第2話「運命の出会い」

 暗い暗い森の奥深く。

 風のない夜のため草木はまるで眠っているかのようにサワリとも動かない。虫の鳴き声だけが、死んだような世界に命を吹き込んでいた。

 このあたりはあまり魔族が現れるということもなく、比較的安全に旅が送れる地域でもあった。だが───

「急げ……」

「夜が明ける……」

 月明かりもない深い闇の中、抑えたように囁かれる複数の男たちの声が聞こえた。

「…………」

 木の上に寝そべっていた男がむくりと起き上がった。

 少しずんぐりとした、あまり体格のよいとは言えない人物だ。

「……邪神教の奴らか……」

 呟かれる声も、しゃがれたような声で、あまり聞いていて気持ちのいいものではない。

「まったく……このドドスさまの眠りを妨げるとは……」

 そう。

 木の上にいるこの人物は、あの闇の大神官を自称していたドドスであった。

 魔法剣士ドーラに切りつけられ、死にかけていた彼は、月の御子ティナと己の幼馴染であった少女の魂に救われ、再び人としての人生を歩み出した。

 ここに来るまで、さほどの日々が過ぎたわけではなかったが、それなりにいろいろと遍歴を重ねてきた彼である。

 一時は正義に目覚め、人助けなぞしたりもしていたが、まあ、人間やはりすぐにはそうそう変われるものではない。

 最近では、頼まれれば時々人助けをしたりもするが、それは路銀を稼いだりするときだけであって、ほとんど自分から積極的に人助けなどしようとは思わないようになっていた。

「おおかた、旅の途中の女か子供をさらってきて生贄にするのだろう。俺には関係ないことだ」

 そう彼は呟くと、再び目を閉じて寝ようとした。だが───

「ぬ?」

 その彼の目がカッと見開かれた。

 ちょうど眼下を彼らが通りぬけようとしていたところだった。

 暗闇とはいえ、慣れてくるとたいがいの状況は見えてくるもの。今、ドドスの目には、一様にフードを目深にかぶった者たちの姿が映っていた。

 だが、その一人が抱えていた子供らしき者になぜか視線が引きつけられたのだ。

「金色……」

 そう。彼の禁色ともいうべき──いや、崇拝ともいうべきか──金色の輝きが、ドドスの目に飛び込んできたのだ。

 この暗闇の中で見えるはずもない。

 本来髪の毛でも、光を当ててやらない限り輝くものではない。

 それが、今拉致者どもの抱えている者───おそらく子供なのだろう──は、まるで月の光に照らし出されたようにキラキラと輝いていた。

 ドドスは、考えているいとまもなしに颶風を繰り出していた。ほとんど無意識のうちに──条件反射ともいうべき行動だった。

──ブワァァァ───ッ!

「うわぁぁぁぁ───!」

「な、なんだぁぁぁ───!」

 男たちは倒れこみ、抱えていた子供も投げ出してしまった。

 そのとき。

「我は風の魔族なり!」

 ドドスは、精一杯威厳を保った声を轟かせた。

「贄を置いて立ち去るがよい。立ち去らねば、後悔することになるぞ!!」

「ひ……ひぇぇぇぇぇ───!」

「おっ、お助けを~~~~」

 とたんに彼らは、生贄をそのまま放ったまま、ほうほうの体で逃げ出していった。

「……………」

 やはり、気分はいいもんだ───と、ドドスは思う。

 風神の元にいた頃に身につけたこの風起こしの力は、時として身を助けるすべとなっていた。

 なぜ風神が没してからも、己にこの力が残ったままなのかはわからないドドスであった。だが、困る能力じゃなし、大いに役立ってくれていることは確かだったので、何も考えずに今まで使いたい放題をしてきた。

 もっとも、ドドスはそれほど深く物事を考えるたちではなかったのだが。


 しばらく、ドドスは木の上にとどまり、辺りが静かになるのを待った。

 邪教徒どもはもう引き返してくる気配もなし。

 ようやく、彼は地上へと飛び降りた。

 打ち捨てられた生贄へと近づく。

 こぶのできた背中のために、まるで周囲にビクビクしながら歩いている臆病者のような格好だ。

 しかしながら、ドドスは臆病者ではなかったが卑怯者だったので、この生贄に興味は抱きつつも、いつでも尻尾を巻いて逃げる気ではいたのだ。

 だが、盛り上がった布は動かず、ほどなくしてドドスは辿り着く。

 そして、生贄をくるんでいたボロ切れを取り去ろうと、おそるおそる手を伸ばした。すると───

 いきなり、もぞもぞと布切れが動き、中から少女が現れた。

「!」

 ドドスはびっくりして、ズサササーッと数メートルほど後ずさる。

 そのとき、ちょうど良く雲が切れ、冴え冴えとした月が現れた。

 辺りをこうこうと照らし出す青白い月光に、その少女は鮮烈なまでの姿をドドスに見せた。

「!」

 だが、ドドスはその美しさも金色の髪も何一つとして頓着せず、ただ一点を穴の開くほど見つめていた。

「じ……上級魔族……?」

 そう。

 ドドスが相対していたのは、あの黒髪の青年オリオンの元から連れ去られたミーナであった。もちろん、ドドスはそんなことは預かり知らないことなのだが。

 そのミーナの額には、紛れもなく痣が刻まれていた。この世界で言うところの魔族の印である炎の紋章が。

 しかし、よく見てみれば、形が違うこともすぐわかるはず。が、ドドスは仰天してしまっていたために、痣イコール魔族という短絡的な思考にとらわれてしまっていた。

「おっ…お前は……じょ、上級魔族かっ……!」

 どもりながら叫ぶドドス。

 腰が抜けてしまい、しりもちをついたまま逃げられない状態だ。

「…………」

 だが、ミーナは立ちあがり、黙ったまま彼に向かって歩きだした。

 髪を月光の元で輝かせながら、まるで神話から抜け出てきたかのように神々しい。

 そして、ミーナはドドスに辿り着くと、へたり込んでいる彼のすぐ目前に膝をついた。

「う……」

 ドドスはうなる。

 それもそのはず、目の前すぐのところに、幼いとはいえ絶世の美しさである少女の麗しい顔があるのだ。しかも、くっつきそうなほど近くに。

「おまえ、名は何と言う?」

 前置きもなしにいきなり誰何するミーナ。

 ドドスは醜い顔をさらに歪ませる。

「お……お前こそ……名乗れ、上級魔族……」

 さすがというか、愚かというか───本当にミーナが魔族であったなら、普通そのような高飛車な態度には出れないと思うのだが。そこは、それ、ドドスであるからして。

「ふむ……それもそうだな」

 だが、ミーナはなるほどといったように頷くと、言葉を続けた。

「私はミーナという。危ないところを助けてくれた礼を言いたい。だがな、先ほどからおまえは私のことを魔族魔族と言っておるが、私はそんなものではないぞ」

「へ?」

 思わずマヌケ面をさらすドドス。

「ぷ……」

 それを見たミーナは思わず吹き出した。

 それを見たドドスは、何となくこの少女に好感を持った。

(この笑いは違う……)

 確かに、彼はいつも人々から笑われ、蔑まれ、薄気味悪がられてきたのだが、この少女の笑いには、そういう胸糞の悪くなる感じがしない。

「ああ…すまんな。私のこの額の痣で誤解したのだろう」

 ドドスの顔の表情を見て気づいたのだろうか、ミーナはまじめな顔に戻った。

 だが、彼は少し残念に思った。

 なぜなら、もう少しこの少女の笑顔を見ていたいと思ったからだ。

「私はこの世界で言うところの魔族とは違うぞ。そうだな。オリオンには黙っていろと言われたのだが、私はおまえが気に入った。特別におまえだけには教えてやろう……ところで、おまえの名は何と言うのだ?」

「ドドス……ドドス・ハバレッティア……だ」

 彼は、少なからずショックを受けていた。

(この俺を……?)

 まさか、この醜い自分を気に入ったなどと───?

 彼は今の言葉が信じられなかった。

 確かに、最近ではけっこう人助けとかも気まぐれでやったり、路銀稼ぎにやったりとかして、感謝されることもあるにはあったが、それでも「気に入った」とかいう言葉はもらったことはない。

 しかも、この少女のようなひどく美しい人間は、皆一様に同じような反応を示すのだ。近寄るな───と。

 顔が間近で見れるほど、他人にこんなに近寄ったことはない。それも相手の方から積極的に近づいてくるなどということは。

 そして、そのミーナという美少女は、口調とは裏腹にかわいらしい声で言葉を続けた。

「ドドスか。いい名前だ。きっと母親がお前のためにつけてくれたのだろうな」

「いい名前……」

 ますますドドスの目が丸くなる。

 今までに、自分の名前をいい名前だなどと言われたことはない。

 いつもドドスではなく「ドドメ」だの何だのとけしからんあだ名をつけられたりして、不愉快な思いをしたものだ。

 確かに、自分自身、醜い自分には似合いの名前だとは思っていた。だが、それでも子供の頃は、なぜ親はこんなヘンな名前を付けたのだろうと恨んだものだった。

「私もな、母がつけてくれたのだ。ミーナというのは俗名だが、真実の名前は母がつけてくれたのだ。私はまだ未成年なのでその名は名乗れぬが、成人した暁には誇りを持って名乗ろうと思っている」

「真実の名……?」

 ドドスは訝しげな顔を見せた。

「神々は成人すると真実の名を名乗るのだ。それまでの幼神は俗名で呼ばれ、人間と同じ時の流れの中で成長し、神としての能力もほとんどない」

「え……?」

 ドドスは自分の耳を疑った。

 それでは、この少女は───もしや?

「私はオムニポウテンスを祖父に持つ。この世界で言うところの光神が私の血筋だ。私はいずれは太陽の神となる。今は太陽の御子と呼ばれているがな」

「えええっ?」

 太陽の御子───ドドスはもう一人の御子のことを思い出していた。

 それでは、あの月の御子の親族ということか───

 彼は、あまりの驚きに唖然としてしまって何も言えず、ただミーナを見つめるだけであった。


「だったら……」

 しばらくして、やっと呆けから目覚めたドドスが言った。

「善神よ、光の神よ。俺を貴女の光の力で殺してくれ」

「何を言う、ドドス」

 アイスブルーの大きな目をさらに大きく見開いて、ミーナは厳しい口調で言った。

「殺してくれなどと、滅多なことを言うものではない」

 だが、ドドスは真剣だった。

(これも何かの示唆なのだ)

 ドドスは思った。

 己はもうすでに邪神教徒としての洗礼を受けてしまっている。

 今はもう教徒として過ごしているわけではなかったが、身内を流れる血には邪教の血が流れているのだ。

 邪教徒として死ぬと魂は消滅し、二度と転生はないと善神は言った。以前の自分なら、それも別にかまわないと思っていた。

 記憶が無くなるのなら転生など意味もないし、新しい生に興味もない。

 力も権力も名声も、今持てなくてどうする───そう思っていた彼である。

 だが───

(今の俺の魂は、俺一人のものじゃない……)

 彼の魂には、初恋の相手であるテティの魂を取りこんでいたのだ。

 己の魂が消滅することにはまったく何も思うことはないが、かつての幼馴染───ただ一人醜い自分に味方してくれ、あまつさえ好きだと言ってくれた優しくてかわいそうな少女の魂を消滅させてしまってはならない。

(俺が殺してしまったテティ……)

 なのに、彼女は自分を助けてくれたのだ。

 ずっと、子供の頃から見守ってくれていたのだ。

 だから、今度は自分が彼女の魂を守らなくてはならない。

「いや、殺してもらわなければならないんだ」

 ドドスは思いつめた声で繰り返す。

「俺は魔法剣士か、あるいは善神に殺してもらわなければ、魂が消滅してしまう運命だから……だから…殺してくれ、俺を…」

「…………」

 ミーナは、厳しい目でじっとドドスを見つめていた。


          2001年10月24日記

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