もうだめだ――アーサーが諦めかけた時、誰かが彼の腕を掴んでいた。

 彼が見上げると、それはリン・ユーだった。


「リン・ユー……」

「何をしていやがる……諦めるな、って言ったのは他の誰でもない……てめぇだろう!」


 その様子を見た伯爵は、シャルロットを放り投げ、リン・ユーの背後へ迫った。


「お前ら二人仲良くあの世へ行け!」


 伯爵はストーンを再び掲げ、穴を広げ始める。


「リン・ユー……あなたまで落ちてしまいますよ」

「うるせぇ! マリア様が……許すわけねーだろう。誰一人欠けることなく……全員で帰るんだろう? それに何より……目覚めが悪いんだよ!」


 リン・ユーが穴に落ちかけた時、シャルロットが目をあける。


「アーサー、リン・ユー……。……させない。お願い……二人を、助けて……」


 シャルロットは二枚のカードに念じ、二人に向かって投げた。

 カードはそれぞれ、二人の背中に吸い付き、穴の外まで二人を持ち上げた。


「馬鹿な!」


 驚愕した伯爵に目掛けて、アーサーは思い切り剣を突き刺した。

 だが、伯爵は不敵な笑みを浮かべる。


「私にそんなものなど効かな……うっ……」


 アーサーと伯爵は、互いに我が目を疑った。


「おと、う……さま……」


 二人の間にはオッタヴィアが立っており、剣は彼女の胸を貫いている。


「なぜだ……人形の、お前が……」


 困惑した伯爵が問いかけるも、オッタヴィアは無言のまま目に涙を浮かべ、膝をつく。

 その重みに引っ張られたアーサーは、とっさに彼女の体から剣を抜いた。


「……私の、心臓が……」


 伯爵の体は灰になって崩れた。灰の上には衣服の他、五芒星のペンダントと真っ黒なストーンの欠片が残っている。

 カストは懐から布を取り出し、黒いストーンをくるんだ。


「成程、伯爵の心臓はオッタヴィアの中にあったようですね」


 アーサーは、動かなくなったオッタヴィアを見つめていた。


「伯爵の言っていた大事なものは、自分の心臓を指していたんだ。オッタヴィアに感情がないって言っていたけど、あの涙は……僕には、感情の表れだったように感じます」

「彼女の魂の叫びだったのかもしれませんね」


 アーサーがカストに目をやると、カストの体は青白く透き通っていた。


「カストさん!」


 カストは身に着けていた指輪を外し、懐からもうひとつの指輪を取り出した。


「おやおや、今まで外れなかったものが、こうも簡単に……ようやく、この時が来たようですね。あなたにこれを……」


 二つの指輪と、先ほど布にくるんだストーンをアーサーに手渡すと、ストーンから輝きが放たれる。真っ黒だったストーンはみるみるうちに虹色へ変化していった。それに呼応するように、指輪についていた紫色のストーンも光り輝いている。


「……これで、もうこの世に思い残すことはない」


 そう告げると、カストはその場から消えてしまった。

 床には、彼の姿をした一体の人形が転がっている。人形の胸や首には複数の大きな傷が見られるが、その表情はどこか安らかだった。


「カストさん、家族と会うことが出来るだろうか……」

「きっとそうよ。必ずね」


 シャルロットが頷いた。


「しけたツラしやがって……そのツラで再会するつもりか?」

「えっ?」


 リン・ユーの言葉で、アーサーは振り返った。


「……アーサー、心配をかけて悪かった」

「フラン兄さん! 気が付いたんだね」


 アーサーはフランシスを抱きしめ、「良かった、本当に良かった」と、涙目で何度も呟いた。


「なんだか長い眠りについていたようだ。よくここまで……ありがとう、アーサー」


 フランシスはアーサーの背中を優しく叩く。


「ここにいる、みんなのおかげだよ。僕一人なら、ここまでたどり着けなかったと思うから」


 再会を喜ぶ二人の姿をマリアは微笑ましく見つめていた。。

 だが、その喜びも束の間、部屋の壁や床がガタガタという大きな音を立て、揺れ始める。


「地震⁉」


 窓からリン・ユーが周囲を確認する。


「城が崩れ始めている。おい、さっさと脱出するぞ!」


 ウィンディの上にマリアが乗る。

 皆が部屋の扉の方へ慌てて向かう中、アーサーは、カストの人形を眺めていた。


「何をもたもたしている……さっさと逃げるぞ!」

「……僕には、放っておけない」


 アーサーは人形を抱き抱え、皆と一緒に城を飛び出した。

 主を失った城は、悲鳴ともとれるような音を立てながら崩れ去る。

 中島から二艘の小舟で岸辺に向かって進むと、朝日を浴びた睡蓮の花々が咲き誇っていた。


「あの城以外、前に見た景色と同じですわ」


 ウィンディは、小さくなった自身の体をマリアの膝に預けるように、すやすやと眠っている。マリアは、ウィンディの頭を優しく撫でた。


「疲れて眠ってしまったようですわね」

「姉上、ウィンディも……皆に心配をかけてしまいましたね」


 肩を竦めたフランシスに、マリアは首を横に振り、微笑む。


「あなたが無事で、本当に良かったわ……フランシス」

「姉上……帰ったら、父上の葬儀と、姉上の戴冠式を執り行いましょう。今度は私が、シャルトーの代わりに姉上を支えます。風の国の宰相として、民衆に寄り添い、国の安定と繁栄をもたらせるように」


 すると、オールで漕いでいたリン・ユーが、


「ならば俺も……お二人が国民のための政治に集中出来るよう、武人の一人として、お二人をお守りします」

「フランシス、リン・ユー……二人ともありがとう」


 もう一艘の小舟からアーサーとシャルロットが三人の様子を見ていた。


「兄さんを助けることが出来て良かった」

「そうね、三人とも楽しそうだし。ところで……その人形、いったいどこまで運ぶつもりなの?」


 カストの人形を指さすシャルロットに、アーサーはオールで漕ぎながら答える。


「見た目はただの人形かもしれないけど、僕には魂の入っていた……僕たちと同じ普通の人間にしか見えないんだ。どこか、彼にとってゆかりのある場所まで運んであげられたらいいなって……」

「そう考えると、とても痛々しくみえるわね……この傷跡」


 シャルロットは、人形についている傷を指でさすった。


「どんなに死のうとしても死ねない……大切な家族や友人、自分にとって繋がりのある人たちが皆いなくなって、この世に自分だけが残されたら、って思うと怖いね。でも、僕はまだ死ねないな……こうして、皆がいてくれるから。誰一人欠けることなく――それが本当に叶って良かった」

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