ステージ26 力を与えてはいけない人間
「おいちょっと待て!」
アフシールJr.は動揺していた。ハーウィンの力により伊佐家から逃げて市街地へ入ったジャンを捉えるべく飛ぶサキュバス。そして前面には魔物たち。これで勝てると思っていた。
ところが魔物たちはジャンとハーウィンではなく、サキュバスへの攻撃を始め出した。
「インキュバス…………!」
なぜだ。なぜサキュバスを、味方である魔物を攻めるのだ?違う、そうじゃない!今ジャンを狙えばこちらの勝利は確定のはずなのにだ!魔物たちの指揮を任せたはずのインキュバスは何をやっている!
アフシールJr.はジャンを狙えと言う事すらできないまま全身を震えさせ、かろうじてこの事態を招いたであろう存在に対する呪詛の声を上げるのが精一杯だった。生きた人間の魂を使ったからか?じゃあなんであのゴブリンは襲われなかった?
「ええいっ!」
こうなれば魔物たちなど当てにはしない、自らの手でやってやるとばかりにジャンに飛び込んで行く。 だがただでさえ傷付いている肉体で力の上回るジャンに突っ込んだ所でうまく行くはずもない。ハーウィンの力により高速化したジャンの攻撃を受けて、さらに無駄な傷を増やしただけだった。
「バカな真似をしやがって!」
「あれは何かの間違いだ! 無論僕の間違いかもしれないが」
「とにかく勇者様、この魔王を倒すんだよ!」
「ああ」
状況はわからないが、とにかく目の前の敵を倒さねばならない。ジャンはハーウィンの力を得て、次々とアフシールJr.に打撃を加えて行く。出血も増えて来た、人間と同じ真っ赤な血で服を汚しながら魔王の息子は戦う。
ジャンの手が止まったのは、ハーウィンに魔力の弾が投げ付けられた時だった。後方からの奇襲をあわててハーウィンが交わしたためバランスを失い、力を与える事が出来なくなった。これによりアフシールJr.は逃げる時間が出来たが、気持ちが休まる事はない。
「インキュバス!!」
「アフシールJr.様!」
「何がアフシールJr.様だ!」
魔力の弾の主、インキュバスがぬけぬけと自分の前に現れた。助かったと言うべきかもしれないが、それ以上にアフシールJr.にはインキュバスに聞かねばならない事があった。
「なぜだ、なぜ魔物たちをサキュバスに差し向けさせた!」
「これはっ!」
「話を聞け!!」
「待てこの舌先三寸男!大丈夫よハーウィン、勇者様の家には当てないから!」
アフシールJr.の剣幕に耳を貸す事なく、インキュバスは飛んだ、サキュバスの真下へと飛んだ。そこにインキュバスを追いかけるトモタッキーが現れ、顔を真っ赤にしながら大きな鉄球の映像を作り出し、実体化させる。
結果、その鉄球はサキュバスの頭を直撃した。
「いったい何のつもりよ、まさか謀叛人ってあのサキュバスだって言うんじゃないでしょうね!」
「その通りだ!」
「謀叛人!? インキュバスお前血迷ったか!」
「血迷ってなどおりません! 私とて男です、夫です」
「ああ、そうだな! 兄さん」
「龍二、お前恋愛した事があるのか?」
「何を言ってるんですか先生」
アフシールJr.の魔力の影響により、伊佐家の人間の声はアフシールJr.やジャンたちにはどれだけ離れていても届く。祐樹と由美には何も見えないし聞こえないが、大人達はさながら動画サイトを見ながら相互にコメントを送れるような状態の中にいる。違うのはそれが文字ではなく生の声でなされていると言う事ぐらいだ。
「そんな余裕がある訳ないじゃないですか、こっちは先生の弟を倒す事しか考えていなかったんですから、って言うか全力を注ぎ込まないと勝てない相手なんですから」
「お前の家臣は悲しんでるんだぞ、これならいっそ死んでた方がましだって!」
「ハァ!?」
「おいキミたちもか?」
「どういう事なんです!」
「先生だってな、久美がこんなんなっちまったら殺しに行くかもしれねえ」
「私だってあんなあなた見たくありませんよ!」
「えー…………?」
見た目だけは美しい。しかし、その言動が外見の美しさをそっくり上書きしていた。愛しているからこそ、見たくない姿。自分がもしああいう状態になってしまったなら見捨てて構わない、その言葉に、アフシールJr.のみならずトモタッキーとハーウィンも首を傾げてしまった。
「どうしたんだお前たち、うちの弟が嫌いなのか?」
「そんな!」
「じゃあ好きならばわかるだろう、愛する存在があんなになっちまった悲しみが」
「すいません、わかりません……」
「まったく、類は友を呼ぶんだな。新次郎の味方は、結局新次郎に似たか……」
「ついでに敵もな」
それぞれ一度は皆真剣にジャンと戦い、そしてその戦いぶりに魅かれて家臣となった。無欲な主に似た訳でもないが、同じように無欲な存在である妖精たち。その妖精たちにはインキュバスの気持ちはわからなかった。そしてかつてはその気になれば好きな女をあてがってもらえたし、この世界に来てからは早く強くなってジャンを倒す事しか考えていなかったアフシールJr.にも。雄太と泰次郎のため息は、秋空に大きく響いた。
「先生……」
「とにかく龍二、インキュバスはお前の味方だ。裏切り者などではない! それから妖精たちもだ、今はインキュバスなど構っている場合ではない」
「兄さんごめん」
「兄には兄の責任がある、お前はお前のすべきことをしろ!」
「しかし……」
「おいまだぐずってんのか!」
それでも渋るトモタッキーに、今度は総司が吠えかかった。
「俺もまだ童貞だけどよ、愛した存在がこんなになっちまったら悲しむだろうな」
「お前はあるのか!」
「一応、それなりには付き合ってたよ。現在彼女いない歴4年だけど」
この時代、貧乏劇団員に女などなかなか寄り付かない。それでもバイト先で出会った年上女性にそれなりにアタックをかけ何とか自分の芝居に誘う所までは成功したが、その時の大根役者ぶりが問題だったのかそれをピークにゆっくりと関係は縮こまり、やがて自然消滅した。今思えばその時の喪失感が意外に大きく、それゆえに行き場を失った新次郎を家に置くようになったのかもしれないと総司は勝手に思っている。今その元カノがどうしているかなど知らないし、別に気にもならない。でももし、その女性がこんなになってしまっていたらそれは間違いなく悲しい。一度は本気で好きになった存在だから、こんな風に荒れ狂う姿など見たくない。
「魔王の息子さんよ、そいつも男の魔物だろ? 愛した女がこんなんなっちまう姿を見て耐えられなくなっちまうのはごもっともだよ。兄貴は強い、本当に強い。けれどよ、ちっとばかし焦りすぎたんじゃねえのか?」
「インキュバスだって賛成しただろう、勇者の母親の魂をサキュバスに入れる事に!」
「確かにしました、しかしあれはもはや我が妻などではありません!」
サキュバスは、襲い掛かる魔物たちを双剣で刈っている。狩っているのではなく、刈っている。そう、草刈りでもするかのように殺している。それ自体はまだ良い、襲い掛かる敵を薙ぎ払っているだけだから。だが問題はその戦いぶりと、何より顔と言葉だった。
魔物だから人相が悪くなるのは仕方がない。でも、今のサキュバスのそれはあまりにも悪すぎた。なぜ同族のはずなのに襲い掛かるんだよと言う混迷の色もなければ、やむを得ないかとばかりに無表情になる訳でもない。同族を斬る事を、むしろ楽しんでいる。まさか勇者の親として魔物を斬る事に目覚めた訳でもあるまいとアフシールJr.は思っていたが、それにしてはその笑顔は実に嫌らしく歪んでいた。
そして、そこから放たれるサキュバスの声はもっと歪んでいた。
「クククク……」
魔物の笑み、男をたぶらかし精を吸うサキュバスの笑み――――とはとても言えない。戦いと殺戮の快感に陶酔する笑顔。気が付けば、彼女の肉体がところどころ赤くなっていた。彼女自身の傷や打ち身の後もあったが、それ以上に返り血が多い。その返り血に怯える事なく、そこいらへんの主婦だったはずの玖子は笑っている。
「圧倒的な力を得たんだ、それに酔い潰れても仕方がないだろう」
「ちげーよ!! だからさっきから言ってんだよ、お前は一番力を与えちゃいけない人間に与えたんだと!!」
サキュバスの肉体に入った事により性格が変質したのだろう、アフシールJr.はそう聞き流そうとした。だが総司――――仮にも十年間役者をやって来て演技に慣れ、脚本にも慣れて来た人間は全く別の解釈をしていた。そして、雄太たちの解釈もだいたい同じだった。
(なーんだ、結局あの魔王とかインキュバスとかもあの子の味方なのね。そうでしょうね、ごっこ遊びなんてひとりじゃできない物。この世から逃げてごっこ遊びに勤しみ、ついにその相手を見つけちゃうなんて、まったくどこまでお子ちゃまなのかしら!)
勇者勇者と言うが、しょせんは倒すべき相手がいなければならない存在。その存在を置き去りにして生みの親であり育ての親であるはずの自分に斬りかかるとは、結局はそのごっこ遊びを続けたいだけ。玖子の頭は、魔物たちを斬り倒しながらそんな答えをはじき出していた。
(ならばお母さんがその夢を終わらせてあげる、これは愛のムチであり正義の行いなの)
甘く優しい声を脳内で響かせながら、迫りくる魔物たちからいきなり玖子は逃げ出した。
「どこへ行く!」
「謀叛人めが!」
「おいインキュバス!」
「妖精たち、兄貴を頼むぞ! 言っとくけどあのインキュバスは殺すなよ!」
「はい……」
ハーウィンの力をしても追いつくのが精一杯の高速飛行で玖子は都会を飛ぶ。そしてところどころ崩れたビルを横目にし、そしてしまわずにいた二本の短剣であちこちに傷を付けながら、別の住宅街上空で停止した。
(すごい……すごい力!この力があれば……!!)
玖子はようやく剣をしまい、そしてアフシールJr.やインキュバスがそうしたように魔力を球にして右手で投げ付けた。
「アハハハハハ!!ついに、ついにやったわよ!!これで、これで新次郎は、新次郎は目を覚ますはずよ!!」
これまでの人生で一番大きな笑い声を上げながら、玖子は魔力の球により全壊した建物を見下ろした。心底からの笑顔の下に、残骸と化した二階建ての家屋。柱も土台も塀も崩れたそこが家であった事を示す物は、もはや一つしかなかった。爆風により外れて飛び、かろうじて小さな傷を負っただけの一枚の大理石の表札。
その表札は、家の主をフルネームで示していた――――――――――――浅野治郎。
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