ステージ2 法務大臣の暴走、大量の死
ここで時は少しさかのぼる。
七月一日、法務省は騒ぎになっていた。
「法務大臣平田洋子により、死刑囚十六名の死刑を執行せよと言う命が出ました」
死刑判決が出てよりの期間も年齢も収監場所もまったくバラバラの死刑囚たちに対する突然の死刑執行命令。
「なぜですか大臣、なぜこの日に死刑の執行命令を下したのですか」
「法務大臣の職務を果たしたまでです」
「ですがなぜ十六人もの」
「法務大臣の職務を果たしたまでです」
マスコミは揃って平田法務大臣の下に集い、このある意味での大量殺戮を取り上げた。
「平田大臣はこれまでの四年間の任期で、一度も死刑執行を行いませんでした。それがなぜまた此度このような事を行われたのか、ご説明を願います」
「ですから幾たびも申し上げている通り、法務大臣としての責務を果たしたのみです。これまでは私自身どこか国家権力を持って命を奪う事、その事に対するおびえがあり、死刑執行から逃げてきた面がありました。ですが被害者家族の無念、そして重大な犯罪に対する社会的制裁を行うのも国家の使命である事に此度思い至り、今こうして四年分の死刑執行署名を行った訳でございます」
国会でも、この十六人大量執行が取り上げられた。この国における、死刑の賛否は実に難しい。死刑が執行される度にしょっちゅう死刑廃止論が取り上げられるが、アンケートを行うと死刑賛成が5割を切る事は一度もない。それが世論であるからこのままでいいだろと言う意見もあるが、先進国でほとんど残っていない死刑と言う制度にしがみつき続けて良い物だろうかと言う意見もある。
「今後も法務大臣は死刑執行の署名を行うという事でよろしいのでしょうか」
「そのつもりです」
「最近の凶悪犯罪者の中には死刑になる事を望む人間も少なくありません。あまりに簡単に死刑にするのはそういう人間の側に立った判断ではないかと言うのが私の意見であり、凶悪犯罪への抑止力となるか不透明どころか逆効果かもしれないという懸念も同時にあるのですが、その点に対しまして大臣のご意見を伺いたいと思います」
「私といたしましては被害者遺族の感情の問題として、そういう刑罰は必要であると考えています。その点については私の個人的な見解と言う物でもあり、信念と言う物でもあります」
「ではこれまでの四年間でなぜ死刑を行わずにいたのですが」
「先にも申し述べた通り、国家権力により命を奪う事に対しての不安があったからです。しかし昨今から続く社会情勢の不安を鑑みて、此度決断したのです。結局のところ、突発的だったと言わざるを得ない事は得心しております」
平田洋子が突如この決断をした背景には何があるのか、ワイドショーから井戸端会議まで好き勝手に騒ぎ始めた。
そして伊佐泰次郎と伊佐玖子と言う熟年男女の夫婦も、この件で話し合った。
「日本もだんだん物騒になって来たからな、それで大臣も決断したんじゃないか?」
「あの暴力団同士の抗争って奴?」
四日前の六月二十八日、突如二組の暴力団同士が大規模な抗争を行い十四名が死亡、八名が負傷。残る二十名あまりが逮捕された。一般人の犠牲者はゼロだったものの、周辺住民を震撼させるには十二分な惨事である。
「警察も何やってたんだか、気配を察知できなかったのかしら」
「まったくなかったらしいぞ。下っ端たちも何が何だか訳が分からないような状態で、それでそのまんまこんなんなっちまったらしい」
しかもこの抗争で、両方の組の組長が死んだ。と言うより上の方に立っていた人間から死んだり負傷したり逮捕されたりしたので、両組とも大きく弱体化するのは必至の流れだろう。ある意味では平和になるかもしれないが、それでも衝撃は小さくない。
「このたった四日間で、三十人も死ぬなんてねえ」
「大きな病院ではそれぐらい死ぬだろ」
「簡単に言ってくれるわね。でもその三十人合わせて、その死を誰かに惜しんでくれる人間がいったい何人いるのかしら。あなたと違ってね」
確かに、彼らは世の中でもっとも唾棄されるべき存在の一つかもしれない。とは言え妻が自然にその存在の死を蔑んでいる妻に、泰次郎は少し不安になった。
「あまりにも安易に命が奪われる事が続くと、次は自分じゃないかと不安になって来る。実際、私だってそうだからな」
「あなたは殺人の被害より頭を心配した方がいいんじゃありませんか。白くなるのならまったくどうでもいいですけど、最近どこがおでこだかわからなくなってますよ」
「髪の毛で死ぬか?」
「あなたはああいう会社に勤めてる割に胃と肝臓は丈夫ですからね。腸の方は怪しいですけど」
かつては製品開発部に所属してヒット商品を量産した食品会社の一流ビジネスマン、それが伊佐泰次郎だった。肝臓はともかく胃や消化器は新商品の味見で相当酷使されたはずなのにと言う称賛と皮肉の混じった妻の言葉が、自分の懸念をさほど深刻に受け止めていない事を意味していたのにすぐさま気付いた泰次郎は煮物をつまんだ。
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そしてこのわずか四日間での大量の人死にを、泰次郎よりずっと深刻な顔で見ている者たちがいた。
「あいつのせいだと思う?」
「この状態では断言はできないけど」
「あの大臣とかって女の人の顔。あれは多分絡め取られてるね」
「何とかならない?」
「無理だよ……」
シェアハウスで肩を寄せ合いながらテレビを見る、三人の女子。ストリートミュージシャンでフリーターの木田功美、二十二歳。就活中の大学三年生の林勝美、二十一歳。そして、ハウスキーパーの北本菊枝、二十歳。彼女たちは平田洋子法務大臣の顔を見ながら深くため息を吐いた。
「……あたしたちは弱いな」
「仕方がないじゃない、私たちは、あのお方のためにここに来たんだから。私たちはあのお方の命なくしては動けなかった」
「功美も、誰が聞いてるかわからないんだからさ」
女三人で暮らすような場所となれば、無用な妄想を掻き立てる輩も多い。盗撮とか、盗聴とか、そういう不埒な事をする人間もいる。その事をこの三人の女性は、あらかじめよくわかっていた。だからその事に注意して、なるべく素を出さないようにしていた。
このシェアハウスにバリアが張られている事は、三人以外にはわからない。隣近所のおせっかいなおじいさんおばあさんたちも、ただの家としか思わなかった。
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「……ったく、性能が劣化したにしては音の切れ方が唐突すぎるんだよな。何か強力な妨害電波でも出てるかと思ったんだが」
「出てないのか?」
「ああ。それ以外の方法で遮断されている感じだ。相当なセキュリティが施されている。ったく、たかがシェアハウスになんでまた」
「じゃもうそこ諦めようぜ」
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そのバリアは、実際に仕掛けられていた盗聴器の電波さえも断ち切っていた。この場合、あまりにも堅固なセキュリティが施されているのだと判断してなおさら意欲を燃やすか、それとも諦めるかのどちらかだろう。もっとも、彼らただの悪趣味な俗物にはそこまで本気なる理由もなかった。ましてやこの上、これが二十四時間三百六十五日付けっぱなしにしても米1キロ分の値段のコストでしかない事を盗聴犯たちが知ったらどう思うだろうか。よほどその気になっていた所で、ランニングコストなどの問題で手を引いていただろう。
だがそのセキュリティを知りながら、突撃して来る存在がいる事もまた三人の女性は知っていた。
「あの連中もエッチだよね」
「一番肝心な所には防備を強く張ってるんだけどさ」
「よく忘れちゃうんだよ私」
「おいこら、ハウスキーパーが何ずぼらな事やってるんだよ!」
「こういう時ぐらい気を抜きたいじゃない……」
「今度からちゃんと入浴時はやるようにね!」
特に風呂には、特に強固なバリアが張られていた。それでも年頃の女性を覗こうとする不埒な輩は絶える事はない。だから入浴の時には、わざわざより強固なバリアを張るように三人とも務めていた。
「でさ、めんどくさいから一緒にお風呂入って」
「三人一緒に入れる大きさじゃないじゃない、あんな湯船」
「だからさー」
「やっぱりあれは無理だよ、二人が限界。だから私がバリア張るから」
功美の言葉と共に勝美と菊枝が立ち上がり、風呂場へと向かった。功美は脱衣場に入らず、目をつぶって両手を合わせながらじっと立っている。
「おいおい、お前…!」
「たまにはいいじゃないほら」
「よくねえよ! それやってこの前溺れかけただろ!」
「勝美だって今度やればいいじゃない、私が今度は逆の事をするから」
「俺にはんな趣味はねえよ」
ケンカするほど仲がいいとか言う言葉を思い出したくもなかった功美だったが、どうしても頭に浮かんで来る。勝美と菊枝は昔からいつもそうなのだ、その時の仲裁を任されるのはたいてい自分である。その点だけは、自分の主人である勇者ジャンに対して不満もあった。
「にしてもさ、相変わらず勝美の筋肉ってすごいよね」
「お前っていつもそうだよな、ほめるのは筋肉ばっかし。もっとあるだろ、顔とか能力とかよ」
「あの人は顔にはこだわらないし、私たちの力はみんな違ってみんないいんだよって言ってくれるし。功美ちゃんみたいにはなれないでしょお互い」
「お前は本当きれいに収めるよな、そうして毎回俺が空回りした所をあのお方によ」
結界をどんなに強く張っても、その内側からの声はどうしても届く。湯や石鹸の音に混じって届いてくる他愛のない雑談に、功美はため息を吐きながらうらやましいと思ってしまった。
(あのお方は、今全く慣れない政治に戸惑っていらっしゃるはず。私たちもまた、この慣れない空間で戦っている。抑え込んでいたのか、弱かったのかはわからないけど、まさかここに逃げているだなんて思わなかった)
こっちからあっちに行ったと言う事は、あっちからこっちに行く事もできるのだろう。その事を考えながら資料を研究し、データをかき集めてこっちにやって来た。「あのお方」から得た知識があったせいで戸惑いながらもなんとか「こっち」に適応し、そして今こうして任務に当たっている。
(現在の所まだ向こうの所在はわからない、あいつらが何を狙っているのかはこの数日の件で見えた。でもどこで事を起こす? ここか、あそこか……)
功美がじっと手を合わせながら考え込んでいると、風呂の戸が開く音がした。勝美と菊枝が上がって来たのだろう。だが足音は一人分しかない。
「ちゃんと元に戻れよな」
「体拭いてからー、ハーウィンもやればいいのに。経済的だよ」
「やらねえよ!」
わかっていたとは言えまた小さくなって勝美に丸投げした菊枝のずぼらぶりに、功美は半ばあきれ半ば感心していた。あれでハウスキーパーとか言う仕事が務まるというのだからこの世界に不安を抱き、そして菊枝のオンとオフの切り替えの速さにも感心した。
「お待たせー、お疲れ様です」
「よーく、あったまったからな」
「……次は私が入ってもいい?」
「どうぞどうぞ」
「じゃ次はあたしらが張るから」
二人が脱衣場から出て来たのを確認していた功美は手を離し、ゆっくりと伸びをしながら脱衣場に入った。
「菊枝、お前はいいよ」
「でもさ」
「二人分やると逆に探知されるから」
「はい」
そして今度は勝美が目を閉じて手を合わせ、そして功美の鼻歌を耳にした。あのお方のピンチを救ったあの歌を、純粋に楽しむために歌っている。それを使えば一発でメジャーデビューできるんじゃないかと思いながらも、それをしようとしない功美の思いに勝美は感心していた。
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「お疲れ様」
「ここ数日、お互いえらく疲れましたね」
三人の近い年の女性が仲良く風呂に入っていた頃、二人の男性も風呂に入っていた。少し年の離れた兄弟に見える二人の男性だが、世間的には親子と言う事になっている。
「それで、あの連中たちの所在はつかめたの」
「残念ながら。ですがある程度は絞れて来ました」
「フン……わかってるよ、この辺りにはいないんでしょ」
「ええ、もう少し南と思われます」
「やはり、あの憎たらしい奴が抜かしていたあの町か」
頭にタオルを乗せながら湯船に浸かるその少年は、父親と言う事になっている男性にずいぶんと生意気な口を利く。細身ながらよく見れば筋肉質なその肉体から繰り出される技は、並の成人男性ならば数人がかりでも倒せそうにないレベルにある事を父親である男性はよく知っている。
「それにしてもどうでもいいですけど、本当に毛がないですね」
「お前と一緒にするな、なぜわざわざそんなチビになるんだよ」
「シャンプーとか石鹸とか言う代物の問題でしてね」
小さなアパート、風呂トイレが別な事だけが取り柄の六畳一間。そこにつつまやしかに暮らすこの親子の「親」の背丈は、普段190センチ近いが現在は150センチを切っていた。当然、石鹸の量は少なくて済む。
「毛がないだなんて言うけど、お前も人の事言えるか」
「私はこれでも自在にコントロールできますからね、ご存知でしょうけど」
「知ってるよ、それで稼いでくれたんだろ求」
「私たち二人ですからそれでいいですが、外では父さんを付けて下さいね」
「はいはいわかったよ、求父さん」
二人の親子の肉体には、共に首から下に毛がなかった。それで四十二歳と十五歳だというのだから、子どもはまだともかく親が尋常なる人間でない事は明白である。やがてこの尋常でない親子は風呂場を出て洗面台でお互いの体を拭き合い、父親が背丈を元に戻して毛を生やす間に、息子はパンツに足を通し赤いストライプのパジャマを身にまとった。
「時間がかかるな」
「あなた様をお待ちしていただけです、それにしてもお早いお着替えですね」
「そんな戯言はどうでもいいよ、お前はどうやってあのおばさんを操った?」
「私は淫魔であり夢魔です、簡単な事です。でも龍二様にはかないませんよ」
「得意な事苦手な事があるだろ、お互いさ」
数日前から、求は平田洋子の夢に入り込み彼女の心を揺さぶった。この世界で、ある意味一番合法的に人間を殺せる立場の人間は誰か。その答えを見つけた求は、法務大臣である平田洋子にターゲットを絞り、ある意味での洗脳を行った。結果として、彼女は一日の間に十六人の人間を殺した。
「もうお前しか僕には残っていないんだからな」
「いえいえそんな、ここ数日でかなり仲間が増えましたよ」
「新しい仲間か。こんな所でかき集めたにわか連中がどれだけ役に立つかね」
「いちおう、なるべく凶悪な物を集めたつもりです。肉体だけあっても仕方がありませんからね」
「まったく、お前はいつもそうやって真面目だよ。それがいけなかったんだろうけど」
「そんな、私は嫁がいながら誰にでも股を開かせる男ですよ」
「それだよ、それ……」
自分が暴力団とか言う悪党どもを操って無為な殺しをさせそこからかき集めたと言うのに、求はある意味合法的な殺人で得た物をかき集めている。確かに悪辣と言えば悪辣かもしれないが、それでもどうにも物足りない。
「今のお前では妖精一匹にすら勝てない。もう少し何とかしないと」
「その点、嫁はその事に対して真摯でしたからね。あのお方様はその事をよくわかっておいでで」
「とにかくだ、お前も嫁と父さんの敵を討ちたいんだろ? だったら尽力しろ」
「わかりました。では本日からしばらくターゲットを変えましょう。もうあの平田洋子とかいう女は十分に支配下に置けましたので」
不破求はベッドに入り込むと目を閉じ、マントを翻す普段以上の伊達男の姿になった。そしてそのまま空を飛び、女性の中に入り込む。そしてその女性の求める男の姿に化け、彼女を存分に楽しませる。その顔を、龍二はおおむね満足そうに見下ろしていた。
(こいつの事だから、またモテなさそうな女ばかり狙ってるんだろうな。確かに戦力となれば効果は大きいけど、もう少し破壊願望があってもいい物を……それだから自分自身が嫁ほどの戦力になれなかったのがわかってるのかね)
不破求。年齢、自称四十二歳。職業、ホスト。その正体は、女性の精を吸い取る魔物、インキュバスだった。そしてその妻は、勇者ジャンに討たれた魔王アフシールのの側近である、サキュバスだった。今宵も彼は主と妻の仇を討つべく、夢の中で地道に経験値を稼いでいたのである。
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