ステージ9 十三日の金曜日、魔王の大量殺戮
「先手を打たれた?」
「ああ、あの僕に絡んで来た集団が急にヘコヘコしだして来たんだよ」
九月九日月曜日夜、龍二は不満顔でインキュバスと共にカレーを口に運んでいた。卑怯な真似をしようとした悪しき魂が、今度はお追従に走って来た訳だ。お追従も悪と言えなくはないが、気力がすっかりそがれてしまっているから力は大きく下がっている。
「多分あの三人の仕業だ」
「断定はできませんよ」
「わかってる、だとしても可能性が高いという事だ」
せっかくの材料がダメになったと言ういら立ちもあって、龍二のスプーンの進み方は速い。同じ量だったはずのカレーライスのうち、龍二の分は数分でほとんどなくなっていた。一方でインキュバスの分は、半分も減っていない。
「お気に召しませんでしたか」
「召したよ」
「よかったら」
「ゆっくり食べろよ」
龍二は皿を台所に持ちこむと、洗剤をスポンジに染み込ませ皿を洗って温水器で流し、慣れた手つきで元の棚にしまい込んだ。
「それに仮に妖精たちを見つけたとして、どうするのです?」
「直に倒してやるに決まってるじゃないか、僕の邪魔をしないために」
「いざとなれば彼女たちは勇者ジャンを呼び付ける可能性があります。今の状態で勇者ジャンに勝てるでしょうか」
「それもそうなんだよな、まだ大物が足りない」
大物。より強い魔物の種として利用できる邪悪な魂。死刑囚やヤクザの連中、蔵野次男などをも上回る悪しき魂を二人は探し求めていた。
「自分が悪であると認識している奴は意外に使えない、わかるね?」
「ああはい、盗賊団の頭を使って作ったガーゴイルを送り込んで失敗しましたね」
それだけが俺の生きる道だと開き直っていた盗賊団の頭を殺し、ガーゴイルに移植して送り込んだのは勇者ジャンが現れてからほどなくの事だ。強力な悪の魂を依代にしたからこれで勇者ジャンもおしまいだと思ったが、ものの数分でそのガーゴイルは塵となってしまった。
「自分が悪であると気付いていない悪、そういう魂が欲しいんだよ」
「一応調査の幅は広げていますが……」
「嫁を、取り戻したいんだろ?かつての強さと共にさ」
インキュバスは、今でもサキュバスの事を愛していた。勇者ジャンにより魂を砕かれて抜け殻になったサキュバスの肉体は、今でも魔王城の奥底に眠っている。自分のことを知った魔王が秘匿してくれたのだ。自分たちが勇者ジャンに勝利するのは、その魔王の配慮のお陰様である。インキュバスはそう信じて疑っていない。淫魔らしからぬ純愛であり、それが彼の強さにブレーキをかけていたのかと思うと龍二は残念だった。
「それで、この一週間何人の独身女を救ってやってるんだい?」
「仕事で百人、趣味で十人ほど」
「趣味に熱が入りすぎだな」
「生活費のためですから」
「交通費詐欺もか」
「ええ」
インキュバスの趣味の場所にして食い扶持の稼ぎ場所であるホストクラブから二人の住処までは、徒歩で二時間かかる。それゆえに交通費が供給されているのだが、インキュバスは多くの場合魔力を使いワープしてその交通費をごまかしていた。このカレーの材料もちょろまかされた交通費のなれの果てである。
「それでどうなんだ魔力の方は、ふーん、結構上がってるじゃないか」
「恐れ入ります」
「でもさ、幸せそうなカップルを引き裂けばもっと早く強くなれるのに」
「実際昨日そうしましたけど」
昨日の早朝、インキュバスは一人の中年女性の夢の中に入り込んで彼女の心を鷲掴みにして、夫に思いっきりの罵詈雑言を浴びせかけた。それにより夫婦の仲は一挙に破たんし、たった今までそのまま口も利かずに今まで過ごしていると言う。だが実は彼女は既にうっかりFXに手を出して貯金のほとんどを溶かしてしまっており、どの道その事が露見すれば離婚はほぼ確実だった。このインキュバスがその事を知った上で動いたのは言うまでもない。
※※※※※※※※※※※※※※※※
九月十日火曜日、コーファンはいつものバー・ディアルの前で弾き語りライブを始めた。その傍らには、洗われた牛乳瓶が小銭入れとして立っている。
「お嬢さんは本当に牛乳が好きだね」
コーファンはいつも、ストリートライブを始める前と終わった後に牛乳を飲む。ディアル大陸にいた時から飲みなれている飲み物であり、あまつさえ勇者ジャンと出会う前から飲んでいたぐらいである。そのせいかわからないが、コーファンは3人の中でもっとも背が高い。もっとも、胸の大きさではハーウィンに負けトモタッキーと同レベルである。牛乳を飲めば胸が大きくなると言うのはウソだなと思っているが、今更うんぬん言ってもどうなる物でもない。何より、この世界の牛乳の安さはコーファンにとって嬉しかった。
(ディアル大陸にいた時牛乳の値段が高騰と言うより暴騰したのは、やはりひとえにあの悪魔のせいね)
サキュバスは牛乳を枕元に置いておくとそれを精液と間違えて盗むと言うが、実際その方法で魔王の側近であるサキュバスの攻撃を免れた話は多い。だがサキュバスは牛乳を買えなかったり備えなかったりした家に容赦なく入り込んでは男たちを食い荒らし、上は八十歳から下はひとケタまで見境なく男を絡め取った。そしてそれとほぼ同じ数の家庭に打撃を与え、崩壊させた。その負の遺産が現在も、ジャンたち為政者を四苦八苦させる課題となっている。何よりこのサキュバスの攻撃がめちゃくちゃにしたのは家庭以上に、経済だった。
ディアル大陸の経済は、基本的に金銀銅の硬貨で成り立っている。金貨1枚=銀貨100枚、銀貨1枚=銅貨100枚で、銅貨1枚がだいたい日本円で10円である。牛乳はあのサキュバスが動き出す前、ジャンの国では1リットルで銅貨15枚と、基本的に今この日本で買う値段よりはやや高い程度にすぎなかった。
だがそれがサキュバスの登場で王族や富豪たちの間で一挙に需要が高まり、乳牛と牛乳の独占と市価の高騰が始まった。ピーク時には、一晩のサキュバスの襲来をしのげる牛乳100ml分に銀貨20枚、つまり1リットルに金貨2枚、従前の1000倍の値段が付いていた。サキュバスから逃れるために望まない離婚をした例も少なくなく、それが生産力の低下を招いた事は言うまでもない。ちなみに魔物たちに統治された人間やゴブリンの町にはサキュバスの攻撃は及ばなかったため、この事もまた魔王軍の勢力拡大に大きく貢献した。
(魔王とサキュバスの死を知って嘆いた人がいたのも今となってはわかる気がする。気の毒としか言いようがないけど)
牛乳の需要を当て込み、大量の牛乳と乳牛の生産やその為の投資を行った農家や商人もいた。だがジャンの登場と活躍によりサキュバスが死ぬと、牛乳の価値は暴落した。そのために財産を失った人間からジャンは攻撃されたが、それについてはまったくジャンの責任ではない。逆にうまいタイミングで売り抜けてひと財産を築き上げた人間もいる手前結局はある意味での戦いに過ぎないのだからと、諦めてもらうよりなかった。
このディアルと言うバーは、競馬場とか言うギャンブル施設とほど近い。そこで財産をスってしまった人間たちが、気持ちを切り替えるためにKUMIの曲を聞きに来る事もあった。異世界から来た自分たちが見たようなある意味でのギャンブルで苦しむ存在が、この世界にもいる。この事はある意味でコーファンに確かな緊張感を与え、奇妙な安堵感も与えた。
(もっとも、牛乳以外がどうかって話は別物だけど)
コーファンことKUMIのストリートミュージシャンとしての先月の月収は、いくら人気があると言っても所詮ストリートミュージシャンであり知れていた。収入の大半は、コンビニのアルバイトの給料による物である。トモタッキーもハウスキーパーながらまだ見習い扱いでこの前のパーティー会場のそれを含め他のバイトをして口に糊している状態である。そしてハーウィンは学生であり学費と言う名目でむしろお金を減らしている側である。一応ディアル大陸から持ち出した金塊を換金して生活費に当てているが、あまり余分な蓄えはない。
この世界にも、困窮する民はいる。その困窮がもし魔王に利用されたら。そうコーファンたちも危惧はしていた。でも、自分たちがどれだけ持つかわからないのに他人に施しをしている余裕もない。無論自分たちの力を使えばと言う話がない訳でもないが第一に魔王の息子に気付かれるかもしれないし、第二に金などに縛られて妖精の力をホイホイ使うなどあまりにも惨めだった。この力は、ジャンのために使いたい。だから、苦しい中耐えて頑張っているつもりだった。病気をして薬代を支払ったり働けなくなったりしたらいけない、だからお金を使わないなりに健康には気を配っているつもりだった。
「何だよお前、金も払わないのかよ」
「それは皆さまのご自由ですから」
人気がある事とお金が入る事は別物だ、気に入ればお金を入れてくださいとは書いているが、CDなどの販売は行っていない。どんなに拍手や声援を受けた所で、お金をくれなければ直接の収入はゼロなのだ。無論、それでも真摯に対応する事は芸能人として当然であり後の名声と大金にもつながって行くのだが、元より長居する気のないコーファンには難しい話である。ましてや彼女の場合、依田美代子と言う表面的には何の罪も犯していない人間の精神を叩き折ったと言う前科がある。彼女はそれにより会社をやめてしまったようだが、その後の行方はコーファンにもトモタッキーにもハーウィンにもわかっていない。彼女の今の状況を思うと良心の呵責はあるが、それでも自分たちの主を弄んで捨てた事は許せないし、彼女の奥底に潜む闇の力が魔王の息子に利用されるのが恐ろしかった。
(私たちに人間の心の闇を見破れる力があればいいのに……あるいは魔王の息子はそんな力を既に……!)
その悪い考えが浮かんだ途端演奏が乱れ、コーファンは平謝りを強いられた。決して集中力を切らさず目の前の仕事に集中する事。それは何においても同じとばかりに、コーファンは再びギターの弾き語りを始めた。
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だが、このコーファンの不安は当たっていなかった。インキュバスが法務大臣を操って死刑執行を増やしたのも、魔王の息子が暴力団組織の相討ちを起こさせたのも、ただの当てずっぽうであり強力な魂を仕入れられるかどうかはわからなかった。結果としてそれなりに優秀な魂は手に入れられたのだが、それが勇者ジャンを倒せるレベルかどうか疑わしい事もこの魔王の息子は知っていた。
(蔵野次男って奴が邪悪な魂の持ち主だって事さえも、僕の力では認識できなかった。インキュバスがああやって情報を聞き付けてくれたからこそであり、そうでなければあんないい物を見逃していた。たった二人になってしまった今、僕はあいつを目一杯頼らないとやっていけないんだな……)
月の出ない夜の下で、魔王の息子はソファーに寝そべりながらまったく遠くへと視界を飛ばしていた。インキュバスは趣味で外に出ており、帰って来るのは日付が変わってからだ。テーブルには今日の夕飯のおにぎり2個分のビニールと空っぽの烏龍茶の500ミリリットルのペットボトルが残っている。魔王の息子として、あまりにも情けない食事だった。というより、何もかもが情けなかった。人間同然に成り下がってこんな場所に身を置かねばならない事も、父親を殺した相手と戦って勝てないのがわかっている事も。それでも今の非力な自分なりに、なんとかしなければならないとも思ってはいる。
(全く、どこまでも繊細な人間だな。せっかくこの僕が手助けしてやったのに)
先ほどコーファンの元気の出るはずの曲を肩を落としながら聞き、お金を払わずに立ち去った青年。魔王の息子は、その青年がコーファンと間接的につながっている事など知らないまま、魔力でその数十キロ先をじっと見ていた。
「なんであんな死に方をしたんだろう、僕のせいじゃないだなんて言っても絶対信じてくれないよな、そりゃ腹は立ったけど事情はあったろうに……どうしよう、今更断りようがないよな…………」
この大学4年生の男の運命は、この3日間でV字型に動いた。第一希望の会社で面接までこぎ着けそれを受けたのがおととい、そしてそれに落とされた事が決まったのが昨日、それが急に採用に前向きになったのが今日だった。
(全く、僕もインキュバスに似て来たらしい。最近は殺しても罰がなるべく当たらなさそうなやつを狙いに行ってしまっている。その方が罪が大きいから強い魔物が作れるって話に過ぎないはずなのに!)
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その青年に対し圧迫面接を行って精神的圧力をかけ、あげく1日で不採用通知を出した一人の人事担当者。その人事担当者が自殺した事もすでに知ってはいるが、その責任が自分にない事も全く知らない。
ひと月前、その人事担当者はその大学4年生をとある場所で目撃した。そしてそれこそが、彼の運命を決定づけてしまった事は誰も知らない。熱狂的なある野球チームのファンである彼は、その日野球場でひいきチームの首位攻防戦の応援をしていた。だが試合は中盤からエラーの連発により形勢が不利になり、隣の人間に釣られて思わず立ち上がってバカヤローと叫んでしまった――――それがいけなかった。
その瞬間に高くなった目線の先にいたのが、この青年だった。対戦しているチームの側の席に座り、帽子にユニフォーム、メガホンと言う完璧な応援スタイルに身を包んだ青年。はしゃぎ回っているその姿が、彼の中にはっきりと刻み込まれた。それでもまだ最初は、まあ自分だって勝ってる時ははしゃぐんだからお互い様だよなと思えていた。だがその憎たらしい存在が自分の会社に来る可能性がある事、それ以降ひいきチームが連敗を重ねBクラスにまで転落し一方でその青年のチームはマジックナンバーが点灯するまでに至ったと言う現状が心を一挙に蝕み、あそこまでの事を言わせてしまった。
「趣味はスポーツ観戦とあるけど」
「野球です」
「年間何試合ぐらい行くんだ」
「十五から二十試合です、まあホームだけですけど」
「社会人にそんな暇があると思うな」
「わかっています、ですから今後も暇を盗んで通うつもりです」
「片道何時間かかってもか?」
立場の弱い就活生の足元を見た言葉だった。この東京の本社を受けたからってそのまま東京に勤務できると思うなと言わんばかりの上から目線、ここでダメなら無職になるかもしれないがそれでもいいのかと言うある種の脅迫。
「意味が分かりませんが」
「ならばいい」
結局、青年はあいまいな返答で逃げた。ないと言えばそんな奴は要らないと言えるし、あると言えばこの生意気な若造の頭をぶっ叩いてやったと言う満足感だけで十分だった。無論、この返答でも彼は満足だった。やる気がなさそうとも頭が悪そうとも言えるし、いずれにせよこの腹立たしいライバル球団ファンの小僧を放り出すことができるのだから。
そうして彼は他の面接官が感じた違和感を会社のために身を粉にして働かないような奴は要らないと言う理由で強引にねじ伏せ、ほぼ一方的に不採用と決めた。それが急に採用になったのは、龍二に殺された面接官の意見を取り上げるべきではなかったと反省したと言うより、私情で採用・不採用を決めるような会社と言われたくないと言うただの保身行為だった。
※※※※※※※※※※※※※※※※
(まあこの調子で、凶悪そうな魂を刈り取ってやるのもいい。人間は命に貴賤なしとか抜かしているけど、魂には貴賤があるんだよね。六道だなんて言うのもあるし、やっぱりそういう事なんだろ)
人間は死後、閻魔の裁きにより六道に分けられる――ここに来るまで彼が全く知らなかった仏教とやらの教えだ。天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄。閻魔と言うよくわからない物やらの手により六つの道に分けられると言うのならば、魔王の息子である自分だってそうしていいのではないか。龍二がそう考えたのはある意味で自然かもしれなかった。このまま生きていても地獄や餓鬼の世界にしか行けないような魂ならば、せいぜいいいように利用してやるに越したことはない。
(まあこれならその気になればあっさりだな)
そう思いながら魔王の息子は何となく右手でテーブルを叩き、その耐久性を確認する。その気になり、全力を解放すればこのテーブルを叩き割る事は難しくない。だがしょせん自分一人の力自慢だった。
(魔王の息子はしょせん僕一人、集団で挑みかかられたら勝てる自信はない。あの銃とか言う武器の力、テレビとかで見たけど凄まじい物だ。もちろん奪って使えればいいけどそんなにうまい話はない、それにそういう武器を使う奴は魂がきれいな奴が多い)
再利用もできない集団との消耗戦、まったく楽な戦いではない。この鉱山を掘り尽くしてディアル大陸に帰り、そこで決戦を行うべきではないか。どうせジャン以上の敵はいない世界と、何者がいるのかわからない世界。どっちの方が簡単かは言うまでもない。
「安心しろ、お前の魂は有効に活用してやる。たくさんの仲間たちと共にな」
この十日余り、魔王の息子は同じような事を繰り返していた。放課後、適当にあちこちをふらついては人生に悩んでいそうな人間を見つけ、その原因を夜家に帰ってから魔力で探る。そしてその原因の魂が使えるかどうか判断し、使えると判断すれば自分の力で回収した善良な魂と交換するか、それともインキュバスの力で身近な女性を操り殺させる。その方法で、魔王の息子は魂を集めて来た。もっとも、インキュバスは対象が穢れた魂でない限り動こうとせず、魂の交換は魔王の息子自信が対象からかなり至近距離に行かないと無理だった。実際、十日余りで稼いだ魂の数は十にも満たない。量より質で動いた結果のつもりだが、その質が悪くはないが良くはない程度のレベルしかないのは面白くなかった。それでもあの勇者ジャンが数多の魔物を倒し経験を積み強くなったように、自分も数多の作業を繰り返し戦力を増強する。それだけの事のつもりだった。
「しかし人間って奴は予想外に鈍いもんだね、こんなに連続して事件が起きているんならばそろそろ何かの因果関係がありそうって気づきそうなもんだけど。まあ、本来ならば自ら出向く事もなく鉱脈をつきとめて殺せるはずなんだけどな」
人間はおろか、自分たちの事を知っているはずの妖精たちさえ気づく様子がない。毎日のように報道される殺人事件、そして架空のそれとは言え殺人事件を起こすドラマ。ある意味で慣れてしまった人間たちには、この場所も殺し方も被害者の年齢もバラバラな事件に因果を感じることは難しいのかもしれない。
「慈善事業団体か……」
高校の授業で渡された、ボランティア団体のレポート。薄暗い照明の下で、魔王の息子はそのおよそ鉱石が眠っているように見えない鉱山を見回した。
「弱者救済、被虐待児に愛を、貧困対策……フン」
あまりにも飾り付けられすぎた美辞麗句。それにふさわしい行動を取れている人間が何人いるか、実に疑わしい。何より、まったく疑うことなく善と信じて悪をなすような人間の魂こそ今の自分にとって最も欲しい宝だった。
「まあ、とりあえず目先の獲物は回収しておくか」
インキュバスが乗り気になるだろうことがわかるだろう事案だし、さほどハードルは高くない。だから帰宅次第、その旨を申し付けておかねばなるまい。テーブルの上のビニールとペットボトルを片付けると、魔王の息子はニヤリと笑いながら一人で風呂に入った。
※※※※※※※※※※※※※※※※
九月十三日、いわゆる十三日の金曜日。その日、日本と言う国は大騒ぎになった。
「まったく、恐ろしいもんだな」
午前五時に一件目が起こったのに始まり、それからわずか十二時間の間に二十件の夫婦・元夫婦同士による殺人・殺人未遂事件、および自殺が起こった。この結果二十八人の死者が生まれ、八人が重傷を負った。
「雄太は何か言ってたか」
「母さんも気を付けなよだって。ほらあなた、油を控えて下さいな」
伊佐玖子と言う主婦はこのニュースを、ただのBGMとして聞き流していた。モニターの向こうでは生活評論家やらジャーナリストやらがえらそうにペチャクチャと述べてくれているが、これも玖子は聞き流していた。
「まったく、変な事件もあった物ね」
二十件の殺人事件のうち、夫婦・元夫婦以外に被疑者・被害者となった者が出たケースはひとつもなかった。第三者が一斉に犯行を焚き付けたと言うのならばともかく、つながりなどまるでないはずの二十組の夫婦がこうして同じ日に殺し合うなどありえるのだろうか。
「そう言えばこれってもしかして」
「あああの子のよ、北本菊枝ちゃんって女の子の。あーあ、どうして私が作るとこんな風に味が染み込まないのかなあ」
「どうだったんだ、ニュースとしても出てただろ昼間頃」
「ものすごい顔してたわね」
伊佐家のハウスキーパーの北本菊枝もまた、この事件に目を丸くしていた。途中から見ていられなくなりそうになりながら目線を外そうとせず、次々と飛び込む同種の事件に喰い付いていた。玖子は菊枝のこわばった表情を思い浮かべながら、彼女が作った豚の生姜焼きを口に運んでいた。
そしてその頃、伊佐家から離れた小さなマンションの一角でも、豚の生姜焼きがつつかれていた。違うのは夫婦ではなく親子、正確に言えば父子であるという事。いや、正しく言えば主従関係の二人によって。
「成果はありましたが」
「そうだな、質も量もばっちりだ」
「ですがさすがに目立ち過ぎではありませんか」
まずかったかなと思わない訳でもない、だが彼ら彼女らの魂は予想よりもっと強力だった。あえてパートナーに対して冷たく振る舞う事が本当の愛情であると頭から信じ込んでいる魂。それが、殺した二十組のどちらか片方に必ず宿っていた。
「この中の魂のひとつを使えないか?」
「贅沢ですが見立てたところまだ生前の妻には及びません」
「その通りだな、まったく本当の悪って奴には当たらないもんだな。コンプガチャとやらのように」
「手をお出しにならないでくださいね」
コモン、アンコモン、レア、ウルトラレア。ソーシャルゲームには、常にレアリティごとのランク付けが付きまとう。龍二のクラスにも俺○○のレアを持ってるんだぜと自慢する声は絶えない。既に2人は相当な数の魂をかき集めたが、その中に生前のサキュバスのように魔王に次ぐ力を持ち家庭や国どころか経済すら揺るがしたレベルの魂はない。
「今のままでは勇者ジャンに勝てる保証はありません」
「負ける保証もないだろう」
「そうですがね。それであては……」
「もっと喰えよ」
昨晩から延々と、二十人の女性を操ったインキュバスは疲労困憊していた。普段の倍以上の食事をむさぼってなお疲労感と空腹感が抜けず、この生姜焼きも龍二の倍近く食べていたがそれでも腹が膨れない。
「まだ足りないんだよね。自分が相手を傷つけているという自覚のない、うぬぼれに満ちた魂。そういうのが欲しいんだよ」
「ならばさしわえますが」
「口に物入れたまましゃべるな。と言うかお前のうぬぼれは武器だろ、もっと自覚のない傲慢なうぬぼれが欲しいんだ」
「…………改めて申しますが、当てはあるのですか」
「一応な」
噂話をかき集め、ようやくたどり着いた一つの場所。あの蔵野次男とか言う魂の宿っていた肉体がなした行いと、そしてそのついでに回収したまったく使い物にならないと思われていた富良野久太郎とか言う男の魂の過去。その事をこれから調べたい、その先におそらくとんでもなく大きなお宝がある。龍二はそう信じながら最後のひと切れを口に入れて立ち上がり、疲労困憊のインキュバスの肩を揉んだ。
「もったいない!」
「皿ぐらい洗えるから寝てろ」
「ありがたきお言葉……」
まったく、不破龍二は実に親孝行な息子だった。伊佐雄太も伊佐新次郎も伊佐総司も、ここまで親孝行な息子ではなかった――――もっとも、その肩もみの跡の皿洗いの出来は父親の求ことインキュバスに注意され起こしてしまった程度には不出来であったのだが。
「バカ、寝てろ!」
「すみませんどうもつい……」
「まったく、すっかりしみついたな」
「本当嫌ですね、この水アカってのは」
「もういいよ」
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