ステージ4.5 魔物たちの統治

 引き続き、異世界「ディアル大陸」編です。







 リシアはジャンたちの冒険の最後のひと月ほど、魔物に連れ去られてアフシールの城で過ごしていた。そこでは魔王の息子に婚姻を迫られていた。魔王の息子はリシアに肩を寄せながら、犬歯の目立つ口をいやらしく開きながらリシアに肩を寄せる。


「面白い話を聞かせてやろう」

「聞きたくありません」

「三年前僕らが支配した町にね、金貸し男の女房を殺した男がいたんだ」

「ああそうですか」

「そいつには、鉱山での強制労働八年間の刑罰を与えてやった」


 聞き流すつもりでいたリシアだったが、次の魔王の息子の言葉に思わず目を見開いてしまった。


「八年ですか?」

「ああそうだよ、たったの八年だよ。まあ今はあと五年かな。ああそれから最初の頃、魔物たちの支配から人間の手に町を取り戻すとか言ってね、反乱を起こした身の程知らずもいたんだ。そいつはあと三年で牢屋から出られる」

「つまらない冗談ですね」

「では具体的に語ってやろうか」


 魔王の息子、つまり王子にふさわしい整った寝床の上でリシアが聞かされた話によると、その男は高利貸しの取り立てにより息子を取られ、更に妻まで差し出す事になりそうになったのに耐えかねて事を起こしたという。


「私は女房を殺されたんですよ! あんな貧乏人のクズごときに」


 そこまでその太った商人が言った所で、町の警吏的存在であったガーゴイルの爪が商人の心臓を突き刺した。悲鳴も上げられないほどの即死であり、その死体はすぐさま妻共々さらし者にされた。


「この男は明らかな暴利で子どもたちを買い集め、妻共々その子どもたちに強制労働を迫っていた外道だ。それでこの男はその妻の方を殺めた。さすがに罪なしとは行くまいが、その潔さからこれから八年間鉱山で過ごす刑を与える事にした」


 ある意味、悪は敗れ正義は勝ったのだ。さすがに無傷ではなかったが、それでも殺人の大半が死刑となっていた中懲役八年は寛刑である。


「子どもたちは親の元に返した。借金はさすがになしにはできなかったが元本だけ返せえばいい事にした。そのおかげで、今やすっかり町の人間はなついてるよ。この前「解放」したらしいけどねえ、町の人間たちは勇者様を歓迎してないよ。とくにあの囚人なんかね」


 実際勇者ジャンがいくら町の解放を訴えても、一般住民は無論反乱を起こした男性も高利貸し夫婦の妻を殺して鉱山送りにされた男性の妻すらも協力しようとしなかった。二人ともリシアの国の法で裁けば、ほぼ間違いなく死刑とされる存在であった。


「私はあの人を待ちます、俺には恩を仇で返す事はできないだってさ」

「それでなぜまたそんな事を」

「最強の戦士が欲しいからね。僕ら魔物って奴は長らく自分たちが強いと思っていた、だから幾百年前に僕の七代前の王様が人間たちを蹂躙するつもりで戦いを起こしちゃったんだ。でも人間たちの力により魔物は敗北、封印された。人間が自分たちと同じように一定レベルの力のまま成長しない物だと決めつけてね。それで数百年の間に、魔物も学習したんだよいろいろ。でも、人間もバカじゃないみたいだね―――基本的には」

「基本的には」

「人間って奴は時々ものすごくきれいだけど、時々ものすごく汚いね。それで数百年の間にその汚い奴の落とし物を掃除してたら、それが予想外によく効く事が分かったんだ。父上たちはずっとその落とし物をかき集めて来た。それが十分にたまったと判断して、ついに事を起こしたのが七年前の事だよ」

「それでは」


 数百年の間に、貯めに貯めた汚い人間の魂。それを武器として、魔物たちは人間に戦いを挑んで来たと言うのか。ではこの災害は――――


「本当なら百年でうまく行くはずだったんだ、それを歴代の王たちがうまくやってくれちゃったもんでね。必要な数が集まるのに予想の数倍かかったんだ。でもまあ、最後の二十年は急ピッチで集まったけどね、政策がうまく行ってたせいか人口が増えたもんでさ。人口が増えれば汚い魂の持ち主も増えるし質も上がる。まあ、人間が滅ばない限りいずれはこうなってたって事だから別に責任を感じる必要はないよ」

「それでどうしろと言うのです」

「僕の物になればいい。そうすれば悪い人間だけが殺され続け、いい人間は幸せに生き続ける事ができる。素晴らしいとは思わないか? その方がいいに決まっているじゃないか」


 心が揺らがなかった訳ではない。だがリシアには、それが魔物たちのさじ加減ひとつで殺される奴隷としての幸福であると同時に、魔物自身がひどく不安定である事も見抜けていた。この世界から資源を狩りつくしたとして、その資源以上の存在が戦いを挑んで来たらどうするのか。魔王の息子の物言いからすれば、人間のために自分たちに戦いを挑んだ者からはさほど強い魔物が作れない事になる。他の国の、自分の国のために戦って来た物たちを再利用した所で知れているのではないか。


「勇者様は申し上げました、勇者様の故郷ではここよりもっとずっと進んだ技術があると。それがお分かりにならないのならば」

「言いたい事はわかってやったよ。ただのお姫様じゃないらしいね、でもそういう清廉さと頭の良さを持った人間が味方になれば、なおさら心強いじゃないか」

「遠からず破たんする政策の持ち主に付き合う道理はありません」

「魔物はこういう方法を編み出して人間に戦いを挑んだんだ、人間もまた同じようにすればいいじゃないか。まあ、その方法が勇者と言う訳なんだろうけどね。魔物と人間、どちらが勝つか。たったそれだけの話じゃないのかい?」

「私は勇者様を信じます」

「ならばいいよ、でも勇者様とやらが負けた時には」

「負けません」

「大したもんだね、じゃあ失礼するよ。せいぜい、いとしの勇者様の勝利でも祈っておけ。おいインキュバス、丁重に扱えよ」


 魔王の息子がリシアにあてがわれた部屋を去るのと入れ替わりに現れたのは、ジャンそっくりの男だった。言うまでもなくインキュバスであるが、それでもほんの一瞬だけジャンを連想してしまった自分がリシアは憎かった。


「あなたは」

「ご紹介の通りインキュバスです。王子様の命をもって、あなたのもっとも心安らかになる男性の容姿でやって参りました」

「そんなコスプレで誰が魅了されますか」

「コスプレとは?」

「勇者様の故郷の言葉で、好きな者の衣装を着てそれになり切る一種の遊戯だそうですわ。もちろん出来不出来はありますが」

「不出来? そういうにはあなたの心がほんの少し揺れ動いておりましたが」

「黙りなさい」

「お認めになられましたか、それは大変結構な事……」


 リシアと言う女性の扱いについては、インキュバスの方が魔王の息子より一枚も二枚も上だった。彼女の心に動揺を起こしそこを突いたインキュバスはリシアに対してマウントを取る事に成功すると、後は言うがままに王宮の時以上に丁重な扱いをした。


「お気持ちはよろしくなられましたか」

「冗談はやめなさい」


 インキュバスは、紛れもなく紳士だった。だがそれゆえにやり方に甘さがあり、日ごろからあらゆる意味で弱っている女性ばかりを狙っていた。どんなに邪悪な魂でも活力がない限りは強い魔物の種にならず、そのため彼の集めて来る魂はさほどの戦力にならなかった。そのためこの時には、戦力としてと言うより魔王の側近や王子の世話役としての出番が多くなっていた。


「まあ、我が妻サキュバスの前には勇者様とやらもきっと敗れ去るでしょう。その暁にはぜひともその御身を、我が王子様にお委ね下さいますよう」


 妻であるサキュバスの力を、インキュバスは夫として誰よりも信じていた。自分よりずっと仕事熱心で、強い力強い魂を得るために努力を惜しまない存在を。だからこそこんな風に他の女性の前でも臆面もなく甘ったるい言葉を吐けるし、そしてその女性に嫌な感じを出させる事もなかった。




「魔物には、魔物の正義があるのでしょうか」

「かもしれない。でもそれをはいはいと受け入れる訳には行かなかった。その結果だ」


 かつての自分が魔物に殺されるような悪であったか、そんな事はジャンにはわからない。この世界に呼び出されていきなり勇者をやれと言われて従ったのは、一番身も蓋もない事を言えば降って湧いたチャンスを逃したくなかったからだ。それだけでも自分が高潔な英雄様になどなれる物じゃない事はわかっていたつもりであり、二年間戦って勝利して一年間王様同然の暮らしをしてもなおその意識が消える事はなかった。


「魔王と言うのは実に悪辣な物ですね、そこまでした勇者様になお確固とした自信を付けさせまいとするとは」

「これはもう、性格だよ。どうにも変えられる物じゃない」

「だとしたら私は勇者様をそんなにしてしまった存在を決して許しません」


 魔王の息子やインキュバスにも抗って来た目をして、リシアはジャンを睨んだ。本人からしてみれば見つめたというレベルのつもりだろうが、そう表現するにはジャンには恐ろしかった。彼女がもし魔王であったら、あんな穏健なやり方で勢力を広げて行ったのかと言う不安もジャンにはあった。


「だからさ、暇な時の掃除洗濯料理とかは」

「どうぞご自由に」


 確かに自分は、戦って勝った。多くの物を得た。でも時間以外に多くの物も失った。その失った物を取り戻したい、でもそんな事ができるのか。三人の妖精もリシアも、紛れもなく自分の戦果によって信頼を勝ち取ったはずだった。だがそれが、信頼を越えて妄信にまで着地してしまったのはジャンにはむしろ辛い事だった。ジャン様勇者様と、仮にも生死をかけて争った人間をまるで根っからの家臣のように慕う手のひら返しは気持ちが悪かった。

 だから、あの二年間の戦いの中を共にした三人の妖精中で一番ジャンが好いていたのはハーウィンだった。戦いに敗れてなお自分の事を呼び捨てにし、間違っていると思えばきっちりいさめてくれる、決して妄信的でない存在。彼女が自分の元いた世界で残る二人が忠義心にかまけての暴走を食い止めてくれる事を、ジャン――――伊佐新次郎は期待していた。

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