 自分の気持ちを理解してくれないまでも、それでも理解したい、一緒に苦しんでもいいと、そう言ってくれる人が現れること。だが、それは誰でもいいというわけではなく、己が欲する誰かがそう言ってくれなければ意味がなかったからだ。

「シモラーシャ」

 彼は決心したように顔を上げた。

 愛する女性の青い瞳をじっと見つめ、言葉を続ける。

「まだ、すべてをあなたに喋ることはできない。けれど、僕の子供の頃のことを聞いてもらいたい。否定され続けた子供が犯してしまった最大の罪を」


             2012年9月8日記

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