太陽の刻印
谷兼天慈
第1話「太陽の痣を持つ少女」
(ここは僕の生まれた場所と同じ匂いがする……)
黒い瞳をこころもち上へ向け、彼は周囲に神経をめぐらせた。
腰まで伸ばした長い髪がはらりと動く。それは瞳の色と同じで闇のように黒々としていた。
ぎらつく太陽、うっそうと生い茂る樹木たち、まとわりつくような濃厚な空気が体格のよい青年の神経を刺激する。
「何をしている、オリオン」
すると、すぐ近くでリンとした声が上がった。
「そんなにここが珍しいか」
「あ、いや…そうじゃないんだ、ミーナ」
オリオンと呼ばれたその青年は困ったような表情でその声の主に視線を向けた。
少女だった。それも幼い。
十才くらいだろうか、黒づくめのオリオンとはまた対照的な輝かんばかりの女の子だ。
それもそのはず、彼女の髪は少年のように短く刈ってあるとはいえ、見事なまでの金の巻き毛だったからだ。
肌は大理石のようにつややかで白磁のように白く、瞳はなにものにも動かされぬ強さをたたえた目のさめるようなアイスブルーだった。
背丈はオリオンの腰あたりまでしかなかったが、一目でただものではない雰囲気を感じさせる。
それよりもなによりも、彼女を通常の人間ではないと感じさせるものがあった。
少し人よりひいでた額にまるで刻印のように浮き出た痣───ちょうど燃えさかる太陽の形をしている───それが風貌だけでなく、さらに彼女を普通ではない人物であると示唆していた。
だが、それだけではない。
「まったく、こんな原始的な場所でどうやってジュークを探せというのだ」
彼女は眉間にしわをよせて吐き捨てるように言った。
「それになぜこんなに暑い!」
「ミーナ……」
オリオンはため息をついた。
そう、声だけならばどんなに可憐な少女であろうかと他人に思わせることができただろう。
だが、彼女───ミーナの喋り方は実に幼い少女とは言えない尊大さを聞く者に与える。まるでどこかの王女のように。
「このようなところで私を眠らせるつもりか、オリオン」
すでに陽は傾き、森に夜がやって来ようとしていた。
ミーナはまたもや不機嫌そうな声を上げ、黒髪の青年に文句を言っている。
「しかたないじゃないか。あまりここら辺に詳しくないんだから。今日は我慢しろよ。明日になれば誰か地元の人に案内してもらうことにするからさ」
「……………」
ミーナはまだ何か言いたそうにしていたが、さすがにどうしようもないのだということだけは理解しているらしく、それ以上は何も言おうとはしなかった。だが───
「では何か食べるものをくれ」
オリオンは大きなため息をこれ見よがしについた。
そしてその夜───
オリオンとミーナのふたりは仲良く草の寝床に並んで眠っていた。
幼い少女であるミーナは、あれだけぶつくさと文句を言っていたわりにとてもよく眠っているようだ。
そして夜は更けていく。
───ガサガサ……
風のない夜である。
眠る彼らの近く、草が不自然にざわめいた。
───ガサガサ……
「……………」
ぴくりとオリオンのまぶたが動く。どうやら気づいているらしい。
───ザザザッ…
草むらから何者かが飛び出し、彼らにおどりかかる。
オリオンはさっと俊敏に起き上がった───にもかかわらず、反対側からもう一人の侵入者が彼を襲った。
ゴンッ…
鈍い音とともにオリオンは頭を殴られ、その場に倒れてしまった。
夜はいよいよもって深く更けていく。
(……あの方を助けて……)
どこからともなく声が聞こえる。
(私の愛するあの方……)
それは男の声のようだった。
「だれ……?」
オリオンは暗闇の中、その声の主に聞く。
身体が動かない。目も開けているのか閉じているのか自分でよくわからない。
「あなたは誰ですか?」
自分ではしっかりとそう言っているつもりなのだが、どこか遠くから聞こえているように声はあまり明瞭に聞こえない。
(私の大切なディーズ……)
声はとても悲しげで、オリオンは胸がつぶれるような気持ちになる。
(ディーズ……)
声の主は泣き崩れたようである。オリオンは必死に叫んでいた。
「あなたはどなたですかっ? ディーズとは誰なのですかっ?」
(………フェイト……)
一瞬、むせび泣く声がとまる。
「フェイ…ト…?」
オリオンは急速に意識が薄れていくのを感じた。
「フェイト……ディーズ……どこかで…聞いたことのある……」
次の瞬間、オリオンの意識は完全に途切れてしまった。
「おい、大丈夫か?」
誰かが身体をゆすっている。
「う…ん…」
オリオンはまぶたを開けようとした。
重い。朝が来たのだろうか。それにしてはまだ暗いようだが───!
「ミーナっ!」
大変なことに気づき、彼はガバッと起き上がった。
「あっ…つつつつ……」
とたんに頭にズキリと痛みが走る。
思わず手を痛む場所にやると、そこにはこぶができていた。
「まだ起き上がらんほうがいいぞ」
「………」
オリオンは声の主に顔を向けた。
「そうよ。カーリーさまの言うとおりだわ」
月明かりの下、自分を心配そうに見つめる男が一人、それと女が一人いた。
男はぴっちりとした上着を身につけ、ゆったりとしたズボンをはいていた。それもあって男の体つきがいかに筋骨逞しいかが一目瞭然でわかる。
髪はごわごわとした感じで赤く逆立っている。眉毛も太くキリリとつり上がっており、赤く輝く瞳は、この男が一筋縄ではいかないことを感じさせるに充分だった。
傍らには装飾の施された立派な大剣が置かれてあった。ということは剣士だろうか。
一方女の方はというと、これまた男に負けずと劣らずきつい目尻をした気の強そうな女であった。
長く伸ばされた黒い髪が豊かに波うっている。瞳の色もその髪と同じくキラキラと濡れたような輝きを見せて黒々と光っていた。
「あ、あなた方は……?」
オリオンはズキズキ痛む頭をさすりながら聞く。
「オレはカーリーだ。こっちは連れのサフラン」
「頭だいじょーぶ?」
オリオンは、案外と優しそうだなと、心で失礼なことを考えていた。
「あ、僕はオリオンと言います」
彼はそう答えながら別のことを考えていた。
(この人たちではなさそうだ…)
そう───あの声の主───あの、男の声にしては妙に女っぽい感じの声と、この目の前にいる人たちは違うようだと彼は考えていたのだ。
(しかも名前はたしか…フェイト……!)
「あっ!」
「なにっ?」
「きゃっ?」
突然オリオンが叫んだので、カーリーとサフランは吃驚した。
「あ…すみません。何でもないです」
彼はていねいに謝ったが、心では別のことを考えていた。
(確か、邪神の一人である水神がフェイトという名だった。そしてディーズというのは炎神……では、あの声の主は……すでに封印が解かれ現世に現れたということなのか?)
今から約五千年以上前、世界を管理する神々はその庇護下にあった人間たちに仇なす存在となった。
神々の長である暗黒神イーヴルと以下八名の神々は暴虐の限りをつくした。
世界に遙か昔から存在する魔族をその配下に引き込み、それらを使っての傍若無人ぶりは目に余るものがあったのだろう。すでに邪神と成り果ててしまっていたイーヴルたちをいさめるために、異世界の神々がこの世界にやって来たのである。
その神々の長をオムニポウテンスといい、彼の配下には八人の八小神が控えていた。
永い永い戦いの幕開けとなったが、結局邪神は破れ、異世界の神々により世界の果てへと封印された。
そして、オムニポウテンスはこの世界をイーヴルたちの代わりに管理することとなり、彼らは光の神となった。いわゆる善神である。
そして、封印された邪神たちは、世界が終わりを告げるまで永い眠りにつくことになったのだ。だが、善神オムニポウテンスは危惧していた。いつか必ずイーヴルたちは復活してくるだろうと。
彼は世界に示唆を残した。吟遊詩人の詠に託して。
我が同胞よ
知るがいい
いつの日か
兄弟は還ってくる
その時
再びこの世は地獄と化すだろう
だが
我が同胞よ
太陽が輝く限り
月が微笑む限り
大地が包み込む限り
世界は滅びぬ
決して滅することはないだろう
邪神には闇を司る暗黒神イーヴル、炎を司る炎神ディーズ、風を司る風神カスタム、地を司る地神ラスカル、魂を司る魂神マインド、氷を司る氷神バイス、竜を司る竜神スレンダ、音を司る音神マリス、そして、水を司る水神フェイトがいた。
オリオンの意識に語りかけてきたフェイトというのは、この水神に間違いない。
「いったい、何人の邪神が復活したのだろう……」
オリオンはすっかり深い物思いに沈み込んでいた。傍らの一組の男女のことなどまるで忘れてしまったかのように。
「おい」
たまりかねてといった感じで、見事な赤毛のカーリーが声をかけてきた。
「何をぶつぶつと呟いている。本当に頭は大丈夫なのか?」
「あ…?」
オリオンは物憂げに顔を上げ、真剣に心配している男の目に気づいた。思わずびっくりしてどもる。
「はっ…すっ…ど…どうもすみませんっ。僕、せっかく助けていただいたのに……一人で勝手に自分の世界に入ってしまって……」
慌てて立ち上がろうとしてくらりと目が回った。
「おいおい、まだ立ち上がっちゃだめだぜ」
苦笑まじりの顔でカーリーは言った。それから彼は連れの女サフランに顔を向けると命令口調で指示を与える。
「サフラン、そこの川で布を冷やしてこい」
「はい、カーリーさま」
サフランは短くいらえると、すぐさま行動を起こす。
「…………」
それを感心した目で見つめるオリオン。いったいこの男は何者なんだと思う。
それを知ってか知らずか、カーリーはオリオンを見つめると口を開いた。
「とにかくオリオン…といったな? オリオン、落ち着いたら訳を話してくれないか。何か役に立てるかもしれないぞ。僣越ながら俺たちも君に手を貸したいのだが……」
「すみません」
オリオンは横になったままの恰好で謝った。
強面だが真摯な態度のこのカーリーという男が、彼はすっかり気に入ってしまった。
そして、心の中で一心に祈る。
(ミーナ、無事でいてくれよ。すぐに助けに行くからな)
初出2001年10月8日記
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