ステージ24 悪い子、悪い子、悪い子…………!!

 伊佐新次郎への憎悪の力のみなぎった体を飛ばしながら、空を進むサキュバス。その彼女の目が再び輝いたのは、伊佐家の最寄り駅の自動改札の前だった。現代的で文明的な施設の前に立つ鎧と剣を持った男と豊満な肉体を半裸同然の格好でさらすサキュバス、実に不釣り合いで、奇妙な絵図だ。だが二人とも、その表情は極めて真剣である。


「もう逃がさないわよ新次郎! さあおとなしくそんな変なコスプレをやめて家に帰りなさい!」

「母さん、もうこんな事はやめようよ」

「うるさい! 私はこんなにもあなたのことを思っているのに! どうして、どうして言う事を聞かないの!」


 ジャンは剣を抜きながら、サキュバスとなった母親と対峙していた。お互いがお互いを睨み合いながら、数対1の差で言葉をぶつけ合っている。


(ここまで勇者様の母親が憎悪に囚われていたとは……トモタッキーが言っていた通り、その存在をなかった事にしていたのもわかります。でもお母様、もうそろそろこの辺でこれ以上無駄な犠牲を出す事なく終わりにすべきではないのですか?)


 このジャンの正体は、コーファンである。ジャンの命のためならば、自分の命などまったく惜しくないと考えている妖精。もし万が一勇者の母が命を要求するのならば惜しげもなく差し上げてもいい。これにより目を覚ますのならば構わなかった。










 すさまじいまでの強風と、自然になされる魔力の放出。それらはこの住宅街の木々をなびかせ、塀をなぎ倒し、建物を傷つけている。それが現実世界に反映されないのが救いではあるが、いずれにせよ心地のいい風景ではない。


「これ以上…………つまらない遊びはやめなさい!」

「これが遊びに見えるの!」

「見えるわよ、思いっきり見えるわよ!」


 甲高い音を立てながら打ち合う二人。どう聞いても真剣同士の打ち合いだというのに、それをつまらない遊びと言い切ってしまう玖子。その玖子の攻撃を受け止めるコーファンはまったく精一杯だった。ジャンですら精一杯な物を、コーファンが受け止められるはずもない。

(トモタッキー、ハーウィン…………私はここまでかもしれません。でも勇者様のために戦い死ねるのであればそれほど悔いはありません、できれば亡骸を拾っていずこかに埋めてください)

 死ぬ気になれば何でもできると言う訳でもないが、変身術も剣術もコーファンはこれまでで最大限のクオリティを発揮していた。かつて「伊佐新次郎」を作り出した時も古いデータからしか出せず、依田美代子を一時的に「誰もが振り向く美女」にしたのもこの世界で適当に漁った女優の姿にしただけだった。だが今のコーファンは、ジャンそっくりの姿と声色になっていた。剣術もまたサキュバスと打ち合える程度には決まっており、その正体をごまかすには十分だった。

 この戦いのただ一人の観客は、券売機だった。その券売機は、だんだんと銀色の背中が大きくなるのを感じていた。

 先ほど打ち合えていると言ったが、決して互角な訳ではない。技はともかく膂力が違いすぎて、じりじりと押されている。憎悪と怒りに満ちた刃が、コーファンに後退を強いる。


「どこまで私に恥をかかせれば済むのよ!」

「だったら剣をしまってよ!」

「それはこっちのセリフよ、どこの誰がそんな悪い趣味を教えたの!」

「悪い趣味とは何なんだよ!」

「私は人殺しなんか教えたつもりはないわよ! フラれた女を逆恨みして殺すだなんて、私はもう恥ずかしくて表を歩けないわよ!」

「僕をどうする気だ!」

「警察に突き出して刑務所に放り込んでやるわ、そこで甘え切った根性を叩き直してもらわなければあなたはもうダメよ!」


 悪い趣味、恥ずかしい、表を歩けない、刑務所に放り込んでやる。そこまでの言葉を、怒りつつ笑いながら叫んでいる。そういう事が堂々と言えるのが嬉しくてたまらないような状態、長年の悲願をついに果たせる時が来たような陶酔感。彼女の顔は、その陶酔感によりさらに赤くなっていた。

 そして――――ついに玖子の左手の剣が鎧を貫いた。


「ぐっ!」

「コスプレ衣装にしてはずいぶんと本格的だったわね、さあ今すぐそんな物脱ぎなさい! お母さんと一緒に警察に言って人を殺しましたって言うのよ!」

「…………」

「何よ、どうせ傷一つ付けてないんだからね私は! それとも私まで道連れにしようって言う訳!? まったくどこまでも乳離れできないお子ちゃまが……!!」

「…………!」

「ぐっ!」


 小手先の手段であった事はわかっているが、それでもやらざるを得なかった。ここぞとばかりににじり寄って手を掴もうとした玖子に向けて、コーファンは自分の右腕を剣を握ったまま振り下ろした。力は足りなかったが正確に当たったその剣は玖子の肩を捉え、体勢を崩させコーファンに時間を与えさせた。その隙に道路へと逃げ出したコーファンに向けて、無念の涙をこぼしながら玖子は背を向けた。


「どこまで…………一体どこまで私をおちょくれば気が済むのよ!!」

「おちょくってなどいないよ、これはあくまでも真剣な戦いだから」

「私だってね、こんな事本当はしたくないの! でもこれ以上わがままを許す事なんかできないのよ!」

「母さん! どうして逃げ出すんです!」

「逃げやしないわよ、このニセモノ新次郎!」

「…………いつから気付いてたんです?」

「鎧を壊した時に感触がなかったのよ! インチキな鎧、コスプレ衣装だってもうちょい厚みがあると思ったんだけど、あれは壊れた音だけ。まったく、息子に化けて何のつもりよ!」

「勇者様のためです」


 息子のために、命を捨てても惜しくないと言い出す存在。そんな彼女一人すら、自分の素の力では排除できそうにない。その現実がかつての自分には重く、今の自分にはますます重たくて仕方がない。ジャンが二年間、どんなに生死をかけた戦いをして来たかなど玖子は知らない。知ったとしても、理解できるほど今の玖子に余裕はない。


「どうやってたぶらかされたのよ!」

「たぶらかすとは!」

「………………あの子は私の息子! 私が守るべき息子! 勝手な事をしないように守るのが私の役目!」

「でも兄さんや弟さんは」

「うるさいわよ!まったく、勝手に死んで勝手に三人も女をたぶらかして勝手に人殺しになって…………悪い子、悪い子、悪い子………………!」


 サキュバスは大声で笑いながら、実に楽しそうな表情で空を飛んだ。口から出る笑いながらの怒声は重たく響き、出しっぱなしにした双剣は次々と建物の天井や塀を削って行く。今の彼女にその事を伝えたところで、聞く耳はない。こうなったのもすべて、あの「悪い子」のせいなのだから。










 ※※※※※※※※※※※※※※※※










 本物のジャン・伊佐新次郎の目下の標的であるアフシールJr.は、インキュバス共々伊佐家の人間に向けて深々と土下座をしていた。


「先生、こうして先生たちを巻き込んでしまった事は申し訳ないと思っています。今すぐ」

「死ね!」

「憎悪を剥き出しにするか、ああよく気持ちはわかる。まったくその通りだろう。だがみんな、目標のために最善の努力を尽くす物。僕らの場合、それがこの方法だった。他に勝ち目はなかった、だから遂行した」

「わからねえのかよ……てめえらは一番やっちゃいけねえことをやりやがったんだよ!」


 泰次郎たちが無言でアフシールJr.とインキュバスの背中を見つめる中、総司だけは汚い言葉で二人を罵っていた。

 玖子を、自分たちの妻であり母であり義母であり祖母である人間を兵器として利用されて憤らない人間はいない。だが総司の怒声には、そういう単純な憤りだけではない焦りが見えていた。

 確かに人道的には非道なのかもしれない。でも、魔物と言う別の生き物の決まりとしたらどうだろうか。どんな食べ物だって好き嫌いが存在するように、何が善で何が悪なのか決める明確な物差しなどどこにもない。ひとつの物差しで全てを図ろうとすると不具合が確実に発生する。その不具合が古今東西ありとあらゆるトラブルの下となって来た。だが今この時総司は、自分の物差しがほぼ確実に正しい物だと言う確信を抱いていた。


「おいインキュバスとやら! あれがてめえの嫁なのかよ!」

「紛れもなく」

「嘘吐け!」


 インキュバスが総司たちに語った生前のサキュバス、主である魔王アフシールやその息子、夫からも信頼されていた存在。確かに人間から見れば相当に悪辣な事もしたが、あくまでもそれは魔物全体やアフシールの為。そしてジャンとの戦いでも、最後まで必死に戦い抜いて潔く散った存在。もし同じ魔物であれば、惚れていたかもしれない。

 しかし今のサキュバスはどうだろうか。すっかり力に溺れ、手にしたそれを好き勝手に振るっている。そしてその振るい方もまた、私利私欲に塗れている。こんな存在、自分だったら好きにならない。


「おい、あれは生前のサキュバスとやらより強いのか?」

「強い……間違いなく強い」

「だったら俺の言葉は大正解じゃねえか!」

「総司…………」

「わかるんだよあれは一番」


 そこまで行った所で、アフシールJr.が立ち上がって総司から逃れるように飛び退いた。だが一本の剣は立ち上がろうとしたアフシールJr.の頭をかすめ、長くもないアフシールJr.の髪の毛を散らした。

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