ラストステージ2 最後の晩餐
「巻き込んでしまい申し訳ありませんでした。皆様は責任を取ってお帰しいたします。インキュバス」
「ええ、無論です」
アフシールJr.には、まだ役目があった。伊佐玖子のために巻き込んだ雄太たちを元の世界に帰さねばならない。トモタッキーたちが本当にやるんだろうなと言いたげな目でアフシールJr.を見つめる中、インキュバスは悲しくも覚悟を決めた顔をしていた。
「僕一人でも大丈夫だ、頼むぞ」
「ああ、無論です。あなたの家臣で幸せでしたよ、アフシールJr.様」
「先生、お受け取り下さい」
「何をする気だ、っておい!」
アフシールJr.は妖精たちの猜疑の目と伊佐家の人間の当惑の目を気にする事もなくインキュバスの手に胸を当て、力を込めてその魂を引きずり出した。ジャンさえも何も動けないままに魂を失ったインキュバスの肉体は倒れ込み、そしてその魂を込められた伊佐玖子の肉体は動き出した。
「何だよおい!」
「行方不明とか、突然死とかは具合が悪いでしょう?」
「…………ですから私は明日、死にます」
「死ぬことはねえだろ」
「伊佐玖子はいくらあなた方しか見ていないとは言え許されない罪を犯しました。それは私も同じです。どうかあなたの生徒、我が主に免じて一死をお賜り下さい」
「まあここで拒絶しても僕が殺すだけですけどね」
「わかった」
伊佐玖子の肉体の中に入ったインキュバスの魂、その生きた魂は彼女の身体を我が物とし、あくまでも伊佐家のための行動を取ろうとしていた。行方不明や突然死となれば、伊佐家の人間が疑われるかもしれない。だからこそあくまでも自発的な自殺と言う事にした方が良いと言う理屈だ。
確かにわざわざ「伊佐玖子」が自殺する必要はない、でも人間としても私利私欲にかまけて破壊を行い魔物としても結果的に自分たちを全滅に追い込んだ伊佐玖子は揺ぎ無き罪人であり、それを生かしておくのはアフシールJr.もインキュバスも不服だった。覚悟を決めている存在からそれを取り上げる事の重さ。これ以上は誰のためにもならないと判断した雄太は、首を縦に振るよりなかった。
「信じられねえな」
「キミたち」
「いやその……」
「私はジャンの兄だぞ」
「勇者様」
「頼むよ、アフシールJr.」
それでも抵抗しようとするハーウィンとコーファンを、雄太は彼女たちの兄と言う権威を持って黙らせた。
「つくづく思うよ、お前が相手だったのが不運だったなと」
「お前たちは案外親友になれたかもしれんな」
「先生、それは……アハハハ!」
ジョークとは思えない雄太の言葉に、裁判所は笑い声に包まれた。もし伊佐新次郎があの時、不破龍二のような存在と親友だったら。二人は手を取り合って何かとんでもないことを成し遂げていたかもしれない。その事が、ほんの少しだけ雄太は悔しかった。
「さて先生、お判りでしょうがこれで本当の本当にお別れです。弟さんは憎たらしくも素晴らしい人間でしたよ。最後に皆様も何か一言」
「元気でな」
「ありがとうございました」
「……………言いたい事もいっぱいあったよ、でもなくなっちまった。まあディアル大陸とやらでも元気でやれよな」
「勇者様」
「ああ、兄さんも総司も元気でね」
別れの挨拶を終えた勇者ジャンの兄弟と義姉、そして伊佐玖子の肉体に入ったインキュバスはアフシールJr.の手によりトライフィールドの伊佐家へと運ばれて行く。そこにはアフシールJr.の魔力でぐっすり寝ている勇者の甥と姪に、勇者の父親もいた。
「では行きます。目をつぶっていてください」
「…………」
アフシールJr.は魔力を込めて柱を作り上げ、伊佐家の人間たちを地球へと送った。それが魔王の二つ名を背負う物の責任であるかのように、爪牙を振るい全てを弾き返して勇者の家族を守り切った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「では僕は失礼いたします、最後の要件があるので。先生、ありがとうございました」
「お前はいい生徒だったよ」
九月二十日、午後三時十分。なぜか三人ほど靴を履いていたことをのぞけば何の変化もないまま、伊佐家の人間たちは地球へと帰って来た。その空白の時間に何があったのか気にかける者は一人もいない。秋空は青く澄み切り、何事もなかったかのように雲は浮いている。不破龍二は伊佐家を出て遠くへと歩いて行き、やがてその姿を消した。
「では私たちも失礼いたします」
「ああ」
「お前さんには感謝してるよ、ちょっとはな」
全てが終わった事を悟った雄太は久美と共に子どもたちを連れて帰り、総司もまた
「末後の酒も悪くない物ですね」
「お前さんも大した奴だ、それでうちの息子は元気か」
「ものすごく元気ですよ」
「それならばそれでいい」
泰次郎とて相当玖子と思い出もあったはずだ。お互い、妻を全く不本意な形で失ってしまった同士、人間と魔物とか言う枠を超えて悲しみは同じだった。
「私は妻の所に行けるのかね」
「無理でしょう、残念ですが。私は私の主の見立てを信じていますので」
「私は小市民でな」
自分なりに妻を愛していたつもりだった。しかしこの目の前の存在の主の見立てによれば、自分はおそらく妻よりずっと上の存在なのだろう。わざわざ妻の所まで落ちて行くような真似をできるほど自分は勇敢ではない、その事をこの五十九歳の男性は笑いながら嘆いた。
そして翌九月二十一日、朝食をそれなりに作り夫を送り出した伊佐玖子は向かっていた。人ごみの中を抜け、わざとあのディッシュマンズを撮影したアニメスタジオを人の声を聞きながら通り、あの海岸へと。
(我が妻よ、私は最後まで戦い抜いた。今からお前の所へ行く)
人間の見ていないタイミングを見計らい、玖子は重たい体を動かした。ほんのわずかだけ見えた、主の姿を求めてフェンスを飛び越えた。最後に主の配慮を見た玖子は、満たされた顔をしながら水の中へと入り込んだ。
その三日後、九月二十四日に伊佐玖子の死体が発見された。そして伊佐家の人間たちが異口同音に昨年次男の新次郎を死なせた責任を取って入水自殺した旨を記した遺書を持ち出した事もあり、結果この事件は瞬く間に風化した――――――――雄太に取っても久美に取っても総司に取っても、泰次郎に取ってもそれまでの事だった。
だが、彼だけはそうとも言い切れなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※※
「…………」
「どうしたのです勇者様」
「結局、話が通じなかったんですよ」
「残念ですね」
ディアル大陸へと帰って来た伊佐新次郎は、なおも晴れ晴れとした気分にはなれなかった。インキュバスの肉体を誰にも利用されないように殺せと言うアフシールJr.からの依頼を遂行した時、最後まで目的のために死ねた彼の事がジャンはうらやましくて仕方がなくなった。
ついに、自分は母親の気持ちを変える事が出来なかった。
いくら生きても、こうして生まれ変わっても、どんなに力を見せつけても。
彼女は結局自分のささいな望みに向き合ってくれなかった。
でも、悪の権化のように家族やアフシールJr.から言われ続けたその女性の気持ちも新次郎はわかる気がした。彼女は自分の存在を脅かす敵を排除しようとしただけのはず、自分だって数多の魔物を殺して来た。いや数多どころか、文字通りの根絶やしにしてしまった。あの時の彼女と自分がどう違うと言うのか。勇者と言う名声と事実上の国王と言う富貴を得た上にリシアと三人の妖精と言う美女たちに囲まれながらも、新次郎の顔はなおも曇りっぱなしだった。
「ご家族の皆様とは会えたのですか」
「ええ、皆様勇者様をお認めになっておりました」
「魔物からすれば非道な破壊者の勇者様をですね」
世界中全ての存在に是として受け入れられる物など、ひとつもない。魔物の支配に苦しんでいた存在にとっては救世主であるジャンも、魔物から見れば自らを滅ぼした存在である。そう間接的にコーファンはジャンを励ますが、どうにもジャンの目は冴えない。そして逆にリシアの目はキラリと光る。
「トモタッキー、あなた今嘘を吐きましたね」
「どういうことです」
「勇者様の家族の中にお認めにならなかった人間がいらっしゃるのではありませんか」
「あんなのは家族ではありませんから。ねえ二人とも」
「ああ」
二人の息子も、長男の嫁も、そしておそらくは夫さえも見捨てた存在。そんな人間にもはや「家族」の価値などないはずなのに。それでもなおこの存在は彼女を求めている。あの時、たった一人彼女を守ろうとしたどこまでも器の大きな存在。英雄の二つ名を背負うにふさわしい行動の一つ一つが、彼女には許せなかったのだ。その事が、三人の妖精にはもっと許せなかった。
「とにかく、もはやこれ以上貴方の邪魔をする者はないのです。この子のためにも」
「ああ……」
リシアはお腹をさすりながら、ジャンたちを庭へと連れ出す。ジャンが耕した畑の傍では鳥が鳴き、今が平穏無事な世の中たる事をいかんなく証明している。三人の妖精たちも陽気に歌を歌いながら、はしゃいでいた。だがジャンだけは鎧を着て剣を持ったまま、厳しい顔を崩そうとしない。
「まったく勇者様ったら」
「いえ、これがすっかり落ち着いてしまって……」
「因果な物ですね。でも私といたしましては」
「危ない!」
その鎧を脱いでいただきたいと言おうとした所で、突如空の一部に黒い点が現れた。その黒い点はどんどん大きくなりながら、ジャンたちに向けて降りて来る。その点の拡大と共に鳥たちは逃げ出し、畑に羽根が落ちる。その羽根を黒い点は踏みつけるようにして地に降りた。
「お久しぶりです、姫様」
「アフシールJr.………………!」
アフシールJr.――—――魔王アフシールの息子にして、最後の魔物。その最後の魔物が、リシアたちの前に突如姿を現した。
「何のつもりだよ今更!」
「お前の母親・伊佐玖子は殺したよ、実に有効な道具だった。惜しかったよ実に」
「そんな!」
「魂を狩ればまだ戦える、お前たちのは使えないだろうけどこの世界にはまだたくさんの人間がいる」
「魔物と言うのは法を守る存在ではなかったのですか」
「もうそんな余裕はないんだよ」
アフシールJr.は凶悪な顔で、かつての寛容な統治を放棄する宣言を放った。そしてそれ以上にあっさりと、リシアの前で勇者の母を殺した事を宣言した。
(手段として、道具としての有効さ……なるほど、そんな人間ならば!)
魔物にとって好都合な魂、強い魔物を作れる魂とは邪悪な魂の事――――それはかつてこのアフシールJr.自らから聞かされた以上間違いない事だろう。その邪悪な魂の持ち主である伊佐玖子と言う存在はおそらく、このジャンと言う存在を最後の最後まで拒絶し続けたのだろう。そして役に立つ存在として利用され使えなくなった事を知ったアフシールJr.によりポイ捨てされた。手段としてさえ人命を大事にする風を装わなくなった魔物たちの長。リシアはこの時、伊佐玖子と言う存在を絶対に許さないことを決めた。無論、それを利用しようとしたアフシールJr.も。
「勇者様!やはり魔物にはこの世界は任せられません!」
「お前に何ができる?」
「アフシールJr.!!」
ジャンは剣を抜き、アフシールJr.を睨み付ける。コーファンはリシアを守り、トモタッキーとハーウィンはジャンの両脇に立つ。
(フフフフ……これでいい。すでに戦いの帰趨は見えている。でもこの勝利により、ジャンはあの女の頸木から解放されるだろう。この大陸はお前らにくれてやる。ジャンよ、お前の餃子はうまかったぞ)
魔物の長としての、全ての部下を殺しながら目的を果たせなかった存在としての責任の取り方。最後の最後までの悪あがき。この点だけは勇者の母親も参考になったなと思いながら、アフシールJr.は牙を剥き出しにする。
「最後の決戦だ!勇者ジャン!」
「行くぞ!魔王アフシールJr.!」
「姫様は私たちが守る!」
「これで何もかもおしまいです!」
「決着を付けてやる!!」
最後の戦いが今、始まろうとしていた――――――――――――――――――。
完
勇者vs魔王、第二回戦は現世界で。 @wizard-T
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます