第十章 怒りの日

 リン・ユーは表情を歪め、その場に座り込んだ。


「……ユー、大丈夫? 力を使い過ぎてしまったのね」


 マリアがリン・ユーの肩に手を触れる。


「このぐらい……俺は平気です。それより、弟君おとうとぎみを探さなければ」

「コーン」


 ウィンディが、リン・ユーの顔に頬をこすりつけ、癒し始めた。


「ウィンディ、てめぇもボロボロだろう……無理をするな」

「カストさんの指輪が……」


 アーサーの声で、カストは身につけていた指輪に目を向ける。

 先ほどまで鮮やかな紫色の光を放っていた指輪のストーンからは光沢が失われ、色がくすみ始めていた。


「雪辱をひとつ果たしたことで、どうやら動き出したようですね――が。この世から解放されることを思えば本意ですが、今消えては幾ばくかの未練がある」

「伯爵とオッタヴィア――二人を倒して、フラン兄さんを助ける。皆で帰りましょう……それぞれの我が家へ」


 アーサーの言葉に皆が頷く中、シャルロットが声を震わせる。


「アーサー、皆……ごめんなさい。私……」

「誰も君のことを責めることは出来ないよ。それに、命がけで僕を守ろうとしてくれた。むしろ、僕の方がお礼を言わないといけないね……ありがとう」

「アーサー……」


 大粒の涙を浮かべるシャルロットに、リン・ユーは首を傾げ、


「おい、いったい何があった?」


 と、問いかけるが、アーサーは、


「いや、何でもないですよ」


 と、笑って答えた。


「は?」


 リン・ユーが訝しげに眉をひそめると、マリアが二人の会話に割って入る。


「先を急ぎましょう。こうしている間にも、フランシスの身に何かあったら……」

「この先どうする? このまま全員で乗り込むのも良いが、マリア様の言うように、弟君に危害が及んでいる可能性も捨てきれん。二手に別れるか?」


 リン・ユーの提案に、アーサーは頷いた。


「そうしましょう。マリア様、リン・ユー、ウィンディはフラン兄さんの救出を、カストさん、シャルロット、僕は伯爵のところへ」

「分かった。弟君を救出次第、俺たちも合流する」

「若造」


 カストの呼びかけで、リン・ユーは振り返った。


「地下牢へは、この階段を通ると良いでしょう。それと、伯爵の部屋へ向かう途中に『鏡の間』というところがあります。くれぐれも、姿を映されることがないように……」

「姿を映されたら最後、どうなる?」

「自分の目で確認すれば良い……と言いたいところですが、まあ良いでしょう」


 カストはひそひそとリン・ユーに耳打ちをした。

 マリアは、先ほどウィンディから受け取った鍵を握りしめる。


「どうか、皆様ご無事で」


 リン・ユーと一緒にウィンディの背中に乗り、フランシスの待つ地下牢を目指した。


「僕たちも行こう。カストさん、案内をお願いします」

「では、こちらへ」


 カストの先導で、アーサーとシャルロットは伯爵の待つ部屋へ向かう。暗がりの階段を、壁に手をつたいながら慎重に上っていく。


「今回のこと……どうにも繋がらないな」


 アーサーは険しい表情を浮かべ、そう呟いた。


「急にどうしたの?」

「伯爵がなぜフラン兄さんをさらう必要があったのか。ディアマーレでわざわざ事件を起こして、歴史を変えたことがいまいち理解出来ないんだ。歴史を変えることで、今置かれている自分の立場や状況までもが変わるかもしれない。そんなリスクを背負ってまで、彼がしたかったことは、いったい何なのだろう……」

「ディアマーレに行った目的は、玉の化身であるその剣を奪うことでしょ?」

「だったら、なぜフラン兄さんを……カストさんの言っていた言い伝えを誤解していたといえば、それまでだけど。マリア様とフラン兄さんを城から追放したことで、王位を自分のものにしようとした?」


 アーサーとシャルロットのやりとりに、カストも加わる。


「後継者が何を指しているか……風の国の王位継承者と考えたか、それとも……あなたの集落の後継者と考えたのか。彼のみぞ知る……といったところでしょう。ディアマーレの事件では、私の家族やメラトーニのような庶民の他に、当時の革命家たちが多数死んだと。後で分かった話ですが……」

「革命家って⁉」


 アーサーの驚きように、カストは首を傾げるが、


「ピエールにルネ、オーギュスト……」


 と、淡々と名前をあげていく。


「それって……皆、風の国の革命を主導した……」

「風の国で? おやおや……そんな事件はなかったと思いますが」


 アーサーとカストは顔を見合わせた。


「ってことは……今回のことは、革命家に対する恨み? まさか、わざわざ錬金術を使ってオッタヴィアをよみがえらせたのは、彼女が革命家によって殺されたから?」

「生憎、この私も計画の深いところまでは聞かされていなかったもので、何とも言えませんがね」


 と、カストは肩を竦めた。


「私がまだ幼い時、曾祖母から聞いたことがあるんだけど、水の国のミラーネ劇場で火災が起きて、焼け跡から一人の少女の遺体が見つかったらしいの。しかもそれが、革命主義者による犯行だったって」

「その話なら、聞いたことがありますね……幼少の頃の記憶ですが。その後、森の国が中心となって、劇場を再建したそうですよ」


「仮に、その少女がオッタヴィアだとしたら……」アーサーは思案した。「そういえば、シャルロットのひいおばあさんって、かなりのお歳だったってことだよね?」


「伯爵から若返りの水をもらっていたらしいから。でも、晩年には不老不死が必ずしもいいことだとは思わなくなったみたい。それは、そこにいるあなたが一番よく分かっていることだと思うけど」


 カストは嘆息し、静かに頷いた。






 長い階段を登りきり、広間に出る。


「鏡の間です。左右に並んだ二十枚の鏡……一見、何の変哲もないただの鏡ですが、映れば最後、からくりの餌食になります」

「か、からくり?」


 アーサーとシャルロットはお互いの顔を見合わせ、ごくりと唾を飲み込んだ。


「だが、このからくりには一つ弱点がある。二人とも、少し下がってください。私が合図をしたら全力疾走で奥に見える扉の前へ」

「なぜ走る必要があるの?」


 シャルロットが尋ねると、


「簡単な話ですよ」


 と言いながら、カストは一本の小刀こがたなを放つ。

 すると、鏡の中から剣や矢などが多数飛び出してきた。


「わっ!」


 驚いたアーサーとシャルロットは、数歩ずつ後ろへ下がった。


「中からすべての仕込みが飛び出せば、わずか五分ではありますが、鏡に姿が映ろうとも、その間に飛び出してくることはありません。裏を返せば、その間に走りきれ、ということです」


 全ての仕込みが飛び出したことを確認し、カストは合図を送る。


「さあ、行きますよ!」


 三人は全力で鏡の間を駆け抜ける。


「あと三分……二分半……」


 カストが時間を読み上げていたところで、


「きゃっ!」


 シャルロットが、着ていたワンピースドレスの裾に足を引っかけ、転んでしまった。


「シャルロット!」


 アーサーが引き返そうとすると、カストは人形の糸を使って彼を制止する。


「落ち着いて。お前までからくりの餌食になりますよ」


 そう言いながら、シャルロットの体に糸を巻きつけ、手繰り寄せた。


「さあ、早く!」


 最後の一枚に差し掛かったところで、再び時間を読み上げる。


「五、四、三、二、一……」


 扉の前に転がり込むように、三人は到着した。

 アーサーは、懐中時計を手に取り、時間を確かめる。


「もう夜明けだ」

「では、この時間は恐らくここで……」


 と、カストが言っている間に扉がひとりでに開く。アーサーたちが中に入ると、扉はまたひとりでに閉まった。

 部屋の中では、老紳士と少女が食卓を囲んでおり、テーブルの上には銀のコップと燭台が置かれている。また、食卓テーブルや椅子には金の装飾が施されており、アーサーとシャルロットは、眩しさのあまり腕で顔を覆った。窓から差し込む朝日が、より一層その眩しさを増長させている。


「カスト、娘との食事中に無断で入るとは無粋であろう」


「伯爵とオッタヴィア……ついに、ここまで来たんだ」アーサーは拳を握り、「フラン兄さんを必ず連れ戻す!」と、心の中で再び決意した。

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