ステージ27 たった一冊の凶器

「どういうつもりだ!」

「アフシールJr.様、私は彼女を最大限に利用しようとしました。最大限に無力感を煽り、力への渇望を高めました。その事により、なるべく活力の強い魂を提供できると思ったのです。ご存知の通り相手はあのジャンです、生半な力で勝てる相手ではございません」

「じゃあそんな存在をなぜ攻撃する!」

「その活力の使い道があまりにも野蛮だったからです」


 野蛮。インキュバスのような伊達男を気取っている存在にとってはもっとも忌避されるべき言葉だろう。時に女を落とすために力強い男の姿を取る事もあったが、その時にも粗野であっても野蛮ではない男を演じて来た。そしてそれはサキュバスも変わらない。意図的に淑女を演じ、また妖婦にもなった。はすっぱな女性を演じ、勇敢なる王子をおびき出して殺した事もある。だがそれでも最低限の気品だけは保ち続けた、全てを策と割り切りながらも最低限のラインだけは守りきっていた。そのせいで失敗した事があったかもしれないが、それでもサキュバスはそのラインを破ろうとしなかった。インキュバスもまた、夫としてそんな妻が好きだった。そんな妻だからこそ、ずっと思い続けていられたし平然とアフシールJr.の前で自慢話も出来ていたのだ。


「私が挑んで殺せるのであれば殺しています。しかしアフシールJr.様」

「ほざくな!今あいつを失ったらジャンに勝つ事など不可能だ!」

「先生の言う事はちゃんと聞け、不破!」

「下手な物真似をやめろ!」

「そうだ先生の言う事はちゃんと聞け!」


 インキュバスの物真似に続き、本当の雄太の声がアフシールJr.の耳に飛び込む。人間と魔物と言う垣根を通り越した教師からの言葉。転校生以上にけっして大きな何かがあった訳でもないのに、有象無象の生徒の中からなぜか親しく接してくれた存在。その存在からの諫言を、アフシールJr.は無下にできなくなっていた。


「サキュバスが今何をしたと思う?お前の言う事を聞いていたか?お前はそれでも魔王なのか?」

「文字通りの未知のやり方だったのでわからなかっただけです!」

「自分が犯したミスの責任も取れないような奴が弟を討つなどできる訳があるか!」

「はぁ!?」

「だーかーらー、てめえらは一番力を与えちゃいけねえ存在に与えたんだよ!!今そいつが何を壊したかわかってるのか!」

「何を壊したんだよ」

「子どもの仇だ!」




 今サキュバスが壊した物、それはたった一つの邸宅。力の差を示すにしても、わざわざ壊す必要などないはずの建物。すぐそばに建物などいくらでもあったはずなのに、なぜここを選んだのか。そしてなぜ、そこまで歓喜したのか。無下にできない訳ではないが、決して理解したと言う訳でもない。自分がどんなミスを犯したのか、雄太に続く総司からの糾弾にもアフシールJr.は首をひねるばかりだった。自殺した人間の仇とは一体誰だろうか、自分たちが利用して来た魂たちの方がよっぽどそれにふさわしいはずではないか。まさかまだ回収していなかった悪辣な魂の持ち主がこの家には住んでいたと言うのか。


「新次郎、悪い人間はもういないの。私が消してあげたからあなたを惑わすような悪辣な輩はもういないの。わかったらおとなしくしなさい」

「できません!」

「ふーん…………こんな何千何百万の人生を狂わせた輩が私より大事だと言うのね。本当どこまでも聞かん坊なんだから!」

「今のあなたには付いて行けません!」

「ったくもう……!!どうしてもお母さんのいう事が聞けないって言うのね!そんな悪い子には、徹底的なおしおきが必要なようね!黙って見てなさい、そっくりそのまま消し飛ばしてあげるから!ハハハハハハハハ、ワハハハハハハハハ!!」

「待て!ハーウィン!」

「でも……」

「早く行け!」

「あっはい…………」

「トモタッキーもだ!」

「ええ…………」


 新次郎自身、まだためらいがなかった訳ではない。しかしこの玖子の行いが、彼が抱えていたためらいをすべて霧散させた。新次郎はついに、サキュバスとなった玖子との戦いを決意した。アフシールJr.の存在に渋るハーウィンとトモタッキーを焚き付け、新次郎はサキュバスの後を追った。














「子どもの仇って何だよ」

「俺たち日本の子どもたちはみんな、ディッシュマンズって言う一つの漫画を見て育って来た。お前だってこの世界で何か見ただろう?」

「僕が読んでいたのは戦記物だけだ、この世界の軍事力を知りたいから」

「あの漫画を見てた俺たちはみんな、料理人に憧れたもんだ。その漫画一つのために、ものすげえ単位の金が動いた。まさしく時代を象徴する存在になったんだ」

「それがどうして子どもの仇になる?」

「ディッシュマンズは親父のライバル企業とコラボレーションしたんだよ。それにより親父の会社は市場を持ってかれて経営が苦しくなった、下手すりゃ首切りまであったかもしれねえ状態にまで陥ったんだ」


 そのディッシュマンズの作者の家、と言うより作者その物を玖子は壊した。そのせいで自分の子供はおかしくなった、ひいては自分とその子どもの人生も。そんな物を描くから私の息子は死んだのだと言わんばかりに。


「母さんは新次郎に期待していたんだ、一流のビジネスマンとして世界を股にかけるか、さもなくば中央省庁のエリートとしての。そんな存在が自分の考えと全然違う方向に、自分の生活を脅かすような存在に引きずられて向かってしまった。だからずっと憎んでいた」

「バカバカしい、たかが娯楽作品でしょ?」

「母さんには違っていた、全力で引き離すためにそれ以外の全ての興味を満たそうとした。けれど新次郎はその母さんの考えを変えようとした、その時母さんは堪忍袋の緒が切れちまったんだろうな」


 それまではずっとおとなしく、真面目であれもこれもと言いたがらない子どもの初めての反抗。その反抗に既に雄太と言う経験を積んだはずの玖子は慌てふためいてしまった。自分に対する挑戦行為、大きな壁である自分に対して「世論」の力を借りての攻撃。玖子はこの時の新次郎の一途な思いを、自分の存在を脅かす侵略行為だと取った。その侵略行為に対する防衛反応、本人にしてみればその程度の話だったのかもしれない。


「どうせ一過性だろと思ってたけど、それでもまた兄貴が立ち上がって殴って来るんじゃないかって怯えてた。だからだろうか知らねえけど、大学生になっても兄貴に友達を作らせなかった、あるいは法律事務所にでも務めさせようとしたのか知らねえけど詐欺の手口をたっぷり教え込ませて他人とうかつに触れさせないようにした、触れりゃディッシュマンズの話題が否応なしに出て来るからな」




 あの五部倫太郎たちによる冤罪事件の時、玖子は新次郎を守らなかったどころか逆に責め立てた。一番の危機の時にあえてそうする事により、自分の父親の生業を危うくする存在に与する事がいかに罪深いか教えようとした。結果的に玖子の狙いは成功したが、それと共に伊佐玖子と言う存在の名声は密かにかつ深く損なわれていた。父親の会社のライバル企業がコラボしている漫画に影響を受けて料理を作ったせいで親が助けてくれなかった、と言う噂が流れ始めたのはあの冤罪事件からすぐの頃だったが、

「そうですけど」

 その際全く平板にそう言い返してから、その噂はまったく語られなくなった。静かで重たい怒り、あまりにも程度の大きな突き放しぶりに彼女がまったく本気である事を皆見抜いたのである。その話を絡めない限りこれまで同様の優しい中年女性である以上、わざわざ地雷を踏んで爆発に巻き込まれに行く理由もない。玖子はずっと泰次郎さえも踏み込めない地雷原として生き、その事を恥じる様子もなかった。




「なるほど、僕が思った通り相当に邪悪な魂だったんだ」

「んな悠長な事言ってる場合かよ!!」

「ジャンを倒すにはそれぐらいでなければならない」

「龍二、お前は今サキュバスがやっている事を正しいと思うか」

「正しい?間違っていますよ、本来ならばジャンにぶつけるべき力をこんな無為に浪費して。何がしたいんですかね結局」

「正しいんだよ、彼女の中ではな。いや、それが絶対不変の真理だと信じてかけらも疑っていない」

「まったく、人間ってのもすごいですね」


 たかが一つの漫画、それがどれだけ伊佐新次郎の死因に影響していると言うのか、アフシールJr.にはその事がまったく理解できなかった。自分がジャンに父親を殺されその仇を今討とうとしているように、玖子もまた息子の仇である存在を討ち果たそうとしていると言うのか。

 改めてバカバカしい話だった。剣や魔法と言った殺傷能力を持った代物や、いじめやパワハラなど精神的圧力による打撃を与えるような行いをされた訳でもないのに。まったくの逆恨みをエネルギーにしてあそこまで好き勝手に振る舞えるその心根がアフシールJr.にはただ邪悪な存在としてしか理解できなかった。


「だから何とでも言える、お前はお前の正義に則って動いたんだろう?その結果人間から見れば残酷な事もした」

「はい」

「まったく、正義のためならばどんなことでもできるんだな。人間も魔物もその点は変わらないらしい」

「人間にできるんですか」

「見てみろ、聞いてみろ」


 依然として浅野治郎邸跡で浮き続けるアフシールJr.、相討ちを願いジャンを倒さんとする欲望から抜けられないその存在は、唯一自分に言う事を聞かせられる人間の言葉にじっと耳を傾けていた。インキュバスももうそこにはいない、妖精たちとジャンを追いサキュバスを止めようとしているのだろう。本当に一人っきりになったアフシールJr.は耳を澄ませて首を向け、そして爆発音とその先に続く笑い声を耳にした。

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