高校生、不破龍二
ステージ7 転校生、不破龍二
九月二日月曜日、伊佐雄太は一人の男子生徒をクラスに迎えた。
「二学期からうちのクラスに加わる事になった転校生だ」
「不破龍二と言います」
不破龍二と呼ばれたその生徒は、やや小柄ながらがっしりとした体形で鋭い目つきをしていた。イケメンと言う単語が似合いそうな程には顔立ちは整っており、女子たちの耳目を集めるには十分だった。
「ねえねえどっから来たの」
「…………」
「照れなくてもいいんだから」
「照れてねえよ」
「もう、可愛いんだから!」
もちろん、男子たちは面白くない。紹介が終わり龍二の席が決まり休み時間になると、男子たちによる質問責めが開始された。
「どこから転校して来たんだよ」
「さっき先生が言ってただろ、千葉だって」
「父ちゃんと母ちゃんは何やってるんだよ」
「母ちゃん?そんなもんはいねえよ、死んだよ」
「そうかよ……」
これは嘘ではない。龍二の母親はつい十年ほど前に病で亡くなりそれ以来彼の親族は「父親」のみである。母親の死と言う話を聞いて多くの人間はこれ以上突っ込むべきではないと思って離れたが、それでも二人ほどまだ残っていた。
「お前の父ちゃんは何やってるんだよ」
「ホストクラブで会計やってるよ」
「ホスト!」
「会計って言葉が聞こえないんだ、へぇー」
「ひゃはは、よろしくなホスト2世!」
職業に貴賤なしと言う言葉など知らないかのように、ホストと言う三文字を聞いたその大柄な男子生徒ははしゃぎ回った。そして会計と言う四文字も、へぇーと言うバカにした相槌も耳に入らないかのように龍二に勝手にホスト2世とか言うあだ名をつけ、実に楽しそうに跳ね回った。
雄太のいる学校は、決して名門校などではない。偏差値で言えば47、平均よりやや低いレベルの公立校である。そこに振りかかって来たのがこの前の不祥事である。どれほどの責任があるかわからないのにマスコミの前で頭を下げさせられた校長たちに引きずられるかのように、学校全体が鬱屈とした雰囲気の中にあった。そんな中にいきなり生意気そうな転校生である不破龍二がやって来た物だから、たちまちにしてその鬱屈をぶつける標的になった。
「おい転校生、お前シャキッとしろよ!シャキッと!」
「わかってますよ」
「今うちの学校は大変なんだぞ、わかるか!?」
「今いる生徒には関係ないでしょ」
何も間違ってはいない。だがどうしても学校名の看板の下に入る以上、風評被害からは逃れようがない。その生意気な正論が、ますます先輩たちの心をざわつかせた。
「おいてめえ、転校生だからって高みの見物かぁ?」
「そうだぞ、ここに来ることが決まった時点でてめえも同じ穴のムジナなんだぞ?」
「皆さんはいつからあの教頭の仲間になったんです? あんなひどい人間ならば内心で嫌ってた人も多いんでしょ? それこそほらやっぱりあいつはクズだったんだ、俺はそう思ってたんだよって威張ればいいじゃないですか」
「てめえ!」
これまた理屈としては正しかった。あそこまで己が罪を飲み込み平然としていられるような五部と言う存在に対し、悪罵を浴びせるのは難しくないしさほど後ろめたくもない。だがそうするには、五部倫太郎と言う男は格好が良すぎた。後ろ暗さや後ろめたさを見せるところが全くないまま、理想の教育者と言う仮面をうまくまとい続けていた。その出来の良いコスプレを見破れた人間は当時の関係者ですら少なく、もしトモタッキーが掘り起こさなければあの事件はそのまま墓まで持って行かれたかもしれなかったほどだった。そして今こうして龍二を囲んでいる男子生徒たちの中に、そのコスプレを信じていなかった人間はひとりもいない。その事が決定的な一撃となって、彼らの心を破裂させた。
「お前そんな手のひら返しができるのか!」
「あーやっぱりホストの息子は違うよなー、大勢のお客様の前で調子のいい事ばっかり言うんだもんなー」
もしこの時彼らに平均レベル以上の注意力があれば、龍二の足元がやたらと濡れている事に気付いただろう。そしてそれが彼らが口角泡を飛ばした唾液の作り上げた水たまりである事に気づけば、あるいはこの時点でまあそういう見識もあるよなと満足したかもしれない。だが憤懣に呑まれていた彼らには、そのレベルの注意力もなくなっていた。ただ目先の相手を殴るばかりの、野蛮な暴力行為を繰り返した。
「ホストクラブの会計ってのはそんなに悪い事なんですか?誰が決めたんですか?」
「俺は言えないぞ、そんな事。ああもしかして、正直に生きてる俺カッケーとでも思ってる訳?うわわっとんだナルシシストだぜ!」
「よしよし、いい子いい子。本当にいい笑顔だねー、飴買ってやろうか?」
なおも抗弁する龍二は頭を丁寧に撫でられながら、本当にいい笑顔を浮かべていた。この醜い光景を見ていた女子生徒もいたが、やめなさいとは言わない。その彼女も彼らと同じ類の憤りに捕らわれ、龍二のことを内心で見下していたからだ。
「皆さん保育士になるんですか?その練習なら請け負いますけど」
「お断りだよ、お前のような減らず口を叩くばかりのナルシシストなホストの息子は」
「へぇー、そうでもないのに頭を撫でて飴が欲しいんだねとか子供をあやすような事を言ったんですかー?つまんない遊びですね」
数人対一人だと言うのに、まったく負けるフラグを見せない。その残酷な現実が取り囲む側の頭の温度をますます上げ、そしてついにその中の一人から口による殴り合いの敗北宣言が出された。
「集団リンチですか」
「これ以上ふざけんじゃねえ!」
手が、足が、振るわれる。たった一つのターゲットに向かって、容赦なく振るわれる。打撃を与えるために、口を塞ぐために。だが龍二の顔に、痛痒の二文字はない。龍二はダメージを受けていないと言う文章が漂い続け、疲労感ばかりが彼らを襲う。それと同時に冷たい顔をしたまんまの龍二の目線が、その疲労感を怒りに変えさせさらに手足を動かさせた。もちろんそれもまた徒労であり、クリティカルヒットはついに出る事はなかった。
「いいか、その舌を二度と動かすんじゃねえぞ!」
「死ねって言うんですか?あーやだやだ、こんな所で死にたくないのに」
力の違いをたっぷりと思い知らされたその集団は、憎悪をこもった目を見せ付けながら龍二から離れた。
(チッ、使えない奴らだ……)
でももし龍二が心の中でそう舌打ちしていたことを知っていたら、この事件を眺めていた女子生徒はどんな顔をしただろうか。そしてそれが自分にも向けられていた事を知ったら、彼女は何と思っただろうか。そりゃ止めるべきだったよねと自省するか、単純に恐ろしい子だと怯えるのか、それとも彼らのように更に反発するか。そのいずれかになるのが常識的な判断だろう、そして聞こえていなかった彼女は三番目を選んだ。だから、そのつもりで足を動かした。その結果
「ひぃぃ!」
と言う悲鳴が上がり、そして歓声が起きた。彼女の足につまずいてバランスを崩して転倒しそうになった龍二は、手をコンクリートの床に付けるとくるりと一回転して立ち上がり、体操競技の着地のようにポーズを決めた。歓声を聞いて自分の浅はかなうっぷん晴らしの失敗を悟った彼女は震え上がり、膝を笑わせ出した。
「あの、何か?」
「い、いえ、何でもありませーん!ごめんなさーい!!」
首をわかりやすくかしげながら真顔で自分の方を見た龍二に対し、彼女はもはや平謝りする事しかできなかった。
「いいですね、素直なのは」
「は、はい……」
龍二のその温かい言葉に救われるように、彼女は膝を落ち着けて嘲笑のする方向へ向かって歩き出した。顔だけではない、不破龍二の頭と運動神経の良さと豪胆さと言う武器に、多くの生徒が改めて彼の事を尊敬した。
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
「何やってるの昼間からさ」
「本日は休みですから」
放課後、龍二は大勢のファンから逃げるように、月曜日の昼間から家にいる父親の下へと帰宅した。
「休みと言いながらさ、ゆうべは相当に張り切ったんじゃないの」
「まあそういう事です。4人ほどアラフォーとやらを燃やして来ました」
「そのうち人妻は何人だい?」
「ゼロですが」
モテない女ばかり狙うこのインキュバスに、龍二は大きな不満を持っていた。悪魔のくせに人が良すぎる、それがかつて王家をも分断したサキュバスのようになれない理由だと何べんも言ってたし、彼自身自覚もあった。
「学校の中で収穫はありましたか」
「多数の奴に絡まれたけどあれは全部ザコだね、普通の人間でも二人がかりなら倒せるレベルだ。でも強そうなのもひとりいたよ」
「どんな男ですか」
「女だよ。あれはきっと、口だけでしか反省してないね。たぶん見えないところで悪評を振りまく事に躍起になっている、わかるんだよ」
「私にやれと言うのですか、それならさっそく」
「さすがに気が利くね、うちの弟は」
四十二歳にもなれるし、二十歳にもなれるし、今のようなひとケタにもなれる。インキュバスはそうやって多くの女性を落とし、その力を蓄えて来た。もっとも今こうしているのは、食費の節約でありそれ以上の意味はないが。
「違いますとかって反発しろよ」
「いえいえ」
「お前は面白みがないね、人の事は言えないけど」
昼食も取らないまま風呂に入った兄弟の弟にしか見えないインキュバスの父親は、午前中に学校で起こった詳しい話を聞きながら、その女性を落とす術を考えていた。
「にしてもさ、そんな小さなもんで女が落ちるのかね」
「実際、この姿で昨晩も一人落としましたが」
「ああ失礼。それで」
「あの教師の事ですが、どうご覧になります?」
「今の所善良としか言いようがないね、魔物にはもちろん使えない。あれが本当にあいつの親類だなんて、信じられないね」
ジャンと言う、誰よりも憎むべき名前。それが伊佐新次郎と言う名前でこの世界にいた事は、この世界に逃げる前に掴んでいた。その伊佐新次郎がこの世界で死んだ人間になっている事も、それゆえにディアル大陸に来た事もすぐさま知った。だが、所在が分からなかった。しばらくはろくにこんな風呂に入る事も出来ないような生活で、その存在を求め続けた。しばらくと言っても実は三日程度なのだが、それでもその三日間は逃亡の無念さと相まって屈辱的な時間だった。
「復讐には時間が必要だね」
「それから手駒もですよ」
「その事を言ってくれた事には感謝するよ」
四日目に自分の力を使いこの世界でいったん資源を蓄え後に吐き出せば良いと言うアイディアを彼からもらった時は、その事に気付かなかった自分の愚かさを恥じたり、嘆いたりもした。たった一人残った側近を大事にしないで何が魔王の息子か、おむつも取れない頃から面倒を見てくれたこの存在に縋ろうとしなかった自分が許せなかった。
「だがどうなんだ、この世界の武力って奴は」
「銃と言うのが主力兵器になっています、その一撃が急所に当たれば体はまたたく間に粉砕するとも言われています」
「ふーん、スライムも結構使えそうって事じゃないか」
「雑魚の集団に一匹だけ強いのを紛れ込ませておく、と言うのはどうでしょうか」
「わかった、今度あの雑魚を狩っておくよ」
「ですがお待ちください、直に戦うのはいささか」
「この世界で戦うのは危険、か…………」
魔王の息子はインキュバスの石鹸だらけの背中を流し終わると、あの時校内で見せた笑みを浮かべながら風呂場を出てパンツを履いた。その細身なのに筋肉質で見た目以上に運動神経の優れた肉体————制服越しでもわかるほどの肉体を誰に見せる事もなく、まるで誕生日プレゼントを待つ子供のように楽しみな顔をしていた。
なおそれから二日もしない内に校内で一人の女子生徒が急に倒れ込み、急に意識を取り戻すと言うハプニングが起こったが、気にする者はほとんどいなかった。そしてその彼女がそれ以降すっかりしおらしくなってしまった事について両親もクラスメイトも、雄太達教師も二日ほど戸惑い、そしてすぐに慣れてしまった。
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